”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

“往時茫々、春の夜の夢の如し!”

2010年04月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  創業32年、古希の節目、最近懐古と言えば失礼ながら旧友に出会う機会が増えました。
 春未だ浅き先月の一宵、今を去る32年前、共に㈱日本アドバンストシステムを立ち上げた代表取締役専務の松永氏に常務の座安氏と3人が揃い、創業時の思い出、エピソードを語り合いました。
“私は重田社長に騙された”“創業マンションのサーラ三田に近い赤羽橋の店にスタート時のメンバーがしばしば集まった““あのお店はメンバーの一人だった小川さんの贔屓店だった”“アドバンスト・ネーミングは門脇君の提案だった”等々、忘れていた創業時の率直な感想、エピソード、改めて“ああ!そうだった”と記憶が蘇りました。
 松永専務は創業の翌年、座安常務は4年目に袂を分かり退社、それぞれ独立しましたが、30年経った今、腹蔵なく過日を語り合えるのは、幸せと思うべきか!立上げの社長、専務、常務の3人が共に揃って、懇親、懐古談に浸ったのはかれこれ30年ぶり!
 それぞれ71歳、70歳、66歳の加齢、!文字通り“往時茫々、春の夜の夢の如し!”

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「ニライ会」総会

2010年04月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り
              (挨拶する長嶺会長)
 会社合併の内外対応で気忙しい最中、池袋「みやらび」で開催された「ニライ会」(長嶺為泰会長)の2010年総会に出席しました。
「ニライ会」は言うまでも無く“ニライカナイ”の沖縄コンセプトから名づけた在京沖縄関係者30余人の懇親会。この会は毎月、特にスピーチや演武等のイベント等は無く、ただ集まり会食、懇談するだけですが、数ある在京沖縄関係集まりの中でも長寿、継続の会。仲井真現沖縄県知事が通産省勤務時代からの会員はじめ、県内にも在京勤務やUターン組を含め、双方に20名を越すOBメンバー会が存在する。
 長寿、継続の一つの理由に毎回、会場手配、連絡役等の幹事が会員の数人による持ち回り分担シェア、特定のメンバーに負担、裁量が偏らない運営にあるのではないか。特定メンバーが裁量、仕切るリーダシップスタイルではなく、会員相互によるメンバーシップ・マインドにその要素があるのでなない。
 この会も、エイサー、サンシンを筆頭に県外沖縄関係諸団体に共通に見られるヤマトンチュ(本土出身者)の比率が年々高まっています。沖縄の本土化、本土の沖縄化の同時進行か!このトレンドで願わくば、在日米軍基地負担も沖縄編重ではなく、全国・本土均衡負担化に行きたいもの!変な感想になりました! 
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「新たな門出におめでとう!」

2010年04月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今回の3社合併の背景と経緯をご理解頂く為、先週の沖縄県内マスコミ対応に引続き、今週は県内顧客、大学、出資先等訪問と平行して、入社10年目を迎える沖縄事業所社員の結婚祝賀に出席しました。
 事業所全メンバー30名を含め、300名近い出席者。恒例の開宴冒頭を飾る“かぎやで風”珍しくご両家御母堂による共演、揃い踏み。また、両家主賓共に東京、大阪からの来演というこれまた珍しい例。新郎ご尊父はボクシングジム経営に御子息新郎は我社のシステムエンジニアながら学生時代から剣道邁進という武道一家。それで居ながら御父子共に人当たり柔和なお家族。
 創業以来、かれこれ30組近い社員の婚礼祝賀で挨拶をしてきましたが今回は恐らく“株式会社日本アドバンストシステム代表”呼称主賓としての最後の挨拶か。
 合併新会社スタートと軌を一にする如く、新たな門出を踏み出す若い二人の晴れ姿を前に心和み、感慨に浸ったこの日の祝席でした。
       
            (参加の事業所社員と共に)
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「悲劇の島!奄美!」

2010年04月25日 | 「20年振りの故里!」

          (瀬戸内湾越しに枝手久を望む)
 奄美を称して“悲劇の島”という人がいる。これは“開発、観光、人口“等々の”近代用語、コンセプトからの呼称だ。
 現に島内挙って歓喜をもって迎えた日本復帰した1953年の奄美人口20万がその後、減り続け現在は半分の10万近くまで減少しているのに対し、基地反対、公害に悩む沖縄は当時の70万から倍近い130万に近付いている。あんなに騒音、米軍犯罪に苛まされている基地の島・沖縄は住み難い筈なのに何で人口は増えるのか。対して緑豊かな静溢の島、大島は住み易くは無いのか?
 今、奄美の加計呂麻島では鹿児島の製紙チップ企業の進出に対し、自然保護の見地から反対運動が湧き上っている。雇用促進、収入と自然保護の兼ね合い、メリット、デミリットを科学的に考察、検討が悩ましい。
 かつて、この島では同じ様に枕木用の森林伐採や枝手久島での石油基地は伝説の反対闘争で撤退させた。結果、宇検村は栄えたか?人口は増えたか?生い茂る奄美唯一の資源、森林は保護と共に食いもの・消費しない活用は検討出来ないか。
過疎と非開発礼賛の自然保護至上、人口増加等の開発可としない我々非日常の“まれびと”(稀々来る人、招かれ来る人)のエゴ・価値観では俄に判断し難い。
 その昔、ポンポン船に酔いつつ渡った瀬戸内湾をフェリーで車ごと渡り、ハブに怯えながら徒歩で登った山道をバスでアスファルト疾走出来るのも近代開発のお蔭ではないか。近代、開発で失うもの得るもの諸々考え、思い悩んだ今回の故郷、帰省の旅でした。
 今回の30年ぶりの故郷回帰、名瀬から古仁屋と奄美大島縦断の又と無い回顧機会を作ってくれた原さん兄弟に内倉さんに大感謝です!ありがとう!謝謝!!    

         
               (油井岳から対岸・加計呂麻島を望む)
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「故郷回帰幾歳月!」

2010年04月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  両親の故郷・奄美加計呂麻島の須子茂部落は私の古仁屋小学校時代は100所帯以上、亡母が車座になっての交合歌返し、酒酌み交わしつつの“ナンコ“ゲーム、部落青年数が挙って道路左右に分かれて木の玉を梃で飛ばし合うゴルフに似た”ゴーリャ“ゲーム、部落中央の宮(ミャー)に集い朝まで尽きることのない盆踊り等、今は廃れて見ることは出来ない。
 30年程前に瀬戸内出身の元琉球新報社記者・中村喬次氏がその著「南島遡行」でこうした奄美の失われた故郷祭事が伊江島、多良間、竹富、与那国と南に下る程に、母の胎内へ戻るような回帰感が強まると記してあったのを思い出しました。尤もかつては荘重な鎮魂歌だった“エイサー”が喧騒な賑歌になった今、外来者向けの“観光開発”の進んだそれら南島諸島もどうなっている事か?
 わが須子茂もいまや所帯数も20所帯。それも4割は高齢の一人暮らしながら、島人(シマッチュ)は皆、親戚のようなもの!私が訪ねた本家の従兄屋敷に皆さんが集い、気が付けば“ハゲー!タツヤちゃん”“辰チャン”との歓迎、連発に違和感を覚えない自分自身に気付き自嘲。それもその筈、皆さん、大連、沖縄と私の幼時から成長期を見てきた伯父、伯母達。
 奄美から満州、沖縄、そして大阪、東京と20世紀日本の近代化の浪?に翻弄され続けた南西諸島出自のわが類縁、一族の歴史を思いつつ、思わず80歳を越える従兄を“賢兄チャン”を連呼、幼時回帰の自分に気付き、これまた苦笑の席でした。   
        
            (思いで深い本家兄宅前で)
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「八重山連合10周年おめでとう御座います」

2010年04月18日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今年“春未だ浅き”先週4月11日、王子の「北とぴあ」で開催された「東京八重山郷友連合会創立10周年記念大会」(仲本学会長)の招待を受けて参加しました。
  一口に「八重山」と言っても与那国、西表、波照間、竹富、黒島等の島々と本島石垣島の“しかあざ”大浜、白保、平真、宮良、双葉と字々に分かれている。日本最西端の島々、さぞ寄り添い、結び合っているだろうと思われますが、それぞれの島、字に接近すればするほどに島々字々の個性、特徴、果ては微妙に対立、分裂している様相があります。それら近隣、合い拮抗の島々を離れ、沖縄、さらに東京に集えばこそ、一致団結、アイデンティティ形成力学作用を感じます。これは奄美の島々と極めて類似する現象です。“故郷は遠くにありて思うもの”という言辞を生むもう一つの土壌でしょうか。とは言え、強い郷土愛を抱きつつも、こうした郷土活動に“八重山ヒジュール”とまでは言わずとも冷厳と距離を置く在京郷土出身者がいるのは何処にもある現象。
 あまり良い“趣味“ではありませんが、何時もの通りどうしても奄美郷友会との比較感想になります。
 事前準備の手際さ、表紙に八重山上布着尺をあしらったプログラムの精緻さ、進行手順、さらに石垣、竹富島々の遠路首長TOPの上京参加祝辞と沖縄県人会より奄美会との相似性を感じました。さらに、この大会模様を記念冊子として後日纏め、出版すると言う拘りと周到の酷似さ。また、式典に先立つ前半の1時から4時半まで島々の盛り沢山の踊り・歌謡21プログラムを観ている内に、平成10年に開催された「東京奄美会創立100年記念大会」で披露された大和村の棒踊、秋名のアラセツ、芦検の稲取、諸鈍シバイ、住用の竿踊、笠利の佐仁、伊仙の稲取、知名のヤッコ等々奄美諸島の伝承演武を思い出し、日本南西 諸島の芸能の豊かさ、多様さを感じました。
 仲本会長、冨里前会長以下実行委員の方々のご苦労と歓喜の達成感が伝わって来ました。ご招待有り難う御座いました。
         
 (八重山出身の歌手・仲里悦子さんと司会のフリーアナウンサー佐々木さん)
 
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「鳩山一族、その金脈と血脈」;佐野真一

2010年04月15日 | 「Weekly 読書感想」
鳩山一族 その金脈と血脈 (文春新書)
佐野 眞一
文藝春秋

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 サブタイトルに“宇宙人の招待見たり!”
 丁度私共「三月会」で著者の佐野氏をお招きした際、鳩山邦夫氏にインタビュー、執筆中と言っていましたが、本書通読、何とも言えぬ読後感。一口にここまでプライバシー赤裸々に書かれるとは首相、著名人になるとは何とも大変だなあ~という感想。
 それにしてもテレビ・マスコミから受けるおっとりした兄・由紀夫の印象に比べ、年長の西川郵貯社長をねめつけるように睨む弟の邦夫氏は、権力欲旺盛な老獪、怪異、不快な印象を受けるけど、著者・佐野氏は率直、素直、天真爛漫な弟に比べ、権謀術数の兄と逆に描かれているのは意外。マスコミ、テレビの伝える印象はかくも実態と格差があるのか!
 記されている音羽御殿といい、ブリジストン・石橋一族といい、日本には言い知れぬ階級社会が存在するのかとも感じました。
 私は本書に描かれた鳩山血族のストリーよりも炭鉱隆盛時代の地下足袋からCAR時代のタイヤへと石橋家の事業先見性と経営力に感嘆しました。
 さらに、本書のサブストリーとして描かれている例の保全経済会事件とその主役の伊藤斗福や児玉誉志夫の絡むドキュメントに余程興味惹かれました。この保全経済会は最近よく聞く巨万を築き、倒産、逮捕される連鎖投資事件の”はしり”ではないかと感じました。
                  
                            (著者の佐野氏と)
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「追悼!屋良文雄君」

2010年04月13日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  先週4月8日、全国にフアンを持つジャズ演奏家・屋良君逝去の報を受け、別件もあり急遽訪沖、通夜と本葬に出席しました。前立腺癌で入院中の彼を何度か見舞いましたが、奥さんからは回復の困難なこと、むしろそれ故に命を押しての演奏活動、本人の意向もあり、あえて止めていないと伺っていました。  
 通夜の床に横たわる彼、20日前の最後の演奏素顔と少しも変わらず“お!タツヤか何時来た!”と今にも起き出しそうな寝顔。
 彼とは小、中、高、さらに琉大では共に中退同士のただ二人の同期。また何度か共に走ったナハマラソン友。「ジャズ演奏家」と「零細企業経営」と進んだ道は異なるものの沖縄出張の”毎夜の上がり”にアフター女性同伴半酔で彼のライブハウス「寓話」に通い、お畏れ多くも天下の沖縄ジャズ協会会長に“文雄!何か弾け”と絡み、“タツヤ、お前、俺のジャズは全然分からないだろう!俺もお前は何やっているか分からない”と互いに悪たれ応酬しつつ半世紀を越える交友。
 先年、ナハ・テラスホテルで開催された拙書「おきなわ就活塾」(新宿書房)出版パーティでの演奏依頼に“いいよ”と気楽に応じた彼。
 ”エ!あの屋良さんが本当にオープニング、ウェルカム演奏をなさるのですか?“と驚くホテル担当者の顔を見て、彼の世界を全く理解していなかった自分自身と偉ぶらない彼の厚い友情を繰り返し思い出しました。互いの位相世界、利害、損得を越えた同期ならではの交友。
 小中学時代、リレー、バレーボール学校代表選手だった彼が練習後、音楽教室で一心にオルガンにしがみ付く姿を覚えています。“タ、タ、タツヤ!”と吃音の酷かった彼があるとき「だから俺は人と話すより、楽器と話すのが好きなんだ」と言ったのを思い出す。肢体不自由ながら死の寸前まで好きなピアノを弾き、笑いながら逝った彼に接し、「長寿を尊し」の昨今ながら“長寿もさることながら生きている時に何をするか””どう逝くか”を改めて考えさせられました。
“千年も生きよ”などと言いつつ、古希を迎えたら早速先に逝くのか、文雄!ジャズ界での名声確立だけでなく、気が付けば演奏家としての御子息、お店経営者としての御子息二人の役割分担、見事なファミリー経営承継体制を成し遂げ逝った見事さ。改めて合掌!
        
            (ありし日”寓話”で!)
          
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「合併新会社への参加について」

2010年04月12日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 当社は来る7月1日をもって、同じ東証1部のCIJ社傘下の㈱日本構研システムズ、㈱CIJソフィアと共に合併、新会社㈱CIJネクストを設立、参加することになりました。
 その主たる理由は、一般企業のIT投資抑制、Offshore開発の進展、CLOUD普及等に拠る市場の縮小と競争激化の中、経営の効率化と三社の持つ固有技術と長所の集中により経営基盤の強化とより一層のお客様の要求実現とサービス向上を実現し、企業の存続発展を目指すためです。
 従来の㈱日本アドバンストシステム本社オフィスは「五反田事業所」として従来通りの業務展開をします。又当社が展開して来た大阪、東海、沖縄の各事業所をそのまま新会社の地方拠点としての役割を継続します。
 その他新会社詳細については7月1日の正式発足後に改めて、ご報告申し上げます。
 本来、直接お会いしてご挨拶すべきところ、取り敢えずメールでのご報告の点ご諒承下さい。今後とも変わらずご支援、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
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「4ヶ月ぶりのマラソンレース!」

2010年04月07日 | 「マラソン挑戦」
 震えるほどの寒風荒ぶ先々週日曜、通いの接骨医から“無理しない10キロレース位なら、まあ、いいでしょう”とのコメントを貰い、昨年暮のナハマラソン以来4が月振りのマラソン?第20回熊谷桜マラソンに出場しました。
 この熊谷桜マラソンは過去何度かハーフレースに出場した私のお気に入りのコースながら
今回は膝介護から涙の10キロコース参加。障害の膝をゲートル・サポーターでケヤしながらの出場、スタートの昂揚、レース中の語らい、ゴールの達成感とやっぱり楽しい!
 途中2箇所の給水地点以外気負わず、無理せずチンタラながら走り切り、結果タイムは1時間15分、全参加者2236人中第2185位でゴールでした。週末、スポーツセンター内でのベルトマシンでのトレーニング、結果、まあ、こんなものでしょうか!
                      
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「浦和稲門会・囲碁クラブ発足」

2010年04月06日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 先般、「浦和稲門会・囲碁クラブ」立上げ世話役を拝命したことをお伝えしましたが、案内状作成、送付、往復はがきの入力プリント出力、会場交渉と“言いだしっぺ”準備、一月近くの苦労の末、先日日曜、ようやく発足第一回開催に漕ぎ着けました。
 参加者、予想を超える18名。世話役として開会、趣旨説明挨拶に参加者の自己紹介司会を務める。当然の事とは言え、大半は70歳前後のリタイヤ組みに全員男性。私が参加年齢の中間か?ビックリしたのは半分近いメンバーが初心者とのこと。そのチャレンジスピリットに感嘆!
 最も驚いたのは定刻5分前に参加者全員が見事に参集、予定終了時間6時にはサッと終り、散会するパンクチャルスピリット!皆さん、よほどの組織、社会経験の持主方々ではないか!どこぞの県人“何とかタイム“精神とはなんという違いか!
 当方手合わせ、参加者半分の有段者の中で三段自称の先輩に3目置いて3連敗、ああ!この日、疲労は倍増、困憊しました。
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「平良琉大観光科学科教授ご一行」

2010年04月05日 | 「千客万来」
 知友の栗盛さんと高山さんのご紹介、ご同行で平良一彦・琉球大学院観光科学研究科教授が来社された。
 沖縄県は公共・基地・観光という従来の所謂旧3Kから観光・健康・金融のニュー3Kの産業振興を目指している。平良教授は学究、講壇に留まらす、琉大長寿科学研究ププロジェクト代表として“健康、長寿”沖縄の健康産業クラスター形成構想について、起業家のような情熱をもって熱く語られた。
 先だっての副学長に続く、お世話になっている大学関係者のわざわざのご来訪とあって、創業以来の40名を超える琉大卒採用と在籍の21名の活躍現況、昨年初のOB執行役員登用等の状況をご報告しました。
 この日、同行の栗盛須雅子国際医療福祉大教授、“長寿県沖縄”に潜む危うさを警告一方、その対策等を精力的に執筆、講演さていますが、平良教授を師として仰ぐ一方、協同研究者であることを初めて知りました。また“みどりのカーテン”ゴーヤの植栽普及推進とヘルシー食品料理家としても幅広い活躍の元東京都・金沢小学校長の高山さんを含めたこの御三方、実は“南燈同窓会”メンバーに 廃ガラスの再生活用プラントを売り込む㈱トリムの坪井社長も加わり、4人の琉大OB。あたかも旧制3高(実は旧制県立3中=名護高校)のイメージ通り、二人の“名護マサー”スピリット、オーラを浴びた春未だ浅き桜芽吹く目黒川沿いの一夜でした。

 
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「沖縄協会」評議員会へ出席しました」

2010年04月04日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 先日、神保町・学士会館で開催された「財」沖縄協会の理事・評議員会に出席しました。当協会は復帰前の南連(特殊法人南方同胞援護会)が前身。復帰前の沖縄の「南連事務所」はいわば“在沖日本大使館“、奄美大島が日本復帰した1953年、私達奄美出身者はそこに出頭し、パスポートならぬ“在琉許可証” 交付を申請した思い出があります。琉大を中退し早大受験のための本土渡航も「南連」申請という在沖奄美出身ならではの希有な経験があります。
 その「南連」後身の「沖縄協会」は現在、摩文仁の「平和祈念堂」の管理、運営等や沖縄研究、青少年の育成等の事業を実施しています。初代会長に大濱元早大総長、二代目茅東大総長、五代の現会長は清成・元法政大学長と財団法人としては異色のTOP顔触れ。
 今から22年前の90年、その「沖縄協会」から“沖縄に於けるソフト産業の可能性”という大壮なタイトルで講演を依頼され、総務庁OBキャリアの高校先輩・嘉手川副会長の縁もあり数年前には評議員を拝命しました。20人近い理事、評議員は中央官庁OB等錚々たるキャリアメンバー。この日は議事録代理署名役を仰せつかりました。
 近年、景気悪化の影響を受け、運用資産の減少の中、所属スッタフはミッション継続を目指し、人件費削減、オフィス移転、公益法人への移行等対応施策に懸命に努力されています。
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 「32期新人を迎えました」

2010年04月01日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 社屋門前、桜満開の4月1日の今日、平成22年度・32期目の新入社員を迎えました。
当社も例外なく不況の嵐に巻き込まれ、今年は例年の定期採用枠50%以上下回る6名です。内訳は男女半々ながら全て学卒、琉球大、近畿大それぞれ一人の他は全て関東首都圏の大学出身。
 社会人としての第一歩の晴れがましい船出ながら、既存社員の賞与カット、昇給抑制の苦境最中の受け入れ、ついつい歓迎祝辞の中身も厳しい辛口挨拶になりました。
 とは言え、新人採用は企業継続の長期的観点からの投資活動、歯を喰い縛っての受け入れ。新人へ贈った“艱難、汝を玉にす!”のフレーズは、我と我が身へ言い聞かせの意味もありました。入社式後、早速の導入研修スタートに続き、明日からは2ヶ月に亘るグループ各社合同の技術研修に送り出します。
              
                  (新人研修開講式)
 

  
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朝吼夕嘆

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