”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「関東沖縄IT協議会」(略称KOI )

2005年08月31日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 先々月、在京沖縄県出身IT企業経営、従事者、県IT企業東京支社責任者等およそ40名からなる「関東沖縄IT協議会」が立ち上がりました。会員の大半は20名から50名の要員派遣型の小企業ですが、会員SE総勢1000人弱、活気に満ちています。社歴と年齢から第1期の会長に選出されました。今なぜ沖縄か?

 一つには政府・県の手厚い支援政策によって、沖縄には100社超えるIT企業が集積。最初は人件費の安い女性オペレーターを狙ったコール・センターが主力でしたが業務高度化と共にコンタクト・センターとなり、さらにこの要員を管理・教育する高度技術者が集積したこと。

 第2に最近ではセンター業務に止まらず、IBM、NRI等の本土の大手Slerが進出、ソフト開発センターを構築し、中国オフショア開発経験を踏まえ遠隔ながら日本語の通用する沖縄が開発センターとして見直され、さながら沖縄がITアイランドの様相を呈してきたこと。

 第3に県内にプロダクト開発を主流とするベンチャーソフトが育ち、その製品マーケティング展開として首都圏の在京ソフト業者との連携ニーズが高まったこと。また、県に進出した開発指向の本土大手IT企業は一様に技術者不足をかこっていること。

 在京のソフト企業経営者が郷土のこうしたIT集積状況とニーズに連携を模索した事が背景にありますが、何といっても同じ県内出身、コミュニケーションと信頼感が高く、自己紹介の場でも出身地や学校、あるいは遠縁だったりとほとんどのメンバーが何らかの地縁・血縁で結ばれていました。

 会員は経営者に止まらずNTT、IBM関連企業や外資系勤務者等多彩な人材の交流を通し相互のビジネス発展を期しています。マスコミや政府関係者の問い合わせもあります。すでにお互いの会社・製品紹介、案件紹介等の実績もあり、今後は合同研修や採用セミナー、ジョイント・プロジェクトの可能性も探って行きます。以 上

関東沖縄IT協議会(略称:KOI)」のWebサイトは
こちらhttp://www.koi-c.org/

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「岸本名護市長」

2005年08月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週、名護市に進出した本土大手IT企業からの案件引合・挨拶のため表敬訪問した。台風来襲、前日最終便での帰任でお疲れにもかかわらず時間を割いて頂いた。
 政府と地元、米国の世界戦略の影響をまともに受け、恐らく日本一多忙、心労の多い市長職にも拘らずお会いしていただいたのは理由がある。
 大田・稲嶺両知事米国訪問にも同行、県内有数、否、官邸中央でも名通訳として名をはせ、市長自ら市にスカウトした山川あかりさんの存在。在京政策シンクタンク在職中以来の誼。それと琉大院卒・市情報特区推進部のスタッフが当社のOBだった縁。

 激務の市長、気を揉んだスタッフから前夜「面談は10分、難しい話題は出さない」等のオリエンテーションを受けたが、本番は案に相違して大学同窓で在籍同時期の学園紛争、高山厚子さんら共通の友人、銀座で頑張っている”名護マーサー”話題にお疲れの顔もほころび、談笑30分越え、ご覧のように記念撮影も快諾していただいた。山川さん、倉富君、お世話になりました。

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「パワハラ」

2005年08月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 琉大を中退して上京、早稲田に失敗した浪人1年目、ビルの窓拭バイトの先輩から「何ボヤボヤしてるんだ、この沖縄野郎!」と怒鳴られた。今で言うなら「これパワハラ、差別発言!」と言うのだろうが、万事ノロ間な私はあまり腹も立たなかった。当時パワハラなんて言葉はなかった。先輩のこうした罵詈雑言は後輩をしごく台詞で、淡々と受け止めたものだ。

 パワハラの一つはシカト。話掛けても目を見て対応せず挨拶もしない相手に、先輩は「お前何だ!」と言えても逆に後輩は「先輩!人が挨拶したら返事するものですよ!」とはとても言えない。後輩から見て先輩の言動はパワハラになる。パワハラもセクハラと並んで受ける側の主観の占める要素が多い。

 最近、我社でも先輩・上司のパワハラ発言を訴える部下の声が出てきた。パワハラなる言葉の出現によって部下の意識は敏感になったとも言える。先輩、上司たるものこうした事実に鋭敏になる必要があり、より良き上司になるためにはもう一歩進んでコーチング等のスキルが要求される時代になった。
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「沼津に友あり!」

2005年08月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 学生時代に読んだ芹沢光治良の「人間の運命」や井上靖の作品に度々出てくる狩野川。それまで私にとって文学上の存在に過ぎなかったその狩野川の沼津に創業7年の20年前、顧客「富士通」の要請で事業所を開設。故郷沖縄を遥か離れた富士山裾野のその景勝の地でよもや高校同期・垣花亮君会うとは。その時の驚きと喜びは無かった。彼とは理工・文系と違うものの早稲田でも同期。

 垣花君は恩師に薦められまま機械専攻学徒憧憬の㈱東芝機械へ。沼津市には富士通、東レ、矢崎電線等名立たる企業が進出しているが、さしずめ東芝機械城下。社員は地元では一目も二目を置かれる。
全国紙支社長愛娘と職場結婚。生産管理部長を最後に系列会社の役員歴任。今は地元沼津高専講師をしつつ町内会長としてボランティア地域活動。

 「親は帰るべき処ではなく、呼寄せるもの」という私達世代の長男ミッションに従い彼も南海僻陬(失礼!)の宮古島から90近い御母堂を呼寄せ今や沼津市民。彼の縁で我社は数年来数千万を超えるプロジェクト継続受注。沖縄帰路から直行一夕、出張の疲れも飛ぶ名物地元海鮮料理で朋友乾杯、嬉しからずや!
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「終戦とお盆」

2005年08月15日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 今日は終戦60周年でお盆。
 琉大から早稲田に転学のため上京、昭和45年以来埼玉に居を求め、両親を沖縄から呼寄せ、昭和49年父を平成9年には母を見送り、縁あって埼玉県北本市の真言宗「寿命院」境内に墓地を求めた。

 毎年8月15日午後2時、老若男女近隣檀家衆およそ400人と共に本堂・境内で紫袈裟の住職を中心に近隣末寺の黄袈裟僧侶10名のお経を拝聴、終わると本堂に広げられる千本近い入魂の塔婆塔の中から自分の依頼を見付け、境内内あるいは末寺、自宅のお墓に持ち帰り墓参、供養がここ30年の習いとなっている。

 寿命院の法会では僧侶の読経のみが響くが、連合いの故郷金沢の法事・供養では家族姉妹を含め会衆一同一斉に謳うのには驚いた。文字通り「門前の小僧、習わぬ経を覚え」である。沖縄、埼玉、金沢それぞれ風土、文化の差を感じるお盆の日です。
 
(境内で読経終了を待つ檀家衆)

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「男の凶暴性はどこから来たか」:三田出版(1998年)

2005年08月14日 | 「Weekly 読書感想」
 ライオンやトラ等の猛獣同士は闘争で相手を死まで追い詰めないが、何故知能の高いチンパンジーと人類だけが集団で同類殺戮するのかという有名な命題を多角的に追求したハーバード大人類教授リチャード・ランガム他一人の古典的名著。と言ってもまだ10年未満。
 オス優位社会を形成しないボノボ(ピグミーチンパンジー)には同種殺戮は無いことから、その一因をオス優位と餌目的の集団形成に求めている。
「長いたいというのは卑しい」という三島由紀夫言辞に惚れ、「命ど宝」は卑しく「死ぬことと見付けたり」という葉隠精神こそ勇おしいと思っていたが、これは他の命も軽んずることにつながり、自爆・ジハード容認になる。「命を惜しむ」ことこそ至高ではないかと思ったりする。
そこまで書いていないが「国家・大義・美学」という抽象概念を生む知能こそ人類同族ゼノサイドの根源ではないかとも考えさせられた。

 本書は本業そっちのけ、ペダンチックとも言える程に多方面に関心を抱くテニス三昧・囲碁4段・同期の開業医松田君から借用した。そういえば「囲碁打ち、親の死に目に会えず」と言う。お互い気をつけねば。
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高山厚子邸「泡盛・沖縄料理の集い」

2005年08月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 炎暑陰る先週土曜夕、田園情緒残る練馬・瀟洒な高山厚子ご夫妻の「泡盛・沖縄料理の集い」に参加。
 高山さんは板橋区金澤小学校長奉職中「学校森」「親父の会」等々企画が教育庁他より数々表彰を受けたほど学校経営の才が評価された。
退職後持てる才気持て余すかの如く執筆・講演に列島縦断、手弁当でオペラ歌手を支援したかと思うと今度は「秋刀魚千匹、沖縄の子へ送る企画」奔走と留まらない。

 この日は琉球新報連載コラム「南風」執筆仲間・池宮城「南国石油」社長から贈られ秘蔵の泡盛古酒と空輸八重山から取寄せた食材を朝日家庭欄でも紹介されたお手前調理、卓上絢爛の沖縄料理満載、歓待。改めてその多才に感嘆。

 出席者は遠路ロスから来日中の友人、資生堂美容学校長はじめ元校長御三方、ジャーナリスト二人、沖縄県公社代表、「親父の会」メンバー等多彩、平均年齢60歳?「太家の歴史」著の溝井武實元共同通信沖縄支社長と共通の知人が居たのには驚いた。
「板橋に金沢?」そう、それは学校敷地が加賀前田藩屋敷後の由来だそうです。ホストご夫妻に多謝、乾杯!

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「テレビ面接」

2005年08月08日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今年、私共IT業界の求人戦線は上場大手を含め、昔日のバブル好況期を思わすほどに苦戦している。当社も7月現在の内定は5人、例年の50%。他業界の業績回復とあいまって成長産業から成熟産業へ移行する当業界のイメージ変化も左右しているかも知れない。
 そんなさなか、今期当社へ例年に倍増する琉球大学工学出身学生20余名の応募者があり、そのなから社長最終面接に残った6名。例年なら沖縄事業所へ出張面接するはずが、今回は私の渡航日程まで延ばす訳には行かず、事業所間テレビ会議回線を使って初の最終面接を行った。結果女子を含む情報工学出身4名を内定した。この中には既に本土メーカー系大手IT系列会社の内定をもらった学生もいるため、最終的に何人入社するかは分からない。
 いずれにしろ青雲の志を抱く真摯な学生と対峙するのは、彼等彼女達未来への責任と希望を共有する時です。
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仲本潤英大先輩

2005年08月03日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 “これ見よがし、女性ばっかり!”という澎湃ヤッカミの声にお応えし暫く男性。

 「関東沖縄経営協会」創業者。当年92、なおお一人で沖縄~東京を年数回往復する。旧制那覇商業卒後上京、1旋盤工から「八汐精機」創業、長男に継承、勇退、那覇は曙のホテルの居室で一人悠々自適。
 先年の後継長子に先立たれる悲しみにを胸に、怯まずサンシンよくし、時にガマク(腰)の入った空手の型を披露するかと思えば日々篆刻を作成し無償で配り、当社応接室にも頂いた。 
 談林闊達、常に小生のよう若輩(?)に耳を傾けながら少しも教訓説教を言われない。それでいて艶談ひとくさり、当方の赤面覗き、やおら破顔一笑。敵わない!

 新報に感性瑞々しいエッセーを連載するかと思えば、先日は沖縄タイムスクラブで1000近い女性聴衆を沸かした。長寿沖縄のシンボル。矍鑠というも失礼。一体、自分が大先輩の年にはどんな様かと想像するだに神にも見えて来た。
 
 那覇空港から泡瀬TTC(トロピカル・テクノロジーセンター)の当社沖縄事業所途上表敬訪問。
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朝吼夕嘆

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