”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

我家の「きゅうかん論争」

2011年09月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り

              

 

社長就任時代は土日週末以外めったに自宅で夕食を採ることは少なかったのですが、代表辞任以来、Weekday週に2、3回自宅での夕食を取る頻度が増えて来ました。その所為か食事の度にビール小缶を呑む私に対する連れ合いの仕掛けが所謂“休肝(缶)論争”!

 対して、私の先方への応酬は時に7時のゴールデンタイム・ニュース時間帯にも延々と続くKTVテレビ観賞への“休韓”要求論争。

 

沖縄の近代化を巡る西里喜行・安良城盛昭両教授の有名な高踏「旧慣論争」に比べ、余りに次元レベルが違うとは言え、拙宅では容易に妥協線を見出せない喫緊「きゅうかん論争応酬」の報告でした。

          

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「由井晶子先輩」②“オペラ演出家・故粟国安彦をめぐり”

2011年09月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                    

                 (演出活動全盛時代の粟国君)

 大学卒業を控えた就職活動の一環として、県出身同期に誘われ由井先輩の勤める「沖縄タイムス」紙のライバルの「琉球新報」を受験入社、東京総局配属記者として採用された私は、由井先輩としばしば取材現場で合間見えました。と言っても駆け出しの私に対し、由井さんは既に支社デスクを勤めるベテラン記者。

 この時、私の勤める「琉球新報」東京総局の上司には由井さんと同じ早大同窓新聞学科卒の嶋袋浩デスク。沖縄の日本復帰の直前のこの頃、県内両ライバル紙の東京駐在員としての取材合戦だけでなく、「世界」や「中央公論」等の中央総合誌論壇でも健筆を振るい合う両先輩は後輩の私達から見て、到底越えることの出来ない在京沖縄代表ジャーナリストの双璧でした。この後両先輩は、それぞれ共に本社編集局長に就任、鍔迫り合い活躍します。

 その後、私は新報社を退社、紆余曲折、立上げたIT企業社長就任の10年後、49歳で夭折した幼友のオペラ演出家・粟国安彦の告別式で“沖縄友人代表”として弔辞役を引き受けることになり、たまたま、この葬儀に立会い、取材したのが10数年振りにお会いした「沖縄タイムス」東京支社の由井さんでした。

 粟国君とは小中学同期で自宅も隣で私が琉大中退し上京し転がり込んだのが中野区新山通りの彼の四畳半下宿で、以後2年以上同居することになります。当時、彼は東京声楽専門学校(後の昭和音大)に在学中で、卒業後は藤原歌劇団に入りその後、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院に留学、オペラ演出科を首席で卒業、帰日後は当時の藤原歌劇団や二期会の数々オペラ公演を演出し、好評を博し、ウィンナーワールド賞や芸術選奨文部大臣新人賞等を受賞し、わが国有数のオペラ演出家としての地位を築きます。

         

        (駈出し記者時代~議員会館食堂で安里議員と)

                      

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「第36期CIJ株主総会に出席しました」

2011年09月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り

        

 横浜ベイシェラトンホテルで開催された当社親会社・東証一部CIJ社の第36期株主総会に出席しました。

当期業績は対前期、減収減益ながら連結売上160億に経常6億2千8百万の黒字決算を達成、この厳しい景気動向の最中、配当性向70%実現の堀社長以下経営陣の奮闘には低頭です。

200人強の出席株主中“総会屋”を思わす妨害、撹乱質問は皆無で“50億を越す内部留保金の活用如何”“取締役9人に対し4人の監査役は多過ぎないか”等々時間切れまでの活発な質疑に対する議長、経理担当部長の冷静的確な応答にはこちらも勉強させられました。

 

以前にも報告しましたが、IT黎明期、独立、創業する前に修練・勤務したビジネスコンサルタント社で互いに机を並べ、霞ヶ関中央官庁の「行政情報システム」のR&Dプロジェクト受注遂行に共に汗を流した東大数学科修士にして空手部副将、囲碁6段の猛者先輩と数10年振りに親会社非常勤取締役、傘下子会社会長としての偶然再会!総会後の短時間ながら互いに懐かしさと奇縁に驚きつつ往時回顧に浸りました。

          

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「由井晶子先輩」①“早稲田での出会い”

2011年09月25日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                      

 先日、著書「沖縄~アリは像に挑む」(労働情報社)出版記念会にご招待を頂いた由井先輩には様々な思い出があります。

早大在学中の私達が企画した沖縄祭を取材した早大新聞学科先輩の「沖縄タイムス」東京支社勤務記者の由井さんが“君達のこの展示、沖縄の現状を伝えていない”という指摘に“悲惨な映像のみならず復興した現状も伝えるべき”と反論した記憶があります。

それから50年後の先年、早稲田大学琉球・沖縄研究所主催の「ワセダと沖縄」シンポジウムで久し振りにお会いした由井さんから「あの時、反論したのは貴方でしょう」と50年前のエピソードを書いた文書を見せられ驚きました。代々木仕込みの先鋭な理論家の当時の由井さん、後輩・1学生からの反論は忘れられないのか。自意識強い由井さんの一面を見た思いでした。

 その後、「朝日新聞」の就職試験に失敗したもの「東大の新聞研究所」に合格した私は、翌年また朝日に再チャレンジしようかと迷いつつ「タイムス東京支社」でデーター整理?アルバイトしていた矢先、由井さんから「うちの会社受けたら!」と勧められましたが、数日後「ゴメンナサイ!今年は東京採用無いみたい」と言われたのを覚えています。

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「沖縄国際大での講義終えました」

2011年09月22日 | 「講演・セミナー」

                               

  経営協記念イベントによる沖縄ツアー1週間後、先年に続き、沖縄国際大学情報産業学部24年生150人向けの「eビジネス論」講義のため9月、二度目の沖縄に行になりました。

 夕方6時から休憩を挟んで9時までの2コマ180分。50枚を越すパワーポイントスライドでの講義、流石にバテました。

 いつも思うのですが、沖国大の受講生、遅刻や早退、居眠りが他大学に比べ少なく、皆さん熱心に聴講されます。特に前半のIT産業論よりも後半の「就職とキャリアプラン」レクチャ-には身を乗り出すような出席学生の姿が印象的でした。

 講義と言っても、私の話は個人的経験レビューに創業以来の県出身者の採用、就業体験レポート。私以外にも県内モバイル、IT、NET経営者6人によるオムニバス講義。

大学当局の日頃の学術講壇授業とは異なる現場報告とも言えるこうしたユニークな企画は学生にどの程度のインパクト与えるかは一重に私達講師陣の内容、力量に掛かっていると思うとプレッシャーを感じます。

同じテーマーで何度か話しているとは言え、スライド原稿の作成更新には延べ10時間以上、それも見る度に修正、沖縄到着の機内着陸寸前まで添削する始末。

負担と重圧背負った作業を終え、1泊翌日の帰京機内、疲労と共に一種の達成爽快感、改めて課題とテーマーあればこそ、人は鍛えられことを痛感した一日でした。 

                      

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「高校同窓幹事会」

2011年09月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                

未だ残暑厳しい9月18日、何時もの大崎コープで開催された高校同窓会「関東城岳同窓会幹事会」に出席しました。今回は会長以下各期幹事19名の出席。

今回の議題は来る11月12日に開催される総会に向けての最終準備打合せ。

事務局長から関東城岳同窓会発足・100周年記念誌「城岳賛歌」発行募金が目標の150万達成が報告ありました。我12期も有志の協力により何とか目標の10万円に足し、面目を保ちました。とは言え、50万円を越える山路会長・旧制中の協賛寄金がある一方、若い世代の30期以降は0が続く格差。ここでも若い世代の参加勧誘という課題が浮き彫りになっています。

 今期は会長、事務局長はじめ役員の改選期とあり、総会提議の新体制候補推薦に辞退が続き侃侃諤諤、議論の結果、なんとか継承案落着を見ました。

 

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「久方振りの社員結婚式参席」

2011年09月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り

               

 最近、日本に於ける成婚率の低さが話題になっていますが、結婚しても挙式を省略するケースが増え、披露宴にも媒酌人を立てたり、上司を招待するのもめっきり減って来たようです。私共の会社でもそうした傾向は年々増えてきており、会社のトップや上司としてはそれだけ義理負担が軽くなる一方、一抹の寂しさも否定出来ません。

 そんな矢先、つい先日久方振りに新婦主賓祝辞を依頼され、同僚メンバーと共に出席しました。新郎新婦共に同じ埼玉県出身、式場も私の居住から最寄という縁。

 式は小振な教会場、それだけにアットホームな雰囲気でした。新郎新婦入場を迎え、列席者全員でお馴染みの賛美歌“慈しみ深き友なるイエスは”を斉唱していると、胸に迫るものがありました。

創業は入社式と共にこうした若い人の新たな人生スタートに立会う僥倖に恵まれます。当然と言えば当然ですが改めて“結婚式っていいな”と思いました。ご新郎新婦御両人、改めておめでとうございます。

      

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「WUB東京・関沖IT協交流会」

2011年09月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り

    

 先週、「WUB東京」と関東沖縄IT協議会両組織、初の合同交流会を開催しました。

首都圏には様々な沖縄関係交流団体がありますが、この二つのグループの際立った特徴は構成メンバーが相対に若いことと創設がそれぞれ12年、7年と比較的新しい組織にも関らず、会長の承継、世代交代が進んでいることか。

また、ベンチャー創業企業とNTTデーターの違いはあるものの両会長、IT企業の上、同姓・平良の親和性。

 この日は上京中の牧志WUBネットワーク会長に島袋県人会事務局長、田口沖縄タイムス支社長をゲストに迎え、参加メンバー50余人と盛り上がりました。

 たまたま、両組織の初代会長を務めたため、この日開会挨拶役を拝命しました。

沖縄をキーワードにBusiness交流を標榜する両組織、今後とも機会ある毎に互いに切磋琢磨、発展することを期待しています。

     

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 「故・内倉さんを偲んだ奄美IT懇話例会」

2011年09月14日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                 

先月、横浜の㈱フィチャーシステム(中山いその社長)で開催された奄美IT懇話会例会に参加しました。

 首都圏奄美大島出身IT企業関係者の懇親会。発足3年目の今回の例会は去る7月に急逝された懇話会立上げの中核メンバーで事務局を担って下さった内倉典子さんの追悼になりました。

 

 出合って僅か3年の間に、幾多の在京奄美関係者を紹介頂く一方、数十年振りの古里奄美訪問、豪雨遭遇の機会や東京出身ながら瀬戸内は古仁屋にお住まいの御母堂様との懇親と数々の目まぐるしい出会いの機会を作って頂きました。

 逝年53歳、内倉さんの早過ぎる物故に直面し、改めて“会うは別れの始め”のフレーズを噛締めつつ、やがて訪れるであろう我とわが身の行き末、末期を想いました。

この日、私が友人に依頼作成して貰った数々の内倉さんの遺影CDスライドショウショーをNanaAmazing Graceと朝崎郁恵の“いちゅんなかなよ”をBackに急性末期腫瘍に苦しみつつも最後まで“勲しさ”を見せた故人を偲びつつ鎮魂を祈りました。内倉さん、安らかに!いろいろ有難う!  

            

          

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「99歳、仲本潤英先輩、壮健!」

2011年09月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り

        

 先々週の「関東沖縄経営者協会」設立四十五周年記念ゴルフツアーで沖縄に行った際、沖経営協創設者とも言うべき仲本潤英㈱八汐精機社長に是非一度ご挨拶したいという新垣副会長を案内、最寄の花屋さんからお見舞持参、介護入所先の那覇市古島の仲本病院に見舞いました。

 ご高齢を気遣いつつ訪問した私を暫く見ておられた仲本先輩、 “起してくれ”とベッド上に座り込むと、 “おう!重田君か”と反応、やおら同行運転の知人女性を見られるや“これか!”と小指を立て破顔一笑、相も変らぬ往年の色気笑顔を湛え、来年100歳をお迎えするとはとても思えない御覧のようなお元気さ。

 四十五周年記念イベントをお伝える等暫し懇談、介護センターを後にしました。仲本先輩、何時までもお元気で!

 

 その宵、独身時代東京で交流のあった二人のヤマト女性、いずれもヤマト・ボーイフレンドを振り切り、沖縄婿を射止め県内でフリーアナウンサーとライターの活躍と愛夫“おのろけ”を肴に懇談会食、翌日のゴルフ大会への英気を貰いました。ヤマト美嫁のお二人さん、お付き合い、おのろけ御馳走様でした(^-^)

        

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「関沖経営協設立45周年、ゴルフツアー!」

2011年09月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                                            

  関東沖縄経営者協会は発足45周年を記念し、93日沖縄でゴルフコンペを開催しました。折からの台風接近で東京からの参加が危ぶまれる中、一足先に1日沖縄入り待機しましたが、幸いに関東地方上陸が避けられ、予定通り20人を越えるメンバーが訪沖、現地からは今稲嶺前知事、与世田副知事、国場県商工会議所会頭等錚々たるメンバー30余人の参加を頂きました。

 県内名門ゴルフ場・サザンリンクスでのコンペ後、ナハテラスホテルで開催された懇親会には富田琉球新報社長、上間QAB社長等県内報道、企業関係者参加を頂き、県内・県外参加者70名以上、懇親、交流しました。

 

 日本復帰6年前の昭和41年発足当時の関東沖縄経営者協会は国場幸太郎、稲嶺一郎、宮城仁四郎、大城鎌吉等戦後沖縄経済復興を牽引した重鎮との交流が行われましたが、その後の会員の世代交代等に伴い交流は途絶えていました。  

今回、東京と沖縄に拠点を置く仲松副会長の獅子奮迅の活躍で、ツアー記念イベント交流が実現しました。

ゴルフ不調法、当方の立場、力を超えた今回のイベント参加、正直私には荷が重かったのですが、知事の重責リタイヤ、80近い稲嶺知事はじめ郷土の先輩諸氏の矍鑠たる謦咳に接し、我とわが身が改めて激励、覚醒されただけでなく、訪沖参加の関沖経営協の若いメンバー共々それぞれ抱える課題達成挑戦への勇と明日へのエネルギーを頂ました。

 ご参加、ご支援の県内先輩有志の方々及びイベント開催準備事務局メンバーへ改めて感謝と慰労の意を表します。皆さん!有り難う御座いました。

            

 (平良前OCVB会長、国場商工会議所会頭、与世田副知事、稲嶺前知事と共に)

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朝吼夕嘆

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