”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「お久し振り公望さん!」

2007年08月31日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今、100にも迫るかの沖縄コール・センター。今でこそ当然とも思われているこの沖縄進出ブーム。その“はしり”ともいうべき「NTTの104」の沖縄進出。当局と労組の当初の強い反対を押し切り、当時の郵政族のボスとも言うべき野中代議士を動かし、その突破口を作った一方の旗頭が当時の稲村公望沖縄郵政事務所長。
 奄美の地方郵便局で出生した氏は後に総務省政策総括官から皮肉なことに自ら反対す郵政民営化の推進母体・郵政事業庁次長まで上り詰める。今は中大の客員教授と日立の顧問を勤めているが、郵政民営問題がなければ今頃、否近い将来永田町の赤絨毯を踏んでいたであろうことに大方異論はない。2001年の「WUB世界大会・東京」でも大変なお世話になった。
 先日、沖縄の恩人とも言うべき氏と懇親したいとの吉川県東京事務所長のたっての要請に応え、仲介、恵比寿「大吉」での会食になった。奄美出身ながらラサール、東大法学の元キャリア官僚。公望、その名の通り今“粗にして野ではあるが卑でなない“(失礼!)

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高木凛さん「照屋敏子伝」大賞!

2007年08月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週24日・土曜、日比谷の東京會舘で行われた第14回小学館ノンフィクション大賞、授与披露パーティーに出席。なんと日頃お世話になっている赤坂「潭亭」オーナーの高木凛さんがあの糸満の照屋敏子の生涯を書いた「沖縄独立を夢見た伝説の女傑」が大賞受賞。
 かねてより、高木さんからシャンソンの石井よし子さんと照屋敏子との浅からぬ交友は聞いていましたが、元シナリオライターとは云え、度重なる病魔と闘いつつの割烹経営の合間に伝記を書いていたとは!ご招待を受け驚きましたがこうした席に不慣れな小生、お祝いもさることながら、椎名誠(委員長)、桐野夏生、関川夏央、溝口敦、二宮清純、高山文彦という錚々たる審査員の顔も見たく、一人では心細いのでエディターの川平いつ子さんに懇請、同行して貰いました。会場、立錐の余地も無くおよそ300人前後。私の知る沖縄関係者はいませんでしたが、糸満の親族関係者が何人か見えていたようです。

 高木さん2年半に亘る執筆中、奥野さんの「ナツコ」が出て相当悩んだらしく、審査員もその点に触れていた。先の私のBlogでも触れたようにこの二人は奇しくも同年、ナツコは38歳で早逝、敏子は68歳迄生き、ナツコの数倍の業績、辛酸を残している。敏子の生涯ストリーは私達のそこそこ知るところですが最も興味を惹かれたのは審査員それぞれの作品談話批評。椎名、溝口両氏は文句無く「敏子伝」を絶賛。高木さん、本当におめでとう!またまた忙しくなりますね。ご自愛ご健勝下さい!

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「Welcome to Japan !」

2007年08月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週、久し振りに六本木の「島歌楽園」に寄った。
その際、隣席した外人カップルに“ May I ,why do you come this Okinawan,s shop?”と怪しげな英語で聞いたところ”It’s by accident. We don’t knower Okinawa “という返事。”Oh It’s that so ! “
 このカップル、1ヶ月近いSummer vacationを利用して、日本各地を歴訪。
この日、ダンス・スタジオに行くべく六本木に来て、腹ごしらに交差点のこの店に飛び込んだという。沖縄ソバや島料理を器用な箸捌きで取組む。お互いemail アドレスを交換するほど盛り上がり、遂に次のライブハウスまで一緒に繰り込むほどに意気投合。
 実は結婚7年目のこのご夫妻、奥さんは保健所に勤める医学博士、ご主人は国際コンサルタントだった。翌日はバリ島訪問後、日本にUターンし母国のスペインに帰るという。母国スペイン語以外に、フランス語、英語を話す国際派。ようこそ、この猛暑の日本へ!“Japanese peoples are very hospitable” とお世辞を頂き、帰国後、メール交換を約してお別れ。翌日の墓参を控えたとんだ国際親善でした。Mrs. & Mr. Carlos ! Von voyage !


 

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「俳優座・長浜奈津子さん」

2007年08月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 桐朋学園卒、俳優座所属女優兼歌手(http://nappy.gn.to/)。
来る10月4日から10日間、六本木の俳優座では佐藤信演出による終戦直後の八重山諸島を舞台にする「豚と真珠」~幻の八重山共和国~を公演する。これは日本軍はもとより、米軍の進駐の無かった終戦の一時期、地元で独立自治共和国建設の動きがあったエピソードを描く。
 その中で例の“金城ナツコ“を思わせる密貿易の女親分”喜舎場ナツコ“を演ずるのがこの長浜奈津子さん。奥野修司さんの「ナツコ」を読む一方、舞台、リハーサルと多忙な日程を縫い、生前ナツコの活躍した沖縄、八重山、与那国の地を見るべく私を訪ねた翌々の19日・日曜に単身渡航するという。
 初めての沖縄、宿泊もネットで國際通りのホテルを予約。突然電話の数時間後には来訪!その大胆、果敢さに役者根性とはこういうものかとホトホト感心!長浜さんがかくも強い沖縄への傾斜は先年タンゴを学ぶべき訪ねたアルゼンチンで受けた県出身者からの歓待があり、いつの日か沖縄テーマの公演でお返ししたいとの思いが一方にあるようです。
 そこで宮良多鶴子さんのボリビヤ公演やWUB紹介の一方、知人、紹介、何の当てもない沖縄渡航は目的達成も懸念されるので、奥野さんはじめ、八重山出身で”いしがきブランディングプロジェクト”のメンバーでもある今井恒子さんや地元新聞の要人を何人か紹介しました。沖縄訪問の成功、首尾を祈りつつ。
 


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中沢新一「僕の叔父さん網野善彦」

2007年08月16日 | 「Weekly 読書感想」
僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)
中沢 新一
集英社

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 その筋の人には周知の事実かも知れないが、網野善彦が中沢新一の義叔父であることを本書で初めて知った。単にそれだけでなく、網野の業績が中沢宗教学形成に相当影響を与えたいたことも知った。本書は網野の「無縁、公界、楽」論でもあり、書庫奥から引っ張り出し、再度網野史学を読む気になった。
 網野史学のキーワードである“飛礫”や“アジール”(聖域)が実は皇国史観の泰斗である平泉澄の初期研究から触発されたということにも驚いた。
 それにしても日共細胞にして農民運動、民俗学者の父親、クリスチャンにして生物学者である祖父中沢毅一、これらの人達と姉婿の網野氏、それぞれの配偶者も加わって、夕餉時、時に深夜まで討論する内に天才中沢新一の才気は一層磨かれたのだろう。さらに19世紀パリ万博で受賞した藍染色家の中澤徳兵衛を曽祖父に戴く等中澤家の知の系譜は凄い。
 先の難書「対称性人類学」(カイエ・ソバージュ)に比べ、新書版の本書ははるかに読み易く、微かに先の難書がより理解出来た様な気がしてきた。
 それにしてもカウンタカルチャー研究としてチベットに渡り、時に革命家としてのレーニンやオームを礼賛した中沢氏はいま本当のところ麻原をどう思っているのだろうか。
「カイエ・ソバージュ」に次いで本書を推挽してくれた早大学友伊藤君に感謝!
 
 
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「お盆・墓参」

2007年08月15日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 8月15日は終戦の日でお盆。両親の菩提寺埼玉県北本市の日蓮正宗・寿命院で家族と共に恒例の供養。
毎年この日、寿命院では末寺の住職16名が本殿に集まり、塔婆等に入魂のお経を捧げ、私達のように境内に墓を持つ檀家衆およそ500名近くが境内に参集供養する。
 
 この日、40度に迫る記録的な暑さにも係わらず本殿に参集する300名近い檀家衆およそ半数が流れる汗を押して黒の喪服を着用している姿を見ると “さきたま”善男善女の信心深さを改めて感じる。暑さのためか日差しを避けて木陰に集まる本殿に入りきれない境内参集の人々も200人弱といつもより、少な目に感じた。 
 お経の後、魂入れられた卒塔婆を頂き、境内の墓の清掃、参拝。この間、2時間半、炎暑でくらくらする今年のお盆墓参の日でした。



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「仲井真姉妹、慰労・激励」

2007年08月14日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先の知事選で、仲井真知事のお嬢さん2姉妹がシンボリック・アイドルとして獅子奮迅、頑張ったのを覚えている方は多いと思う。お姉さんのゆみなさんはマスコミ勤務上からその活動は制約されたが、妹の智里さんは旅行会社を辞めて、全力投球、ご尊父の当選に大きく貢献された。選挙後、お二人とも東京のマスコミ関係に務めていましたが、先の知事の入院加療には亡きお母さんに代わり共にすぐさま、帰沖、看病に献身された。
 そうした二人の献身、頑張りを激励、慰労すべく、先週猛暑の一宵、懇親会をもちました。出席者はゆみなさんの意向を斟酌しイケメンとは言えませんが(失礼!)、立場を越えた在京県出身若手?シングル・セレブ・エリート?。
 とは言え、流石に街頭遊説演説で鍛えられたご姉妹の口舌に出席の歴々タジタジ、発破された一夜でした。お母さんも東京出身でお二人とも東京育ちとは言え、あの迫力とエネルギーはやっぱり沖縄女性!

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「RBC第2回インタビュー録音」

2007年08月13日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週9日木曜日の朝、RBC(琉球放送ラジオ)の「チバリヨー沖縄の社長さん」インタビュー第2回目が放送されました。
 2日朝、インタビュー放送始まるやいなや、現地沖縄から早速“聞いてるよ!”と、運転出勤中の車をわざわざ道路脇に停車しての電話を頂ました。あるはタクシーの中で聞いて、会社到着後に電話を寄こした友人も。
皆さん、埒もないお喋りに反応頂き恐縮。有り難う御座いました。

 9日、第2回インタビュー録音は添付MPEGオーディオの通りですが、先週もそうですが録音容量大きくiTunes未搭載PCの方にはご迷惑お掛けして申し訳ありません。
 第3回目は来週16日同じく木曜9時過ぎで、終了となります。
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「川田冠船流琉舞家元」

2007年08月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 来る11月5,6日、前進座で恒例の川田禮子冠船流家元、それに先立つ8月11日(土)には東武東上線大山駅の板橋区文化ホールで同じく第14回川田功子冠船流「葉月の会」の公演会が開催される。このお二人、人も知る川田四姉妹の長女と3女。末妹の公子さんは“みやらび太鼓“主宰者。姉妹競うようにそれぞれ年毎に公演を開催するエネルギーには感嘆。
 さらに、禮子、功子両師匠、それぞれ九段と池袋で琉球料理「みやらび」を経営されている。禮子家元は亡父の松夫さんが開設したお店の経営を実にお嬢さんの裕美子さん・3代に亘り継承している。通常10年未満でオーナーが変わる料理店の中でこの両姉妹「みやらび」の継続は異数。

 昭和30年代の後半、沖縄から上京して初めてこの姉妹による冠船舞踊を見た時の印象は忘れられない。それまで安謝の15夜や劇場で見た“ハーラーリ、テーファー”の琉舞と比べ、あまりにメリハリの効いた踊りに“これはまるで能、仕舞では“と思ったほどの違和感を覚えた。
 先日、この天下の両家元・師匠と同席する栄誉・僥倖を得た。皆さん、私のお隣の家元、お幾つだと思います。個人情報漏洩で申し訳ありませんがなんと数え74歳、さらにお隣の功子師匠70歳!いくら毎日踊りで鍛えているとは言え、この若さには敵いません。右はマーケティングプロジューサーの円さん。
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岡留安則「噂の真相・25年戦記」

2007年08月07日 | 「Weekly 読書感想」
『噂の真相』25年戦記 (集英社新書)
岡留 安則
集英社

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 随分と物議を醸した「噂の真相」。休刊して3年が経つ。黒字のまま休刊するのは出版界ではほとんど無いらしい。25年続いた「噂の真相」の前身に「噂」と「真相」という二つの雑誌があったことを本書で初めて知った。
 25年続いたこの雑誌、本屋でパラパラ立ち読みしたことはあるが遂に購入したことは無かった私が、何故いま本書を手にしたかというと数年前、岡留編集長と同席、座談、飲んだことがあるから。さらに鹿児島出身の岡留さんが休刊後、移住に等しいほど、度々沖縄に行っている理由を知りたいからだったが、本書ではその理由が定かではないが、「あとがき」では沖縄と米軍基地に触れている。一度、松山で飲みたいと思っているが未だその機会はない。
 著者は本書で“スキャンダリズムは社会への警鐘で健全な生活の潤滑油、社会に潤いをもたらす”と説いている。その賛否は別にして最も印象に残っている箇所は“最後の正義の味方“と思っていた地検特捜部の恣意性。

 以前にも書きましたがその表情から恐持て印象の岡留氏、話して見ると意外にソフト。私との縁持ちは歌舞伎町・沖縄出身のママでした。

 念のため、写真の女性は著名な随筆家で、そのママではありません。
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「個人情報守秘と携帯NO」

2007年08月06日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 企業内で個人情報を盾に携帯電話番号の告知を拒む社員が出て来た。
年始年末や夏季休暇中、万一取引先から社内担当者への連絡要請があった場合に「当社は個人情報守秘に付き社員には連絡取れません」とは言えるかどうか。
当社ではそうした場合に備え所属するプロジェクトのリーダーや上司には万一に備えての連絡先は告知して休暇に入るよう指導している。

 こうした事態を徹底すると当然の事として社員の間から「個人私用とは別に会社で業務用として携帯を支給すべき」という声が挙がって来る。休暇中であれ連絡を満つにする必要ある一部社員には社用携帯を支給していますが、全社員に支給するとなると、その費用負担に会社は頭を抱える。挙句は業務上の用事では社員の家に電話出来なくなる事態も予想される。極論すれば個人情報守秘の為に門柱の表札掲示も無くなり、文字通り“お隣は何する人ぞから、どなたか一切知らず”になる。

 これに伴い思い出すことは、私が最初に就職した半世紀前頃、普及し始めた小型計算機やボールペンを会社で支給すべきかどうか、これら備品の社外自宅持ち出しをどう管理するかと論議したこと。この背景には製品出だしの頃のコスト負担があり、今回の個人情報守秘とは事情が異なるが、やはり共通のコスト問題と個人情報守秘行過ぎがある。
 一致したコンセンサス・落とし所の形成には、試行錯誤、暫く時間が掛かりそうだ。

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「東京沖縄県人会」

2007年08月03日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 この度、第7代東京沖縄県人会長に川平朝清さんが就任された。在京県人待望のエース登場。
 近年各地の沖縄県人会共通の悩みはメンバーの高齢化と参加者の減少。戦前は差別への対処と相互扶助、復帰前は復帰運動への支援とそれぞれ共通の目的を持つ機能体としてのベクトルが働き参加者も多く活動も活発だった。しかし、復帰後、本土との同化、情報化の促進に伴い、昨今の首都圏での沖縄関係集いは“音楽や踊り”等の文化的色彩が多くなった。現に民謡、サンシン、エイサー等の集いへの参加者の大半を県外者が占める例が珍しくなくなってきた。沖縄カルチャーが浸透本土化したとも言える。勢い、県人会もその影響を受ける。
 川平新会長も「県人会でなく”おきなわ会“でいいのでは」と云っておられる。その格好の例が北海道。数年前「北海道沖縄県人会」を「北海道沖縄クラブ」と改称、会員資格を県出身者に限らず”沖縄に心寄せる人“と広く門戸を開いたところ、会員も3倍に増え、定期会報以外に文集を出すなど活性化したという。 

 ところで、ここ20年近く東京沖縄県人会の事務局や機関紙「おきなわの声」等をボランティアに近い形で歴代サポートして来た人達は浦崎武夫、金城駿、入沢紀、阿佐井孫良諸氏。これらの名前を見て“ははあー!”と思われる方も多いでしょう。そう、皆さん、宮古、八重山等の先島出身。会発足以来全てがそういう訳ではないが、事務局の担い手にはこうした先島出身者が目立つ。一方、在京県人の構成比率の多い那覇・首里出身者が何故か相対に少ない。先島の人々は島にいる時は「自分達は宮古、八重山であって、沖縄は異郷」という。それが東京にあっては“沖縄県人会”を担う。東京を経由・媒介することで“沖縄県人”としてのアイデンティティに目覚めるのか。

“故郷は遠くにありて想うもの”とか“ナショナリズムはマージナルから”というフレーズを思い出す。辺境と呼ぶのは失礼だが、先島人の方が首里、那覇人より沖縄を想う心が熱いのか。実は中学・高校を沖縄で過ごし、関沖IT協や経営協に参加する私も、しばしば“奄美大島出身ながら何故そんなに沖縄に入れ込むの?”と聞かれる。私自身は求人・採用等のビジネス事由での関わりと思っていたが、ひょっとして自分でも気付かない内心のモチベーションがあるのかと思う。

 ここで沖永良部出身・法政大沖縄文研の高橋孝代氏がその著「境界性の人類学」(弘文堂)で“アイデンティティとは政治的、社会的環境に作用され意識せざるを得ない状況により呼び覚まされ、必要なければ意識の底にある、他者との関係において選択され構築される愛着・帰属意識”と規定したのを改めてなるほどと思い出す。
「沖縄グラフ」(新星出版)07・8月号コラム「美ら島沖縄大使」の眼から。
 
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「RBCインタビューに出演」

2007年08月02日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今朝8月2日の9時半、RBC(琉球放送ラジオ)の「チバリヨー沖縄の社長さん」番組コーナーでNBCコンサル社のハーギス沖縄支社長からインタビューを受け、放送されました。
 内容は“当社の創業の動機、経緯や会社の概要、沖縄とのつながり”等およそ5分でしたが、放送終了と共に早速、現地沖縄から“聞いたよ!”という電話やメールをいくつか頂き、恐縮、有難うございました。続きは来たる8月9日、16日の木曜両日、同じ朝の9時半頃に継続、放送されるとのことです。
RBCでのインタビュー放映はこれで3度目ですが、今回は去った5月22日NBCコンサルタンツ社主催により宜野湾で行った「経営者サミット」講演がきっかけです。
 ハーギス沖縄支社長はその名前から推測される通りハーフの方ですが、沖縄生まれではなく、この仕事で初めて本土から沖縄に渡航、移住されたそうです。しかし、沖縄ではほとんど沖縄二世と思われ、かえって仕事がやり易いと語っておられました。
 在沖で興味のある方は来る9日、16日の両木曜9時から私の応答もさることながらハーギス支社長のインタビューをお聞き下さい。
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朝吼夕嘆

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