”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「八重山芸能祭」で秋田美人にバッタリ!

2013年06月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り

          
 
三月も前の話で恐縮ですが、去った4月27日、お馴染みの王子駅前の「北とぴや」で開催された八重山古典民謡保存会関東支部による「第一回伝承者育成公演」に秋田美人にバッタリ!
 
この祭典、同じさいたま市に住む入澤紀師匠からの再三のご勧誘によるものでした。
 
わずか2週間前に同じ会場で開催された東京八重山連合会主催の「八重山祭り」のわずか2週間後の開催、参加動員数は大丈夫かと懸念しましたが、会場ほぼ満席の参加につくづく八重山島民の郷土芸能への愛の強さを思い知りました。2週間前の八重山祭りの司会を務めた佐々木さん、知る人ぞ知るTBSラジオの長寿生番組「大沢悠里のんびりワイド」に毎朝コマーションコメンテータで出演するこの“秋田美人”。実は「ローフードマイスター」としても有名な南大東島観光大使の吉澤直美さんによる10年前のご紹介でした。
  
        

 改めてこうした美女二人を取り込む沖縄の持つ魅力を思い知りました。

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「㈱CIJネクスト」退任のご挨拶

2013年06月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り

  初夏とは言え、ここ関東は未だ梅雨の最中、皆様いかがお過ごしでしょうか。
  さて、私は旧㈱日本アドバンスシステム創業30年目を期に代表取締役退任、同時に東証1部同業の㈱CIJと資本提携、3年後の2010年、グループ会社4社と合併、㈱CIJネクストとして再出発、今日まで3年に亘り会長・顧問を務めさせて頂きましたが、1013年6月末日決算期をもって、常勤顧問を退任致します。長きに亘る皆様のご支援、深く感謝申し上げます。

 ㈱CIJネクストは9月まで非常勤顧問を務めさせて頂きますが、来月・7月以降はこれまで培って来た皆様との繋がりと絆を活かし、次世代・後輩並び郷土のために何がしかお役に立てればと下記の通り、創業の地「三田」にプライベートカンパニー㈱日本アドバンス・オフイスを開設致します。今後ともよろしくお願いします。  
 
 なお、mailアドレスは「shigetata@jcom.home.ne.jp 」変更になりましたのでよろしくお願いします。
 (新事務所)〒108-0014 東京都港区芝5-13-11 第2二葉ビル9F ㈱日本アドバンス
              
 
          (最後の出勤日6月28日
本社勤務NAS出身社員有志が
顧問室に来訪、記念スナップ!有難う!)

 

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「関東沖縄経営者協会総会」

2013年06月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                       
                               (国場幸伸講師を囲んで)     
 先週20日・木曜、神保町の日本教育会館・喜楽倶楽部会館で第46回の関東沖縄経営者協会総会を開催しました。

 宮崎衆議員、渡久山県人会長、仲本県事務所長、新報・タイムス両支社長に松永奄美東京事務所長歴々来賓のをお迎えし、100名を優に越す出席者。
この日の、目玉は國場幸伸「ザ・テラスホテルズ」(ブセナグループ)社長による「ブセナ開発とRe(Re-engineering)の時代」講演。
  沖縄県内ホテルは今、外資系と本土大手に席捲され次々廃業に追い困れる等苦戦している最中「テラス・ホテルズ」グループは増収増益、県内NO1業績を実現しています。
 ブセナ地域のリゾート開発は県庁、地元、同業、果ては基地依存とも関わる気の遠くなるような第三セクター難事業。建築設計士出自ながら地域開発、プロデューサーとして様々なアイテム、キーワードを開陳しつつマーケティング、人材登用、組織構築等々経営者としての貴重な体験談。一口にホテル業界と言えどもCityとResortは市場、経営のコンセプトが全く違うことを教えられました。

 とかく“補助金・基地依存”の沖縄経営体質と言われる中、前回の平良由乃「プラザハウス」社長に続く、今回の国場社長の奮戦談は次世代沖縄自立経済パワーを確信させるものでした。
 それにしても、この日講師の幸伸社長を筆頭に国会議員、県経済団体TOP、県稲門会長等々と戦後沖縄の生んだカリスマ経営者の故国場幸太郎社長一族の多彩な人材排出を改めて痛感しました。

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「中学2年の恩師・新川先生、お元気!」

2013年06月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                       
 義母の1周忌・墓参で訪阪した先月、関西在住の沖縄は安謝中二年のクラスメート二人と共に関西唯一の“ひめゆり語部“として活躍する恩師・新川先生をお招きし、歓談、ご慰労しました。88歳の先生、パリ留学時の一酸化中毒後遺のご子息を介護しつつ、なお、矍鑠、明快な語り口に、教え子の私達が逆に元気を貰いました。

 たまたま、我家のリフォーム時に所蔵ボックスから出て来た先生が沖縄から京都に立たれる際に私に下さった惜別メッセージのコピー、その流麗な筆跡に感嘆しつつ、往時の思い出話に時間を忘れました。

 その際、同時に持参した中学2年の私の日記帳に、この日出席のクラスメート勝枝さん、初枝さんの名前を発見し、共にヤンヤと騒ぎました。 先生、何時までもお元気で!

 実はこの日、参加した3人のメンバーは偶然ながら皆、私が小学6年2学期に奄美大島の古仁屋から移住し、編入した当時の沖縄真和志村(現・那覇市)安里(現・安謝)小学校6年のクラスメート。卒業後、それぞれ紆余曲折、古希を迎え、さいたま、神戸、大阪に居住する現在です。

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「東京奄美会・文化講演会に参加、ビックリ!」

2013年06月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                          
                   
                           (「日本復帰の歌」合唱)
 在京の奄美出身者は「東京奄美会」や「武蔵野奄美フォーラム」等による様々な文化活動をしていますが、先週土曜8日、四ツ谷駅前の「主婦会館」で開催された「奄美会・文化広報部」(池田部会長)主催の講演会に出席しました。
 
100名を越す出席者、恒例の全員起立“故郷遥拝”で始まりました。

 テーマは右田昭進先輩による「東京における日本復帰運動史」。今年84歳になられる右田先輩は、日本復帰前、沖縄と共に米軍統治下の奄美から本土へ7度の密航チャレンジの末、本土へ渡航後、中央大学に進学、この間、故郷の奄美に帰還した際、”不法入国者”として米軍に逮捕され、普天間に連行され留置された苛烈な経験をもっておられます。 奄美から本土渡航が“密航”.生まれ故郷への帰省が“不法入国“とされた南西諸島史への証言、今や貴重な”語り部“の右田先輩。
講演の趣旨は奄美本島では余り語られない当時の在京奄美出身者の復帰運動歴史。

 右田先輩は 中大卒業後の昭和30年から6年間、東京「沖縄グラフ」社や琉球新報東京総局に記者として活躍、10年後の昭和41年に同じ「琉球新報」東京総局に入社する私とは後に琉球新報本社社長になられる同時の伊豆見「東京総局長(支社長)」に仕えた職場の大先輩。
 
その所為もあり、講演当日並み居る郷土先輩聴衆の中、度々“おい!重田君!と名指され、挙句は”奄美と沖縄の復帰運動の差は?“とコメント発言を求められ、冷や汗ものでした。会場の雰囲気は“屈辱の日本復帰”の沖縄と違い“復帰礼賛”基調。

 
 〆は全員起立で、懐かしの「日本復帰の歌」合唱。朗々と響く参加女性のコーラスには魅せられました。 たまたまこの日、同じく右田講師から名指され、奄美の復帰問題へのコメントをなさった元・高校教師の森さんに懇親会で挨拶したところ、何と同じ復帰前の沖縄移住者、しかも安謝中、那覇高の後輩、自宅も最寄りの安謝地区!
 
ここで、改めて“場所には行け、人には会え”の我が信条を再確認しました

                                                      

 

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「全国最下位沖縄学力テスト」

2013年06月08日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                 

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「異変?沖縄接遇ビジネス」

2013年06月04日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                 
                     (左・閉店した銀座・瑞慶覧ママ・お疲れ様!)
 今年三月、開店から30年以上続いた新宿歌舞伎町の沖縄クラブ「北山」が惜しまれつつ閉店しました。「北山」を“きたやま”ではなく“ほくざん”と呼ぶ人は沖縄通。

昔、沖縄には「南山」(なんざん)、「中山」(ちゅうざん)の地名がありましたが、今は「北山」呼称しか残っていない。その一つの理由に「北山高校」の存在があります。

「北山」はまた今帰仁(なきじん)と重複呼称され、古来“今帰仁美人”で有名。「北山」のママとチーママは従姉妹同士で共に「北山高校」出身で“今帰仁美人”を売り物にしていました。

 沖縄では“今帰仁美人”に対抗するように“糸満美人”(いとまんウランダー)が有名ですが、色黒南洋系の糸満美人に対し、今帰仁美人は色白北方系と対象的。東支那海に面するこの北山・今帰仁の反対側・太平洋に面する宜野座出身のママが経営する「ぶうげん」があります。言うまでもなくこの名称は熱帯花の“ブゲンビリヤ”からの由来。近くにはもう一軒、沖縄料理屋「南風」があり、クラブ、料理、スナックとそれぞれ個性的を持ち、競合することなく三〇年以上に亘り、並立、存続する至近のこの沖縄三店を廻る沖縄フアンは多かった。

私はかって、この三店を“歌舞伎町・沖縄のトライアングル”と賞賛しましたが、ここ歌舞伎町だけでなく、“銀座沖縄トライアングル”「芭蕉布・阿檀・夕雨子」の一角「芭蕉布」も先日閉店しました。さらに、十数年続いた神田の「やいま」も近く閉店します。首都圏沖縄接遇ビジネスモデルの異変、曲がり角?世代交代?

共に復帰前の沖縄からパスポート持参で上京、業種は違うとは言え”顧客接待、ストレス解消と交流した“創業戦友”のリタイヤには奇しくも創業30年で会社合併、社長退任、事業承継の我とわが身を振り返り、時代と世代の節目を感じます。二条さん、瑞慶覧さん、幾枝さん、お疲れ様!
   
             
               (沖縄美形を揃え、隆盛を極わめた歌舞伎町「北山」)

 

 

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朝吼夕嘆

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