”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「早稲田大学琉球・沖縄研」映画催

2011年05月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り

              

        (復元資料・絵巻レプリカを説明する勝方所長と末吉代表)

 

 5月27日、早稲田大学小野梓記念講堂で上映された『蘇る琉球芸能江戸上り』 と『浦添ようどれ蘇る古琉球』を観劇。これは早稲田大学琉球・沖縄研究所(勝方恵子所長)の連続講座の一環として開催されたイベント。製作は㈱シネマ沖縄(末吉真也代表)

 前者のテーマーは琉球王朝が「江戸上がり」の度に演奏された幻の王宮音楽の「御座楽」と舞踊の復元ドキュメンタリー。

我が那覇高同期の故又吉弘史君の奥様・静枝師匠による舞踊はじめ楽器、音曲、衣装とそれぞれの分野の専門家が内外の文献、絵巻等を探索しつつの復元、日本橋三越劇場での公演までの軌跡。

 

 話には聞いていましたが、各分野の人々それぞれの復元追求の姿、中でも絵巻に描かれた舞姿と復元舞踊の二重復元映写は映画ならではの伝達訴求力、その映像の迫力とリアルティには圧倒されました。

 後者は首里城に先立つ琉球王城といわれる「浦添ようどれ」の探求を伝承、文献、考古学と多角的に追及、映写、会場ほぼ満席の観客に深い感銘を与えました。

 それにしても、先年の「宮良長包伝」といい、㈱シネマ沖縄を率いる末吉真也代表の尽きることの無い製作情熱と意欲には脱帽です。

     

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 「次世代向けに“苦労、失敗談”を披露しました」

2011年05月25日 | 「講演・セミナー」

                     

 「関東沖縄経営者協会」では今年度の重点推進事項として“次世代企業人支援・育成”を掲げ、その具体的活動として、後輩・若手向けえ会員先輩が体験談を講ずることになりました。

その第一弾担当として、昨日私が神田の㈱オールビジネスリンク社会議室に異業種・若手30名近いメンバー向けに苦戦・失敗を披瀝、有志による二次会懇親でも大いに盛り上がり、お蔭で原稿準備、作成の疲労が軽減されました。

 

正直、創業時経緯の体験をレビュー、パワーポイント40枚近いスライド原稿作成作業、

あーでもない、こーでもないと試行錯誤、これまで気付かない自分の動機、体験を見直し再発見する良い機会になりました。何だかんだと1週間以上も掛かり、疲労困憊しましたが、改めて“課題こそ生甲斐”、一番の不幸は“するべきテーマーや課題がないこと“を認識しました。

改めて、“他山の石”、“負うた子に瀬を教わる”と私の埒もない体験談話に参加頂いた皆さん、有り難う御座いました。

           

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「元日教組書記長・渡久山先輩のスピーチ」~「三月会」

2011年05月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り

      

 内幸町プレスセンターで開催された在京沖縄関係交流会の「三月会」五月例会。元日教組書記長で中教審委員・前琉球大学同窓会関東支部長の渡久山長輝先輩に“沖縄と私”テーマでスピーチ頂きました。

サブタイトル~私の来し方、古里とヤマトのはざまで~にあるように琉球大学物理学科卒業後、神奈川県高校教師から組合活動。“民族闘争”“階級闘争”、社会党、共産党、新左翼等々の間で様々繰り広げられた沖縄復帰運動等滅多に聞くことの出来ない沖縄県出身者としての日教組中枢ならではの懊悩、経験談を聞くことが出来ました。

なかでも私達が高校時代歌った“おきなわを返せ”の唱歌を民族闘争歌として階級闘争の立場から拒絶したメンバーの話や渡久山を“わくやま”と呼ばれた逸話等々、さながら在日沖縄人の戦後歴史の一面を聞く思いでした。

 

渡久山先輩は先に逝去した児玉清、長門裕之さん達と同年77歳ながら、スピーチ後の二次会では朗々たるイタリアベルカント・カラオケ詠唱!その若さ、壮健さにはホトホト感服でした。その先輩のバイタリティを目の当たりにすると”そろそろ年か!”と思いがちな我と我が身に激を飛ばされます。渡久山会長、有難うございました。

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「ご哀悼!児玉清さん」

2011年05月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         

 520日の今夜、胃癌で77歳で亡くなられた朝日テレビ「アタック25」クイズ番組司会を長期に担当していたタレントの児玉清さんのお通夜が護国寺で行われました。

 実は数年前、全盛時代の児玉さんと世田谷の沖縄居酒屋で隣り合わせご紹介され、暫し懇談したことがあります。

 学習院大卒で博覧強記の読書家と聞いていましたが、高名タレントに有り勝ちな偉ぶるところ全く無く、気さくに談笑されたのは強く印象に残っています。出会いを感謝し、改めてご冥福をお祈りします。

 

 77歳と言えば、一昨夜、元日教組書記長で中教審委員の渡久山琉大先輩と博報堂OBでエッセイストしても有名な石川英夫早大先輩と3人で懇親する機会がありましたが、両先輩共に77歳ながら、高齢何のその、カラオケ歌唱、アルコールとその壮健さには感嘆しました。お二人の矍鑠振り見ていると、まだまだ頑張るか!と励まされました。

 

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「健脚質実」;光文堂㈱創業者・外間政憲氏自伝

2011年05月15日 | 「Weekly 読書感想」

                   

 沖縄県内印刷会社として著名な光文堂(光文堂コミュニケーションズ㈱に改名)創業者の外間政憲氏の自分史。たまたま同社の東京営業所が徒歩至近の飯田橋にあり、お訪ねした所、ウチナワムクー(沖縄婿さん)の下河原所長から頂き、拝読。

 数年前までは毎年、在京県出身企業家等を招き、交流集い主催の後継御子息社長さんが高校後輩であることや10年前のWUB東京大会では当時東京営業所勤務の屋良さんにお世話になる等同社とは浅からぬ縁で、創業者のお名前は存じていたものの、残念ながらその謦咳に接したことはない。

 

 本書を読んで初めて18歳で創業、20歳で結婚。爾来60年、藍綬褒章や県功労賞を受賞する一方ご子息に承継すると等経営者としての功績には改めて感銘を受けました。

 本書で名護の芭蕉敷や名護高校前身の田井等高校なるものを初めて知りました。

 県内印刷共同組合設立に奔走する苦労談や戦後同社の発展の礎が地元製造業の雄であるオリオンビール創業者の具志堅宗精氏や同郷本部の前稲嶺知事の尊父である琉石創業の稲嶺一朗氏、後輩の元オリオンビール副社長から沖縄NHK支局長、沖縄モノレール社長を歴任した比嘉良雄氏等県内著名経済人との人脈、信頼支援があったことが理解出来ました。

 

 それにしても、全編至る所に掲載された映像、こう言っては失礼ながら沖縄人離れした白皙偉丈夫の好男子振りから、さぞ持てたのでは思われるが、当然のことながら艶聞等の報告記述は無い。

 お子さんはじめ多くの友人達の寄稿文を読んでいると、戦後沖縄史の側面を読む取ることができます。

 さらに、72歳で胃癌罹病、77歳で咽頭癌手術、声帯を失いながら意気軒昂、代表権をご長子・政春氏に譲り、事業承継を果たしつつあるその経歴には創業者として参考になる点が沢山ありました。

 

 

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「連休・春日部大凧マラソン」

2011年05月12日 | 「マラソン挑戦」

         

 ゴールデンウイークは終わりましたがここ10年以上5月連休には必ず「春日部大凧ハーフマラソン」に出場していました。タイムはほとんど2時間後半台で、参加2千名中1800番と言う体たらくですが、五月の薫風を浴びつつ、埼玉・千葉県境を流れる江戸川上流の堤防を時折飛ぶグライダーを眺めつつ走るこのコースは私の最も好きなレースの一つでした。

 

 もともと、このコースは「庄和大凧マラソン」と称していましたが、春日部との合併により、名称が現在に変わりましたが、大会そのものが継承されて良かったと思います。

30年以前に初めてマラソンに挑戦したのは、スタート地点が自宅から徒歩10分の“第一回与野大かやマラソン”は閉会式会場にゴールするシンガリレースを忘れることが出来ません。その後何度か愛好参加した思い出のこのレースが埼玉、大宮との三市合併で無くなったのはなんとも言われぬ寂しさを味わったものです。

その意味からも名称が”春日部大凧マラソン“に変わったとは言え、存続しているのは嬉しい限りです。

 

昨年暮れのナハマラソンで痛めた膝半月版損傷のため正直階段の昇り降りにも痛痒を感ずる程、悪化していましたが、ままよと今年も10回目?のエントリーしていましたが、何と東北震災の余波で大会中止とプログラムと参加賞が送られてきました。いずれにしろ、出場しても恐らく1キロ試走難しい膝障害で、いつかまた走れるようにと整形外科と接骨医に通っていますが(´Δ`;)上記写真は数年前のゴールショットです。

             

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「沖縄に恋をする」:WAVE出版

2011年05月11日 | 「Weekly 読書感想」

                                    

 元毎日新聞記者でインターネットタウンマガジン「沖縄王」管理者でウチナワムクー(沖縄婿)・西野浩史氏編集による“沖縄礼賛誌”

 西野氏だけでなく、秋田、愛知、山梨から沖縄へ移住した人達の動機や閲歴等の詳細な具体的事例レポート。

オーシャンレジャーや三味線沖縄音楽に惹かれて本土から沖縄へ移住した事例はいくつか知っていますが、一フィート運動事務局を務めた著者の西野氏や自然体験を目指す「じんぶん学校」、那覇の尚学塾に対抗する名護の予備校立上げ等の社会活動移住者事例は本書で初めて知りました。

 

 徳島から沖縄に移住した西野氏のような事例がある一方、逆に沖縄から徳島に移住、結婚、ほぼ永住の沖縄出身高校同期のT君や埼玉に移住して来た私のケースなど、人生選択様々です。

 沖縄出身女性と結婚、沖縄へ移住した本土出身の我社の男子社員OBも少なくありません。

 

 一時訪問、来訪”まれびと”には“癒しの島、イチャリバチョウディー(出会えば兄弟)チムグクル、結いマール”と”優しい沖縄”も移住者にはヒジュルー(冷たい)とも言われます。

沖縄礼賛基調の本書ですが、終章近付くに従い著者の沖縄描写は微妙に客観トーンが感じられます。とは言え、全編を飾る沖縄風物、風景の鮮やかな写真等、沖縄に心寄せる読者に必読と言えます。西野さん御寄贈有り難う御座いました。

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「ふるさと納税」(沖縄県)担当官ご来社!

2011年05月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り

          

 08年“ふるさと納税”制が導入以来、鹿児島県等ではその活用、採用に積極的で、郷友会等で機会ある毎に広報、勧誘を受けました。

 一方、沖縄県ではこの制度が適用外かと思われるほど、喧伝、働き掛けを受けませんでした。

その背景には基地負担に伴う桁違いの政府補助金があり、県当局から見たら“ふるさと納税”等は取るに足らない額で眼中に無いのかと思っていた矢先の昨年暮れ、上運天前東京事務所長、自らが当社を訪問、協力依頼を受け、お応えすべく県HPにアクセス試みましたが、手続き煩雑で断念していました。

 

その県当局のスタンスがこの4月一歩進み、初めて東京事務所に若手の専任担当官を設置、連休半ば、早速拝命・堀川担当官が初仕事と知友の女性職員・島田、照屋両嬢を伴い、来社されました。

“ふるさ納税”とは担当外の企業誘致担当官ながら何かとお世話になっているお二人を含めた3人の揃い踏みご来訪、流石に手ぶらで御帰しする訳にもいかず、ご要請にはお応えせざるを得ず、些少ながら御協力させて頂きました。

 

県人会、経営協、IT協の皆さん、震災義捐と何かと物入りの時節ながら、東京事務所に問い合わせれば、担当官から詳細な手続き説明が頂けますよ!

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「我社の恩人天田さん、ご来訪!」

2011年05月08日 | 「千客万来」

                      

  この所、当社OB何人かが合併新オフィスに来られましたが、連休前、我社今日ある恩人とも言える当年86歳の天田さん、神楽坂の坂道ものともせず見えられました。

  先年、「おきなわ就活塾」でも紹介しましたが、天田さんは日科技連より品質管理・デミング賞を受賞されるなど数々のキャリアを積んだオルゴールで有名な東証一部の三協精機製作所(現日本電産サンキョー)工場長を57歳で勇退、創業5年目の旧㈱日本アドバンストシステムに来られ、以来70過ぎまで総務部長、専務、顧問として我社の基盤構築に貢献頂きました。

 この日、会長室はじめ社内を巡られる天田さんに懐かしさと敬愛を込め一様に満面笑顔で挨拶する旧NAS社員の姿に改めて天田さんの人徳を感じました。

 起業の動機は資産形成、名声確立等の自己実現、人材育成、社会貢献等その比重は人により様々ですが、天田さんのような方との出会、共に働く機会創設があることを改めて噛締めました。

 前立腺腫瘍と戦いつつも”この年になってもこうして訪ね、会える人がいることこそ健康の元”とご来訪され、ご案内した神楽坂の加賀料理を満喫、矍鑠としてお帰りになられた天田さん、何時までもお元気で!ご来訪、有り難う御座いました。

       

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「城丘百年誌」:創立百周年記念事業期成会

2011年05月05日 | 「Weekly 読書感想」

                      

  母校・那覇高校とその前身である旧制沖縄県立二中の「城岳同窓」、A4・布表紙の上製豪華重量の百年記念誌。特送便で届くやいなや “矯めつ眇めつ” 撫でる様にページを捲りました。

 

 とは言え、450Pを越す膨大な内容、とても一度や二度では読みこなせず、機会ある毎に幾度も読み返す私の様子は側にいる家人が呆れる程でした。

 ことほど左様に、本誌は先輩、後輩、知人による“思い出”記や群星人物伝満載に“え!この人も城岳同窓だったのか"と思う一方、戦後沖縄を背負った逸材に稲嶺前、仲井真現知事、翁長那覇市長と知友先輩・後輩の面々、同窓会を越えた時代史を見る思い。

 

 同期周辺だけに目配りする読み手から見たら、誤謬や抜けがやたらに目に付き、クレームも尽きないのでは!現に我が12期同期の医師や大学教授職紹介は半分近くが抜けている。

しかし、二中、那覇高、定時生網羅の123同期、総勢45000人を越える100周年の同窓群像、沿革、世代史を限られた資料取材源で現世代の編集者が追跡、描くのはオーバーに言えば適切な表現とは言えませんが、それこそ“群盲、像を撫でる”様な難事業だったのでは。途中様々な意見齟齬や衝突、障害、忌避厭世があったのではと本誌336337ページに掲載された編集後記とメンバーの写真を繰り返し見ながら思いました。

 

とにもかくにも、こうした様々な障害を乗り越え2年半に亘る気の遠くなるような膨大な作業の末、素晴らしい本誌の完成上梓を実現した県内2大紙編集OBの松島、東金城両委員を中核にする19名の記念誌委員メンバーの皆さんの偉業、本当にご苦労様でした。同時に心から感謝を表します。

                                             

 

 

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東北被災義捐“津軽三味線”招聘!SHOK会」

2011年05月01日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         

 共に首都圏独立系IT企業交流会ITA(Information Technology Alliance)代表者OB同士。苦節経営30余年継続、承継、リタイア、会長、顧問に退いた古希周辺4初老?

 

 創業、経営トップ30年同士ならではの充足、達成感の一方、家庭、社内に於ける居場所、出退時間等々他では言えぬ情報交換、慨嘆、悲憤、慷慨、憂さ晴らし、3ヶ月に一度幹事持ち回り、4人のイニシャルから名付けて奇特、貴重、得難い集いSHOK会。

 

 この日は私の幹事役。神楽坂は加賀料理店。時が時だけにカラオケ歌うわけにもいかず、東北津軽被災への義捐と“津軽三味線”招聘拝聴、寸志見舞でした。

 

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David Halberstam「朝鮮戦争」(上下);文芸春秋社

2011年05月01日 | 「Weekly 読書感想」
ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 下
クリエーター情報なし
文藝春秋

  

「ニュヨークタイムス」特派員としてベトナム戦争リポートでピュリッツァー受賞で有名な著者の10年に亘る取材ライフワーク遺作。活字も小さく上下1000ページを越えるハードカバーボリウムの翻訳書、正直読み通すのはシンドク、ヒーヒー言いつつ飛ばし飛ばし何とか読了。

 

 トールマン、マッカーサー、アイゼンハワー、アチソン、リジッウェイ、スターリン、蒋介石、毛沢東、彭徳海、林彪、金日成等々、朝鮮戦争を巡る当時の世界の政治家の関係、角逐、動きの詳細な分析描写以外に、これでもかこれでもかと戦場現場の個々の指揮官、兵士への詳細膨大なインタービュー描写。その取材、描写記録パワーは正直、気が遠くなるほどのボリウム。

 気になったのは当時の日本政治家の動きや毛沢東と微妙な関係にあった周恩来への記述が殆ど見られないこと。あるいは飛ばし読み私の見落としか?

 

 国連・米軍善、中国・北線悪と単純に描くのではなく、当時の北鮮、中国軍の勇敢、戦闘力を公平、客観的に描く。

 朝鮮戦争の一つの原因は米軍・中国軍の介入をそれぞれの局面で全く予測しなかったスターリンとマッカーサーの誤りと説く。

 

 先日終了した日経連載のブッシュ前米国大統領の「私の履歴書」時に顔を顰めつつ読みましたが、本書取材、執筆の裏には当時のブッシュ大統領が推進しているベトナク、イラク介入戦争を分析、批判しているのではないかと言われています。膨大なインタービュー、引用積み重ねと分析にはとてもここで感想を書けるものではありませんが!

 

 

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朝吼夕嘆

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