”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

藤原彰(他6名)/編「沖縄戦」(歴史書懇話会)

2003年12月22日 | 「Weekly 読書感想」
 本書は東大出版会、吉川弘文館、青木書店等11出版社が特別企画として、2003年共同復刊した43点の一冊。
 初刊の1987年には、丁度国体開催直前の沖縄で「日の丸」引き降ろしや焼却事件が多発した。
 なぜ沖縄でこうした事件が多発したのか、一ツ橋大学教授の編者他6名の研究者が、他府県在住者向けにその背景と原因を明らかにするために著した、いわゆる「歴懇もの」。

 沖縄戦の具体的戦闘状況に止まらず、日米両軍の編成や作戦展開図、司令部内部の対立等を検証する一方で、当事の日本軍が沖縄県民にいかに暴虐な仕打ちを行い虐殺したか、具体的事例を紹介している。あまり知られていないが、およそ1~2万にも上る朝鮮人軍夫と慰安婦達の、沖縄での過酷な運命についても記されてる。

 「軍隊はいざという時に住人の命を守らない」と批判されるが、軍隊が守るのは軍中枢機能であり国家統治機能である、という見地に立つと、足手まといの住民は二の次になる。
 その証拠に、戦時中に波照間や渡嘉敷、久米島諸島で住民を虐殺したと言われる当時の隊長や指揮官が、住民から報復を受けてもおかしくないにもかかわらず、戦後何度か現地を訪れている。これは、彼等は使命を果たしただけで、さしたる罪悪感を持っていないことを示しているのではないか。

 本書では、一部で人格者として称揚されている、自決した牛島陸軍司令官に対しても、県民の生命に配慮を欠いていたとして、肯定的な評価をしていない。
 戦後、奄美大島から沖縄に渡航した私の小中学校のクラスには、両親がいなかったり、家族を亡くした同級生が必ずいた。彼等の顔を思い出し、辛かった。
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桐野夏生「グロテスク」(文藝春秋)

2003年12月18日 | 「Weekly 読書感想」
 よくもハードカバー500ページ超、書いた方も書いた方だが読んだ方も読んだ方だ。

 言うまでもなく例の「東電OL事件」に触発されて書かれ、私も手にした。慶応経済出の東電調査室次長キャリアOLが、夜な夜なカップおでんをすすりつつ渋谷円山町に立っていたことに多くの人が衝撃を受けた。

 相当数のキャリア女性が、わが内なる東電OLとそれを敢然と実行していた同性の存在に慄然とし、円山詣の伝説が立つほどに衝撃を受けた。実は、私の知人女性も足を運びそうになったという。
 男性が似たようなことをしても、「ありそうなこと」と片付けるのに、女性だと、世の中なぜそれほどショックを受けるのか。この事件は、日本の女性が、男性の好奇心を“睨めつけるように”、“文句ある!”と完全に男女平等を宣言した、歴史的事件ではないか。

 佐野真一は、主人公の行動を父母の相克や失恋のトラウマ等に探っているが、著者はその震源を、慶応女子を思わすエリート校内の差別意識と挫折に求めているように見える。
 書中、天才や生れつきの才能に対し、努力とか頑張りとかの空しさ・無意味さを執拗に書いているのも気になった。

 他の作品は知らないが、著者の性愛描写は、小池真理子のような華麗さとリアルさに欠け硬質だ。しかし、著者といい、小池といい、高村薫といい、閨秀作家はどうして線描画のように綿密な描写を延々と綴るのだろう。ここに興を掻き立てられる読者もいるのだろうが、私は煩わしくて飛ばし読みしてしまう。吉村正、高杉良、城山三郎らの文章には全く感じない点だ。新幹線車中でなければ読めなかっただろう。私も閑だね。
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草柳大蔵「実録 満鉄調査部 上・下」(朝日新聞社)

2003年12月08日 | 「Weekly 読書感想」
(写真:昭和12年23歳の亡父:後列右から3人目)

 学生時代、「朝日ジャーナル」を待ちかねるように読んだ連載の上製版。私の満州もの蔵書の一冊。

 大正リベラリズムの洗礼を受けた昭和初期の革新官僚達が、日本国内の制約を避けて満州に渡り、満鉄調査部に謂集したのは有名な話。当時の満鉄調査部は、当時の日本のシンクタンクのハシリと言ってもいいほどで、後の日共細胞も輩出した。
 稲嶺沖縄県知事の父君である、若き日の稲嶺一郎元参議員や、俳優の森繁久弥達も、希望の大陸に渡り「南満州鉄道株式会社」に就職した。

 「鹿児島45連隊」を退役した私の父も、それなりに希望を抱き、従姉の連れ合いを頼って渡満、満鉄本体は叶わず、傍系の「大連都市交通社」に就職した。

 恐らく父は、自分が就職した会社の国策親会社がこうした理念と頭脳をもっていたことは、遂に理解しなかったろう。

 当時の満鉄調査部に、後の第二次大戦後の占領下の日本で、GHQの少壮革新学者が自分達の理念の実現を試みた姿が、二重写しに見えた。

 本書は極めて政治経済的満州ものだが、ドキュメンタリとしては富永孝子「大連・空白の六百日─戦後、そこで何が起こったか」。詩情豊かな清岡卓行の「アカシヤの大連」。最近ではなかにし礼の「赤い月」か。
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再 岩井克人「会社はこれからどうなるのか」(平凡社) その3

2003年12月01日 | 「Weekly 読書感想」
 本書を読んでいて、自分の会社を振り返り、多くの示唆を受けた。

 利潤の源泉である「差異」を生むビジネスモデルやノウハウ、特許、ブランド、デターベース等の知的財産以外に、会社独自のカルチャー、例えば当社の朝礼、全体会、方針討論会やMorning messagesもコア・コンピテンスとなるのか。
 問題は、これらの社内イベントを含めたカルチャーが共同体構築向きか顧客向けマーケティング活動か、どちらのベクトルかだ。しかし内向きだろうが、組織存続の強化を図り、外部からのホールドアップ攻勢に対抗出来るなら、あながち否定すべきことでもないか。

 大規模機械生産時代後のポスト産業資本主義の特徴をIT化、金融自由化、グローバル化と説いているが、曖昧な点もいくつか感ずる。
 例えば、株主利益実現を目指す「法人名目説」と組織存続成長を目指す「法人実在説」はどちらがいいのか。
 ストックオプションのような金銭によるハード・インセンティブと、組織での自己実現や連帯感、将来の安泰と保証期待等のソフト・インセンティブの当否。
 現在日本的陋習として改革の焦点になっている終身雇用制や年功序列制は退けるべきか。
 株価極大化を目指し破綻したエンロンやワールドコムは、株主利益手段の「法人名目説」の必然か。
 日本的経営のトヨタやキャノンは法人実在説の典型か。
 規制と税金に守られながらも、公平と奉仕を旨とする公団公社や著者を含む公務員の多くは、市場至上主義を標榜しながらその実、利益(つまりは欲望)を飽きること無く追及する会社経営者の価値観に、内心負の評価をしているのではないか。
 「欲望としての資本主義」という、ある研究者の著作もあるぐらいだ。

 著者がポスト産業資本主義の一形態として多くNPOに言及しているのは、株主主権資本主義の行方に疑念を抱いているのではないか。
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朝吼夕嘆

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