今、100にも迫るかの沖縄コール・センター。今でこそ当然とも思われているこの沖縄進出ブーム。その“はしり”ともいうべき「NTTの104」の沖縄進出。当局と労組の当初の強い反対を押し切り、当時の郵政族のボスとも言うべき野中代議士を動かし、その突破口を作った一方の旗頭が当時の稲村公望沖縄郵政事務所長。
奄美の地方郵便局で出生した氏は後に総務省政策総括官から皮肉なことに自ら反対す郵政民営化の推進母体・郵政事業庁次長まで上り詰める。今は中大の客員教授と日立の顧問を勤めているが、郵政民営問題がなければ今頃、否近い将来永田町の赤絨毯を踏んでいたであろうことに大方異論はない。2001年の「WUB世界大会・東京」でも大変なお世話になった。
先日、沖縄の恩人とも言うべき氏と懇親したいとの吉川県東京事務所長のたっての要請に応え、仲介、恵比寿「大吉」での会食になった。奄美出身ながらラサール、東大法学の元キャリア官僚。公望、その名の通り今“粗にして野ではあるが卑でなない“(失礼!)
奄美の地方郵便局で出生した氏は後に総務省政策総括官から皮肉なことに自ら反対す郵政民営化の推進母体・郵政事業庁次長まで上り詰める。今は中大の客員教授と日立の顧問を勤めているが、郵政民営問題がなければ今頃、否近い将来永田町の赤絨毯を踏んでいたであろうことに大方異論はない。2001年の「WUB世界大会・東京」でも大変なお世話になった。
先日、沖縄の恩人とも言うべき氏と懇親したいとの吉川県東京事務所長のたっての要請に応え、仲介、恵比寿「大吉」での会食になった。奄美出身ながらラサール、東大法学の元キャリア官僚。公望、その名の通り今“粗にして野ではあるが卑でなない“(失礼!)