”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「続々・わが心の愛唱歌」:眞栄田修先輩著

2019年05月31日 | 「Weekly 読書感想」

  

 これまで眞栄田先輩の著書は何冊か頂き、拝読させて頂きましたが、本書程感激、読了したのは有りません。
 明治19年から平成29年までの童謡唱歌、青春歌、演歌、三橋美智也、舟木一夫、石原裕次郎、長淵剛、千昌夫、小林旭、ちあきなおみ、五輪真弓、フランク永井、森進一、中島みゆき、松山千春、美空ひばり等々目くるめく70余曲。単に感想に止まらず、作詞作曲の背景や数々のエピソード連綿調査記述にはさながら私達の戦後史と共に先輩の生涯レビューを観る思い。 70曲の中には勿論、私のカラオケ愛歌も多数ありましたが、分からない曲もあり、YouTubeで検索試聴したりしました。4期先輩の著述乍ら、私自身の生涯回顧でもありました。本書で最も印象に残るのは全てのページに歌手や思い出のスライスな写真映像と自費出版編集印刷の見事さにも魅了されました。猛烈苛烈な元証券ビジネスマンキャリア先輩のこの追想著述リタイヤ・ライフスタイルには我が身を振り返えさせられます。

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「代々木公園・沖縄祭りで挨拶!」

2019年05月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 5月18日、 代々木公園で開催された「沖縄祭り」に主催者から招かれ、突然、新垣進関東沖縄経営者協会長と共に舞台に上げられ、挨拶をさせられました。この催しは様々な沖縄芸能や食品展示、販売が行われ参加者は優に10万人を超す、人気のイベントのようです。沖縄祭りにも拘わらずネクタイ背広姿の私はドギマギ“沖縄は辺野古、普天間と本土の人々の犠牲、苛めに会っていますが、この日の沖縄祭りを見て「音楽、舞踊では我が沖縄が本土を制圧しています」と述べると、会場から苦笑?どよめきの反応?を感じました。

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「東京那覇会」で“おきなわ織物“学識講演拝聴。

2019年05月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 

           (ご挨拶する庄司新会長様)

 神保町の「喜山倶楽部」で開催された「東京那覇会」で祝嶺恭子・沖縄県立芸大名誉教授・県指定無形文化財保持者による「おきなわの織物」講演を拝聴しました。因みに祝嶺さんは那覇高校の4期先輩。お兄様の安元東北大名誉教授という錚々たる先輩はじめ60人近いこの日の参加者の大半は那覇高校出身者で、さながら「城丘同窓会」。
 私の疎い世界乍ら八重山、宮古、久米島等々の島々からヤンバル、首里、那覇に累々と残る上布、紬、芭蕉布、紅型等々の図柄、技法、染料など沖縄の幅広い織物歴史と分布を初めて知りました。染物と言えば、琉球列島の大島紬に言及があるかと期待したのですが(´Δ`;)

 長きに亘り会長を務められた山路安静先輩を継ぎ、今回から庄司マサエさんが会長になられたこの「那覇会」は「沖縄クラブ」と等しく、毎回アカデミックな講演が開催される在京沖縄の関係交流会です。私はこの会の運営委員を拝命しながら何のお役にも立てず申し訳ない(>_<;)・゜゜・

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大城友宏様の奥様を偲ぶ会

2019年05月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                  

               (弔辞述べられる大城さん)

元・沖縄ツーリスト㈱常務の「大城友宏さんの奥様を偲ぶ会」が、有楽町の沖縄居酒屋「いいあんべー」で開催されました。大城さんは長きに亘り、沖縄ツーリスト社の東京支社長を務められ、奥様と共にその広い人脈で県人会、経営協、WUB東京、「沖縄大好きの会」等々在京の沖縄関係団体は一方ならぬお世話になりました。この日は大城さんの幅広い御人脈、お人柄もあり、ご親族、ツーリスト、県人会、那覇商同窓、石川県と50人近い方々がお嬢様の経営する「いいあんべ―」に集いました。
 私も創業20年の記念に、送呈頂いた時刻毎にメロディがなる見事な柱時計の恩が忘れられません。頂いてから20年近くなる今の神田事務所で愛用しています。大城さんには改めて感謝です。
 その大城友宏様に長きに亘り寄り添い、サポートなされた奥様のありし御姿偲びつつ、改めて御哀悼申し上げます。

              
       (当社創業20周年期に大城さんから頂いた時計!)       

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 神田オフイスで開催された関東沖縄経営者協会理事会

2019年05月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り

  新垣進・第9代会長の就任に伴い、関東沖縄経営者協会の事務所を私の神田オフイスに移転依頼され、以来月一度の理事会が開催されるようになりました。
 先日開催された12回目の理事会でも新垣会長の推薦で新たに就任した若手理事からは従来にはなかった「異業種交流会」の提案実施には、協会の世代交代と活性化を感じました。

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「私の履歴書」⑧~創業の経緯

2019年05月19日 | 「私の履歴書」

                                           (創業時のメンバー) 

  私は1978年、38歳でそれまで10年近く勤めた経営コンサルタント社(BCON)の子会社Bconシステムの営業部長を辞め独立、㈱日本アドバンスシステムを仲間7人と設立しました。創業間もない会社は多くの場合、大手企業の二次、三次という多重下請けモデルですが、私の場合、独立当初から主要取引先はいずれも東証一部のTIS(旧東洋情報システム)、住友電工、富士通の三社でした。創業一〇年過ぎからは独自製品も開発、販売していましたが、この三社が三〇年近く、売り上げの五割を占めていました。いわばこれら東証一部同業の下請け子会社でした。創業間もない小会社が何故、いきなり一部上場会社と取引開始出来たのか。当初は認識しなかったこの理由を、同業各社の状況を見ているうちに追い追い自覚する様になりました。実はこの三社は独立する前の営業担当顧客でした。今なら、“取引先掠奪”で訴えられたかも知れません(苦笑)。事実、勤めていた会社の後継社長からしばしば「重田は我社のお客と社員を掠奪して独立した!」と揶揄、冷やかされます。

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「aGOOD」開店おめでとう!~久し振りの六本木!

2019年05月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り

  先日、久し振りに六本木に行きました。会社創業の頃、六本木交差点に近くにあった沖縄料理店「島唄学園」では新入社員歓迎会等で良く通いました。
 この日は、“六本木ヒルズタワー”を眺めつつ、関東沖縄IT協議会の今井副会長のご子息が、開設した沖縄居酒屋「aGOOD」店のお祝いへ行って来ました。当日はIT協のメンバー知友を含め20人を超す、参加者。久々にカラオケ2曲を歌い、午後11時に帰宅しました。今井さん、花の六本木での開店おめでとう!益々のご盛栄を!

       

 

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佐藤幹夫著「評伝 島成郎」~ブントから沖縄へ:筑摩書房

2019年05月14日 | 「Weekly 読書感想」

                            

 島成郎は東大時代、ブント(共産主義者同盟)書記長として、北海道大学出身の唐牛健太郎を安保闘争当時の全学連委員長に強力に推薦したのは有名な話です。

 私は企業経営現役の頃、人材採用や現地事業所設立等で年に何度も沖縄に行きましたが、そのたびに中学・高校同期の屋良文雄君が経営する那覇市久茂地のジャズ喫茶「寓話」に通いましたが、ある日、一人コヒーを飲んでいた客を屋良君が「辰彌!元全学連活家の島さんだよ!」と紹介され、「え!島成郎!何で沖縄!」と驚いた時の衝撃が忘れられません。島は全学連運動を退いた後、東大医学部に復学、精神医師として沖縄に渡り、久米島や名護等の病院で勤務していたようで、穏やかな表情で笑みを湛え、些かも過年の激烈な革命運動家の陰りは感じられませんでした。
 この「寓話」では加藤登紀子さんにも何度か会いましたが、獄中結婚で有名な元全学連活動家の亡夫・藤本敏夫氏と島氏の縁か。
 島成郎はその頃、沖縄県内の精神医療制度を確立した詳細な履歴を本書で初めて知りました。また、沖縄での初の精神医療病院の玉木医院の設立に参画、後に私の知友の元・高校教師の源河さんの主治医であったことも聞き驚きました。”伝説の島成郎”に会ったあの日の事は忘れらせませんが、本書で改めて島の激浪の生涯を追想しまし。

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今日は「神田祭り」です。

2019年05月12日 | 「美ら島沖縄大使」便り

    

 神田祭りは「神田明神祭」とも呼ばれ江戸三大祭の一つとされ、2年に一度開催されます。神田界隈10以上の町内会の人々が参加し山王を担ぎ練ります。私の入居する神田多町田中ビルの前を鉢巻き・褌・足袋姿の人々の “エイサー!ホイサ!の掛け声と山王が尽きることなく行き来します。2年に一度のこの祭りに、高層マンション、ビルの乱立する神田街で江戸文化を堪能します。 

              (当社6階ビルから!)

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「八重山祭りの盛況、エネルギーに感嘆!」

2019年05月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 (
          (八重山出身”海んちゅの娘”今井さん、撮影!謝〃!)

 北区・王子の「北ぴあ」で開催された第16回の「八重山祭り」の招致を受け、参加して来ました。「祭り」への参加は、メンバーに多くに八重山出身の知友が居ることにも依りますが、そもそもこの「八重山祭り」発足の切っ掛けが、大浜信泉元早大総長の英国留学激励会だったからとは、稲門メンバーの小生の託つけか(^-^*)
 毎回参加して思うことは八重山島々郷友の多様多彩さとエネルギー!だからこそ、毎回“八重山はひとつ”のスローガンを掲げるのか!

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「第95回東京瀬戸内会」に参加しました。

2019年05月08日 | 「美ら島沖縄大使」便り

  毎年大井町「きゅりあん」で開催される「東京奄美大島瀬戸内総会」。ここ5年、毎年その模様をBlogアップしてきましたが、今年は令和元年5月3日憲法記念日の95回目。何時ものことながら、在京沖縄郷友会と異なる開会模様が印象に残ります。まず開会は全員起立での故郷遥拝と故郷唱歌。なかでも大勢の奄美大島紬装いの女性の眩しさ!さらにこの会の一つ特徴が相撲褌姿・裸体の男性による群舞“振り出し踊”。
 この日の参加者は我が同郷・須子茂村出身の瀬戸内町・奥田耕三副町長他大勢の来賓を含め400人近く。
 この日、「瀬戸内創生プロモーター」として参加の瀬戸内町阿木名出身の緑健児氏は世界10か国に10万人の弟子を持つ空手道場「新極真会」の代表。空手練達の人々にとっては神のようなこの緑代表と武道に疎い私が格闘構えの記念撮影、恐縮、ラッキーの極みでした。撮影の原君に感謝!   

                                                                                                                                                                                         

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 組原洋著:「旅の表層」~ユーラシア、ラテンアメリカ、沖縄港にたどり着くまで!

2019年05月06日 | 「Weekly 読書感想」

        
 東大卒の弁護士・沖縄大名誉教授と異色の経歴を持つ放浪記とまでは言わずもの、ユーラシア南米旅行記は本書で3冊目。本書は慶應卒の弟さんとの初の海外ユーラシア大陸等々の旅行記。私も北米、南米、オーストラリア、ニュージランド、中国、韓国の旅行体験はありますが、この著者の連日、連夜、女性を含む多くの人々との出会、尽きることのない詳細な記憶、記述にはいやはや、呆然、感嘆です。表紙にはこれまでの数々の海外渡航パスポートが表装されています。
 旅先日々のこれほどの記述は恐らく、毎日のように日記を付けていたからこそ書けたのでは!本書で特に印象に残った箇所は短章ながら最終の「沖縄に住むまで」。 ここに書かれているのは結婚なさった沖縄出身の奥様との出会いの縁が南米旅行であったことや勤務先の法律事務所での交流等々。何故そこに強い関心を持ったかというとその奥様との間で生まれた東京在住のお嬢さんとの縁。この父娘さんと私の出会いは先にも書いた2008年ボリビヤでの「WUB世界大会」フィーラムでしたが、その後、娘さんとは立教大ラテンアメリカ研究所でもお会いし、神田の事務所にもたびたび来られ、「東京那覇会」にも加入され、活躍頂いている誼です。

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「ようこそ!43年振り!独立前の同僚来訪!」

2019年05月04日 | 「千客万来」

  私は41年前38才で、独立しIT会社を立ち上げましたが、それまで10年近く勤めていたのが経営コンサルタント子会社のBCONシステム時代の懐かしき同僚旧友二人が神田事務所に来られました。その後、お二人とも関連会社の幹部.TOPを務め、現在はリタイヤ、75才を超える後期高齢(^-^*) 3人、数10年振りの出会い、IT黎明期の70年代の忘れかけた奮戦の往時を様々思い出し、尽きること無く、語り合い、こうしたビジネス同僚との切磋琢磨があったからこそ、その後の経営課題を何とか乗り越えられたのかと改めて思いました。末舛、脇田君、来訪本当に懐かしく有難う!

(昭和51年Bcon子会社SoftowearAG設立記念写真~この2年後私はスピンオフ独立。
 ~前列左から3人目の当時36歳の小生、左隣が当時34?、この日来社の末舛君と後列右端の脇田君。

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「関東伊平屋祭りの集い」で感じたこと!

2019年05月01日 | 「美ら島沖縄大使」便り

  先日、虎ノ門の「霞ヶ関ビル」で開催された「関東伊平屋島会」に行ってきました。
伊平屋島は北緯27度の奄美群島の与論島とほぼ同緯と沖縄の最北端に位置します。その南隣には伊是名島があります。
 伊平屋、伊是名、伊江島と類似の島名、なかなか覚え難いのですが、伊平屋、伊是名両島は沖縄県南部の島尻郡(首里)を称しています。それはこの両島が首里王朝・第二尚氏の出自島で「私達は首里・島尻出身で、北部の国頭郡ではない!」という村民の伝説に近いアイデンテイー意識に依るようです。でもこの両島の南の伊江島にも琉球王朝“伊江御殿”がありますが、伊江島は島尻ではなく国頭郡を称しています。また、伊平屋、伊是名両島は合併、分離を繰り返した歴史がある様で、こうしたことを聞き、畏敬と共に奇妙を覚えました。
 それにしても沖縄には伊平屋、伊是名、伊江、伊良部等々と何故“伊”称号が多いのだろう!この日、伊平屋島から上京出席の村役場方々のに伊礼、伊豆見等々のお名前が多く見られました。
 毎月、毎週のこうした集い参加に財布は悲鳴を揚げるものの、ボケ防止ならぬ、ボケ促進抑制の頭脳啓発、黎明の?得難い機会でした。 

                 

 

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朝吼夕嘆

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