声とかたちのアイヌ・琉球史 (叢書・文化学の越境)森話社このアイテムの詳細を見る |
本編は先に紹介した吉成直樹編「声とかたちのアイヌ・琉球史」叢書中に編纂掲載されていることに違和感を感ずるほどにアイヌ・琉球史とは関連薄い論稿ながら、私にとって最も興味を惹かれ、一語一句思わず頷きつつ一気に読了した一遍。 内容は先に著者が上梓した「境界性の人類学」(弘文社)と重なる部分が多いが、本書の“脱沖入日”タイトル、言うまでも無く維新、福沢諭吉の掲げたスローガン“脱亜入欧”をもじったもので、この標語タイトルを見ただけで思わず“なるほど!”と笑みの出る私の同時代・心境史。書中には私が大島在住小学5年時の日本復帰祈願の集団断食体験や大島の復帰後在沖奄美出身として味わった差別?等の体験追記。
ただ、同じ奄美といいながら、加計呂麻出自の私から見て著者の育った沖永良部には微妙な違和・相違感があります。
それは40年前に読んだ一色次郎の美しい慕母記「青幻記」の中で亡母が海岸で踊る琉球舞踊描写に沖縄に惹かれる沖永良部心情を読んで“そうか、沖永良部は沖縄か!”と感じた記憶があります。私達・加計呂麻から見て沖永良部は“限り無く沖縄に近い島”。その感覚は奄美北部の笠利・龍郷は限りなく大和臭。ことほどに狭いながら奄美大島は多様で、はたからは統一、一体性が無いとの指摘もあります。
ただ、著者も終章に書いている如く“アイデンティティーは可変的”時と共に変化し、現に私の奄美、沖永良部、沖縄郷愁感も居住地と交流する人々の変化と共に変わって来ています。
著者の高橋さんが最近、沖縄大学の准教授に就任されたとのご挨拶頂きました。今後、さらに沖縄・沖永良部・奄美に関する研究成果を期待しています。