”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「沖縄の離島45」~島のめぐみの食べ歩き~

2010年05月30日 | 「Weekly 読書感想」
沖縄の離島45 島のめぐみの食べある記 (ORANGE PAGE BOOKS)
伊藤 麻由子
オレンジページ

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 沖縄県内有人45諸島を全てを訪ねた人は少ないと思うけど、その島々の特産料理を味わい、且つその島々の料理人と語らい、自ら撮影したその写真を全ページに満載、記述したのは恐らく本書が初めてではないか。
 この作業は恐らく県外、稀人(招人)の好奇心だからこそ出来る作業。県内に住む人はとてもこのような気力と好奇心は湧かないのでは?
 旧知の著者から贈られた私も正直、本書をパラパラ捲り、所々目を通すものの読み通すエネルギーはない。これは20代の頃からニューギニア、ケニア、パラオと世界の孤島をカメラ片手に回り続け、沖縄県内諸島廻りとそのルポ記述を地元トップ企業の沖縄電力に提案した企画力と行動力持ち主の著者ならではの作品。
 麻由子節とも言える独特の語りと文調!実は著者の伊藤さんとは10年以上前に東京で紹介された知友、沖縄病昂じて、遂に沖縄移住、島ンチュ・パートナーを見付け永住のパターンのお一人!沖縄料理を味わうだけでなく、県内に移住、料理を自ら習い、主婦、子育てしつつ、最近は放送作家としてテレビドキュメンタリー番組にも登場する八面六臂の行動力にはホトホト感嘆!
 
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仲本潤英「沖縄新老人の会長」表敬見舞い

2010年05月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 沖縄出張の合間を縫って、日野原重明理事長発案の「新老人の会・沖縄」を立ち上げた仲本潤英先輩を”おもろ町”の介護先の病院に訪問。病院と言っても特に疾病がある訳ではなく、私の顔を見るなり“おう!重田さん”と相変わらずの健壮振り!
 先輩を訪ねる毎に驚くことは、最近「えー、何だったけ??」と友人や社員の名を思い出さない自分と比較して常に人の名前“日野原重明理事長、「新老人の会」等々の名称を“言いよどむこと無く次々、すらすら口に出る記憶の明晰さ。それだけではなく、拙書「おきなわ就活塾」(新宿書房)の出版パーティや講演会等のイベントにも一人でタクシーを呼び、積極的に駆けつける旺盛な好奇心と行動力。この先輩を見ていると“健やかに長寿を全うする”には如何に生きるかを教えられます。
 因みに仲本潤英先輩は日野原重明氏と同年、今年98歳になられる。
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第74回「東京那覇会」へ参加しました。

2010年05月25日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  
 「東京那覇会」(外間守善会長)は在京の旧首里、小録、真和志、那覇等出身者の集まりですが、74回と聞くと相当の歴史を感じますが、山路副会長によると以前は年2回の開催だったのこと。外間会長は高齢、体調もありこの日は欠席でした。
 この会も他同様、会員の高齢化と参加者の減少が悩みですが、これは日本全体の人口減少、高齢化の波及で止むを得ないか。
 以前にも書きましたがこの会の参加者は旧制中学OBや「ひめゆり同窓」メンバー等の高齢メンバーが目立ちますが、それだけに単なる回顧談義や懇親交流以外にこの会ならではの歴史エピソードや先学知を学びます。
 今回も50名弱の参加ながら、30分以上の沖縄戦証言「1フィート戦争体験」ビデオ鑑賞や会員の書籍著述紹介、ガマフィヤー(嶽堀屋)談、辺野古基地移転問題へのアッピール発言等カレントなムービメントと同時にある種啓発、文化サークルの趣を感じます。
 何より、90歳近い先輩達それぞれの“語り”と矍鑠参加マインドに迫り来る“自分の老い”への対峙スタンスを学びます。
                 
        (昔の那覇を記憶鮮やかに語る90才の長老会員)

  
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「琉球ルーツ異業人種交流!」

2010年05月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 元日経新聞編集員で「日経コンピューター」「日経パソコン」等の編集、立ち上げに係り、80年代日本のIT黎明期の担い手で、現MM総研社長や全国ソフトウェア協同組合連合会会長を務めるIT編集業界重鎮の中島洋さん。最近は内閣府の沖縄IT津梁パーク構想検討委員会座長を務め、「美ら島沖縄大使」に就任する等沖縄との関わりが増えて来ました。それというのもご母堂が琉球王朝・伊江家の血統を継ぐ家柄出自からか。
 方やNHKで一世を風靡した「ちゅらさん」で沖縄居酒屋「ゆがふ」の店長役と出演者に沖縄方言を指導担当で一躍有名になったマルチタレントの藤木勇人さん。沖縄のコザ市生まれで生粋の沖縄人ですが、ご両親は私と同じ奄美出身であることは余り知られていません。 芸能界で沖縄出身を標榜し、活躍しているタレントの中に実は奄美ルーツが結構います。
とは言え元々は同じ琉球。やれ沖縄!やれ奄美!と区別、詮索する私の心情がおかしいか!
 それはともかく、琉球ルーツの異業人種3人が寄り合った五月の新橋一夜風景でした。
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「沖縄県内顧客“感謝の会”への出席

2010年05月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  当社沖縄事業所は25年前の開設以来、その売上の7割近くは県外顧客からの受注による遠隔開発、今で言う所謂Near shore開発でしたが、近年徐々に県内顧客シェアも増えて来ました。
 その中でも県内を代表する有力金融機関の「大同火災海上保険社」様から小規模ながらシステム開発、サポートを発注頂いて来ましたが、この度同社の取引先パートナー5社と共に「感謝の会」への出席案内頂き照屋社長直々の御挨拶で感謝状を頂きました。その上に懇親会での挨拶役を拝命頂き恐縮致しました。
 これは先の新会社社長共と合併報告と取引継続の表敬訪問の結果かと思いましたが、何より当該プロジェクト従事の弊社社員のこれまでの頑張と今後への評価、期待を頂いたものと思います。
 合併新会社として今後とも沖縄県内ICT促進貢献への使命と決意を新たに致しました。      
          
           (島田部長を囲んで、参加メンバー)
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「花井前琉大教授による早大「沖縄学」聴講。

2010年05月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  先週、県内顧客主催の「感謝の会」、「沖国大産学連携発足式」「沖縄協会評議員会」と沖縄県内で参加行事が連続、最終金曜には会場ホテルから那覇空港へ直行、羽田から「沖縄学」講座出席のため早稲田大学へ。
 この日の講師は花井前琉球大学・観光産業科学科教授。花井前教授は学生時代から猪や西表山猫等沖縄の動植物の研究を続け、文化庁に入庁、4年前、琉大観光産業科学化発足と同時に琉大教授に就任された。実は奥様が「沖縄女性の元会長」で高校の後輩というご縁。
この日のテーマは「沖縄の自然と観光」~地球環境時代にあった地域作りツールとしての観光~。“短滞在、リピート、フリースケジュール等沖縄観光の特色、“東洋のガラパゴス”島嶼・沖縄の持つ固有生物の特色と絶滅可能性を指摘。対処策としてのエコ、サステナブル、ニューツーリズム等の概念と意義を述べられた。
 聴講後花井講師を囲む慰労会食、帰宅は11過ぎ、繁忙の週末、3日振りの自宅ベッドへ倒れ込み爆睡、快適!
 先週はスケジュール錯綜、東京では「WUB東京」総会開催が重なり出席断念。今日は午後から浦和稲門会、明日は東京那覇会。   
          
       (久々の早大キャンパス・8号館から大隈銅像を望む)

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「琉球大学長表敬訪問」

2010年05月20日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 連休の合間を縫って先週、琉球大学を訪問し合併新会社の沖縄に於ける事業展開並びに人材採用の継続方針説明御挨拶かたがた「大学創設60周年」お祝いに些少の寸志を申し出たところ、恐縮なことに、学長室に通され、岩政学長と宮城副学長に挟まれ御覧のような記念写真撮影の栄に浴しました。
 実はこの寄付資金、拙書「おきなわ就活塾」(新宿書房)の印税一部。それというのも書中、琉大卒業生の採用、就業状況を一部紹介、那覇で行われた出版パーティーでは当時の就職センター長の島袋教授や屋良秀夫名誉教授等から祝辞挨拶を頂いたお返しと御礼の趣旨でした。
 また例年、人材採用と就職センター主催の夏季集中講義「県外企業入門」の講師の任を仰せつかっているお付合いへのお返しの意味もありました。
 
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「廣瀬沖国大教授、仲宗根課長ようこそ!」

2010年05月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 この度、沖縄国際大学の廣瀬牧人産業情報学部教授(農学博士)と仲宗根仁史経営政策室課長が来社されました。
 廣瀬教授は北海道出身ながらマンゴー等沖縄産の農産物のブランド確立やICタグ活用によるユビキタス社会、地域振興を研究をされています。学究研究者にありがちな講壇、研究室に止まらず、その人柄は気さくで、広く学外との豊富な人材交流による研究スタンスを感じます。
 もともとは上地哲㈱デジタルアジマー社長の紹介の縁で、爾来私は毎年のように産業情報学部学生向けの「e-business論」講師を拝命、その縁もあり“沖縄国際大学非常勤職員”の辞令も頂き恐縮しています。昨年は全国商工連合会主催の農商工連携人材等育成事業の一環として“人つくり、仕事つくり”テーマーで上地社長と共に公開講座の講師も務めさして頂きました。
 廣瀬教授はつい先日、沖国大学常務理事に昇任されましたが、その所為か以前に比べ随分とスリムになられているのにはビックリしました。
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「ジジーの冷や水!10キロマラソン」

2010年05月16日 | 「マラソン挑戦」
“古希にフルマラソン完走“は52歳でマラソンを始めて以来の宿願でしたが膝故障には勝てず夢挫折、無念。でも静岡、三重、沖縄と出張スケジュール過密な連休最中の5日「第22回・春日部大凧マラソン」を走り“まあ、いいか!”
 市町村合併以前は「庄和大凧マラソン」名で親しみました。五月の風薫る荒川土手をグライダー飛翔眺めつつ走るこのレースは私の大好きなコース。平成5年以来延べ15回出場、那覇マラソンと並び最多出場の我が愛顧のレース。私が初出場した第5、6回までは20キロレースでしたが、それ以降はハーフ大会になる。これまで私は全てハーフ部門にエントリーしていましたが、障害膝をカバーしつつ今回は先の「熊谷桜」に続き10キロ部門へ出場。結果はタイム1時間27分、さほどの実感は無かったものの先々月の熊谷桜マラソンより10分以上遅いとは!それでも60歳以上部門参加者500名中の446位。まあ、こんなものか。
 ゴール後の疲労感と膝の後遺症が心配はあるもののそれを越える達成感、マラソン?はやっぱり良い!今後とも膝と相談しつつ10キロレースにはほどほど付き合いたい。
                        
            
 
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「時代は次世代へ!」

2010年05月13日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 
        (玉城TLO社長と故照屋輝一君の遺児潤二朗君)
 会社合併説明で、当社出資先である琉大、沖縄県、総合事務所、地元企業からなる㈱沖縄TLOを訪れ、驚きました。
「産学官連携ネットワーク形成事業」を担うTLOは全国に存在しますが、沖縄TLOのスタートを担ったのは各方面の要請を請けた高校同期の照屋輝一君だった。九大大学院から沖縄県工業技術センターに就職、所長に登り詰め、“化学バカ”を自称する彼は20名近い高校同期博士の中で最も早い学位取得者だったのでは。
 現在当社沖縄事業所が入居するTTCに最初に入居したのも、そもそも初代TTC研究開発部長だった彼による再三の入居勧誘依頼が切っ掛けでした。時はまさにバブル崩壊の真つ只中、施設オープン時の入居テナントは当社だけでした。
 後に彼が沖縄TLOの社長就任の時はたまたま私の社長辞任時と重なり「私が不慣れな社長職を引き受け、止む無く挑戦するこの時期に君は辞めるのか」と嘆かれたのを覚えています。高校同期の奥さんと一緒に食事した思い出もあります。何時もより遅い帰宅をいぶかり自宅近い職場に訪ねたその奥さんが、デスクで倒れていた彼の姿を見つけた時の衝撃は如何ほどだったか、思い出す度に今なお胸が痛みます。
 殉職とも言える彼の49日、ご自宅にお参りし、奥さんと在りし日を語り合う中に、御子息が東京の機関で化学を研究中と伺い、やはり「蛙の子は蛙」と思ったものです。
 先日、琉大構内の㈱沖縄TLOに旧知の玉城理社長を訪ねた際、その照屋君の遺児・潤二朗君が企画部門を担う次期役員候補として期待され、同社を担う逸材として周りの輿望を一身に背負っていると聞きました。その相貌が御両親にそっくり、生き写しに驚きました。天国の輝一君、さぞ“我が事なれり”と満悦していることだろうの思いました。改めて故輝一君お御冥福とご子息の健闘を祈念すると共に、時代は確実に次世代へ継承されつつあるのを感じたこの日の訪問でした。
          
          (在りし日の父君・照屋輝一君と!)

 
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「合併新会社挨拶の沖縄訪問!」

2010年05月10日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  先々週の連休最中の静岡、三重に次いで先週は、合併新会社社長就任予定の中野CIJ会長を同行案内、沖縄に行って来ました。
 沖縄では県内有力顧客や当社の出資先県内企業や県庁を訪問、新会社の沖縄での事業展開と人材採用継続をご説明し、ご理解を得ることが出来ました。県庁では基地問題で繁忙な知事にはお会い出来ませんでしたが安里・上原両副知事と勝目商工労働部長には御挨拶出来ました。
 これらの対外挨拶の後、事業所ではメンバーに対し改めて合併背景と理由を説明、所長及び担当マネジャーからはそれぞれの業務内容と特色を発表して貰い、場所を変えた懇親会場では、メンバー全員の自己紹介と質疑応答を行いました。
 先々週の東海事業所―メンバーとのface to face、率直な交流、懇談を通し、新社長には当社の現場の空気やカルチャーを理解していただく一方、社員にも合併新会社TOPの人柄や考えをある程度理解出来、合併に伴う社員の懸念や心配を軽減することが出来ました。 
 連休最中のこうした内外向けのハードスケジュール地方行脚の結果、新会社スタートへ向け今後の発展に大変有意義だったと思います。引き続き、皆様のご支援、ご鞭撻の程よろしくお願いします。    (説明会後の社員との懇親風景)      
              


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「南大東とロシアを語る」

2010年05月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 沖縄から東南へ400キロに浮ぶ南大東島は、昔から沖縄ではウフアガリ島と呼ばれていたとのこと。その謂はウフ=大、アガリ=東から来ている。しかし、絶壁難焦に囲まれたこの島にはなかなか上陸出来ず、移住も少なかったらしい。

 1820年(文政3年)、艦船ボロジ丸に乗船したロシア海軍佐官ポナフィディンがこの島を発見?し、「サウスボロジノ島」として命名し、英国海軍の海図や欧米の地図に登場したという。爾来、南大東内では“ボロジノ”の命名が種々使われているという。
49歳で夭折したオペラ演出家の私の幼馴染・粟国安彦は本島安謝出身だが、御尊父が製糖工場建設の出稼ぎで大東に渡り、この島で出生、幼時を過ごしたこの故郷の思い出をよく語っていた。そのため、私にとって南大東は粟国安彦を切り離しては語れない。
 私はまだ訪れたことはありませんが、この島は八丈島から製糖工場建設のため渡航移住した人々が多く、島の習慣、カルチャはヤマト風が濃く残っていると聞きます。
 埼玉出身ながら沖縄に惹かれ、移住、フリーアナウンサーや司会、南大東島観光大使として活躍している吉沢直美さん、この度ロシア研究家の木村教授の案内でロシアに行かれた。 沖縄移住前、東京以来のお付合の縁、先般沖縄で開催された拙書「おきなわ就活塾」出版パティー二部の司会をお引き受け頂いた。この日はその時の発起人代表と友人代表の上地哲さんに仲松健夫さんとお世話になった御3方に、その後の本の販売状況を説明、お礼の宴でした。






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「絢爛豪華な蘭に仰天、感謝!」

2010年05月06日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  同期より一足早い古希を迎えた先月、沖縄から空輸で絢爛豪華な蘭鉢植えが届きました。どこかの居酒屋ママさんかと送り元を確かめ驚きました。それは高校同期の浦崎君の紹介で20年前にお会いした㈱ひかり商事の儀間社長!
 驚き、返礼の電話を差し上げたところ、彼は私との初対面以来、先の社長退任から今回のマクロな業界の先行き状況を前に、創業者としての想いを断ち切り、合併決断した事業承継の節目節目を地元新聞報道等で追い、その勇断に慰労と祝いの意を含め、贈呈したとのこと。多少、褒め過ぎの感有り、照れましたが創業者同士でなければ分からない、決断の苦悩と哀切が伝わって来たといいます。
 彼とは高校が違うものの同期“肝胆相照らす”とはこの事かと改めて思いました。儀間君、浦崎君御配慮、お気遣い改めて有り難う御座いました。
 先日、合併説明、挨拶で訪沖の一夕、儀間君を紹介頂いた浦崎君と県庁勤務の友人を招き4人で会食、懇談したら、何とこの日参加の4人が4人とも偶然誕生4月!自賛自祝のバースディパーティでした。             
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「稲村公望氏倒れる!」

2010年05月05日 | 「美ら島沖縄大使」便り

             (昨年、居酒屋で懇親!)
 5月3日、御本人からの回復メールでビックリ、安心!
すでに御存知の方もいると思いますが、元総務省政策統括官で中央大学大学院客員教授の稲村氏、3月31日未明、帰宅直後に倒れ脈・血圧停止、救命救急センターに搬送され、3度の手術を受け4月一杯入院治療の結果、一昨日回復退院、自宅で療養中とのメールを頂き、ホッとしました。
 氏は奄美・徳之島の特定郵便局宿舎で出生、ラサールから東大、旧郵政省へ。沖縄郵政事務所長時代、自ら任期延長願い出て、当時飛ぶ鳥落とす郵政族の雄であった野中広務議員と連携、渋るNTTを説得、沖縄にコールセンターを誘致成功、今日の沖縄コールセンターブームの先駆。その意味で沖縄県は氏に大恩があります。日本郵政公社常務理事だった2005年、小泉内閣の郵政民営化人事を拒否、郵政民営化反対の立場から09年8月、衆議院選挙に国民新党公認で比例区東海ブロックから立候補、落選。
 難解、飛躍、軽快な筆致と国会、衆愚、マスコミに阿ねない昂然スタンス。“英雄色を好む”“酒池肉林”と思いきや、驚いたことに沖縄赴任中、那覇の色街「松山」に一度も踏み込まなかったばかりか、接待受理を潔しとせず、酒席はすべて自前、割り勘を貫いたパフォーマンス美学!私は2,000年、東京で主宰した「WUB世界大会」でのパネリストや関東沖縄経営者協会ゲストスピーカー等大変お世話になりました。一日も早い全快、復帰を祈ります。 それにしても氏を生んだ徳之島。徳州会の徳田虎雄はじめ、初代横綱朝潮、遠くは伝説の柔道家、徳三宝に山口組NO2、身近ではITベンチャー㈱の日本企画の利会長や額縁商の雪山さんと多士済々、この広範囲な人材輩出の所以は何処にあるのか!この南島の「スットグレ」(何糞!)スピリットに改めて感嘆!



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「三重県・鈴鹿市へ」

2010年05月04日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 
 静岡県三島事業所に続き、三重県・鈴鹿の富士電機鈴鹿工場を訪問、同社の経営企画本部・IT戦略・推進担当部長様に今回の合併を御報告、引き続きの取引を御願いして来ました。
 同工場とはかれこれ20年近いお付合。この間、当社の従事メンバーは10名内外と変動していますが、特徴は一人を除いて他は全て県外出身でアパート暮らし。中でもその半数は沖縄県出身でその殆どが琉球大学工学部出身。この不況の最中でもスキルと執務状況を評価頂き、継続発注頂いています。
 お客担当部長への挨拶後に向ったメンバーとの懇親会場へ着いて驚きました。
それと言うのも、日頃は作業服のメンバー全員がこの日はスーツにネクタイの正装、しかも我々二人を起立して迎えたことです。自分が育てた社員とはいえ、これは現場のリーダーの意向とそれに賛意したメンバーのコンセンサスの結果。
 創業以来営々育んで来た我社のカルチャー・デモスレーションの様で一瞬誇らしさと気恥ずかしさが交差しました。
 この宵8時過ぎまで工場最寄駅の白子駅近くの個室レストランでの懇親、歓談後近鉄で名古屋へ向い新幹線乗り換え、12時近くの自宅着、疲労の中にも達成感に浸りました。
              
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朝吼夕嘆

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