”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「大学同期クラス会」

2007年01月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 1月も半ば某日、五反田のホテルで大学クラス会。流石に文学部、当夜参集の過半数は女性、出席16名中実に半数近くが教職経験でこの日最後の教職停年者。あとは編集・研究経歴が3人。中には毎年、三週間の海外旅行に行っている女性もいらっしゃる。50余名クラス中沖縄出身は私一人。同夜参加の女性から”重田さんの学生(ガクシェイ)運動という沖縄発音可笑しかったよ!”と言われた。

 以前も書きましたが首都圏名門高校から進学した才能、知性共に豊かなこれ等同期女性達の半数がほぼ専業主婦に近い。対して同世代沖縄の高校同期女性ほとんどが職業婦人ならぬ就業者だ。元々沖縄の女性の有職率は統計的に高いが、これ沖縄男性の頼り無さの証左か!そう言えばこの頃早稲田の暉峻教授が”女子大生亡国論”を書いて物議を醸した。

“歴史専攻が経営にどの程度役立ったか!”という再三の挑発質問についつい乗り“創業、継承、株価相続、MOB”等々の経営長談義をしていたら“お金の話はもういい!”と席上の女性から一矢報いられ、”社長等といっていますがお金なんか無いんです”と言ったつもりが、参った。“そうだった。今席は私の日常用語の通じない異次元の世界だった”と臍を噛んだ。
 こういう世界と仲間を持っている幸せを思うべきと改めて反芻しつつの帰路でした。
クラスの皆さん、無断映像アップ御諒承を!まあ、誰も見ていないと思うけど!
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「おきなわ女性学 事始」出版を祝う会」(ご挨拶 )

2007年01月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 ご指名受けました重田辰弥です。1月も明けやらぬご多忙なさなか、かくも大勢ご出席頂き真に有難うございます。
 本日は奥島前総長や太田元沖縄県知事始め錚々たる諸先輩方ご出席の皆様の前で、私の様なものが“支援委員長”という大層な肩書きでご挨拶する資格があるのかどうか、どれだけお役に立っているのかを思うと忸怩たるものがあります。
 その私がどういう理由で今日ここでご挨拶する経由になったかと申しますと、今回この書を執筆、出版された勝方琉球沖縄研究所長が、同じ沖縄の那覇高校並びに早稲田の文学部の同窓、後輩ということ、また、私が早稲田に入学した時は郷土沖縄の大先輩である大浜元総長の訓示を受けたという縁、さらに私が在京沖縄県出身経営者から団体の会長を拝命している縁から応援団に担がれ、引き受けたという事情があります。
 
 しかし、そうは申しても実のところ本日のパーティーを企画、実現したのは本日の出版上梓に多大の力あったエディターの川平さんはじめ本日司会を務めていらっしゃる花井さん、司会補佐の岩崎さん達在京の沖縄出身女性からなる「沖縄女性の会」の有志です。その意味では本日の「おきなわ女性学・事始」というタイトルに相応しい有志・企画かと思います。
 実は本日まさにこの時刻、品川の新高輪プリンスホテルで仲井真沖縄県知事出席の下“沖縄県観光感謝の夕べ”が開催されていますが、たまたま今週の月曜お会いした際、知事に本日のことをお伝えしたところ“盛会を祈念しています。よろしく”という趣旨の伝言を頂きました。私はこの後、品川で知事にお会いすることになっていますので、本日の模様をご報告したいと思います。
 当初、勝方所長はこの出版パーティー開催そのものにも遠慮がちで、消極的でしたがこれらの女性有志が愚図る勝方さんの重い腰をひっぱたいて、本日まで漕ぎ着けた事情があります。ついでに私も“少しは販促ぐらい手伝いなさい”とこれら沖縄女性にドヤされ本日挨拶の大役を引き受けた事情があります。
 私も先日、青息吐息で、本書読み終えましたが、ここで内容にコメントする学識と自信はとてもありませんので、この後の皆様のご挨拶にお譲りしたいと思います。

 最後にこの本の出版をスプリングボードに「早稲田大学・琉球沖縄研究所」への一段のご支援を支援委員長としてお願い申し上げ、本日の御礼のご挨拶に替えさせて頂きます。本日は有難うございました。                  
 奥島前総長とご挨拶。07・1・25 於:早稲田大学 国際会議3F大三会議室

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「OBと現役の壁」

2007年01月28日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 先に沖縄で開催された交流会で現役事業所メンバー20名の倍近いOBの参加があったことをお伝えした。本社幹部の定年壮行会にも大勢のOB社員の参加があり、当社の特色とも言われたがこれは多分に沖縄文化の影響があるとも指摘されたことがある。沖縄事業所では日頃から模合(頼母子講)やビーチパーティ参加等による現役社員とOBによる交流がある。会社よりも地域・友人の付き合いが濃密というより、その境界が低い文化風土があるのか。
 まあ、辞め方にも拠りますが、苛烈な競争下にある本土企業社会では“一旦敷居を跨いだ者がどの面下げて”とまでは言わないが、退社した会社を再訪するのは余程のことが無い限りあり得ない。それだけケジメが厳しいと言える。良いか悪いかは別にして沖縄風土の特色としてよく言われる“テーゲー“文化が如何無く発揮される局面だ。
(上下の写真メンバーほとんどが退社OB)

 これと似たことだが本土では例え酒席であっても側から見ていて上司と部下の区別がハッキリ分かるのに対し、一旦職場を離れた懇親酒席の沖縄では部下が平気で上司をからかい、当の上司もそれをヘラヘラ、ニヤニヤ許して、どっちが部下か上司か分らない時がある。私も沖縄の企業メンバーと飲んでいて何度かそういう場面に出くわした。良くも悪くもこれも会社文化と乖離した沖縄文化の特色か。
 ところで、時折韓国の企業メンバーと会食、飲食する機会があるが、喫煙、飲酒、食事のマナー、どれをとってもこれはもう日本以上に上下関係、序列が歴然としている。地位の上下もさることながら幼長の差も厳しい。これはあの国特有の儒教文化のなせる業か。彼らが沖縄の“テーゲー“文化風土を目にしたら“大らかで開放的”と見るか“礼節に欠けた野卑”と見るのか興味深い。

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「おきなわ女性学事始」出版記念パーティ。

2007年01月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 25日木曜、先にご紹介した勝方=稲福恵子著「おきなわ女性学事始」の出版記念パーティが早稲田大学で行われた。
 奥島全早大総長や大田元沖縄県知事等70名を越える錚々たる出席者の前で主催者として挨拶する羽目になった。「早稲田大学・琉球・沖縄研究所」支援所長としての肩書だったが、実際にこの会を企画、主催した「沖縄女性の会」有志メンバーに担がれた。私が在京沖縄経営者会長を拝命しているという理由以外に、勝方さんが、高校、大学、学部の後輩という縁もあるか。
 いかに私でも当夜、多くの出席教授、研究者の前で本の内容にコメントする勇気はなく、何で挨拶する羽目になったかの事由と言訳に始終した。

 奥島前総長に続く大田元知事の挨拶。祝辞にしては30分近い琉球史に関する薀蓄・長口舌に場内いささかゲンナリ。しかし、中江兆民や板垣退助による沖縄独立論は初めて知った。この人、政治家というよりやはり学者!
 6時開始のこのパティー、大田挨拶後に途中退席。この宵同時刻に開催されている「沖縄観光感謝の夕べ」の新高輪プリンスへ向かい、仲井真新知事に挨拶。
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“越境する沖縄女性”当社のケース

2007年01月24日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 勝方=稲福恵子早稲田大学琉球・沖縄研究所長がその著「おきなわ女性学事始」で“越境する沖縄女性”と題し、種子島漂流のポルトガル人通訳の琉球婦人やバジルホール船への闖入婦人等の故実を紹介している。省みて当社のデータを思い出しドキッとした。以下その事由。

 当社はこれまで延230名前後の県出身者を採用したことを繰り返し述べたがその内、女性は約25%の44名。現在の勤続は子会社転籍・出向を含めわずかに6名。ところが正確な統計数値は把握していないが、退職男子社員の大半がUターンするのに対し、女性は結婚という形で本土に“越境”移住する率は男子の数倍以上。
 具体的な事例として当社はこれまで社内結婚が平均年一組、累計30組近くあるが、実はその半数近い新婦が県出身者。ところが県出身男子が本土の女性と社内結婚した例はわずかに一例しかない。男子4(188名)対女性1(44名)という採用母集団を考えると沖縄女性の“越境率”は60倍以上になる計算だ。さらに当社の女性派遣の子会社を含め県出身女性が派遣先本土出身社員と結婚した事例は結構あり、私はこれまで数例そうした結婚式に出席した。対して我社の県出身男子社員が顧客取引先の女性と結婚した式に出席した事例は一度もない。

その理由は何だろうか?単純に考えてただでさえ県内志向の強い沖縄で親の反対を押してわが社への県外就職に挑む沖縄女性はそもそもが、極めてポジティブな性格、その時点で特殊であること。さらに位牌トートメー継承等男の子に対する沖縄の親達の“帰れコール”心情。
なにやら首都圏で影の薄い沖縄出身男性タレントに比してそのプレゼンス躍如たる沖縄女性タレントを思い出させられるではないか。

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「沖縄で高校同期懇親」

2007年01月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り
先々週、沖縄での当社OB交流会の翌日、高校同期の有志懇親会に出席した。
前日は首里の都ホテル。翌日は久米の琉球サンパレスホテルで同じく帰郷中の大城君と共に前日参加出来なかった10名とフライト前のランチ歓待を受けた。
 よく見ると参加者の半部は東京からのUターン組み。この日も首都圏で停年を迎え、老後は故郷沖縄でと帰省したばかりの同期。
 参加女性の中には沖縄ならではの中学、高校、近所等々仲間と模合(頼母子講)を4~5も参加している同期女性もいた。皆さん挙って元気!
 
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「県立二中大先輩との交流」

2007年01月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り
先週土曜日、同窓・同期会のダブルヘッダ!
お昼12時から五反田「結まーる」で那覇高校同窓とその前身である旧制県立二中先輩との交流会に出席した。
 二中の先輩達は元日銀監事、作家、医師、教師と錚々多彩。皆さん平均80歳近くにも関らず旧制応援歌を高歌するかと思えば、恩師、同期の名前を次々と諳んずるかと思うと琉舞を舞い、矍鑠として元気!

 60までは肝胆会い照らし、痛飲する同期以外の年上友人が何人いるか、60越したら同じく年下の朋友何人いるかをバロメーターにしていたが、この日会った先輩連を見ていると、内心70迄は歳上かと軌道修正を迫られた。

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「制約・前提条件その2」

2007年01月21日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 先に私のこれまでの所論は”創業ITベンチャー”という産業、企業論的前提、乃至は制約条件があることを述べた。さらに、もう一つ沖縄の持つ歴史的、地政学的条件と共に世代的制約を述べない訳にはいかない。

 私達復帰前“本土留学”世代が背負っている制約条件。”男子志を立て郷関を出ず、学もしならずば死すとも還らじ”とまでは云わずとも立身出世価値観の片鱗を引きずり、パスポート持参で1960年代上京した私達世代。
“日本語上手ですね”と云われた我々の世代のコンプレックスが多少払拭出来たきっかけは“豊見城、具志堅効果”だった。それまで“お目溢し推薦”で甲子園に出場させて頂いていた沖縄高校野球が栽監督率いる豊見城高校の連勝で“沖縄、強し!”の印象を全国に植え付け、恥ずかしいと思っていた沖縄訛りが具志堅節のテレビ放映で愛嬌をもって受け入れるようになった。

 本土就職で行き詰まると故郷沖縄へUターン出来る今は見方を変えると幸せな時代とも言える。日本経済の高度成長以前に本土留学、就職した私達の世代には”両親は還る処ではなく、呼び寄せるもの”という価値観をもっていた人も少なくない。現に私の高校、大学の同期の中にはバブルの真っ最中に首都圏に土地付マイホームを購入、定年ギリギリまでローン返済に奮闘しつつ、故郷沖縄から両親を呼び寄せ、同居介護しているのが何人かいる。私も沖縄の学校を卒業した妹弟を、次いで両親を呼び寄せ、見送り、埼玉の寺院境内に墓を購入、守っている。住宅ローンに至っては定年遥かに過ぎた今もって返済続けている始末。
 
 と言って、私達世代に比べて、Uターン志向の強い今時の若者を直ちに”だらしない”という根性論だけでは片付けられないと思う。私達世代は東京オリンピック、大阪万博”明日はきっと良くなる”という日本経済の高度成長という高揚した時代の追い風があったと思う。今は”降込め詐欺”の温床基盤とも言える”判断・管理能力が弱い前世代がお金を持っている時代”。その元に帰りたくなるのは”水は低きに流れる”如き自然現象とも言える。

 こうした価値観と残像を背負う私達世代が“え!仲間由紀恵、山田優、黒木メイサって沖縄出身?”と本土・沖縄彼我の若者文化が共有同化した今の世代に「本土就職」などというテーマが通用するのか。
 そこまで云わずとも軽薄なまでに若ぶって、背伸び、何とか一青窈まではカラオケする私とは言え、彼等の堪能するオレンジレンジやDA PUMPの16ビートにはとても付いて行けない。それほどに感性に違いのある私如きのゴタクをこれからの若い世代がどこまで受け入れるか。

(写真~80年沖縄県・ハローワーク共催コンベンションセンター「大学就職セミナー」パネリリストとして出席)
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「沖縄職業能力開発大学校(ポリテック・カレッジ)」

2007年01月20日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 これまで我社で採用した学校種別県出身者の定着率を見ると専門校が最も芳しくない。最近では専門校進学動機の一つに大学進学無理と同じく高校卒時就職出来なかったからというのがあるという。
 それでも当社はこれまで累計85名を採用し現在10名が在社、10%強の定着率となるが、グラフをよく見ると専門学校と呼べない学校がある。
それは沖縄職業能力開発大学校(ポリテック・カレッジ)。これは周知のように文部省管轄ではなく厚生労働省管轄。これは4年制大学校もあるが、この学校、県内のどの大学、高校と比べても就職率が極めて高く随一。当社は同校からの採用暦は浅いがグラフで御覧の通り今の処、一人の退社もなく、現場や顧客先の評価も良く、定着率も100%。講師も生産現場の経験者やOBを採用、カリキュラムも企業の現場ニーズに最も近く実践的。
 同校長は歴代琉球大学の工学部教授OBが就任する。現在の屋良校長は前琉大機械エネルギー教授。実は私の高校のクラスメート。前任の大城校長も元琉大建築教授で、これまた私の高校の先輩。
 その縁で2005年九州ブロックの成果発表会(ポリテックビジョン)で職員関係者を前に「不況を乗越えて」という大層なテーマーで講演を依頼されたのを契機に同校からここ毎年採用している。因みに同校教職員大半は独立行政法人雇用・能力開発機構による県外人事である。同校の例は教職員の取組によっては就職率と定着性の向上が実現することを示している。

(05年九州ポリッテクビジョンで講演でのQ&A)
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「そこまで書くか!」

2007年01月19日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 これまで私は個人情報ぎりぎりの当社県出身の就業データーを開示して来た。
中には対象者情報を守護するため意識的にデーターを差し替えたケースもある。しかし、社内近隣メンバーが読めば“ああ、彼のことだ”と推測可能な場合も少なくない。それでも郷土の後輩のためと暗黙の諒承を乞うている。もちろん、クレームを受けたときには直ちに訂正、削除している。
“書くことは恥をかくこと”と言われるように当社の問題点や短所、多少の露出趣味も影響していることを否定しない。
それでも今後の県内就学、本土就職、IT創業ベンチャーの人材採用、育成という自分自身のごく限られた条件下の具体的数値データーに基づく現場レポートを心掛けた。それはともすればマクロな統計データーに基づく、抽象概念論に傾きがちな筆勢性癖を警戒、拘束する為というのはいささか格好良過ぎるが。

(写真)~2001年沖縄で開催された”文化の国体”と呼ばれる「日本文化デザインフーラム」で増田ツタヤ社長、奥谷礼子ザ・アール社長等の”沖縄型ベンチャー型シンポジウム”を司会)
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勝方=稲福恵子「おきなわ女性学事始」;新宿書房

2007年01月18日 | 「Weekly 読書感想」
 
おきなわ女性学事始

新宿書房

このアイテムの詳細を見る。
 著者は早大教授「琉球・沖縄研究所長」。
 恐れ多い事ながら高校、大学、学部と私の後輩に当たる。
 表紙彫塑「めざめ」は著者愛娘・勝方未来(多摩美院卒)作

  読了後一週間以上天を仰ぐ。感想はゴマンと湧き上がるが、一口に手強い!コメントするには真に“シンドイ”が“ままよ!”“越境する沖縄女性”“消費される沖縄女性”等思わず興を惹かれるフレーズ。
 種子島漂流のポルトガル人通訳の琉球婦人やバジルホール船への闖入婦人等様々な“越境する沖縄女性”の事例、エピソード。実はシンガポールに駐在した私の友人が市場で沖縄出身女性に囲まれ歓待されたこと、当社社員の結婚30組の内沖縄出身新郎2人に対し県出身新婦は15名以上。これらの事実に照らし強く興味を惹かれ、そこに文化的、歴史的考察があるかと読み進むうちに“文節化/接合(アーティキュレイション)された主体、アイデンティティ・ポリティックスの回避”と難解。
 ミードからボーヴォワール以降の女性学からジェンダーがブラックフェミニズムを媒体にエスニシティと出会う記述は新鮮で知的興趣をそそられた。

 本書のもう一つの主題は「執心鐘入」と「久志芙紗子」。薩摩の圧迫を受けた王府と神女組織の確執という政治事件が“鬼女の敗退”という朝薫「執心鐘入」背景にあるという考察は本書の秀一。対して「久志芙紗子論」。原作、インタビュー、年表と本書の4分の1を占める記述は本書テーマからの乖離を覚えた。とは言え、あの久志と太閤検地の安良城盛昭の血縁を本書で初めて知って驚いた。
「消費される沖縄女性」としてハーバード大学のスーザン・セレドの平安座島のカミンチュ研究手法を厳しく批判している。初めて知る事実だがスーザン教授の反論を聞きたいものだ。
 終章の「異端の語り」“人魚論”や大城裕立、崎山多美の作品論を読んでいると著者にはもう一つ語りたいテーマが別にあるのではないかと気になった。
 
 レスリー・シルコウ、ティリー・オルスン、黒人ノーベル受賞作家トニ・モリスン、J=Lナンシー等の女性作家コメント、「分有された主体」「未生の生」、沖縄学を「民族の詩学(エスノポエティクス)」と理解に難渋する勝方フレーズの世界。まるで知の万華鏡、ラビランス。一口に本書は未完の書。“沖縄女性学方法序説”とも言うべきものか。言うほどに知っている訳ではないが、この勝方序説は従来にない学際的沖縄学の新しいベクトルを示しているように感じた。
 巻末150冊に迫る参考文献、先史から05年まで20Pに亘る詳細年表、300項近い索引労作と資料価値も十分。
 それ程商売熱心でもないが一応経営者”売上と利益”に日夜?翻弄される私にとって晦渋、難儀しつつも暫し異郷の知的世界を堪能しました。

 実は本書の出版記念パーティが来る1月25日(木)6時より早稲田大学早稲田大学 国際会議場3F第3会議室で開催されます。お知り合いお誘い合わせの上ご参加歓迎です。参加ご希望の方メールでご連絡下さい。
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「親元仕送する高卒社員」

2007年01月17日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 入社以来初任給から7年目の今日まで、沖縄の親元に送金し続けている社員がいる。実はこれは沖縄の実業高校卒で入社した社員の例です。
当社の沖縄出身社員の懇親会で、私の”初めての給料を親元に送った人”という質問に手を挙げた数人は全て高校卒。同席の4年生採用社員の驚いた顔が忘れられない。
 時にサラ金に手を出し退社、三食付、親の脛かじりながら一銭も自宅に入れない自宅通勤四年制大卒が多い中で真に賞賛、瞠目すべき例です。この模範的事例は別としても当社の沖縄県高卒社員には親元に仕送りする例は珍しくありません。

 実はこれらの社員には実業高校出身であること。母子、片親家庭であること。従って、高校進学時から大学進学が無理なこと。さらに、そもそもこうした事情を背負いながらも親御さんも本人も“本土就職志向”の意欲があること。
もう一つ忘れてならない点は進路指導の先生方が当社の長年に亘る県出身高卒者の採用継続をご存知で、“これは”という本土就職志望の高校生を推薦してくれた事情があると思います。
 採用担当者の間では高校生は地方の実業高校生がいいと言う意見があります。これは目的ないモラトリアム人生そのもの様に都会のレジャーランド・4年制大学生より“親を助ける”という目的意識がハッキリしていることです。
“逆境こそ人を育てる”“艱難汝を珠にする”ことを改めて認識させられた事例です。
(写真は2005年宜野湾コンベンションホールで知事とのシンポジウム)
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「組織経験としての入社式」

2007年01月15日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 前回に組織体験で“得るもの、失うもの“を論じたが、忘れてならないもう一つが入社式。最近よく言われるロスト・ゼネレーションにはニートやフリーターが多いという。こうした人は正式に組織に加入したことがないから、必然的に入社式の経験がない。入社式とは何か?

 通過儀式としてのイニシエーションは”洗脳"等のイメージで否定的に評価されることが多いが私は入社式をそうは思わない。
 入社式はわずか数時間とは言え、人が自らの人生のスタートに直面し、ひたむきに心底素直になれる瞬間だ。それも参席する先輩達が等しく祝し、共鳴・共有してくれる瞬間。例えその時の素直な心情がその後の現実の様々な矛盾や不合理に打ち砕かれ、傷付き、やがて“しらけ“が訪れ、辞表を叩き付ける事態になったとしても、あの素直な瞬間は生涯源体験として残る。
 入社式に続く同期同士の数ヶ月の研修が続くとしたらもっと忘れ難い経験になるだろう。あるいは生涯の朋友が出来る可能性もある。
 現に転職を重ねた私でも最初の職場の入社式の状況や当時の社長の言葉や共に研修を受けた同期の記憶は未だに残っている。
 創業以来30回近い入社式に祝辞を述べ、後にその彼らから多くの辞表を受理したが、私は未だに人生のスタートに際し、直向にまっすぐ前を見る若い人達の巣立ちの入社式に立会い、つかの間とは言えその息吹に触れる瞬間が好きだ。

 あの一瞬は云わば人生の通過儀式だが、あの儀式を通過しないフリーターやニートは限りない貴重な体験、組織というものに対する畏敬の念は遂に芽生えず、従って自らも組織構築は出来ないように思えてならない。
 では入社式や組織体験の無い人は全く組織構築が出来ないかというとそうではなく、自らのこうした体験喪失を自覚したその瞬間、それを補う対策、たとえば補佐役やサポーターを確保し、それから援助を受けようと発想すれば課題は大半解決に向かうに違いないのだ。

 (写真は過年の我社の入社記念撮影)



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「沖縄OB懇親会のSurprise!」

2007年01月14日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 1月13日(土)那覇で当社及び子会社メディアの沖縄出身OB・現役社員の交流会並びに会長就任慰労会に出席した。当社関連の250名強の内、沖縄在住OB30名以上が出席。それでも。現役事業所メンバーと県内御付合いの同業来賓を合わせて総勢60名近くが参加、旧交を温めた。OBの懐かしい顔ぶれ!いくつかの共通点はメタボルシンドロ現象!
 
 この日のSurprise!先に当社は関連会社も含めてこれまで30組近い社内婚があったことを述べたが、この宵の懇親会席上でも婚約発表し、参加者一同を驚かした。
20年前の創業8年目、本土顧客の要請を受けて沖縄に女性40人規模の地図入力センターを開設、その節、東京から度々来沖した顧客の担当者Hさんと入力センターリーダーのKさんの婚約発表。
「二人の出会いの場を作ったのはNAS重田」と昨年暮、挨拶に来社、報告を受けた当初、私も冗談かと思ったほど。この懇親会の企画メンバーの一人のKさんと発表を懇親会の目玉の一つにと相談。関係者には申し訳なかったが、この日まで伏せて来た。
 センター開設当初、受発注サイドそれぞれの立場からしばしば対立していた二人を知る参加者達はこの夜の発表を聞いて“えー!!”とどよめき“まさか”とSurprise。
 そのもう一つの理由はお二人とも50歳前、生別れ再婚同士。双方合計6名のお子さんの合意と祝福だから凄い!これを契機に新郎は本土大手企業を勇退、新婦の住む沖縄へ近々移住計画という。一同、改めて沖縄女性と土地の持つ魅力を噛みしめた。会場に何人かいた×1メンバーにも希望と展望を与えたのは間違いない。会長就任祝にと頂いた2花束、この新郎新婦に差上げた。
 おめでとう!Hさん、Kさん!お幸せに!
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「組織経験で得るもの、失うもの」

2007年01月13日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 入社経験4~5年で辞めるのは組織経験が得られないと書いたが組織経験とは一体何だろうか。”すまじきものは宮仕え”という言葉があるように典型的組織仕えは窮屈で、耐え難い要素があるが、組織経験で得るものは次のようなことかと思う。
 まず、第一に“嫌いな人との付き合い方を知る”
会社や組織では学生時代と違い“上司や部下を選べない”否が応でもそうした相性の悪い人との付き合い方を学ぶ。不承不承付き合って見ると存外“人は見かけに拠らない”人間関係の妙を発見する。反対に温厚篤実に見えた“いい人”が内心自尊心の強過ぎる結構難しい人であること等を知る。

 次に“他人の所為を自分の事として謝る経験”
会社に入社して4~5年も経つと部下、後輩も出来る。彼等や時には先輩・上司の犯した誤りを“監督不十分”ないしは組織の代表としてお客さんに謝らなくてはならない時がある。そんな時“あいつの為に何で俺が”という思いを抑え、謝る経験。
 最近はそうでもないが10年前訪ねた北京の百貨店の売子はまず絶対にお客に”申し訳ありません”と謝らなかった。お店の為に自分(個人)が謝るのは屈辱という非組織意識が根底にあったと思う。

 また”打たれ強さを身につける”
変な言い方だが”力理不尽な上司の下で切歯扼腕、悔し涙、歯軋りしつつも耐えるを蓄えること”。最近は”それパワハラではないですか!”と異議申し立て出来る時代だが要するに”打たれ強さ”を身に付けること。よく”苛められ人は苛める”と言われるが、逃れられない組織の呪縛でパワハラに耐えた人は逆に下の人の心情が理解出来、よりより上司としての知恵を身につける。
 
 かって一度も組織の力学を味わわず、上司にも仕えた経験がなく、社会に出て一貫してフリー契約の人や上司に仕えた機会の少なかった組織の一期生等は、いかに技術力や実力があっても傘下のメンバーの心情を理解出来ず、部下を育てられず、従って組織構築も出来ない例は沢山見て来た。

最後に“負け方を知る”
 一と同じく入社して4~5年以上も経つと、自分より遥かに出来る優秀な部下、後輩に出会う。その人とどう接するか。悔しさを押して道を譲り、時に教えを請う潔さを学ばなければならない。

 学校卒業して一度もチームで導入研修等を受けず契約社員やフリター経験で、いわゆる上司仕えの経験がない能力に富む人ほど“謝り下手”“付き合い下手”。たまさか優秀な後輩に会うと“あれはこんな欠点がある”とあら捜し、その長所を相殺し素直に認めない。競い合うということは勝つことと同時に負け方も学ぶこと。その経験が乏しいのだ。
 最近の日本の学校では競い合わせないという。その上に長子や一人子が多く両親に可愛がられるだけで、兄達に苛められた経験が乏しい。ストーカーに共通するのは“明らかに自分が振られている事実を認めず、その原因を他に求める”つまりは“負け下手”との指摘を聞いたことがある。
 組織未経験者に組織構築が絶対に出来ないというのではなく、そういう危うさ、欠点可能性を自覚すればしめたもの。なんとかそれをクリアーする方法を考える筈。

 ただし、組織に属さない強み、組織経験で失うものもあるだろう。例えば豊かな個性や自由な発想、権威に屈しない強さ等々か。

 (写真は2002年・日本大学ビジネススクールでの”創業セミナー”講演)
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朝吼夕嘆

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