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”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

故里“ゆい”島、もう一つの顔!

2011年01月31日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                   

                  (古仁屋港を後に加計呂麻島・瀬相を目指すフェリー船上から)

                                  

              (名瀬から古仁屋へ向かう三太郎トンネル?)

 「奄美ICT振興協議ツアー」で名瀬市に一泊した翌朝10時、帰任の瀬戸内町職員車に便乗依頼、途上随所に先般の大雨災害修復工事跡の残る山道を左右に揺られつつ時間余、古仁屋着。魚屋営む港近い従妹宅で暫し休息。3500円でフェーリ船雇い25分弱で対岸の加計呂麻島の瀬相(せそ)村へ着。運転搬送予約のライトバンで島裏側の故里・須子茂へ15分で到着。料金は2000円。

到着した午後12時過ぎからそ時間で本家従兄宅と親類縁者3宅を訪問、亡き両親の思い出から、共に大連、ハルピン、沖縄と渡航、移住の往時回顧。琉球、薩摩世とまでは言わずとも満州から沖縄、関西、名古屋と移住、翻弄された私の親近世代、奄美同胞共有の運命を改めて思い知りました。

両親の生まれ故里・ここ須子茂の所帯数は私が小学の頃、100近い世帯がありましたが、現在は僅か20世帯、それも半数が70歳を越す高齢の一人暮しで、朝夕の食事も宅配便で暮している。

南の過疎、高齢“ゆい”(助けあい・相互扶助)を標榜するこの奄美の村々、さぞ和気藹々、仲良く暮していると思われるでしょうが、内実は結構相互に嫉み、いがみ合い、陰で非難の応酬暮らし。しかし、よく観るとこの態様言動、善意は無くともそれ程の悪意はなく、他から押し付けられた教養や躾を排した人間の本音、剥き出し、憂さ晴らし、見方によっては狭いでのストレス、解消、安全弁、生甲斐になっているようです。

島々の心情、有り様、実態は外部が賞賛する様なそうそう綺麗事ではありません。それでも島への思慕は変わりません。まあ、親しい故の兄弟喧嘩のようなもの!島んちゅ同士のこの応酬、言わば別バージョン・島歌掛け合いサウンドバックを聞く思い でした。

写真は名瀬から古仁屋までの1時間近い山道ルート、通行に不自由は無いものの未だに残る、車窓から見た先般の豪雨爪跡です。

 

 

 

 

 

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Cocco「ポロメリア」:幻冬舎

2011年01月30日 | 「Weekly 読書感想」

                      

 元沖縄で圧倒的に人気ある歌手アーチスト・Cocco初の書き下し小説。標題「ポロメリア」は花の名前で歌手である著者の曲名でもあるという。

“ドスンッツ”という校舎4階から身投げの音で始まり“バイバイ”で終わる全編、擬音オンパレード、さながらヒップホップ、ラップ調のこの世代ならではの独特の語り筆致自分史と言えます。

幼時に育ったという那覇市・桜坂界隈の詳細な描写には懐かしさを感づる共に、全編に両親、姉、愛犬への思慕と情愛が底辺に流れる。

 中でも沖縄独特の行事・旧盆の清明祭(シーミー)に亀甲墓前に親族が一同に集う中での沖縄演劇界巨匠である一族の重鎮祖父、真喜志康忠への尊敬と賛歌描写は印象的。

 というのは私はかつて、ひょんな縁から現在病に伏す真喜志康忠師匠がご壮健の頃、その愛娘と3人で食事をご一緒したことがあるからです。

 今や伝説の沖縄芝居巨匠の血を引くこの若き特異な鬼才・Coccoの書を読みつつ思うことは建設・実業界の故国場幸太郎と共に演劇・歌謡の沖縄芸術界に多彩な子孫を輩出した真喜志康忠氏は近代モラル価値観を越えた沖縄人材脈源の双璧とも言えます。

         

  (拙書「おきなわ就活塾」(新宿書房)出版パーティを

  報じる08・4月号「オキナワグラフ」表紙を飾るCocco) 

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「再び、島へ!」

2011年01月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         

 国交省の離島振興委託を受けた㈱メッツ研究所の委嘱を受けて、再度奄美大島へ!テーマは「ICT活用による奄美振興ワークショップ」

 私共島外企業経験者4人がオブザーバーとして招かれ、国交省担当者出席の下、龍郷、奄美、大和、宇検、瀬戸内、和泊、知名、伊仙、徳之島、天城、喜界、沖永良部と奄美11市町村から参加した若手、中堅職員と地元産業関係者、官民合計30名近いメンバーが4部会に別れ、休憩を挟み4時間を越える農耕一次特産品に大島紬、観光の3分野の活性、振興についてのSWOT、“兆し”分析手法デスカッション、ゼミナール。

 あたかも若手職員の研修会と思いしや、情熱とビジョンに富む独自のKEY WORDS煌めく各部会の代表者発表には奄美の未来を切り開く熱意と可能性に、逆に当方が学習しました。

これだけの島内若手の俊英参集、惜しむらくはそれぞれの役割と課題、悩みを率直、相互に忌憚なく開陳し合えば、より一層の連帯感や意欲が沸いたのでは!

 オブザーバー参加としての私に課せられたミッションは首都圏でのIT企業創業、30年継続と沖縄からの人材採用、育成、Near Offshore展開の経験からのコメント、アドバイス。同じ南西諸島ながら、全国一の人口増、若年者失業率の沖縄とは全く逆の要素、条件の奄美の今後に沖縄の経験をどう活かすかの難題。とは言え、行政とは違った経験と島外視野に岡目八目、故郷の振興に少しでも役に立てばと前回に続き貴重な機会を頂いたメッツ研究所と国交省並びに、奄美市関係者に感謝です。

 会議後の懇親会では乾杯音頭を拝命しましたが、2次会勧誘は辞退、一人ホテルベッドで横になりつつ、日韓サッカー中継を堪能、爆睡。翌朝の古仁屋、加計呂麻訪問への疲労回復を図りました

      

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「ITA新年総会に出席しました」

2011年01月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                     

              (挨拶する池田会長)

   「重田さん、この頃沖縄、奄美関係ばかりだね」と言われましたが、そうでもありません。

18日、東海クラブでITAInformation Technology Alliance)の新年総会。これはJISA(日本情報サービス産業協会)所属の独立系ソフトハウスの任意団体で、会員には当会三代目の会長を務める池田代表創業の東証一部・㈱アイネットはじめ、上場会社4社を含め14社。当社からは社長以下6人で参加しました。

 この日、代表者会議メンバー他、次世代を担う若手の営業、経営、技術等8部会のメンバー100人を越える参加者の顔ぶれを見つつ、発足時を回顧、感慨を催しました。

 17年前の発足から残っているメンバーは社名変更を伴いつつもわずかに4社。その内、3社の創業者は奇しくも私を含め同年生で、今は3人とも皆会長に退いています。発足後に加入し3社以外の社長のほとんどは後継、2代目になっています。改めて業界の浮沈、企業継続の難しさを噛み締めました。

 また、総会後“エンタープライズシステムと組み込みシステムの間で生じるシステムの“信頼性と使用性”提議して松田浩一IPA(情報処理推進機構)SEC(ソフトウェアエンジニヤリングセンター)所長の講演には業界にいる一人として多くの示唆を受けました。

 当会の特色ももう一つの特色は業界全国最大団体・JISA所属メンバー550社の僅か3%にも満たない小規模組織ながら、懇親パーティには必ず経済産業本省の情報振興課長が出席挨拶し、メンバーと親しく懇親することです。

       (挨拶する東條・経済産業省・情報処理振興課長)

                              

ソフトウェアエンジニアリングエンジ((

((ニアリング

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「浦和稲門・新年会に出席しました」

2011年01月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り

            

 浦和市のパインズホテルで開催された恒例の稲門会の「新年懇談会」に出席しました。稲門会とは早稲田大学卒業の同窓会。

埼玉県内稲門会は大宮、越谷、川越、春日部等ごとに22市町村毎に会があり、全国でも県内最多の部会を抱えているとのこと。因みに沖縄は1支部。

一県内としてかくも部会の多い理由は、埼玉はもともと京浜東北、川越、東武と何事によらず3路線の縦割りの県。高校も川越(女子)、浦和(一女)、春日部(女子)と3名門縦割り。この3路線はさながら3他府県の様相を呈しており、この横断交流は少ない。

この日の出席者は60名とそれ程多くなく、女性は僅かにお二人。ただ、当日欠席ながら奥島元総長も所属、この日は元大蔵大臣や銀行頭取等早々たるメンバーが顧問、会長を占める等いささか敷居も高く、平均70歳を優に超える高齢者が多い。ただゴルフ、旅行、マージャンと部活動は盛んで、そんな中、ペーペーの私は囲碁部会立ち上げの言い出しっぺとして、昨年の活動沈滞に言い訳、シドロモドロの挨拶をしました。

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「関東沖縄IT協議会、新年役員会」

2011年01月20日 | 「美ら島沖縄大使」便り

      

 1月13日、関東沖縄IT協議会の役員会を開催、参加しました。新年、メンバー相互の初顔合わせ!いずれも経営厳しい中、皆さん逆風をしぶとく生き延びるだけでなく、対前期業績回復の会社が数社あるのは驚きでした。

こうしたニュース、意見交換で刺激と勇気を得るのは本会・集いの何よりのメリット!

その他、議題は関東沖縄経営者協会との新年・研修会の共催や講師。さらに平良WUB会長から提案があったという共同イベント開催で、いずれの組織も次世代若手メンバーの台頭で、これまでにない歓迎すべき動きです。

 いかなる組織もその活性化には後継と世代交代が必要です。2次会、3次会でこの課題について有志で腹蔵ない意見交換に時間を忘れ、久々に終電危うく乗り遅れる帰宅となりました。 

           

 

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「同窓・山田ちずこさん、さいたま市議へ再チャレンジ!」

2011年01月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         

 来る4月10日行われる「さいたま市議選」に立候補する「山田ちづこさん」の事務所開きに出席、あろうことか後援会長として挨拶役を拝命しました。選挙に疎く、力量不足の私が何故この大役かというと山田さんとは自宅近隣、高校同窓の上にご主人も大学同窓の縁。

  この日、出席予定の枝野衆議員、折からの官房長就任多忙で秘書が代替出席。清水さいたま市長を筆頭に「憲法9条を守る会埼玉共同代表」や「NPOさいたまスポーツクラブ理事長」に「教育支援協会事務局長」の推薦、激励挨拶。会の最後に出席者一同、沖縄歌謡「花」を斉唱。

  山田さんは旧姓安室で沖縄八重山出身、ご尊父は那覇市では有名な開業医、お兄さんもお医者。

 ご本人は那覇高校から日本女子大に進み、元講談社編集勤務の埼玉出身のご主人!”早稲田とポン女”のぺヤー婚。結婚後、学習塾経営、コーラスサークル他様々地元ボランティア活動をしつつ3児の母親を勤め上げ、還暦間近ながら「さいたま沖縄大好き会」を立ち上げ、前回に続く市議への挑戦、そのパワーとエネルギーにはホトホト感服!

「重田さん、沖縄関係活動もいいけど、そろそろ地域活動もしたら!」と、いつの間にか後援会長に担がれました。沖縄出身初のさいたま市議誕生を目指し、皆さん党派を越えた応援よろしくお願いします。

      

       (清水さいたま市長と共に)

 

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「大島紬装いに感激!」

2011年01月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                     

                 (古勝信次さん撮影)

 116日の日曜、「東京奄美会新年賀詞交歓会」と「関東沖縄関係団体協議会・新春の集い」が重なり、その出席に悩みましたが市長がわざわざ上京の上、来週には“ICT活用、奄美振興検討協議”メンバーとして島へ招聘されていること等から「沖縄団体協議会」には申し訳ないことながら、上野「精養軒」で開催された奄美会へ出席しました。

 出席者は島々毎に30を越す丸テーブルに総勢360人を超す盛況。

予定の12時きっかりにスタート、故郷遥拝に続く会歌斉唱。国会議員に続く上京の名瀬、龍郷、大和、市町村長来賓の挨拶。式典後に続く懇親会では名瀬、瀬戸内本島6市町村に続く離島毎の踊り、歌競演。喜界、徳之島、沖永良部、与論と南島になるに従い、舞踊、音曲は沖縄サウンドに近付く。

 ついつい悪い癖ながら何時もの比較になりますが、カラープログラム、時間遵守は別にして沖縄県人総会では本島、久米島、宮古、八重山、竹富、与那国等の島々それぞれ地元舞踊、音曲を一同に競演するのを見たことはありません。

 いつもながら大勢の出席女性の瀟洒な大島紬装いには強い感興を覚えました。

       

      

 

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「沖縄日帰でクラス会に出席して来ました」

2011年01月15日 | 「美ら島沖縄大使」便り

               

 9日、那覇で開催された高校同期クラス会に日帰りで出席して来ました。

 私達昭和31年那覇高入学1年9組クラスメイトは2~3年に一度、1月9日にクラス会を開催しています。何故、1年のクラス会かというと高校入学時が最も印象に残っていることにもよりますが、08年79歳で逝去された恩師の玉城政光先生を追悼、偲ぶ意味もあります。

 先生は私達9組を担任後米国に留学、帰琉後、琉大で教育工学を講じられ、後に学部長、付属中学校長、沖縄女子短期大学長、ITカレッジ沖縄理事長を歴任、大学に多額の寄付をされるなど貢献をなさ、生前端宝中綬を授賞され、那覇で行われたこの祝賀会には私も参席しました。

 生前先生からITカレッジの卒業式で企業代表として祝辞役を仰せつかったり、那覇で行われた拙書「おきなわ就活塾」(新宿書房)では印象に残る祝辞を頂く等一方ならぬお世話になりました。

  この日、出席者一同、先生並びに逝去した4人の級友に黙祷を捧げました。出席者はクラス3分の1に満たない13名ながら、未だ現役の弁護士、医師に元県警機動隊長、教師、俳人に零細IT企業創業者と多士済々。参加者中5人は配偶者に早世されるなど互いの苦労、苦節往時回顧談。

二次会カラオケ後19時半搭乗した機中、同じ世代ながらメンバー相互間に微妙な評価、批判ニューアンスが残る大学同期の集いに比べ没比較、価値観共有のこの日の集い感触に浸りつつ、気温17度の那覇から零時7度近い埼玉に帰宅、その寒気飛ばす旧交温めた一日でした。            

         

(55年前の同期~この中の9名が上の写真に写っています!)

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「しまぬゆ1」;刊行委員会

2011年01月12日 | 「Weekly 読書感想」
しまぬゆ 1 ―1609年、奄美・琉球侵略
義 富弘
南方新社

“1609年奄美・琉球侵略”というサブタイトルが示すように1609年の“島津の奄美・琉球侵略”400年周年事業の一環として「南方新社」から出版された本書。

 中国正史「漢書」、魏志倭人伝から奈良、平安、鎌倉、室町中世から江戸の近世に及ぶ南島、奄美に触れる多くの文書の記述引用から島津の侵攻に及ぶまで気の遠くなるような多彩な文献検索と究明。何をおいても著者のこの探究心と博覧強記には感嘆。

 膨大な引用記述に圧倒されながらも、私が最も印象に残ったのは、島津の琉球侵攻を誘引した一因に当時の幕府と島津の招聘外交努力に対し、代官記が“蛇名”、中山世鑑が邪名“とまで記した当時の琉球三司官の謝名親方の無策無能振りの記述は私の初めて知ること。

 薩摩の暴虐と被害意識だけでなく、あるいは外交交渉に拠っては避け得た可能性もある当時の琉球王府側の無策振りへの考究、反省はついぞ見たことがない。この視点、指摘は同じ被害者側ながら琉球王府に一定の距離を置く奄美研究者ならではの視点、指摘ではないか。被害者意識だけでなく自らの対応、欠点へのレビューというのは侵略加害日本内の一部にある被侵略側の中国、韓国側に時たま投げ掛ける問いと同じで悩ましい。

 ある韓国史家の吐いた“戸締りが悪いと言って、人の家に土足で這入ることが正当化出来るか”という台詞を思い出します。

 本書のこの部分の指摘は琉球王府被害者史観とまでは言わないが、同じく中国、朝鮮、日本の間で元寇以外に侵略されなかった当時の佐渡藩の外交手練手管を一度比較研究したらと示唆されます。

 それにしても本書は専ら義富弘氏の論稿記述にも拘らず、新里清孝、薗博明、新元博文、森本真一郎、藤井勇夫諸氏の編集となっている意図と構図が本書を読む限りでは分かり難い。

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「富田“新報“社長を囲んでの新年会」

2011年01月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         

 1月6日、琉球新報東京支社で恒例の新年会に招かれ出席しました。

今年は新任の富田社長をお迎えしての激励、歓迎会。富田新社長とは高校、大学も同窓。今回は例年通り、支社長、広告部長はじめ東京詰めの報道一線記者、営業、総務部員他取引先面々の参加。僅か1年勤務ながら毎年OBの一人として招かれ恐縮です。

この日は20年程前の東京支社者勤務時代の若き富田記者と何度か通った日暮里のカウンター居酒屋思い出に“在京県出身経営者”コラム連載シリーズにトップインタビュー取材を受け、掲載紹介されたこと、果ては丸の内・東京ビル総局時代等々往時の思い出に盛り上がりました。

しかし、今年のトッピックス話題は新春から開始される同紙の電子版発行。私のようなパソコン、ipad読者から見ると郵送代2,000円近いコストダウンになりますが、対象は当面、県外者に限定とのこと。新聞社と配達業者は不離一体の関係。とはいえ、WEBNET時代を前に出版業界と共に変容迫られる新聞業界の今後に思いを馳せる一夜となりました。

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役員一同「毘沙門堂初詣」!

2011年01月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り

            

1月4日、合併新会社の本社神楽坂プラザビルでの初新年、仕事始め行事として、社長以下20人近い幹部一同揃って「毘沙門堂」に参詣、新年の祈願と共に決意表明。

四天王の一つ、この「神楽坂毘沙門」は徳川家康の開基と言われ、私共合併三社が引っ越し、一同に入居した軽子坂の本社ビル神楽坂プラザから徒歩5分の距離にあります。引越し以来、毎夕新本社の所在する飯田橋に至るには池袋からメトロ有楽町線、護国寺、江戸川橋、神楽坂といかにも江戸音韻呼称。とは言え、新年スタートの市況、業績はこのような情緒に浸っているほどの余裕はない。

参詣後の幹部新年会は言うに及ばず合併新会社では役員会後のこの種の懇親費は全て参加者の自己負担、割り勘制。これもあれも全て利益計上、株主重視のスタンス。  

自宅を抵当に入れ、借入金個人保証し出資、運転資金確保、持株5割を超える以前の創業会社を30年以上支えた身にとって、”公私一体”は極く自然。  

しかし、創業20年も経つと会社は否が応でも社会的存在としてプライベートからパブリック様相に変わり”公私混同”抑制排除は創業者にとって重要なテーマーになります。これ理屈では知っているもの積年の習慣、現実に遭遇すると傍で想像する以上になかなか大変。

新年、改めて合併に至った事由、経過を厳しく噛締め、課題達成とより一層のお客様要求にお応えすべく邁進する所存です。

                          
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「琉球の恋歌」:福寛美著

2011年01月04日 | 「Weekly 読書感想」
琉球の恋歌―「恩納なべ」と「よしや思鶴」― (新典社新書47)
福 寛美
新典社

 本書は琉球の二大女流歌人と言われる「恩名なべ」と「よしや思鶴」の作品紹介とその時代背景解説書。こう書くと分厚い研究図書をイメージされるでしょうが、実際は100ページ程の新書で文字フオントとも大きく詠み易く、親しみ易い。事実私は本書を通勤車中、吊革に捉まりながら一日で読み終えました。以前にも書きましたがこの親展社新書シリーズは難しい学術テーマーを噛み砕き易しく編集、私のようなビジネスマンでも手が出る快哉を叫びたくなる啓蒙企画!

「恩名なべ」と「よしや思鶴」というと私は中学一年の時、担任の新川先生から習った“恩名岳、あがた里が生まれ島、むりんうしぬきてくがたなさや”と“恨む比謝橋やわぬ渡さともて情ないぬ人のかけておきやら”の圧倒的印象を残してくれた二首だけ。

 奄美加計呂麻の血を引く「おもろ」研究史家の著者福さんは二人の作品と言われる多くの琉歌を引用紹介しつつ、実はこれらの作品は当時の多くの人々が二人に託した時代の歌、憧憬ではないかと説いています。御贈付有難う!福さん!

 

 

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「明けましておめでとうございます」

2011年01月01日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                    

  昨年、当社は創業32年、細々ながらほぼ全期黒字経営を続けて来たとは言え、厳しさを増す景況を見据え、自ら起した会社への思いを断ち切り、グループ傘下3社と大同合併、10年間に亘り慣れ親しんだ五反田から神楽坂の一棟ビルに移転致しました。合併新会社㈱CIJネクストは資本金6億5千万、従業員520名、旧㈱日本アドバンストシステムの沖縄、大阪、東海事業所はそのまま事業所とし存続します。

 共に30年以上、黒字堅実経営を継続して来た3社が合併に踏みった理由は三社が起業、成長して来た派遣、請負受託を主流とするソフト業界では派遣法改定、BRICKSに続くVISTA諸国の新興とOffshoreの進展、特注ソフトに依存しないクラウド、SaaSIaaS普及等に伴う市場縮小と競争激化等の市場外部環境の変化に目を据えた結果です。

 とは言え、旧3社は共にそれぞれ創業30年以上の歴史を持ち、良くも悪くも独自のカルチャーと特色を持ち、そのことが時にはお互いに新鮮さと同時に正直、違和感や抵抗を覚えること時もあります。しかし、技術革新と競争激しいIT業界で共に30年以上継続してき3社はそれぞれの固有顧客と得意分野、独自のカルチャー等の長所を持っており、合併の目的は重複コストの削減に留まらず、これら旧三社保有の長所とコアコンピタンスのシナジー効果の発揮を目指し、より一層の顧客満足度の実現を目指し邁進して行きます。

 これを機に私は取締役を辞任、新会社の社長サポート役としてビジネス界での有終をえたいと思います。

 今後は微力ながら、これまで歩んで来た苦労、挫折経験を次世代後輩と故郷のために貢献できたらと念じています。今後ともよろしくお願い申し上げます。

  新しい年、皆様のご健勝を祈念しつつ、新年のご挨拶とさせていただきます。

               

        

 

 

             

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朝吼夕嘆

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