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”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「サイバー大学訪問」~奄美IT懇話

2011年02月26日 | 「美ら島沖縄大使」便り

          

“サイバー大学“は聞いたことがありますが、正直どういう大

学かその詳細には無案内でした。ところが「奄美IT懇話会」のメンバーにこの大学でIT総合学部準教授を務める勝君が参加、先日の例会でサイバーだけにキャャンパスとは行かず新宿オフイスと本部・㈱教育研究所を紹介、案内して頂いたが、驚いたことに場所は神楽坂の当社から徒歩の近隣。

 国内初の株式会社立大学として開学4年目で、現在724名が在籍。サイバーの名前から遠隔地の学生が多いと思ったら、案に相違し首都圏在住が7割以上とのこと。奄美在住学生は私の遠縁、瀬戸内役場勤務者一人。

 履修生の多くは高校、専門学校卒で、その大多数が働きながらキャリアアップを目指す社会人とのこと。それだけに通常の大学生よりも受講には熱心という。

入学試験も無く、授業、試験、レポート、審査も全てネットで実施。そのため場所、時間も自由とのこと。日本では唯一のサイバー大ですが、韓国はじめ海外では珍しくないとのこと。それもあってか文部科学省も正式大学として認可、卒業レポートが合格すれば、大卒として資格認定するという。

学長はどういう経緯かエジプト考古学で有名なあの吉村作治早大教授。出資者で親会社は何とあの孫正義社長率いるソフトバンク㈱!

前回のトランスコスモスの江波さんに続き、今回の勝さんのサイバー大紹介には奄美IT懇話会の貴重な交流と得難い学習の機会を頂きました。

 

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「関沖経・IT協 新春合同講演会」ご協力有難うございました。

2011年02月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                      

 先週16日、霞が関東海クラブで関東沖縄経営者協会・T協議会合同の新春講演会を開催しました。

 特別講師として ㈱クオーターバック代表・企業戦略コンサルタントの中島セイジ氏をお招きし、「パラダイムシフトと仕事道の発想」テーマーで講演して頂きました。趣旨は “利を追う経営ではなく、義の追求、実現こそ結果的に成功する”ことを100年以上継続している老舗企業の例を挙げつつ説かれた。

 株主配当、時価総額、IPO、成長等々の現在資本主義概念を否定するかのような“先義後利”フレーズに表象されるフロソフィー。さながら現在版「菜根譚」! その内容はとても否定できない普遍性を持っているとは言え、激烈な生き残り競争に喘いでいる我々零細企業の現実には俄かに首肯出来ない点、様々あるとは言え、いろいろ考えさせられるヒント、メッセージを頂きました。

 この日は玉城デニー、瑞慶覧長敏両衆議員に上運天県東京事務所長等の来賓をお迎えし100名近い参加者。

 今回から協会活動目標の一つに掲げた“次世代若手企業人の育成、支援”を実現するため、会員枠を経営者以外の会社勤務者対象にも広げる“賛助、準会員”制の導入によって多くの若手メンバーの出席を得て、従来に無い活況を呈しました。

 ご来賓、講師、事務局、ご協力頂いた全ての皆様に御礼申し上げます。有難うございました。

                     

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「朝鮮・琉球航海記 (岩波文庫);ベイジル・ホール

2011年02月22日 | 「Weekly 読書感想」
朝鮮・琉球航海記―1816年アーマスト使節団とともに (岩波文庫 青 439-1)
ベイジル・ホール
岩波書店

 ペリー来航37年前の1816年、アマースト使節メンバーとして参加した探検、航海記で詳細な写実スケッチと共に琉球をヨーロッパに紹介した最初の書で、1986年岩波文庫で初版翻訳から8版を越える著名な書。

中学時代に見た私が住んでいた当時の真和志孫安謝隣の天久の聖現寺庭園をこの使節団が描いたスケッチ・カレンダーが忘れられない。

 後にセントヘレナに島流しされていたナポレオンがベイジル・ホールから“武器を持たない琉球”の話を聞いて衝撃を受けたエピソードは余りに有名だが、本書を読む限り“武器も貨幣も使わない琉球”を聞いたナポレオンは大笑いしたという記述で“平和希求琉球人”という後々の一部神話ニューアンスとは大部違う。

 それにしても19世紀初頭のヨーロッパ人のこの著書に“東洋の未開民”として見下げの批判の論調がほとんど見られず、客観的な淡々とした記述著者には琉球民族?の末裔として、時代を超えた真の意味での教養と人格を感じ、尊敬です。

 実は去年5月、本書を読みつつ、自分のボケ振りに唖然としました。というのは読みつつ“どうもこの本以前読んだのでは??”という思いが募り、途中調べて見たら、何と自宅書棚奥に同じ書があったではないか!でも、まあ、いいかと再読了。かつて読んだ本を忘れ、再読、途中で気付くボケ現象の同じ経験、Sidney Sheldon著のペパーブック原書でも同じ経験があります。いよいよ老境か(´Δ`;)

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「新城亘師匠ライブで!」

2011年02月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         

 何と、エジプト初め、北アフリカの「ソーシャルメディア・ジャスミン革命」の発火点・チェニジア出身。どういう経緯か沖縄県立芸大へ留学、沖縄民謡歌手としてテレビ出演等マスコミに何度か登場したその名もモハメッド・アリならぬモハメッド・ブリさん。

 沖縄民謡歌唱に留まらず、日本語会話も巧み。それにも増してシマンシュ(島人)顔負けの指笛の見事さには驚き!

 この日のライブ主役の新城師匠と芸大同窓とのこと。現在のお仕事はサウジアラビア大使館勤務。

この日、有楽町「いいあんべ」で開催された東京沖縄県人会理事会を途中退席、神田“やいまで開催された新城亘さんの”八重山民謡ライブに向かう。その節、ブリさんと偶然臨席、乾杯!この日、高校同窓の屋宜公医師の横笛伴奏にはどっちが本業か惑う程。競演の持田明美さん、お馴染みの奄美節も堪能しました。

新城師匠は沖縄工業から就職したNTTを退職、県立芸大へ進学、同大から博士号(芸術学)を取得した異色の経歴はよく知られている。沖縄で行われた拙書「おきなわ就活塾」(新宿書房)の出版パーティでの余興演奏では大変お世話になりました。この日のライブ演出は新城師匠の縁者で編集者の川平いつ子さん。

        

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「ようこそ!上運天所長ご一行様」

2011年02月17日 | 「千客万来」

                 

 公職人事報道忙しい最中、上運天(かみうんてん)沖縄県東京事務所所長が文厚商工課長と総務企画担当者のお二人をお連れして、神楽坂の本社オフィイスまでわざわざ来社されました。さては転任のご挨拶かと思いきや案に相異し、沖縄県への“ふるさと納税寄付”のご案内ご相談でした。

 昨年来、鹿児島県や奄美大島からの盛んな“ふるさと納税”への協力依頼を受け、些少ながらお応えしましたが、沖縄県からはそうした案内はほとんど無くく、“基地リンク補助金”を否定しつつも他県が羨む程の膨大な政府助成金から“ふるさと納税寄付“など歯牙にも掛けないのかと思いきや、どうやらそれは当方の誤解であったようです。

 引越し間もない昨年暮れには友人でもある勝目部長がブラッとお一人で来訪されましたが、部下を連れての今回の所長訪問、やはり公的ご用向きでした。

 故里奄美との二重寄贈とは言え、中学高校とお世話になり、社員採用でも何かとご協力頂いた沖縄も第二の故郷、ここは微力ながらも上運天所長のご意向に沿うべく!「ふるさと沖縄寄付」を検索しましょう!

        

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「第25回紺碧の会」へ出席しました。

2011年02月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         

 15日「ホテルグランヒル市ヶ谷」で開催された第25回「紺碧会」。この会、発足以来、友人の来間加代子さんが事務局を務めていることもあり、極力出席に努めていますが毎年日程重なり、3回に一回位の出席率ですが、今回は引越しした神楽坂本社オフイスから一駅の至近もあり出席しました。会費8000円と多少高めですが、毎回泡盛のお土産、抽選があり購入兼ねてと思えばまあまあか!この日も大小3本の泡盛抱えての帰宅でした。

 本会は沖縄の産業振興策に以前から関っておられた百瀬明大名誉教授の「沖縄地場産業として唯一県外競争力可能性があるとは言え、県内メーカー挙っても大分の日本酒メーカー“いいちこ”1社の及ばない泡盛業界を激励すべし」との思い出で発起、今回は25回の節目ともあり、明大マンドリンクラブOBの古賀メロディー演奏と宮良多鶴子さんの独唱。 

立ちっぱなしの1時間近い開演にはいささか疲れましたが、参加者400名を越すいつもながらの盛況。県関係者以外に県外泡盛フアンの出席率が圧倒的に高いのがこの会の特徴。

この日も会場で佐々木、沼波歴代日銀支店長や郵政事務所長等旧知の方々と久々に懇親、交流出来ました。また、高名な明大マンドリンクラブと故古賀政雄の深い絆をこの日初めて知りました。

            

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「ひめゆり学徒・語り部恩師・新川先生」

2011年02月15日 | 「美ら島沖縄大使」便り

            

             (85歳の新川先生を囲んで~

          古希・同期牧志WUBネットワーク会長、金城康子さんと)


先の「WUB関西の設立10年パーティ」参加の機会に、大阪在住の恩師・新川先生にご挨拶訪問と思っていたところ会場でお会いできたのは望外でした。

この日、先生は関西在住の教職OBの集い「南友会」メンバーとして招待されたとのことでした。

先生は沖縄県立高女から師範学校へ進み、最後のひめゆり学徒隊員として沖縄地上戦に従軍された。終戦後、那覇市安謝中学2年の私達担任を最後に55年前、沖縄から生地の大阪に教職のご主人と共に転住された経緯は拙書「おきなわ就活塾」にも書かせて頂きました。

教職在任中は一切、沖縄戦体験を語ることは無かったようですが、定年退職後は堰を切ったように毎年、北海道から沖縄まで阪神地方唯一の従軍ひめゆり同窓・平和の語り部”として延べ500回を超える講演証言活動をされています。

今年85歳になられる先生、この日のパーティ終了後、両手に荷物を持ち、150センチの小柄な体躯を曲げながら愛娘・菅子さんがフランス出身のご主人と経営する「緑が丘公園」のレストラン「シャールの店」までに京橋、梅田と電車を乗り継ぎ、マラソン後遺膝痛に喘ぐ不甲斐無き教え子の私をサッサと足早に先導する元気さ!

移動のホーム、車内、道々で“辰弥君、私は戦中被弾の脚傷や手術を勧められている脊髄障害がありますが、受ける気はありませんよ。病障害と共生しながら毎朝体操していますよ。人間、やらねばならい課題があるから頑張るの!成らぬは人の成さぬなりけり!分かるよね!貴方の笑顔は中学時代とちっとも変わらないね!」等々数十年ぶりに尽きること無い説諭と激励を延々頂きました。

那覇市の介護施設に入院中とはいえ、毎日県内2紙を読み、世の動きに衰えること無い関心を持つ続ける90歳越える小学6年時の恩師・山元芙美子先生と言い、沖縄出身高齢女性の元気さにはホトホト感嘆!

”もつべきものは良き友と共に、良き師”を改めて認識しました。先生、何時までもお元気で!私も頑張ります!

        

       (先生と近隣居住のとかしきなおみ前衆議員と)

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「おめでとう御座います!WUB関西10周年!」

2011年02月13日 | 「美ら島沖縄大使」便り

     

 雪交じりのさいたま自宅を早朝6時に出立、大阪京橋のホテル・モンテレラ・スールで11時半開催の「WUB関西の設立10年パーティ」の招待を受け出席、心配した雪害も無く、無事11時過ぎの夜半に帰宅。

 WUB(World Uchinawanchi Business Association)とは今から1997年にハワイのロバート・仲宗根さんが立ち上げた世界の沖縄系移民居住者の交流組織で、現在世界17カ国、21支部から成り立つ。国内には沖縄、東京、関西支部がありますが、最近宮古島支部が発足しました。

 1999年に発足した東京支部会長にひょんなことから担がれ、翌年開催した「WUB世界大会In東京」では関西支部初め多くの皆さんに多大なご支援とお世話になりました。

思い起こせば、今から10年前、関西支部立上げのため何度か大阪の沖縄関係者間を奔走、苦闘していたBob仲宗根創始者と発起人の伊芸さんから「何とかならないか」相談を受け、京阪、東京に30近い道場を展開、500人を超すお弟子さんを擁する琉球舞踊「康舞会」を仕切る高校同期の金城康子に持掛けたところ“貴方の頼みなら、仕方ない!打ってつけの人がいます”と紹介、推してくれたのが、㈱仲里建設社長の現関西会長でした。WUB関西副会長も務める康子さん、この日の会場手配から3回に及ぶ琉舞披露と門下師弟動員の下支えの獅子奮迅。閉めの挨拶では突然、同期の牧志君と私の二人を壇上に呼び出し、面白可笑しく経緯を披露するユーモアーと機転も持たれる。

この日の出席者は沖縄から牧志WUBネッ、トエワーク会長に東沖縄会長に平良東京会長と各支部からの代表メンバーに県出身在阪教師OBの「南友会」メンバー、県大阪事務所長、渡嘉敷奈緒美前衆議員の来賓含め10名以上。流石に県外沖縄移住人口比率の高い阪神地方ならではの盛況さ。

会社もそうですが、組織というものは立上、発展、成長、継続、継承とそれぞれの局面で担い手は入れ替わる。

このパティーティに参加して改めて感じたことは“集まり散じ、人は代われど“イチャレバチョウディ(出会えば兄弟)、結いマールの”沖縄・WUBスピリット“は脈々と受け継がれている。

今回の特徴は企画、事務局の担い手が沖縄に心寄せる本土系ヤマトンチュが増えてきたことに沖縄カルチャー・スピリットの敷衍、浸透を感じました。

WUB関西の皆さん、ご苦労様!ご招待有難うございました。

         

          (琉舞披露の金城師匠のお孫さん姉妹と)

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「元・文部大臣・鈴木恒夫氏を招いて!」

2011年02月10日 | 「千客万来」

               

 元代議士・鈴木宗男ではありません。在職中からお二人は良く間違われたでしょう。

鈴木恒夫さんは、元毎日新聞政治部記者出身。新自由クラブの代表の河野洋平氏に買われ、秘書から神奈川区から立候補、6回当選、福田内閣・文部大臣に就任経歴の持主。福田内閣総辞職と共に退任、政界引退、今は大学講師を務められている。

記者時代、短期ながらも沖縄駐在経験から大の沖縄フアンで、この日の今年初の「三月会」講師としてお招きし、沖縄記者時代の朝日の亡・筑紫哲也さんの思い出から政界の魑魅魍魎、裏話、腹蔵なく語って頂きました。

この日の参加者は朝日、毎日記者、博報堂マスコミOBから中教審委員、弁護士、県内紙現役役員と久々に多彩な顔ぶれ20人。

三月会は“在京企業関係者の交流会”として武原沖縄物産社長、豊里建設社長と共に立ち上げ23年。スタート翌年から参加した新垣由紀子さんの献身的な事務局貢献から、お招きした外部講師もロッキー青山、筑紫哲也、岡本行夫、岸朝子、北野大、具志堅用高、緒方修、勝方恵子、奥野修司、川村晃司、佐野真一とマスコミ、大学教授、タレント、作家と内外多彩な延べ200人以上ながら、引退後とは言え政治家をお招きしたのは今回が初めて。

会を追うごとに“大和ンチュ”の構成メンバー比率が増えてきたとは言え、小規模ながら在京異色の沖縄関係集いといえます

                                

               〈宗男さんはこちら!)

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「生い立ちの記」:島崎藤村

2011年02月08日 | 「Weekly 読書感想」

             

 明治45年発表の藤村のこの作品。何で今頃と思うでしょうが、先にも書きましたように、年に数回は古典をと意識的に取組んでいます。本書、明治初版らしく、表題、著者名もも右横書。

藤村といえば「破壊」や「夜明け前」が代表作ですが、何故「生い立ちの記」かというと例の“スキャンダル告白“の「新生」の前編かと多少の週刊誌的興味に乗って手に取ったところ、時代背景が読み終わって何故か殆ど印象に残らない。わずかに小諸・長野の描写と下女や下碑文字の頻繁な登場が記憶に残ります。貧富と差別の当時世相の反映か。

それより3人の姉妹子供の罹病と死を淡々?描写した付随添付作「芽生」には当時の衛生、医療、短命の日本社会を見るようで衝撃を受けました。

 

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「山田ちずこさん、さいたま市議へ立候補宣言」

2011年02月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り

    

     

     (立候補宣言のする山田ちづこさん)

 

 26日、さいたま市氷川神社に隣接する「ラフォーレ清水宴」で高校同窓の山田ちずこさんが4月統一地方選でさいたま市議選へ立候補することを表明しました。これは「枝野幸雄と21世紀を作る会・新春の会」で民主党公認候補の県議3人に市議7名の言わば“枝野チルドレン”10名の一人として表明。内女性候補は3人。後半の懇親会は満場立錐の余地無い500近い出席者。千葉在住の沖縄出身の知人の

出席には驚きました。

この激励会に先立つ講演会では前内閣官房長官の仙石民主党代表代行が長官職の激務と内輪話の講演。仙石、枝野両氏は弁護士同士として、小沢氏に距離を置くグループとして党内で極めて親密な関係であることは良く知られています。

 現職官房長として超多忙な中、後半の懇親、激励会に駆けつけられ枝野さんに「先週、沖縄でお会いなさった仲井真知事とは高校以来の知友、先輩で先週もお会いしましたよ」と申し上げると「え!そうですか!」とビックリなされていました。

 平均年齢40代のこの日の立候補表明者、いずれもともすれば延々”長が口舌”になりがちな迫力、熱意ある挨拶、スピーチを聞いていると、10代後半に一時政治家志向に傾いた自分の資質との距離と違いを改めて感じました。

 それにしても10人中、唯一60歳を越す山田さん、これら若手に全く引けを取らない気迫と情熱には、同窓、出身、立場を越えて快哉、エールを送ります。さいたま市中央区に知人のいらっしゃる皆さん、是非応援御願いします。  

     

                (枝野内閣官房長官と!)

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「奄美、もっと知りたい」(南方新社);神谷裕司

2011年02月05日 | 「Weekly 読書感想」
奄美、もっと知りたい―ガイドブックが書かない奄美の懐
神谷 裕司
南方新社

 先の奄美出張訪問の際、拙書「おきなわ就活塾」(新宿書房)15冊を委託した古仁屋町の老舗「重野書店」に寄ったところ、11冊残存陳列!書中後半の自分史部分に古仁屋小学校時代の思い出を一部記載していますがタイトルがタイトルだけに販売今一か!

 それはそれとして、販売受託のお返しに先の「しまぬ世」に続いて当書店で本書購入、帰京機中、電車で読了。朝日新聞奄美特派員として駐在経験の著者、文化、政治、自然と幅広い奄美記。ジャーナリストらしいカレント鋭利な筆致で印象に残った部分は奄美振興特例法(アマシン)による土木依存経済と自然荒廃“トク・ヤス戦争”と呼ばれた徳田虎雄と保岡興治の激烈な選挙戦。この政争の激しさは奄美文化の特徴で、保岡氏の鹿児島区への転出によって、この政争が無くなるのは“奄美らしさの喪失”で寂しいとの慨嘆。それ以外に与論島に宮古島の“お通り”そっくりの飲酒パターン「与論献奉」があることや、奄美料理の代表である「鶏飯」が笠利駐在の薩摩役人接待料理として発展したことや韓国のクッパとの繋がり等その筆致は奄美フアンには興味尽きない。

     

    

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「奄美から大阪へ!」

2011年02月02日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                

 今回の奄美出張日程と沖縄県が毎年、東京で行う「観光感謝の夕べ」が重なり私は大阪のリッツカールトンホテルでの大会へ出席すべく、奄美から伊丹空港へ飛びました。大阪は東京の半分とのことでしたが、それでも優に600名を越す出席者の賑わい。

 仲井眞知事に東京から随伴、勝目商工労働部長、嘉手苅オリオンビール社長、富田琉球新報社長歴々も参加。大阪現地参加は諸喜田前県人会長に高校同期の琉球舞踊家元の金城康舞会長に仲里WUB関西会長ご夫妻はじめメンバーの方々ににお会い出来ました。

 因みに、オープニング琉舞は何時もの通り康舞会面々!

 沖縄コンベンションセンターの正社員スタッフとして、高校同期の故照屋輝一君の愛娘さんの元気な活躍姿にはビックリしました。会場を駆け巡る彼女の姿に、天国で微笑む輝一君を思いました。

大会後嘉手川大阪県人会長の経営する居酒屋での2次会に誘われましたが、この日奄美からの大阪入りしたばかり、流石に疲れが取れず、後ろ髪引かれつつご辞退、そのまま「のぞみ」最終便で新大阪を発ち、東京駅で京浜東北に乗換、さいたまの自宅に着いたのは午前零時を廻っていました

結局、一日で奄美、大阪、東京と縦断しました。

     

  (知事を囲んで諸喜田前会長、嘉手苅オリオンビール社長) 

    

       (金城師匠、仲村師範、故照屋輝一君愛娘)

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朝吼夕嘆

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