”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「総務・経理スタッフOB社員さん、有難う!」

2018年04月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り

      
 先日、私が港区三田で立ち上げたIT会社日本アドバンスシステムを創業から5年前後迄総務・経理担当としてサポート頂いたOB女性が鳥取、岡山から上京し、神田の事務所に訪ねて来られた。お二人とも還暦を過ぎ、お子さん達も銀行、研究機関等に勤務、お孫さんもおられる様です。たまたま法事等で上京されたようですが、この日神田事務所で3時間以上“往時茫々夢の如し”と3人で創業時の思い出話に花が咲きました。これもあれも“重田さん、大丈夫か?”と見舞いかたがた、癌罹病で入院、手術のお陰かと妙な感慨に浸りました。スケジュール多忙な最中、見舞い激励の訪問、Nさん、Hさん、有難うございました。
     
         (創業3年~37年前の社員記念旅行に若きお二人が参加されました)


 

 

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王子”北とぴや”「やえやままつり」で感じたこと!

2018年04月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         
 恒例の王子「北とぴあ」で行われた「第18回八重山まつり」に行ってきました。この日も会場200人を超す満席。いつも思うのですが、八重山郷友会は顔つき、言葉訛りも明らかに沖縄本島や宮古とは違風の大和風!しかも、八重山は西表、竹富、波照間、与那国の島々から本島も白保、伊原間、黒島、大浜、平真、四ヶ字等々と独特の訛りや音舞と多彩な字々から成っているようです。であるからこそ、毎年の東京祭りに敢えて“八重山はひとつ”とのスローガンを掲げているのかと納得でした。そういえば、那覇の高校在学中も八重山出身のクラスメートは名前も顔つきも音訛も沖縄本島とは異なり“ああ、やはり、彼、八重山か!”と違う、垢抜けた雰囲気があったのを思い出します。
 この東京八重山連合会の多宇邦男会長とは以前「早稲田大学琉球・沖縄研究所」のパーティでお会いしましたが、同じ八重山出身の大浜信泉7代目早大総長に憧れて八重山から早稲田に進み、早実教頭、初等部校長を歴任されたこと。そう言えば先日、東証1部上場した元IT会社の社長が母校琉球大学に3億円を寄贈したニュースを見ましたが、彼も知友の八重山出身。改めて八重山出身者の多彩な人材を思いました。  
     
                   (司会の佐々木仁子さん)

 

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「作詞家・佐藤惣之助から辿る川崎と沖縄の友好絆」

2018年04月26日 | 「美ら島沖縄大使」便り

      
 有楽町の「沖縄観光コンベンションビューロー東京事務所」で行われた映画監督の喜屋武靖による「佐藤惣之助から辿る川崎・東京と沖縄の友好の絆」講演に行って来ました。佐藤惣之助とはカラオケで歌う古賀正雄作曲の「男の純情」や「人生劇場」の作詞家としか知らなかったが川崎生まれの彼は若い頃沖縄を旅し、伊波南哲とも交友があり、膨大な作詞、作家だったこと初めて知りました。また、川崎と沖縄の多様な深い契りを改めて知りました。
 当日、勿体なくも僅か十数人聴取の狭い会場でしたが、比嘉川崎沖縄県人会長と共に川崎市の議員さんも参加されていました。それにしても、私の過去の出演テレビの編集や沖縄出張時の早朝ジョギング模様を収録してくれた喜屋武君の隠れたる異能を改めて知りました。

 

 

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「第8回、東京琉球舞踊協会公演」に行ってきました。

2018年04月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                                

   4月15日東京国立劇場で開催された「東京琉舞協会第八回の“翔舞”」公演に行って来ました。今回は逝去された“川口喜代子会長に捧ぐ”祈念大会。会場は500席を超すほぼ満席盛況ながら、琉舞に疎い当方、正直、5時間近い26の演目の観舞にホトホト疲れました。とはいえ、日頃の鍛錬を国立劇場という晴れ舞台で披瀝する舞子さん達の誇らしい思いや体躯を動かし、観衆に披瀝する自己表現の舞踊とは引き籠りや自閉症とは全く無縁な世界かと妙な感慨に浸りました。そう言えば南米で見た沖縄舞や三味線の演奏に言葉や時代を超えた琉球舞踊音の威力には圧倒されました。この日の舞子お弟子さんたちの半分はヤマトんちゅ(本土人)のような気がしました。当日のプログラムを見つつ、都内はもとより、鶴見、川崎は言うに及ばず、横浜、鎌倉、川崎、千葉、市川、さいたま、新座、朝霞、熊谷と首都圏で幅広く琉舞教室を展開する20を優に超す家元道場を見ていると日本の安全保障のため虐げられている我が沖縄は舞踊、音楽の威力では日本本土を席捲、支配しつつあるかと妙な感慨し浸りました。舞踊協会の皆様、“故川口会長の追悼祈念”の大事な公演にも拘わらず、奇妙な感想申し訳ありません。
                                        

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「書浪人善隆」教室開催しました。

2018年04月18日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                   
              (善隆師匠の作品テキスト) 
 先週土曜日、神田の事務所で「書浪人善隆」さんの“書道教室”が開催され、女性生徒さんが2時間に亘り、師匠の指導を受けました。「書浪人善隆」さんは沖縄から上京、これまでの月一度の割合で青山、赤坂で教室を開いておられましたが、今後は私の神田事務所で開くことになりました。参加ご希望方はご連絡頂ければご紹介致します。

 詳細はオフイスサイト http://www.syoronin.com/index.html 御覧下さい。

    

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「徳岡埼玉奄美会幹事様、ご苦労様でした」

2018年04月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り

              
 先週土曜日、長きに亘り「埼玉奄美会」会計理事をお勤め頂いた徳岡さんが、ご尊父介護のため鹿児島に帰られることになり、与野市駅前の奄美居酒屋「黒龍」で、慰労送別会を催しました。徳岡さんは中央大学を卒業後大宮市役所に勤務、さいたま市合併や街づくり等々に貢献されました。徳岡さん、長きに亘り有難うございました。なお、後役は上尾市会議長の道下さんが務めらことになりました。

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「78歳誕生のご挨拶、御礼」

2018年04月14日 | 「美ら島沖縄大使」便り

             
                 (誕生祝うかの如き我庭の花)
 去る4月12日、お陰様で78回目の誕生日を迎え、多くの皆様から祝辞を頂きながら、お礼の御礼のご挨拶出来ず失礼致しました。
㈱日本アドバンスを創業30年、同業社と合併、会長を退職した73歳時、5年生存率50%と言われるステージ4の大腸癌が見付り、3カ月の入院手術、永久ストマーの障害者になったものの、お陰様で今年何とか退院5年目を迎えることが出来ました。その後3カ月一度の検診を繰り返し、完治した訳ではありませんが何とか今日まで生き延びたこと、旧社員はじめ多くの皆様の見舞い、激励のお陰と改めて御礼申し上げます。いずれ再発、再入院を覚悟していますが、残る生涯、どうしようかと思っていた矢先、カリフォルニア在住の斎藤陽子さんや何人かの知友から“まだ?”と繰り返し、「我が履歴書」ならぬ「回顧録」記述を督促、激励されていますので、これを機会に“わが苦戦、挫折、失敗禄”を後輩のために幾ばくお役に立てばと、今後週1の割合で“苦戦生涯記”をBlogアップしたいとおもいます。例の如く誤謬、錯覚多々あると思いますが、忌憚なくご指摘、御教示、御笑覧頂ければ幸甚です。内容は「関東沖縄経営者協会」機関紙掲載と一部重複するかと思いますが御諒承下さい。御礼かたがたご挨拶失礼致しました。

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「琉球いろは歌」の秘密(沖縄タイムス社)~上間信久著

2018年04月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                     

 B6200ページ超す小冊子ながらヒーヒー!フーフ!しつつ読み終えました。伝説の「六諭衍義」・名護親方・程順則の「いろは歌」は琉球史の一つとして聞きつつも私にはチンプンカンプンに近い難書!県内双璧テレビ会社のTOPを務めた、知友の上間氏がリタイヤ後、取り組んでいることは聞いていましたが、ここまで書くとは!本書を書くに当たってあの難解な白川清「字通」や梅原猛、トメ・ペレス、リルケ等々の先行広範な探求かと思いきや宮里藍ちゃんや具志堅用高も出てくるかと思えば「うりずん」の故土屋さんが出るには仰天、思わず爆笑! これこそ博覧強記の信久世界か!
 本書を読みつつ、孟子、孔子、「論語」等々を生んだ表彰漢語世界が生んだ普遍フロソフィーは
表音言語の欧米世界への翻訳伝達の可能なのか?それしても、社長退職後の著者のこの偉業には、沖縄開発庁長官 から㈶沖縄協会長を退職後「石敢當」の研究に邁進、博士号を取得した霞ヶ関エリート官僚の故・小玉正任氏同様のセカンドライフ・スタイルを思いました。これは凄い!信久殿、おめでとう!


 

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「在京高校同期の集い」

2018年04月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り

        
 先般、在京の那覇高校12期が秋葉原に集い、同期の奥様逝去を弔い、黙祷、献杯しました。参加者同期8名の内、何と3人が奥様に先立たれていました。哀悼に加え、互いの入院、手術、飲薬等々の病罹経験、愚痴交流に「自分だけでは無いんだ!」妙にホッとし、我と我が身の逝末を思いつつ、改めて同期交流の貴さを感じました(´Δ`;)。

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「川平朝清会長の講演に感激!」

2018年04月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り

              
  先月末、新富町「日本印刷会館」で開催された「沖縄クラブ」で沖縄放送協会会長、NHK役員、昭和女子大副学長、東京沖縄県人会長等々と多彩な経歴の川平朝清さんの講演を聞き感動しました。タイトルは「我が“起承転々”90年の生涯」と御生涯の回顧。川平さんは台湾で出生、高校まで過ごされ、終戦で沖縄に引け揚げ、ミシガン大学に留学、先日逝去なされたワンダリンさんとご結婚、NHKはじめ全国で活躍のジョン・川平、慈英ご子息兄弟を育てられたのは良く知られています。この日その皆さんもご出席でした。今年90歳を迎えられた川平さん、この日、1時間半立ちっぱなし、淀みなく講演される矍鑠御姿には感嘆でした。最も印象に残ったのは川平会長の華麗多彩な回顧もさることながら出生した台湾に故郷を思う日本人「湾生」の存在でした。それはハルピン生まれ、大連で5歳まで育った私の満州思いに共通するものがありました。
 東京には県人郷友会以外に「沖縄フアンクラブ」「大好き沖縄会」「ニライ会」「四水会」「三月会」等々沖縄関係の集いがありますが、この「沖縄クラブ」はアカデミックな定期セミナーが特色で、次回は南風原前東大副学長の講演が予定されています。
             
                      (御出席のジョン・カビラ、慈英さんご子息・御兄弟~安谷屋先輩撮影拝借)

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瀬長亀次郎記念「不屈館」訪問しました。

2018年04月03日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                 
 先日の沖縄出張のおり、久茂地に開設され「不屈館」を訪問しました。
「不屈館」とは在琉米軍に対し果敢“不屈に”戦った伝説の元那覇市長・瀬長亀次郎氏の記念館。私は奄美大島から沖縄に移住した小学6年の時、那覇市の楚辺に住みましたが、近くには刑務所があり、その近くの瀬長さんの自宅で生前の瀬長さんを見たことがあります。
那覇高校在学中、校庭で行われた反基地闘争の集会で聞いた「一握りの砂も、一滴の水も我々のものだ!」と言う瀬長演説は忘れられません。この日、不屈館長を務められる、瀬長さん御娘の館長の内村さんともお会い出来ました。
                    

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朝吼夕嘆

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