”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「美ら島沖縄大使認証式」~初のストマー外出!

2014年01月31日 | 「病牀六尺」

                                                                                      (山川「沖縄ブラフ」東京支社長撮影) 
                                   
                             (恐縮ながら「認証大使」代表答辞挨拶拝命!)
                                                      ~菅原大使撮影
 再入院中、恒例の「沖縄Night in 東京」と共催される「美ら島沖縄大使」認証式で沖縄県担当課から答辞代表の挨拶要請を再三受け、“錚々たる先輩大使の出席の下、私が?“と躊躇しましたが、”ひょっとすると最後のお務め“と主治医に相談すると”え!仲井真知事と会うのですか“と外出許可を貰いました。「美ら島沖縄大使」制度は発足から10年目?今年で3回目の認証式。
 永久ストマーになって初の背広外出、十条から会場の品川の「グランドプリンス高輪」まで埼京、山手線と久々の電車移動でした。
 認証式後の「沖縄観光への感謝祭」 会場には仲井真知事、高良副知事、上原OCVB会長他ANA,JAL社長等本土の旅行関係者はじめ沖縄関係者2000人近い参加者。
 司会は昨年に続きフリーアナウンサーの宮城さん。感謝祭発足時は国仲涼子、比嘉愛未、仲間由紀恵等の沖縄出身有名タレントが出席していたのですが、ここ2、3年、タレントの出席は無し。高価な出演料のためか?
 この宵、
会場出席の多くの知人・友人の気遣い、勧誘を惜しみつつ8時半の門限ギリギリに帰院しました。
                         
                                       (大使有志と記念撮影)

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「リハビリ再入院」

2014年01月29日 | 「病牀六尺」

                             
                      (社保士としてお世話になった琉大同窓とアフリカ・東京・沖縄往来
                       のJICA活躍 の沖縄女性の皆さん、ご多忙な最中、お見舞有難う!)
                                  ~宮城尚人君撮影

 入院72日目の1月18日一旦退院しましたが、10日後の27日、再入院となりました。
これは腫瘍手術後には良くある「抗癌化学療法」で2週間毎に2泊3日程度の入院、または外来通院、およそ半年の継続抗癌治療ということです。これで完治が保障されている訳でもなく、脱毛、嘔吐、しびれ等の後遺症が予想されるとのこと。まあ、これも“癌と共生”の経験。次回東京オリンピックは奇しくも男子平均寿命80の歳。これを当面の延命目標に!この間、出来れば後輩から度々問われる“挫折、失敗、痛恨、”の“わが創業、承継の回顧録”を執筆できれば!  

                    
      「琉球島嶼文化協会」山城幸松 代表のビックリお見舞い有難う!)

 

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「ふるさと歴史紀行」:眞栄田修先輩著

2014年01月26日 | 「病牀六尺」

                                              
 が母校(那覇高・旧制沖縄二中)の「東京城丘同窓会長」の眞栄田修先輩が平成25年「我が家のルーツ」調査と書かれた紀行書。
 恐縮ながら私が入院していた帝京大病院に先輩わざわざ見舞い御持参頂きました。内容は首里城・正殿、守礼門、歓会門、瑞泉門、漏刻門他「斎場御嶽」「円覚寺」「崇元寺」今帰仁、座喜味、勝連、中城等々全島24の城跡、琉球王国遺跡を自ら行脚した紀行文。僅か60ページの小冊子ながらそれぞれ写真、地図付きの名所、遺跡の由来ストリーを読むだけで自ら琉球王国の歴史が学べる。病床で何度も繰り返し読みました。
 それにしても “銀行よ、さようなら!証券さん今日は!”と言われた日本経済、バブル全盛期、一橋大学から当時、就職先として超人気、最難関の野村証券に就職、研修部長まで上り詰めた最高級ビジネスマンと思われる眞栄田先輩、この紀行文と共に「心臓形成手術」体験記も頂き、一気に読みました。この両冊子、いずれも手製編集。
 実は眞栄田先輩はこの他「城丘の風に吹かれて」という沖縄二中と那覇高の歴史も著しています。この尋常ならざると母校愛は何処から?
 それもその筈、先輩は那覇高8期の生徒会長も務められています。因みに奥様は当時の副生徒会長。関東城丘同窓会の記念誌「城丘賛歌」も眞栄田会長のこのエディターセンスと意欲があったればこそ実現したと思います。失礼ながら証券マン?にしては異色とも思われるこのアカデミックな学究肌の執筆文才振りはどこから来るのか。先輩、自ら“クニンダ”(沖縄・久米村出身)出自と語られ、成程!と思いました。仲井真沖縄知事の祖先でもあるこのクニンダ三十六姓とは中国・福建省から琉球に渡航移住の当時の文化・教養エリート集団の才を脈々と引き継いでおられるのか!いずれにしろ、こうした偉才な先輩は私達同窓の誇りです。
 こうした著書に巡り合うのも病床であればこそ!時に入院生活も悪くないかと!  
                                       

 

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「入院72日、退院します」

2014年01月17日 | 「病牀六尺」

                       
         (土井幸子東京多良間郷友会長様~退院目前)
 入院72日目の1月18日本日、退院することになりました。
この間、年末新年とご多忙にも拘わらず、中野CIJネクスト会長に社員、OB、並びに琉球新報、沖縄タイムス両東京支社長、沖縄県東京事務所スタッフ、関沖経営協、関沖IT協、奄美IT懇話会、同窓・先輩と延80名を超すお見舞の皆様に、沖縄、ロス、バンコック、上海、北京からと数々の激励メールを頂き有難うございました。
  連日持ち込まれる朝日、日経、新報、タイムス4紙に「オール読物」「文芸春秋」から芥川、直木受賞作品に化学論文、ドキュメンタリ等々10冊を超える幅広いお見舞い書物をベツド上で仰向精読の毎日でした。
  お陰様で手術も無事終了、ストマー操作にも何とか慣れましたが、臀部の十文字切除、縫合後遺のため、円座布団使用も10分以上座ることままならず、何かと不自由、この完全治癒は半年も掛かるとのことです。
 現時点、他臓器への転移は認められないもののレベル4のリンパ感染、再発の可能性は否定出来ないようで、退院後も抗癌剤投与等の通院治療は続きそうです。
 とは言え、2人に一人の癌罹病に3人に一人の癌死亡の現在“一病息災ならぬ多病息災”もあるかと残る人生、癌との共生、今少し女房への贖罪奉仕へのライフスタイル舵切に努めたいと思います?
 入院清算は個室代もあり、優に100万円を超しましたが、Aflac癌保険・生保のお蔭でその6割以上を補填出来ました。
 余命、引き続き皆様の辛口、ご忠言お願い共々ご報告、お礼のご挨拶に代えさせて頂きます。重ね重ね有難うございました。
       
          (イトマン美人?有難う!)

 

 

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「永久ストマー」

2014年01月17日 | 「病牀六尺」

                               
 ストマーとはギリシャ語で口(Mouse・Gate)=人口肛門の意味と言う。この度の入院で初めて「永久ストマー」という言葉に接しました。
「永久」があるなら“臨時、一時”があるようです。つまり、大腸癌手術で一時的に切除しても傷の癒えた2,3年後に接合、肛門機能を回復するケースで、事例は結構多いようです。私の知人にもおられました。
 私の場合は切除範囲が広く、括約筋残存は難しく「永久ストマー」になりました。これも今回初めて知りましたが、「永久ストマー」は障害者と認定され、所得税、電車、タクシー、航空運賃減等様々な手当てがあるようです。この制度は10年前に制定されたようで、改めて国の福祉制度を感得しました。
 ところでこの「永久ストマー」は日本に凡そ10万人、つまり1000人に一人の割合でいるようです。そして全国に罹患者同士の交流会「日本オストミー協会」があるようで、さっそく「埼玉支部」に入会申し込みをしました。
                        
  (Tbs"大沢悠里ゆうゆう"毎日出演の多忙な佐々木アナウンサー、有難う!)

 

 

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「入院70日」

2014年01月14日 | 「病牀六尺」

                            
                            (中野会長!那覇・ホノルルマラソン快走お疲れ様!)
 入院してはや70日、手術から一月近くが過ぎましたが、直腸肛門腫瘍切除の傷が癒えず、座ることままならず、未だに立ったままの食事です。ただ、円形座布団を使うと何とか座れますが、それも30分が限界。歩行は右脚鼠径リンパ切除の影響で右脚引き摺りつつも可能です。人工肛門パウダーの使用、交代操作も何とか自分で出来るようになり、今月中には退院できそうです。
 この間、多くの方々からお見舞い、激励有難うございました。中でもナハマラソン、ホノルルマラソン完走帰日の中野㈱CIJネクスト会長のご來院にはマラソン談義で盛り上がった初面談を思い出しました。
 また、旧NAS出身社員並びに停年退職OBの方々のご来院、激励には創業往時を思い出し、改めて“来し方、行く末”レビューの機会でした。改めて年末、年始ご多忙な最中のお見舞、激励有難うございました。
   
  (社員、OBの皆さん、有難う!)

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謹賀新年(平成24年年賀)

2014年01月13日 | 「病牀六尺」

                                      
 創業35年目を迎えた昨年、私は社長譲渡、会社合併、会長、顧問を辞任致しました。この間、長きに亘り、ご支援、ご協力頂いたお客様、並びに社員の皆さんのご厚情に厚く御礼申し上げます。
退任を機に、創業の地、三田にプライベート・オフイスを開設した9月、きしむも直腸腫瘍が見つかり、手術のため入院した帝京大学付属病院癌センターで年末・年始を迎えることになりました。
 現時点、他臓器への移転は確認されていないものの、右脚鼠径リンパへのレベル4の転移が見付り、いずれ再発の可能性があります。
 
とは言え、古希を迎え、長い間苦労を掛けた女房、宿願の自宅リフォーム、事業承継、多少なりと言え、故郷、後輩への報恩を果たし、“終活レビュー”への神の啓示と受け止め、余命を果たしたいと思います。年賀としては失礼なご挨拶で申し訳ありません。
 改めて、長きに亘り、お世話になった皆様のご健勝、ご清栄をお祈りし、新年のご挨拶に代えさせて頂きます。
                    

                           (養秀会の皆さん、お見舞い有難う!)

 

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「賀正!一カ月振りのメール発信です」

2014年01月08日 | 「病牀六尺」

         
 昨年
117日、帝京大癌センターへ入院、一月近い検査を経て、1218日、手術を受けました。8時半から5時近くまで、直腸腫瘍、鼠蹊リンパ削除、接合と野沢外科教授、田中皮膚医師による8時間を超える手術でした。

 術後10日近くは両腕点滴、左脇腹、右鼠蹊に排血、排液チューブで縛られ、身動きならず、苦悶のドック生活でした。
 点滴、重湯、お粥食事から元旦、漸く御飯になりましたが、30センチ近い臀部皮膚切除、縫合手術のため、ベツド上でも座れず、未だに立っての食事で、パソコン操作もままならず、本日、円座布団上で右左にのたうち回りながら、ようやくパソコン操作に取り組んでいます。

 現在、左脇腹の人口肛門操作、右脚鼠径リンパ削除リハビリ中で、来週以降退院、通院治療予定です。現時点他臓器の転移は認められとのことですが、医師はそこまでは言っていませんが、ものの本を読むとリンパへの移転は将来再発の可能性は完全否定出来ないようです。その時は放射線、陽子治療で癌と共存80近くまで生きればいいかの心境です。
 
この間、多くの方々からお見舞い、激励のご挨拶メール頂きながら、お礼のご挨拶遅れ、大変申し訳ありませんでした。

 末尾になりましたが、皆様の新年のご健勝、ご多幸をお祈りし、病状ご報告かたがた旧年のお世話への御礼と新年のご挨拶に代えさせて頂きます。            

         
             (お見舞い有難う!)

 

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朝吼夕嘆

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