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”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「オキナワからワセダへ」ファーラム

2008年10月31日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 10月30日、早稲田大学国際会議場で開催された早大資料センター・「琉球・沖縄研究所」共催の標記・講演会に引っ張り出されました。テーマは“大濱総長時代の「沖縄留学生」”
私はいわゆる留学生でもなく、語る程の早大時代を過ごしていないので、当初は固辞していましたが、戦後歴代総長中、最長12年務めた大濱総長辞任・最後の年に在籍・卒業証言者として恐る恐る引き受けました。同席は勝方教授に全国初、女性として新聞編集長を歴任した55年政経卒の由井晶子さんに65年教育卒の元沖縄県立博物館長にして作家・嶋津与志でもある大城将保氏の錚々たる先輩連。
 大濱総長と不可分の県出身日留“国費・自費制度”の時代背景と3人3様の個別経験を語ることから自ずと戦後、本土・沖縄史のある断面を浮き彫りに出来ればと!それがどの程度成功したかは別として、若き研究所後輩メンバー達に何がしの示唆とヒントを与えることが出来たか!会後、何人かの出席者から“質問したかったのに”と言われました。
 それに先立ち、構内の「大濱総長とその時代」の企画展示を詳覧、改めて故総長の足跡と大きな功績を認識しました。研究所の皆さん、いい機会を頂き有難うございました。                         
              
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「リオ、もう一つの思い出」~ブラジル紀行(24)

2008年10月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 私はリオデジャネイロにもう一つの思い出がある。正確にはリオの絵葉書ですが。6歳で満州の大連から小学6年まで奄美大島の古仁屋で過ごし、春夏休み度に祖父母の住む加計呂麻・須子茂で過ごし、タンカー船員だった叔父の形見の貴重な絵葉書集を飽きずに眺め、未だ見ぬ世界に憧れた楽しみました。
 ラジオもテレビもない終戦から五年のあの時代、壮麗絢爛たる南米リオ他の絵葉書は大変な“お宝”で、当時の古仁屋小学校友人の垂涎の的でした。当時外国航路のマドロスは夢のエリート職業で世界を駆け巡ぐり、年に数回しか帰島しないこの伯父は母達・島の娘の憧れの的だったようです。そのため私は商船高校入学試験の通信教育を受けるほどに中学まで船乗りに憧れ続けていました。
 当時、沖縄に出稼ぎ行った父からは仕送りが途絶えがちで、乳飲み子の弟を背負った母は醤油の携帯販売で小学1年の妹と6年生の私達の生活を支えていました。そんな母をみかね、私は“お宝“のこのリオ絵葉書をかねて欲しがっていた素封家のクラスメートに売り、その代金を亡母に渡しました。貴重なお宝を手放す淋しさよりも”助かった“という母の喜ぶ顔も見て嬉しかったのを覚えています。私にとってリオとは何を置いても真っ先に貧しさの中にあの一家で助け合った遠き思い出と今は亡き母の喜ぶ顔でした。
「旅」とはまさに人それぞれのイマジネーション、ファンタジー、デジャビュー、果てはリ・カーネーション、インナートリップですね!
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「卒業半世紀、中学同窓と集う」

2008年10月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
              (仲村オリオンビール社長・中高一期先輩)
 先日の高校同期会と日を接し中学の同窓会があり、本土から徳島大名誉教授・津嘉山君等と共に参加。彼は卒業以来初、実に半世紀振りという。
 私達の卒業した安謝中学は当時の真和志村内、天久、銘苅、住吉、岡野、平野、内間という北端・飛び地のような校区からなる一学年3クラス150名程の小中併設の那覇地区最小の学校だった。私達が卒業した数年後、それまでの小中敷地から分離独立し「安謝・岡野」両地名から安岡中学となり、校区地域の大半は現在の「おもろ街」新都心となっている。
 そうした由来から“幻の安謝中”とも呼ばれるが、それ故に同期に限らず上下の同窓期生とも親しい。在学当時は上之山・那覇等の近隣メジャー中学に劣等感を持っていましたが、卒業半世紀もすると小規模ゆえの親密さと良さとを感じます。
 仲村オリオンビール社長や我那覇元沖縄タイムス編集長も中高時代からよく知っている一期先輩で、久しぶりの逢合、懇親。あちらは地場製造業の雄、等しく語るのは畏れ多いことですが、お互い組織のトップを担う同士、エールを交換、談笑、ストレス解消と共に元気を頂いた一夜でした a href="http://">

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「産業振興公社ご一行来社!」

2008年10月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週、沖縄県産業振興公社の山城貴子産業振興課長以下能塚マネジャー、仲宗根主事、久米㈱BHE社長4人が来社、懇談。振興公社は文字通りベンチャービジネス等のビジネス創業支援が使命の一つ。
 今回は大阪で集客企画事業実績のある久米社長が沖縄県内の若者対象に就職支援の指導・教育ビジネス立上げのフィジビリティースタディの一環としてのご訪問。というのも先に私が上梓した「おきなわ就活塾」を皆さん、読んで頂き、そこに書かれた私の経験談を聞きたいというのが来社の趣旨でした。成功談というより苦労・失敗談がお役に立てばとこの日は懇親・懇談の一夜。
 山城課長、若かりし頃?大田元県知事秘書を務めた後、恵比寿のシンクタンク・総合研究開発機構(NIRA)出向以来10年ぶりの来社。
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「立教大・ブラジル国際会議に感銘!」~ブラジル紀行(23)

2008年10月26日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週25、26日の両日、立教大学で「ブラジル日本人移民100周年の軌跡」の国際会議が開催され、初日午後部を聴講しました。
 これは先のブラジル訪問先でご尊父の組原沖縄大教授からご紹介頂いた御令嬢・立教大学院「比較組織ネットワーク学」研究員の組原慎子さんのご案内。
“国際会議”に相応しく森サンパウロ大教授、本山ブラジル日本移民史料館長、宮尾元サンパウロ人文科学研究所長三氏がブラジルから参加。他に柳下宙子外務省外交資料館員、三田千代子上智大教授に主宰は丸山立教大ラテンアメリカ研究所長。そして基調講演がこれまた先のブラジルでご挨拶した石川琉球大名誉教授。
 発表者は地理学、人類学、歴史学、物理学、外務官僚と多彩なだけに論議は複眼的。ヨーロッパ諸国移民との比較。常民のオーラル・ヒストリー収集の重要性。4世、5世以降の日系存在と移民学の存在意義等々。
 特に石川先生の基調講演はブラジル移民を全国・他府県、歴史的、統計的に俯瞰。私にとって先の「沖縄移民100年祭」で見えなかった視点、諸相が見えて大変興味深かった。討議後の石川先生にご挨拶伺うと“ブラジルでお会いしましたね”と覚えて頂き恐縮。それにしても、およそ池袋のイメージとは別天地の緑豊かな生涯初の立教大キャンパス内景観訪問に感激しました。組原さん、ご紹介、ご案内有り難う御座いました。

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「南米移民の両面」~ブラジル紀行(22)

2008年10月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 沖縄の海外移民を語る時は二つのトーンがある。一つは“いざ行かん、我等が五大州!”というスローガンに表象される海外勇躍性。もう一つは“棄民“と呼ばれ、国策に翻弄され生きる糧を海外に求めざるを得なかった悲劇性と陰の部分。
 今回の移民100周年を伝える県内両紙は前半の勇躍・成功トーンから後半の苦労、悲劇トーンに傾斜して行くのを感じました。
 今回のブラジル訪問で名護、金武、宜野座、南風原と市町村毎の慶祝団には驚きました。戦後琉球政府とUSCAR(米国民政府)は南米移民を奨励しましたが、米軍によって土地接収された地域と移民団の統計的相関を調べることは“棄民”と呼ばれる移民国策の一面を明らかにするのではないか。さらに、今回誰も語らず、書かなかった南米の貧富の差。ある統計によると彼の国は人口のわず1%がGNPの実に50%を所有すると言う世界1の格差。県系移住民その何%ゾーンに位置するか?
 貧富の差は必然的に犯罪も多くなる。結果、県系移住者が犯罪に巻き込まれ、隆々蓄積の資産を根こそぎ収奪された目を負う悪質未解決犯罪事例等の影の部分。お祭り最中に敢えてこうした陰を語るのはどうかと思いますが「宴の後」の口吻と複眼あっても良いのでは。
 反面、勇躍・悲劇いづれの動機であれ、移民によって国境を越えた多元的生活経験や帰属意識が一種の資源・能力を生む。ロバート仲宗根氏が創設したWUBなどはその一つの表象ではないか。移民によって生み出されるこうしたパワーを「越境性」と呼び、考究したのは岡野宣勝氏だった(日本移民学会「移民研究年報13号」2007年)
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「早大就職セミナーを聴講しました」

2008年10月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先日、早稲田大学内の井深記念ホール(18号館)で行われた「IT業界就職セミナー」~現役経営者が語るIT業界~を聴講しました。これは早大キャリアセンターと私も加盟する早大OB・IT経営者組織「情報産業稲門会」の共催。キャリアセンターとIT経営者OBとの共催は初めての試みとのこと。
 パネラーは太田キャノンマーケティング㈱顧問(前アルゴ21社長)・一部上場トップから中堅ベンチャー経営者5名。それぞれの会社紹介、創業経緯からパネルデスカッション。場内参加学生は100名以上。パネラーによるプレゼンテーション全体を蓋うトーンはIT業界の3Kイメージの払拭と説明。後半の質疑応答では時間切れまで学生からの活発な質問があった。
 私達の卒業時に比べ、ここまでするのかと学生に対する手取り足取りの就職指導。少子化時代、学生獲得、大学側生き延び競争の反映か。
 それはともなく、久し振りにウィークディ昼間、大勢の学生に揉まれつつキャンパスを右往左往しました。
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「南米に行った同期生」~ブラジル紀行(21)

2008年10月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週の中学・高校の同窓会に出席した時、沖縄安謝中学2年の時一家で南米に移住した同級の田仲将男君を思い出しました。友人数人で訪ね、家から出て来た彼を路上で囲み、送別激励しましたが、黙って俯いていた彼の姿を覚えています。
 もう一人は戦後一家で南米から一旦沖縄へ引き揚げ、高校卒業後上京し、ブラジル大使館に勤めていた中学・高校同期の金城久子さん。上北沢の私のアパートへ遊びに来たこともある彼女はやがて又ブラジルへ再渡航。以後連絡が取れず、消息が分かりません。金城さんには同じ那覇高校に通う一つ上のお姉さんがいました。
 沖縄南部の真和志村(現那覇市)北の飛び地のような安謝小中学校(現・安岡中)校区の大部分は現在の那覇新都心になりましたが、当時は安謝、住吉、天久、岡野、平野、内間6がありましたが、岡野地区にはなぜか沖縄北部(ヤンバル)からの移住民が多く、田仲君も金城さんもそこの移住民で、前後して共にブラジルに行きました。当時お二人の家族にどんな事情があったのか知る由もありませんが、米軍に土地を強制接収された中北部からの移住ではなかったのか?そういえば住吉地区住民も米軍に銃剣で強制移住させられた南部の小録、垣花地区出身者が大勢いました。
 先般のブラジル訪問で二人の消息を探りましたが手掛りは得られませんでした。時あたかも、先週卒業52年目、沖縄で中学の同窓会が開催され、旧友と旧交暖めている最中二人のその後の消息を廻りに聞きましたが、意外に彼らを覚えている同期生が少なく、二人には無断で申し訳ありませんが、敢えて中学時の写真をアップしました。どなたかお心当たりの方、幼友達の消息お知らせ願えればと願っています!               
                   

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「中学・高校同期同窓会」

2008年10月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 オリンピックの年は同期、同窓会が盛ん。10月、高校同期会と中学同窓会が
週末の連日那覇市で開催され、出席。それぞれに卒業50年以上振りに会うメンバーがおり、お互いを思い出し、確かめつつ来し方、行く末を語り合う。
 中学、高校双方同期はキャリア軌跡の違いからカルチャーも異なり、こちらの対応も自ずからそれぞれ違わざるをえない。今やほぼクラスの一割近い物故者の消息も聞き、しばし呆然。回顧とデジャビュー、目下のテーマを忘却、行きつ戻りつの奇妙な感覚に包まれました
       
        
    (二次会で盛り上る!大津から参加のフラダンス教師。元気を有難う!)
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「会社とは市場という海原を行く小船のようなもの」

2008年10月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 冒頭の言葉は“船内清掃と乗組員訓練も大事だが、台風や大型船舶の接近を絶えず船外(市場・マーケット)を注視していないと、遭難転覆するぞ”ということ。
 会社も30年経つと顧客安定受注に伴い、コミューニケーション、コーチング等と社内訓練や規則・手続き重視の内部管理ウェートが大きくなり、顧客と接触するマーケティング機能軽視に繋がる傾向を戒めたもの。経営管理者は社員、社内意向把握も大事だが、市場、顧客訪問、接触を怠るなということ。
 先週、創業以来の我社の主要顧客の「事業部発足40周」へのお祝い挨拶のため大阪出張しました。かつて、同事業部20周年と30周年には感謝状を戴きましたが今回はごく内輪の懇親会。これは顧客に於ける我社の存在、貢献度の低下というより、同事業部を巡る市場の厳しさの反映と感じました。
 その足で当社も些少ながら協力・出資している沖縄県と内閣府の支援による「沖縄津梁パーク」の中核会社である㈱沖縄ソフトウェアセンターの発足式に臨みながらつらつらと思った事は、大株主が政府金融機関で第三セクター色彩のこの会社、将来に亘って公的天下り機関にならず、いかに民間力を発揮するかが課題と思いました。
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「旅は道ずれ2」~ブラジル紀行⑳

2008年10月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 サンパウロからヒューストンまでの帰路。エコノミークラス7時間。否が応でも両サイド囲まれた一見の外人さんと下手な英語で交流。
話してみると一方はメキシコからブラジルへの留学生。休暇を利用してのアメリカ旅行。英語も私より流暢。きっとメキシコの富裕階級だろう。保有のデジカメで家族の写真を見せられた。私の英語名刺を渡したところ、後日メール送るとの事でしたが未着。ひょっとしてSPAMメール扱いになったのか?
 右はインド系のドイツ製薬会社のディレクター。日本にも何度か来ているとか、資生堂等ご存知でした。まさに世界を股に駆けるビジネスマンを目の辺りにする。戴いた名刺のアドレスに掲載の写真を添付送付した。来日の際はメール連絡送るとのこと。機内3食同伴、エコノミークラスもまんざら悪くない。

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「在京・琉大同窓会に出席しました」

2008年10月13日 | 「美ら島沖縄大使」便り
           (畏れ多いことですが、岩政学長と宮城副学長に挟まれ)
 11日(土曜)神田の日本教育会館で開催された琉球大学関東支部同窓会。
一年で中退した私が同会の顧問を拝命しているのはほぼ毎年のように卒業生を採用、現在20名近いOB在席、来春3人内定等大学には大変お世話になっていること。それと元・日教組書記長で現・中教審委員の渡久山同窓会支部長と宮城重哲事務局長とのご縁!この日参加者は五〇名。沖縄からわざわざ岩政学長、宮城副学長も参加されました。
 医者、弁護士、キャリア国家公務員、教職OB等の大先輩に混ざって、今春首都圏に就職した新卒出席者男女が出席。その積極性と進取マインドを参加者一同賞賛。それに比してとは言いませんが、“折角の休日、なんで会長と”と言わんばかりに当社の琉大卒OB7人は全員欠席にいささか面目無し。とは言え、私は今回も思わぬ巡り合い、機縁を得、改めて“場所には行け、人には会うべし”の信条を確認しました。
 当日の司会に機関紙“芭蕉誌”取材、編集に獅子奮迅の宮城重哲事務局長に改めてご苦労様!
         (この方、モデルかと思いきや医学部卒の女医さんでした!)
            

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「南米ホテル6泊の感想」~ブラジル紀行⑲

2008年10月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今回の10日間の南米旅行、機中三泊。ホテルはサンパウロウ三泊、イグアスとリオに3泊。いずれも4☆、5☆印ホテルの合計6泊。それぞれ超と云わずとも、快適な一流ホテル。ただ、通常日本国内にはあって、このブラジルの3ホテルに無かったのが以下の品々。つまり ①パジャマ、②スリッパー、③時計、④ちり紙、⑤歯ブラシ・剃刀に⑥ウォーシュレット。その代わりご覧の様にすべてのルームにビデが併設されている。スペースと費用から見てウォーシュレットが効率的と思われるが、日本メーカの開発したこの設備品、導入コストや特許等の問題があるのか。
 もう一つ、亜熱帯という気候のためもあるでしょうが五☆ながらいずれもバスがなくシャワーのみ、さらにシャワー・ホースがなく、入浴に難儀しました。これは今年宿泊した上海やベトナムでも共通に見られた現象。
 今回私達が泊まった4・5☆ホテルでは見られ無かったのですが、彼の国では使用済みのチリ紙は便器に流すのではなく、便器外に設置された器に捨てる例があるとのこと。そうした習慣を持つ彼の国の人が日本に滞在した際、チリ紙を便器外に捨てることがあるという。尾篭な話で恐縮ですが、排水施設等それぞれの国の事情によってマナーも異なるということ。
 いつもの通りパソコン持参、成田でMopera国際ローミング契約し、毎日アクセス、発信を試みたが、一部を除き上手く行かなかった。インターネットは3ホテルとも導入整備済み、部屋はワイヤレスになっているが、使用マニュアルがポルトガル語のみで利用に往生、発信アップは帰国後になりました。            
            
             (ビデは併設されているのにウオーシュレットはない)
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 早稲田大学沖縄講座「琉球空手の解説と演武」

2008年10月10日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 10月10日、早稲田大学・小野記念講堂で琉球・沖縄研究所(勝方=稲福恵子所長)主催の「沖縄学講座」の一環として宮城毅・小林流、新垣広富・上地流、八木明人・国際明武館剛柔流三派による「琉球空手の解説と演武」の公開講座に出席。
 空手・武闘には縁のない私ですが、八木師範のご尊父・明達師範が高校の後輩で、数年前、母校の現役生徒に対するOBセミナーで共に講師を務めた。その縁で明達師範が上地哲さんと一緒に立ち上げたWEB・NETによる空手教室・㈱国際空手道場へ出資した仲。その縁で先の「おきなわ就活塾」出版記念パーティに出席頂いた。
 講座前半は上地流・金城孝栄四段による流派系図をプロジェクタ表示しつつ、7世紀に遡る空手起源の歴史から発達史の解説。後半は三流派のお弟子さんによる解説付きの演武を堪能。大学内・講壇でのこうした空手の歴史解説・講義と演武は初めてではないか。出席の学生200名を越えるか。講演後の質疑応答、時間オーバーするほど活発でした。
 それにしても空手実演武を楽しみながら単位が取得できるとは、学生も幸せなもの!
            

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 「内定者懇談会を実施しました。」

2008年10月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週、来春入社予定の第一回内定者懇談会を開催しました。遠隔の沖縄地方内定者とはテレビ会議による開催でした。
今期当社への応募者は160名強の中から内定者は16名でしたが、例年に無い高い4名の辞退がありましたが、現時点の入社承諾12名が決まっています。内訳は専門学校卒1名に理系8、文系4名の大卒11名。女性社員の採用枠を増やして欲しいという社員の声に応えて、今年は内定者の半分が女性。今年のもう一つの特色は女性内定者に一人の中国国籍がいること。この後、高校生の採用活動解禁に伴い、これはという応募者がいたら追加高卒採用も検討します。
 今年後半は厳しい景気局面にも関らず、IT業界の採用戦線はどこでも厳しく、採用活動は苦戦しました。
 とは言うものの、基本情報技術等の資格取得者3名を含むこの日の参加12名はいずれも、意欲的な自己アッピール、当社の将来を担う逸材と先輩からも活躍を嘱望されていました。
 入社後は“こんな筈ではなかった”等々の試練、壁に突き当たることもあると思いますがそれを乗り越えることこそが社会人になるということ!頑張って欲しいと思います!
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朝吼夕嘆

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