(左・閉店した銀座・瑞慶覧ママ・お疲れ様!)
今年三月、開店から30年以上続いた新宿歌舞伎町の沖縄クラブ「北山」が惜しまれつつ閉店しました。「北山」を“きたやま”ではなく“ほくざん”と呼ぶ人は沖縄通。
昔、沖縄には「南山」(なんざん)、「中山」(ちゅうざん)の地名がありましたが、今は「北山」呼称しか残っていない。その一つの理由に「北山高校」の存在があります。
「北山」はまた今帰仁(なきじん)と重複呼称され、古来“今帰仁美人”で有名。「北山」のママとチーママは従姉妹同士で共に「北山高校」出身で“今帰仁美人”を売り物にしていました。
沖縄では“今帰仁美人”に対抗するように“糸満美人”(いとまんウランダー)が有名ですが、色黒南洋系の糸満美人に対し、今帰仁美人は色白北方系と対象的。東支那海に面するこの北山・今帰仁の反対側・太平洋に面する宜野座出身のママが経営する「ぶうげん」があります。言うまでもなくこの名称は熱帯花の“ブゲンビリヤ”からの由来。近くにはもう一軒、沖縄料理屋「南風」があり、クラブ、料理、スナックとそれぞれ個性的を持ち、競合することなく三〇年以上に亘り、並立、存続する至近のこの沖縄三店を廻る沖縄フアンは多かった。
私はかって、この三店を“歌舞伎町・沖縄のトライアングル”と賞賛しましたが、ここ歌舞伎町だけでなく、“銀座沖縄トライアングル”「芭蕉布・阿檀・夕雨子」の一角「芭蕉布」も先日閉店しました。さらに、十数年続いた神田の「やいま」も近く閉店します。首都圏沖縄接遇ビジネスモデルの異変、曲がり角?世代交代?
共に復帰前の沖縄からパスポート持参で上京、業種は違うとは言え”顧客接待、ストレス解消と交流した“創業戦友”のリタイヤには奇しくも創業30年で会社合併、社長退任、事業承継の我とわが身を振り返り、時代と世代の節目を感じます。二条さん、瑞慶覧さん、幾枝さん、お疲れ様!
(沖縄美形を揃え、隆盛を極わめた歌舞伎町「北山」)