”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「恩師・玉城先生のご冥福お祈りします」

2008年12月31日 | 「美ら島沖縄大使」便り
             (故玉城先生と2007年ITカレッジ卒業式で)
 暮れも押し迫った12月26日、恩師の玉城政光先生の心筋梗塞による急逝報に接し衝撃を受けました。
 先生は私達高校1年時の担任、その翌年米留学、帰国後琉大教育学部へ、「スキナー研究会」主宰、オペラント理論・教育工学一方の論客として学部長、付属中学校長、沖縄女子短大学長を歴任、ITカレッジの理事長に就任されていました。
 ハンサム眉目秀麗な若き先生は多くの女生徒の胸を焦がしました。美人薄命を地で行くように沖縄キリスト短大独身講師で夭折したクラスメートの成田百合子さんがモデルのバイトしながらの中央大学哲学科院在学中、先生の気をいかに惹くかと高校時代、時に奇矯に振る舞った思い出を聞かされたことがあります。
 昭和34年入学の私達那覇高1年9組有志は、毎年1月9日に玉城先生をお招きしてクラス会を催しています。卒業後の先生との思い出は、一年のクラスで私が会計係を拝命していた時のエピソードや理事長を勤められるITカレッジの卒業式に招かれ企業代表として挨拶されられるたこと。また、今年3月那覇テラスホテルで行われた私の出版パーティで過分なお褒めのご挨拶を頂きましたが、その中で“See Napoli and Dei” ならぬ“Write and Dei”というフレーズが印象に残っています。今年6月に瑞宝中綬受賞祝賀会でお祝い申し上げたのが最後のお会いとなりました。享年79歳、思えば”かくあれ”と言わんばかり、誰の手も煩わせず卒然とした先生らしい旅立ち。改めて先生のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。


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波照間教授「琉球舞踊と身体 」~琉球・沖縄研究所講座に出席

2008年12月31日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 12月12日金曜日、早稲田大学アジア研究機構「琉球・沖縄研究所」(所長=勝方恵子早大国際学部副学部長)主催のオープン総合講座「沖縄学」に出席しました。この日のテーマ科目はお茶大で学位取得の波照間永子・明治大准教授による「琉球舞踊と身体 」。かつて琉舞型のデーターベース・プログロム作成を委託された縁もありスケジュール算段、出席しました。
 講義は私の最も疎い世界だけに新鮮!中でも立ち歩き、手振り表情等の“身体技法”が社会集団の中で伝承されて行く文化によって規定されるとこと。例えば、赤ちゃんの成長証しとして“這い這い”させる日本の文化に対しフランスでは“地面から遠ざける身体技法”=文化から鞘籠に赤ちゃんを立たせる習慣というのは驚き。
 こうした社会的文化の一般論から“こねり、まねき”等の琉球舞踊の仕種や型を解き、農耕・海洋の自然・生活様式から来る琉球のリズムを語り、単なる文献研究だけでなく、そこは賞を受けたほどの現役琉舞踊り手の波照間講師、糸満ハーレーのヘンサー(隼)漕方を自ら“えーく”(櫓)を持って演じて見せる。
 こうした内外の研究成果や琉舞師匠へのインタビュー、果てはハーレーの実地観察等の研究・考察の集大成を決められた時間内にピッタリ収める手際の良さ。10年前WUB世界大会プログラムの一環としてホノルル・ハワイ大学で聴講した同じ人の講義からは失礼ながら明らかに進化、深耕を感じさせられました。
 この人、指しで話すと“あさって見るような”ボアーっと焦点がボケるところがありますが、講壇に立つや一転、言語明瞭、パフォーマンス、起承転結、時間厳守、完璧!多少の贔屓目もありますがこれまで聴講した一連の講座の中で随一!圧倒的感銘を受けました。
 にも拘らず講義中始終机にうつ伏せ寝入り、その癖、終刻には何やらレポート用紙に記入、さっさと教室を去る学生がおり、思わず“失礼ではないか、君!ちゃんと聴いたのか!”とドヤシ付けそうな“切れ老人・重田”に気付き、抑制しました。
             
            (研究所支援メンバーと慰労会・左中央が波照間准教授)

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網野善彦;「忘れられた日本人を読む」(岩波書店)

2008年12月29日 | 「Weekly 読書感想」
『忘れられた日本人』を読む (岩波セミナーブックス)
網野 善彦
岩波書店

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 本書は著者が宮本常一著「忘れられた日本人」についての連続講演に加筆・修正したもの。本来は原本を読むべきだが、講演集を読んで原本を読んだ気になるのはいささか安易か!元はと言えば以前読んだ中沢新一の「僕の叔父さん網野善彦」に触発されたもの。難解・難渋だった「対称性人類学」(カイエ・ソバージュ)に懲りたのも本書に手が伸びた動機の一つか。
 なにせ私は宮本と網野は同時代、その道の泰斗同士と漠然と思っていたほどに人類学に疎い。なんとあの佐野真一が「網野と宮本の関係は渋沢敬三を介した弟弟子」と書いてあるとか。
 本書で印象に残った個所は第4講「百姓とは何か」で宮本が出生地である周防大島について述べている章。周防は移民が多いと言う。ここで「農業→定着→安定」という価値観から見た“百姓、貧乏、遍歴、漂白、移民”と見られる図式に疑問を投げ掛けている点。移民動機には遍歴、漂白外に移動、勇躍、時には豊かさもあるのではという仮説を広島・安芸、紀伊、肥後、沖縄など多移民地方例を挙げている。
 さらに、日本人=農業・百姓論や第一次産業=農業、士農工商、産業化=脱農業、近代化論に疑念を提示した宮本民俗学を改めて瞥見した気分。
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「宮良多鶴子さん・チモール・クリスマスコンサート」

2008年12月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 12月、恒例の宮良多鶴子さん・クリスマスコンサート。10日前まで東チモールに慰問リサイタルに渡航していたので、関係者はどうなることかとヤキモキしていましたが、本番ではご本人、そうした周りの気遣いなど何処吹く風か、例年になくリラックス、伸び伸びしたナレーションと詠唱。
 この不況風の吹く昨今、集客大丈夫かと懸念していましたが八重山郷友会や養秀(旧制県立一中・首里高校)同窓会を中心にほぼ例年に変わらない出席。
唄もさることながら、この人、“語り”が得意。昨年は南米ボリビヤ・リサイタルと自衛隊南極観測船「しらせ」号、今年は東チモール訪問と貧しいながらも底抜けに彼の地の明るい子供達の様子。その入れ込みようは彼の地に移住し、ボランティア活動を真剣に考えるほど。この人のこの直向さに惹かれる人が少なくない。 
 そもそも私が後援会のメンバーに入ったのも、植木沖縄フアンクラブ会長の再三の勧誘・要請によるものだが、多忙な公演活動にも関らずマメなお礼メールや委曲を尽くした対応に感服したのも一つの理由。
 この日、私がお誘いした知人・友人10余名、宮良さんのチモール民族扮装とサウンドに満場、堪能、沸きました。 
               

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“築城3年、落城3日”~「年末ご挨拶」

2008年12月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 皆様、今年は大変お世話になり、有難うございました。
当社は今期創業31年目を迎え、社長の座を生え抜きの岩崎に後継、会長に退くと共に東証1部同業の㈱CIJさんの資本を受入、グループ傘下に加入致しました。
 これにより、懸案の経営・資本両面に於ける事業承継を果たしましたが、ホットする間もなく、この度の世界的な金融不況、リセッションに襲われ、結果的に新社長に激動、逆風に生き残りを掛けた経営舵取りの責務を負わすことになり、真に忸怩たる思いです。
 まことに、中小企業経営とは予想困難な暴風・大海を航行する小船のような心境です。
 来期創業32期とは云え“築城3年、落城3日”の比喩を胸に、社員一同、なりふり構わず生き残りを図り、暮れも押し迫った12月末、二日間に亘り、社員を招集、危機意識と来るべき痛みの共有を目指しました。
 今年のご厚誼へのお礼と共に、激動来年のお引き立て、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
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「S-1グランプリンに行きました!」

2008年12月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先月歌舞伎町地下ライブハウス「新宿ロストプラスワン」で行われた“S-1グランプリン2008”に誘われ、覗きました。大仰な名前ですがS-1とは誰が付けたか”S”anshin”,S”himauta”,S”hinkyoku(サンシン・島歌・新曲)と絶妙。紛らわしい表題!済みません!
 シングル、デュエット、グループと15曲に及ぶ琉球、奄美の様々なニューミュージックのオンパレード。私の感性には程遠いジャンルですが、場内立錐の余地も無い200人を超す観衆に東京のど真ん中での沖縄・奄美ミュジックのプレゼンスとパワーをひしひしと感じました。こういうところから夏川りみや元ちとせ等がデビューしてくるのか!
 この地下場内の熱気に接していると、かつてリバプールの港街でヤンキーな落ちこぼれ・サブカルチャーと看做されたヤンググループがやがてBeatlesとして世界を制覇、自ら“キリストよりも人気がある”と一時代を築いたストーリーを思い出しました。
 それにしてもニューサウンドとは言え、ここ首都圏では沖縄と奄美は違和感無く受け入れられている状況に私は逆に“それは違うよ”と言いたくなった。そもそも“シマウタ”とは奄美語で元来沖縄にはなかった言葉。ここではゴマメの歯軋りならぬホザキか!
 後援は沖縄コンベンションビューロー以外に沖縄ツーリスト以外琉球新報、OTV、ラジオ沖縄、オキナワグラフと新報グループ。首都圏沖縄サブカルチャー担い手か!

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「テレビ朝日」川村コメンテーター!

2008年12月21日 | 「千客万来」
 先週、都内某所で「テレビ朝日」番組「やじうまプラス」やお昼の「ワイド!スクランブル」で多忙・著名な川村晃司コメンテーター(解説委員)と懇親。そもそもの縁は在京県出身企業人の交流会である「三月会」事務局の新垣由紀子さんの紹介で何度か講演をお願いしたことですが、その上早稲田の一文同窓でご母堂が私と同じ奄美大島出身でご親族が満州渡航、引揚者と言うことも絆を強めました。
 ご母堂を亡くされてから、一度生地をお訪ねしたいとご相談頂きましたが、奄美と言っても私の瀬戸内町に対し、ご母堂は名瀬市出身。ここで私と同じ古仁屋出身ながら名瀬で高校を出られた友人を紹介、3人で語り会いました。
指しでお会いすると画面で見る恐持てイメージとは違い、気さくな人柄、語り口、盛り上がりました。
 この日は沖縄宮廷料理でしたが、次回はぜひ“鶏飯”等の奄美料理とのご希望!今度新年会を兼ねてご一緒することを約しました。

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ついにリタイヤ!「第24回那覇マラソン」

2008年12月18日 | 「マラソン挑戦」
 15キロ近くだったか“重田会長!”の呼びう声に振返ると何と、仲井真知事の嬢さんのゆみなちゃん。聞くと主催の一翼を担う琉球放送(RBC)東京支社から与那覇支社長以下7人が訪沖、レースに参加したという。旅費は皆自費負担とぼやきつつ昨年は初参加で5キロ地点まで。2回目の今年は目指した10キロ地点を通過。大した練習もしないぶっつけ本番。
 その根性には驚いた。それにしても県内随一VIPのお嬢さん!伴走もいないという。この後、ボディガードをかって二人で17キロ地点まで併走。後4キロで昨年同様の中間地点・摩文仁の平和祈念塔、無理すれば行けると思いましたが、膝の後遺症が心配で具志頭交差点で共にリタイヤ、一緒に我社OB大山さんの運転する回送車で那覇に帰りました。10キロも走れれば上々と思っていたら17キロまで老走行、まあまあか。この後、ゆみなチャンは当日4時の飛行機で帰京、翌月曜の出勤に備え、来年は中間地点を目指すとのこと。いやはや恐れいりました。
 後は無理した膝の後遺症。この後何人かの知人からNHKやTBS等の全国ネットワークでも紹介された県内在住の著名な医療・膝サポータ製作者を紹介され、重い脚引き摺りつつ、治療製作のため訪問しました。
          
           (具志頭交差点前・17キロ地点、一緒にリタイヤ!)
                    
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「24回那覇マラソン」③

2008年12月17日 | 「マラソン挑戦」
             (13キロ当たり・ランナーチラチラ最後尾集団!)
10キロも行ければ万歳と思っていましたが、3万人走者の後方とは言え、周りに押され、気が付けば10キロ地点通過!時折、膝に痺れと鈍痛を感じ、ヤバイ!とくに下りになると疼痛が走る。そこで下りは歩き、逆に周りが歩き始める登り坂は駆ける。
 11キロ給水地点を過ぎ、昨年合併して出来た八重瀬町の東風平中学近くに差し掛かる。この辺りは過去15回も通過した黍畑を抜ける思い出のロード。
 16年前・52歳時のフルマラソン初挑戦時、当時の久高沖縄事業所長が女子社員二人と共にお住まいの具志川からわざわざこの辺りまで応援に来られ、差し掛かった私に併走しつつ「大丈夫ですか、山城さんも志喜屋さんさんも来ていますよ」の声援を思い出す。山城さんも「社長!社長!」と大きな目をより大きく見開いて右手にバナナを左手にドリンクを差し出す。もう一人の志喜屋さんが「社長!ポーズ、ポーズ」と撮ってくれた初マラソンの写真(下記)の記憶が昨日のことのように思い起こされた。当年80余歳の久高元所長はすでに退任。山城・志喜屋両OBも結婚、子育てに忙しい最中と聞く。
 そんな往時の思い出に浸りつつ走っていると“重田さん!”と呼び声に我に返り、沿道に目をやる。何とそこに8月ブラジルでお会いした琉大移民センター研究所の金城教授!ここでお会いするとは。やおら、ご持参のカメラを向けシャッター。“後でお送りします”との声援。
 これだとひょっとしてあの具志頭交差点まで行けるかと思った瞬間、膝に痺れを感じ、立ち止まろうとしたら今度は“重田会長”という女性の声!
                  

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「創業2度目のピンチをチャンスに!」

2008年12月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 当社は12月第一週、東京本社に沖縄、大阪、名古屋、静岡全事業部から幹部社員50名が集まり、二日間に亘り「31下期の経営方針」を討議しました。
 今期のテーマーは“迫り来る逆風に備え”どう生き抜くかの対応策。と言っても妙案、奇策がある訳ではなく、要は危機意識の共有と痛みを分ち合う合意形成。
社歴も30年越すと“1,2期赤字だろうが会社は社員にちゃんと給料・賞与を払うべき”という声が台頭します。自宅を抵当に入れ、借金経営していた創業間もない頃には考えられない“正論”です。「会社寿命30年」説が納得出来ます。なにしろ“自分が生まれる前からある会社”、倒産なんて想像の埒外、一部社員から見れば無理もない。
 先日の検討会で私はバブル崩壊期の91年から3年続いた売上、社員数激変の最中、どう黒字で凌いだかの体験説明に止め、具体的対応策や目標数値の提示、計画は社長、専務に譲りました。
 このリセッション、逆風、向う3年は続き、業界三分の一は統廃合されると思います。凌いだ暁には新たな市場と展望が開くべく、この創業2度目のピンチをチャンスと捉え、社内体質改善・強化に取組んで行きます。

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「第24回ナハマラソン」②

2008年12月14日 | 「マラソン挑戦」
             (沖縄銀行本店前から国際通りに入る)
 12月7日、第24回ナハマラソン、奥武山スタート。とはいえ、3万人近い参加者中、私のゼッケンは後方の27614番。スタート地点を踏んだのは9時20分過ぎ、先頭ランナーはすでに安里三叉路を過ぎている。膝の疼痛を気にしつつ、旭橋から泉崎交差点を右折、県庁前を左折、国際通りに入る。
 プラカードを掲げ、手作りおにぎりとバナナブレッド、飲み物持参の新垣由紀子さんがモノレール牧志駅下で応援に駆けつけておられたが、互いに発見出来ず残念、申し訳ない。と思いきやその手前沿道から“重田さん~!”と呼ばれた気がして、その方向を見ると何と糸数参議員!路傍に駆け寄り“糸数さん!”と声を掛け、握手!
 当初、この辺りまでと思った国際通りからモノレール線路下安里三叉路を右折。ここでも近くの「こべんぎん食堂」経営の宮城光枝さんが応援に出ている筈だが姿発見出来ず。このように沿道立錐のない応援者を発見するのは極めて難しい。サポーター装備の両膝に時折違和感覚えている内にひめゆり通りに入り、最初の給水地点5キロに達し、立ち止まり給水。この後~!  
                  
      (出版記念司会の吉沢さんも私の影響で今や私を凌ぐランナーマニヤ!)
 

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「第24回ナハマラソンスタート」

2008年12月12日 | 「マラソン挑戦」
         (午前8時半スタート地点・吉沢直美さん撮影)
 前日の12月6日、那覇空港着。“奥武山グランドまで”と空港から乗車したタクシー運転手、“又かよ”と言わんばかりのゲンナリ・ブッチョ面。無理も無い。この日、1時間近く客待ち並んで、10分足らず・基本料金の空港とグランドを何度か往復しているという。運転手の立場も分かるけど本土からレース参加に駆け付ける客の立場も理解して欲しい。渋滞の道々、彼の運転手と一致した点は、空港でゼッケン配布したら参加者も便利だし、運転手もホテルまでの運行と双方メリットがあるのにということ。エントリー8時ギリギリ寸前に体育館に飛び込み、ゼッケンを受け取る。
 翌12月7日、多くの友人、知人の懸念、呆れを背に、膝痛の不安を抱きながら第24回ナハマラソンスタート地点・奥武山に立ちました。今回は過去最大の3万人以上のエントリー。私のゼッケンはその後方の27614番。
9時のスタートの号砲聞いて、スタート地点を踏んだのは9時20分過ぎ。
膝をかばいつつ、旭橋から泉崎交差点を右折、県庁前を左折、国際通りに入る。
沿道、立錐の余地無い応援、見物の人並み。障害膝を抱え、果たして何処まで行けるか。 
            
(大会本部前で主催者・岸本沖縄タイムス社長と!)


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「第24回那覇マラソンと膝故障」

2008年12月06日 | 「マラソン挑戦」
 12月第一日曜の7日,恒例の那覇マラソンが開催されます。今年で24回目。
これまで私は半分の12回に出場、内9回は何とか6時間制限内で完走しメダルを頂いている。ここ2年は6時間半のタイムオーバーと中間通過の平和祈念堂でリタイヤ。
 実は今年夏頃から膝に違和感があり、先のブラジル・コパカガーナー海岸での1時間走で決定的に悪化させたようです。
 帰国後、階段下り歩行時に左膝に痛みを感じ、整形外科でレントゲンとMRI撮影の結果、医者から「よく、これで走っていましたね!」と言われました。結果は老化と酷使による間節軟骨磨耗の“変形性膝関節症”。関節を滑らかにするヒアルロン酸を両膝に注射。さらに左膝裏の腫れを取るため、注射一本位の水抜き治療を受け、医者からマラソン禁止を言われた時は、“70過ぎのフル完走ランナー大勢いるのに、何で私は!”と言いようのない喪失、絶望感に襲われました。それでも週末は自宅近いスポーツセンターで一時間ほどのマシン・ウォーキングトレ。
 今回の那覇マラソンはすでに申し込んでいましたので、あの高揚感忘れ難く、とにもかくにもスタート地点に立ちます。走ればズキンズキン痛みが来ますので、せめて安里三叉路辺りまでを目指します。
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「芭蕉誌」~琉球大学同窓会関東支部機関誌

2008年12月05日 | 「Weekly 読書感想」
 毎回上質A4カラー版20Pに亘る機関誌。と言えば何の変哲も無いように見えますが、実は学長、支部長への挨拶原稿依頼から広告取り、写真撮影、レイアウトまで事務局長の宮城重哲さんが毎回ほとんど一人で編集しています。それだけでなく、原稿、写真等のコンテンツ・レイアウトをCD化し、業者に郵送し印刷を委託し、刷り上った機関誌を輸送受理している。つまりはネットでこうした印刷業者を検索、数百部のカラー機関誌をわずか10万以内の予算で作成しています。
 多くの同窓会、同好会の機関誌、会報等の作成にご苦労なさっている幹事の方々に参考になればと今回は宮城事務局長の孤軍奮闘、獅子奮迅の活躍と合わせてご紹介しました。

        
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「ぶうげん」35周年、おめでとう!

2008年12月03日 | 「美ら島沖縄大使」便り
“継続は力なり”と言いますが、ベンチャービジネスや水商売の50%が10年以内に消えると言われる最中、ここ新宿は歌舞伎町ど真ん中、伊藤ママ一人で立ち上げたサロン“ぶうげん”が今年35周年を迎えた。しかも、この人、昨年は脳挫折、人事不省の数ヶ月の入院生活、ものともせず不死鳥の如く復活、今日を迎えた。
 中卒で沖縄から上京、獅子奮迅、若い頃はあの伝説の琉舞亭九段「みやらび」の華麗な踊り子として一世を風靡した。お店を立上げ、単に水を売るのではなく、数百人からなる「ぶうげんの会」を立上げ、年2回の会員誌「花だより」を10年以上に継続する一方、郷土・宜野座村へのボラアンティア活動を欠かさない。さらに、35周年を機に荒廃の心配される富士山への植樹キャンペーンを計画している。
 創業31年で顎出し気味の私から見て、35週年迎えて、なお衰えぬ政子ママのエネルギーと情熱に感嘆!その源は一体どこから来るのだろう!“沖縄の女性、強よし”という紋切り型の台詞では片付けられない。

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朝吼夕嘆

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