”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「30キロレースの完歩!」

2019年04月08日 | 「マラソン挑戦」

  3月30日の土曜、第7回目「さいたマーチ」ウオーク大会に参加しました。これは、さいたま新都心、大宮公園沿の「見沼田んぼ・芝川沿」を5キロ、10キロ、20キロ、30キロ」歩く4コース。私は30キロコースにチャレンジ、肌寒い8時半にスタートし,3時半に何とか7時間でゴールしましたが、棒の様にバチバチ硬直した足を引きづりつつ5時に帰宅、バタンキュ!でした。この日の大会参加者は3000人を超したようですが、30キロコースは200名前後か。私がゴールした前後には数人のウオーカしか見えませんでした。
 かつて、フルマラソン10回以上完走の経験がありますが、30キロの徒歩にこれ程バテバテではフルマラソンは無理かと我と我が身の老いを感じました。

         

 

 

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「手術1年後のマラソン挑戦!」

2015年01月12日 | 「マラソン挑戦」

                                                              
                  (安里三叉路過ぎた地点~宮城光枝さん撮影)              (中間・平和記念堂直前の16キロ・東風平交差点で
                                                                                                         ~高宮城邦子さん撮影) 

 昨年暮れの癌手術直前にもナハマラソンにエントリーしており、医師に「12月第1日曜のマラソンが終わっってからの入院手術は可能ですか」と打診し、“手遅れになる恐れありますよ!”と同伴の女房に呆れられた思い出?があります。

 3カ月の入院手術、一年近い抗癌化学治療の最中、怖々ジョギング練習を続けた報告をしましたが、第30回記念の今年のナハマラソン、出場常連の中野㈱CIJネクスト会長の応援を兼ねて、私もエントリーしました。応募者多く競争の多いこのレース、第1回の抽選には漏れたものの、2回目の補欠選で運良く当選。

 お世話になった沖縄タイムス社員や県庁職員等県内知人に大会前夜の決起?会食の声を掛けたところ“え!重田さん、本当に走るの!”とこれまた呆れられました。本音のところ10キロが目標でしたが、本番レースでは制限時間ギリギリながら中間21キロまで殆ど歩かずに走り?切ることが出来ました。
 中間以降も走る余力を感じ、10回目のナハマラソン完走メダルが過りましたが、ストマー(人工肛門袋)を抱えての40キロ走、無理しないように医師からも言われていたので中間の「平和祈念堂」で断念、序に先月お訪ねした祈念堂事務所に挨拶の顔を出し“え!マラソンですか!と“職員に言われました。

 ビックリしたのは中間直前の東風平路上で“重田さんー!”と呼ばれ、顔を上げるとなんと前夜の激励会食参加の県庁の高宮城邦子さんが職場の上司と応援されている。上記の写真はこの時、撮影されたもの。これ以外にも安里三叉路を過ぎた所で“シゲタさん!シゲタさん!と呼ばれこれ又見ると「こぺんぎん」食堂経営の宮城光枝さん!期せずして、多くの知人が声を掛けてくれるレース、ナハマラソンならではの魅力を改めて感じました。
                
                       
                         (中野会長と大会前夜の激励会開催に感謝!)

 

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「第27回ナハ・マラソン」~10キロ地点で収容バスに拾われる(´Δ`;)

2011年12月13日 | 「マラソン挑戦」

                             

               (5キロ最後尾を競い合う(^○^))

 60半ばながらフルマラソンを4時間前半で走るマラソン・マニアの当社社長お供の4回目のナハ・マラソン。私は27回中14回の出場、内9回は何とか制限時間6時間内でしたが、膝故障から最近は前半でダウン。昨年は無理して15キロまで走り、膝を悪化させ、ヒロリアンサン注射、水抜治療通院の始末。今回もドクターストップを受け、両膝に安全サポート装備の上、スタートから2キロ弱の安里三叉路迄を目指す。ところが何時もの悪い癖で、周囲に煽られ、膝痛を懸念しながら5キロ「爬龍橋」まで走り、何とRBC(琉球放送)のカメラ取材スッタフに捕まり、”何度目ですか?膝大丈夫ですか?等々のインタビューを受けたが、残念ながら誰からも”テレビ見たよ!”の連絡無いものの沿道、応援の高校女性先輩による出場証拠記念撮影頂く。

以後10キロ地点で落伍者収容バスに拾われるまで走歩の繰り返し!昨年同様最終ラン?収容バスに拾われたのはこれまでの20回近いフルマラソン出場で2回目。

スタート間もない国際通りでは、恐縮ながら沿道支援の翁長市長、豊平タイム、白石RBC社長に島尻、糸数、下地3国会議員等の錚々たる応援者に当方から必死に声を掛け、エールを頂く。

 懸念した膝後遺症、案の定、高齢反応通り、翌日、翌々日よりも3,4日と日を追う毎に症状悪化、駅階段降りる度に左脚前筋ズキンズキンと悲鳴挙げたものの、10日後の昨今ようやく軽減、ホッとする。

  山の神に痛みを訴えたら”毎年、性懲りもせず、自業自得”そら見たことか!と一瞥冷言!(´Δ`;)

                                 

                     (スタート間もない地点)

 

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「連休・春日部大凧マラソン」

2011年05月12日 | 「マラソン挑戦」

         

 ゴールデンウイークは終わりましたがここ10年以上5月連休には必ず「春日部大凧ハーフマラソン」に出場していました。タイムはほとんど2時間後半台で、参加2千名中1800番と言う体たらくですが、五月の薫風を浴びつつ、埼玉・千葉県境を流れる江戸川上流の堤防を時折飛ぶグライダーを眺めつつ走るこのコースは私の最も好きなレースの一つでした。

 

 もともと、このコースは「庄和大凧マラソン」と称していましたが、春日部との合併により、名称が現在に変わりましたが、大会そのものが継承されて良かったと思います。

30年以前に初めてマラソンに挑戦したのは、スタート地点が自宅から徒歩10分の“第一回与野大かやマラソン”は閉会式会場にゴールするシンガリレースを忘れることが出来ません。その後何度か愛好参加した思い出のこのレースが埼玉、大宮との三市合併で無くなったのはなんとも言われぬ寂しさを味わったものです。

その意味からも名称が”春日部大凧マラソン“に変わったとは言え、存続しているのは嬉しい限りです。

 

昨年暮れのナハマラソンで痛めた膝半月版損傷のため正直階段の昇り降りにも痛痒を感ずる程、悪化していましたが、ままよと今年も10回目?のエントリーしていましたが、何と東北震災の余波で大会中止とプログラムと参加賞が送られてきました。いずれにしろ、出場しても恐らく1キロ試走難しい膝障害で、いつかまた走れるようにと整形外科と接骨医に通っていますが(´Δ`;)上記写真は数年前のゴールショットです。

             

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「第26回ナハマラソン!10キロでリタイヤ!」

2010年12月07日 | 「マラソン挑戦」

            

            (フリーアナウンサー吉澤さん撮影)

金曜日の激励会を受けて125日,生涯1度目のナハマラソンに挑戦?昨年の35千人から25千人に制限した今年の大会。それでも最後尾の私がスタート地点に達したのは先頭がとっくに安里三叉路を通過している920分過ぎ。スタート点の大会本部座席や最寄の歩道橋上には知人、友人鈴なり!スタート間もない泉崎歩道橋に差し掛かると”シゲタさーん”の声!見上げると何と私を含んだ4人の名前を書いたガンバレの垂れ幕!手を挙げ応える。

5キロ過ぎ沿道応援の級友にバッタリ、いつもながらこれこそ他に無いナハマラソンの醍醐味。それでも出場の私に比例し、激励支援の顔ぶれも年々高齢化!失礼、こんなこと書くと来年から声援者0になるか(^-^*)

左脚から右足に移転した膝疼痛を我慢しつつ目標の10キロ地点に到達したのはスタート1時間半後の11時前。エントリー仲間はすでに中間地点通過ですが私は支援友人達の忠告通り?ここでリタイヤー待ちのタクシーを拾いゴールの奥武山グランドに逆戻り。すでに3時間台のランナーが続々ゴール中。預けた荷物を探し本部席周辺をウロウロしていると大会主催の「沖縄タイムス」首脳メンバーから“重田さん!完走したの?“と声を掛けられ、”ハイ!ゴールしました“と言う訳にも行かず“いえ!10キロでリタイヤ、タクシーで着いたばかりです”と照れつつ記念ショット。

 そのままホテルに戻り、シャワーを浴び、空港へ。機内座席で顔顰めつつ痛む脚を伸ばしたり、曲げたりしながら爆睡!自宅到着は11時半。

 大会後3回目の今日に至り、予想通り脚を引き摺っています。とくに下り階段が響きます。ともあれ今回も同期の皆さんはじめ多くの友人の声援を頂き有り難う御座いました。膝後遺症などには代えられない貴重な感興!主催者及び地元応援ボランティアーの皆さんに改めて感謝です。

               

                    (10キロ地点。同期の大山さん!応援感謝!)

 

                                    

                (主催者・沖縄タイムス・RBC首脳の皆さん)

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「第26回那覇マラソン決起会」

2010年12月06日 | 「マラソン挑戦」

         

 先週末金曜、翌々日のナハマラソン出場を控え、エントリー有志が那覇市久茂地の居酒屋「抱瓶」に集い、決起激励交流会。参加者は過去3回いずれも4時間台で完走している当社社長に後輩社長ご夫妻。さらに同窓先輩のご紹介で今回初めてお会いした遠路・長野から来沖の71、69歳の先輩ご夫妻。なんとご高齢のこのお二人、過去お揃いでフルマラソンを完走なさっているとのこと。私はこれまでフルマラソンはナハ12回、オキナワ1回、荒川が2回と合計15回挑戦していますが制限時間内完走はナハ9回に荒川回の11回。ベストタイムは53歳、第9回ナハの5時間29分。以後すべて5時間30分オーバーで自慢できるものではありません。ここ数年は膝障害もあり、いずれも1020キロでリタイヤ、今回も膝の心配をしつつ10キロが目標。膝悪化、苛めつつの自己満足のマラソン、山の神は呆れていますが、この日同席の先輩ご夫妻の挑戦姿を見ていると“何もしない五体満足より、障害加速のチャレンジもいいか!”とこれまた阿呆の自己陶酔!

         

            (大会当日朝・出場5人~平均年齢65歳)

                撮影:フリーアナウンサーの吉澤さん

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「ジジーの冷や水!10キロマラソン」

2010年05月16日 | 「マラソン挑戦」
“古希にフルマラソン完走“は52歳でマラソンを始めて以来の宿願でしたが膝故障には勝てず夢挫折、無念。でも静岡、三重、沖縄と出張スケジュール過密な連休最中の5日「第22回・春日部大凧マラソン」を走り“まあ、いいか!”
 市町村合併以前は「庄和大凧マラソン」名で親しみました。五月の風薫る荒川土手をグライダー飛翔眺めつつ走るこのレースは私の大好きなコース。平成5年以来延べ15回出場、那覇マラソンと並び最多出場の我が愛顧のレース。私が初出場した第5、6回までは20キロレースでしたが、それ以降はハーフ大会になる。これまで私は全てハーフ部門にエントリーしていましたが、障害膝をカバーしつつ今回は先の「熊谷桜」に続き10キロ部門へ出場。結果はタイム1時間27分、さほどの実感は無かったものの先々月の熊谷桜マラソンより10分以上遅いとは!それでも60歳以上部門参加者500名中の446位。まあ、こんなものか。
 ゴール後の疲労感と膝の後遺症が心配はあるもののそれを越える達成感、マラソン?はやっぱり良い!今後とも膝と相談しつつ10キロレースにはほどほど付き合いたい。
                        
            
 
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「4ヶ月ぶりのマラソンレース!」

2010年04月07日 | 「マラソン挑戦」
 震えるほどの寒風荒ぶ先々週日曜、通いの接骨医から“無理しない10キロレース位なら、まあ、いいでしょう”とのコメントを貰い、昨年暮のナハマラソン以来4が月振りのマラソン?第20回熊谷桜マラソンに出場しました。
 この熊谷桜マラソンは過去何度かハーフレースに出場した私のお気に入りのコースながら
今回は膝介護から涙の10キロコース参加。障害の膝をゲートル・サポーターでケヤしながらの出場、スタートの昂揚、レース中の語らい、ゴールの達成感とやっぱり楽しい!
 途中2箇所の給水地点以外気負わず、無理せずチンタラながら走り切り、結果タイムは1時間15分、全参加者2236人中第2185位でゴールでした。週末、スポーツセンター内でのベルトマシンでのトレーニング、結果、まあ、こんなものでしょうか!
                      
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「25回ナハマラソンに出ました!」

2009年12月06日 | 「マラソン挑戦」
 昨年に続き12月6日、第25回ナハマラソンに出場しました。練習不足の上、左ひざと頚椎障害のため、長距離ジョギングはドクターストップのため、5キロ、あわよくば10キロ目標。それほどのリスクを侵しての出場の理由はスタートラインの高揚感とジョギング陶酔感。
 膝の異常を感じたら即停止と自分に言い聞かせつつ、5キロ、10キロ通過、このままなら昨年同様中間まで行けるかと思っていた矢先、「会長、調子に乗らないで下さいよ!膝後遺症出て来ますよ」の携帯電話に13キロ付近でリタイヤ。
 親会社CIJの中野会長は3時間後半のタイムで完走、会場から4時のフライトで帰京。私もホテルでシャワーを浴びて那覇空港直行しました。
 13キロとはいえ、沿道でOB社員、主催の地元新聞、テレビ役員から島尻国会議員までの数多い知己、顔見知りのエールと応援、“脚一本位なんのその”とまで思うナハマラソンならではの魅力と魔力。
 とは言え、余力を残しての13キロリタイヤ、何とも言えぬ欲求不満に襲われました。今回の出場者は3万人、内6時間の制限時間内2万人、70%の完走率。
 私はこれまで14回のナハマラソン出場で制限時間内完走は9回ですが、最近はゴールはするものの時間オーバーやハーフ、17キロ、今回の13キロリタイヤに終わっています。
“年寄りの冷や水“本来、5キロか10キロ位がいいのでしょう!主催、応援の皆様、今年も有り難う御座いました。
               
                     (リタイヤ13キロ付近で!)
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「膝関節義肢、注文しました」~第24回那覇マラソン後話

2009年01月24日 | 「マラソン挑戦」
 昨年暮、掛かり付けドクターストップや多くの友人達の中止忠告を振り切って、ナハマラソンに出場、膝に疼痛を覚え17キロでリタイヤしましたが、その夜の慰労会で、高校同期の屋良沖縄職業訓練大学校長に義肢技術士の佐喜真を紹介されました。
 佐喜真さんは2007年には朝日テレビ「ムーブ」とNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」、昨年2月にはTBS「夢の扉」番組で取上げられる一方、文部科学大臣賞や「ものづくり日本大賞」経済産業大臣賞を受賞し、全国的に有名な方です。
 翌日、車を運転する友人と共に午後のフライトを控えお訪ねした宜野湾の「佐喜真義肢」は診療所ならぬまるで町工場。早速、石膏で膝の型を取り、後日これに合わせ装具を作り送付頂く。医療器具ではなく膝の上下をサポートすることによって、膝に負担を掛けずその運動を保証する装置。結果膝廻りの血行を促し、やがて疾患を完治させることもあるとか。
 私の義肢はすでに完成したとの連絡頂きましたが、年末年始休暇で未だ届いていない。医療行為ではありませんが、連携している整形医者を通すと7割が健保から還付されます。因みに私は両脚で14万円。佐喜真さん、技術屋らしい気難しさは微塵もなく「会長、今度ぜひ一杯やりましょう!」と極めて気さく。これを装着、いつか又10キロマラソンが走れるか。
             
            (義肢作成の前作業・佐喜真さんによる石膏による脚型取り)
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「第24回那覇マラソン」~その後

2009年01月03日 | 「マラソン挑戦」
 前23回の中間点・摩文仁の平和祈念堂でのリタイアに続き、今回私は17キロ地点でリタイアやしましたが、この日一緒に参加した中野㈱CIJ会長は4時間20分台でゴール。63歳でこのタイム完走者は滅多にない。会長は昨年の那覇マラソン完走一週間後のホノルルも完走しているほどのマニヤ。
 レース後の夜、医師・高良対馬丸記念館理事長ご夫妻が屋良ポリテック・カレッジ校長や那覇地裁OBで調停委員を務める前田さん達同期の友人を誘って、市内の居酒屋「抱瓶」で慰労会兼“年を考え、無理するな!”の忠告会?を催してくれました。
 席上、膝後遺症談義の最中、屋良君からNHKやTBSでも紹介され、文部科学大臣賞や「ものづくり日本大賞」経済産業大臣賞も受賞している沖縄在住の義肢装具職人・佐喜眞保さんを紹介するとの話が出ました。たまたま、その前日にも沖縄タイムスの牧志さんからもお名前を聞いていましたが、全国的に有名な佐喜眞さん、急なアポイント無理だろうと翌日、電話で屋良校長の名前を出ししたところたら“いいですよ、直ぐいらして!”の返事。実は「ものづくり大賞」に推薦したのが屋良君、いや、持つべきものは友!感謝です。
 午後のフライトを控え翌日、宜野湾の「佐喜真義肢」をお訪ねしたら、並み居る来訪者に先立ち早速診察、型作り頂いた。その詳細は次回以降!
               
                     (中央が佐喜真さん)

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ついにリタイヤ!「第24回那覇マラソン」

2008年12月18日 | 「マラソン挑戦」
 15キロ近くだったか“重田会長!”の呼びう声に振返ると何と、仲井真知事の嬢さんのゆみなちゃん。聞くと主催の一翼を担う琉球放送(RBC)東京支社から与那覇支社長以下7人が訪沖、レースに参加したという。旅費は皆自費負担とぼやきつつ昨年は初参加で5キロ地点まで。2回目の今年は目指した10キロ地点を通過。大した練習もしないぶっつけ本番。
 その根性には驚いた。それにしても県内随一VIPのお嬢さん!伴走もいないという。この後、ボディガードをかって二人で17キロ地点まで併走。後4キロで昨年同様の中間地点・摩文仁の平和祈念塔、無理すれば行けると思いましたが、膝の後遺症が心配で具志頭交差点で共にリタイヤ、一緒に我社OB大山さんの運転する回送車で那覇に帰りました。10キロも走れれば上々と思っていたら17キロまで老走行、まあまあか。この後、ゆみなチャンは当日4時の飛行機で帰京、翌月曜の出勤に備え、来年は中間地点を目指すとのこと。いやはや恐れいりました。
 後は無理した膝の後遺症。この後何人かの知人からNHKやTBS等の全国ネットワークでも紹介された県内在住の著名な医療・膝サポータ製作者を紹介され、重い脚引き摺りつつ、治療製作のため訪問しました。
          
           (具志頭交差点前・17キロ地点、一緒にリタイヤ!)
                    
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「24回那覇マラソン」③

2008年12月17日 | 「マラソン挑戦」
             (13キロ当たり・ランナーチラチラ最後尾集団!)
10キロも行ければ万歳と思っていましたが、3万人走者の後方とは言え、周りに押され、気が付けば10キロ地点通過!時折、膝に痺れと鈍痛を感じ、ヤバイ!とくに下りになると疼痛が走る。そこで下りは歩き、逆に周りが歩き始める登り坂は駆ける。
 11キロ給水地点を過ぎ、昨年合併して出来た八重瀬町の東風平中学近くに差し掛かる。この辺りは過去15回も通過した黍畑を抜ける思い出のロード。
 16年前・52歳時のフルマラソン初挑戦時、当時の久高沖縄事業所長が女子社員二人と共にお住まいの具志川からわざわざこの辺りまで応援に来られ、差し掛かった私に併走しつつ「大丈夫ですか、山城さんも志喜屋さんさんも来ていますよ」の声援を思い出す。山城さんも「社長!社長!」と大きな目をより大きく見開いて右手にバナナを左手にドリンクを差し出す。もう一人の志喜屋さんが「社長!ポーズ、ポーズ」と撮ってくれた初マラソンの写真(下記)の記憶が昨日のことのように思い起こされた。当年80余歳の久高元所長はすでに退任。山城・志喜屋両OBも結婚、子育てに忙しい最中と聞く。
 そんな往時の思い出に浸りつつ走っていると“重田さん!”と呼び声に我に返り、沿道に目をやる。何とそこに8月ブラジルでお会いした琉大移民センター研究所の金城教授!ここでお会いするとは。やおら、ご持参のカメラを向けシャッター。“後でお送りします”との声援。
 これだとひょっとしてあの具志頭交差点まで行けるかと思った瞬間、膝に痺れを感じ、立ち止まろうとしたら今度は“重田会長”という女性の声!
                  

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「第24回ナハマラソン」②

2008年12月14日 | 「マラソン挑戦」
             (沖縄銀行本店前から国際通りに入る)
 12月7日、第24回ナハマラソン、奥武山スタート。とはいえ、3万人近い参加者中、私のゼッケンは後方の27614番。スタート地点を踏んだのは9時20分過ぎ、先頭ランナーはすでに安里三叉路を過ぎている。膝の疼痛を気にしつつ、旭橋から泉崎交差点を右折、県庁前を左折、国際通りに入る。
 プラカードを掲げ、手作りおにぎりとバナナブレッド、飲み物持参の新垣由紀子さんがモノレール牧志駅下で応援に駆けつけておられたが、互いに発見出来ず残念、申し訳ない。と思いきやその手前沿道から“重田さん~!”と呼ばれた気がして、その方向を見ると何と糸数参議員!路傍に駆け寄り“糸数さん!”と声を掛け、握手!
 当初、この辺りまでと思った国際通りからモノレール線路下安里三叉路を右折。ここでも近くの「こべんぎん食堂」経営の宮城光枝さんが応援に出ている筈だが姿発見出来ず。このように沿道立錐のない応援者を発見するのは極めて難しい。サポーター装備の両膝に時折違和感覚えている内にひめゆり通りに入り、最初の給水地点5キロに達し、立ち止まり給水。この後~!  
                  
      (出版記念司会の吉沢さんも私の影響で今や私を凌ぐランナーマニヤ!)
 

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「第24回ナハマラソンスタート」

2008年12月12日 | 「マラソン挑戦」
         (午前8時半スタート地点・吉沢直美さん撮影)
 前日の12月6日、那覇空港着。“奥武山グランドまで”と空港から乗車したタクシー運転手、“又かよ”と言わんばかりのゲンナリ・ブッチョ面。無理も無い。この日、1時間近く客待ち並んで、10分足らず・基本料金の空港とグランドを何度か往復しているという。運転手の立場も分かるけど本土からレース参加に駆け付ける客の立場も理解して欲しい。渋滞の道々、彼の運転手と一致した点は、空港でゼッケン配布したら参加者も便利だし、運転手もホテルまでの運行と双方メリットがあるのにということ。エントリー8時ギリギリ寸前に体育館に飛び込み、ゼッケンを受け取る。
 翌12月7日、多くの友人、知人の懸念、呆れを背に、膝痛の不安を抱きながら第24回ナハマラソンスタート地点・奥武山に立ちました。今回は過去最大の3万人以上のエントリー。私のゼッケンはその後方の27614番。
9時のスタートの号砲聞いて、スタート地点を踏んだのは9時20分過ぎ。
膝をかばいつつ、旭橋から泉崎交差点を右折、県庁前を左折、国際通りに入る。
沿道、立錐の余地無い応援、見物の人並み。障害膝を抱え、果たして何処まで行けるか。 
            
(大会本部前で主催者・岸本沖縄タイムス社長と!)


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朝吼夕嘆

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