”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

高橋俊介「キャリアショック」(東洋経済新報社)

2004年05月24日 | 「Weekly 読書感想」
 当社の社員から紹介され、久々に文字通りショックを受けたビジネス書。読書していて良かったと思わさせられた書。

 ある日突然、昨日までのライバル会社の制服を着る。上司が突然外人になる等、私の周りでも目撃する。今まで信じていた価値が突然変化し、長期的な人生設計や天職意識は通用しなくなる時代のキャリア形成方法を説く。

 多くの人生は、予め計画されたプランニングではなく、多分に偶然によって支配される。ここから偶然をどう作るか、偶然に遭遇した時にどう対処するかという“計画された偶然” (Planed Happen stand Theory)という考えが新鮮だ。それには好奇心、こだわり、柔軟性、楽観性、リスクチャレンジ。よく考えると矛盾する5つの行動・思考パターンを挙げている。

 私は希望する大学、就職先、上級公務員・司法試験全てに失敗した。もしこの一つでも合格していたら今時、リストラされ、天下り先詮索に汲々、陳腐化した資格に胡坐をかき、どこかの抵抗勢力になっていたかも知れない。してみると全て落ちてよかったのか。

 休日「どうしょうか」と躊躇する時、「人には会え、場所には行け」をモットーに “エイ!”と自ら叱咤出掛けることにしている。日曜のスポーツセンターでも「休もうか」と思いつつ場所に行けば、周りに引きずられ結局1時間走っている。

 それは終生プロイセンの片田舎で沈思黙考、思索、「純粋理性批判」を書き上げたカントのような天才と違い、絶えず自ら機会と外圧を作り、果ては見栄と虚栄心を利用し、自分を追い込む以外ない凡夫の知恵だったが、本書でその蝸牛の志がちょっぴり立証されたような気分。

 ただ、本書を読むと「この道一筋は阿保で、転職こそ最良」のような気になるが、転職が囃されるアメリカでもIBM始め名立たる優良会社の首脳は圧倒的に生え抜きであることを忘れてはならない。それは過去の話よと言われればそれまでだが。

 ただし、全てにライフサイクルの短い現在、進路をこれから選択する若い人や転職を検討している人には随分参考になる。子息の進路を心配する親御さんには自分達の経験が今後は必ずしも通用しないと言う意味で必ずヒントが得られると思う。
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中島敦「山月記・李陵 他九篇」(岩波文庫)

2004年05月24日 | 「Weekly 読書感想」
 私がこの世に生を受けた翌年、33才で夭折したこの天才作家。確か大学受験時代、参考書で瞥見、いつか読みたいと思った本書、ついに読了。わずかに8ページの「山月記」がなぜこれほど天才作品として名高いのか。

 私には武帝に仕え、匈奴征伐に敗れた主人公を弁護し、宮刑に処された「史記」の司馬遷を一方の主題にし、犀利、雄渾な膂力に満ちた「李陵」の文章の方によほど圧倒された。

 今読んでいる座談会「日本文学史」の中で加藤周一は、「漱石、鴎外は漢文が読めて、漢詩も書けたが、彼以降の自然主義作家は漢文も詠めず、以後日本語のリテラシーを著しく落とした」と言っている。

 しかし、昭和18年33才で「李陵」を書いた著者、四書五経は言うに及ばず、広く中国古典・漢詩に通暁し、漢語を自家薬籠中にしたこの夭折天才、「和漢朗詠集」「懐風藻」もかくやと思うほどのそれこそ日本語リテラシーの凄さには圧倒される。

 所蔵7編あちこち、それこそ文字と言葉に自家中毒、翻弄される著者自身を描いている。
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井原西鶴「日本永代蔵」(岩波新書)

2004年05月17日 | 「Weekly 読書感想」
 コメントするまでもなく、評価の高い西鶴町人もの。
江戸中期勃興する「日本商業資本主義の萌芽を探るべく」などと大上段に構える積りはないけれど、武士階級に抗して吝嗇、節約し、財を成した全国のケースを捕集、紹介、簡潔、リアルな筆致に西鶴の天才を知る。

 共通するのは若い時に勤勉・蓄財し、50過ぎ老後の悠々自適をもっとも理想とする価値観。単に成功談だけでなく、財を成した後蕩尽し、「1代目苦労、2代目楽、3代目乞食」という没落、破産のストーリーも結構紹介している。
 その西鶴は、大阪の裕福な商家に生まれながら、家業を使用人に譲り、作句と著述に耽溺、晩年は一家離散、恵まれなかったというから皮肉だ。

 思い出すのは、終戦で私達一家と一緒に満州から奄美に無一文で引上げ、周りの富裕者を見て自ら励ますように「羨み無さんな!今に見ていなさい!」と常に母に言っていたウフミ従姉伯母の「永代蔵」を絵に書いたような勤勉、蓄財振り。事実、この伯母夫妻は奄美の古仁屋港際に居を構え、当初の「船乗相手のボロ売」を手始めに 「手荷物預り」から、次いで「油販売」に商売を広げ、遂に小財産を成した。しかし、子に恵まれず晩年はあまり幸せでは無く、奄美の老人センターで逝去した。

 万事大まかな亡母は、この父の従姉で事実上の媒酌人であった小姑のようなウフミ伯母を終生、大の苦手としていたのを可笑しく思い出す。
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 高橋俊介:「キャリアショック」東洋経済新報社

2004年05月16日 | 「Weekly 読書感想」
(4/25~5/15)

 久々に文字通りショックを受けたビジネス書。
ある日突然、昨日までのライバル会社の制服を着る。上司が突然外人になる。今まで信じていた価値が突然変化する。そうした時代、これまでのような長期的なライフプランニングや天職意識では通用しなくなる。変化の激しい時代での新しいキャリア形成方法を説く。
 多くの人生は予め計画されたプランニングではなく、多分に偶然によって支配される。ここから偶然をどう作るか、偶然に遭遇した時にどう対処するかという“計画された偶然”(Planed Happenstand Theory)という考えが新鮮だ。
 それには好奇心、こだわり、柔軟性、楽観性、リスクチャレンジというよく考えると矛盾する5つの行動・思考パターンを挙げている。

 私は希望する大学学部、朝日新聞、上級公務員、司法試験全てに失敗した。もしこの一つでも合格していたら今時、リストされ、あるいは天下り先に汲々、資格に胡坐をかいていたかも知れない。してみると全て落ちてよかったのか。いずれにしろ振り返った見て、事に際し上記の5つの思考パターンを取って来た様な気がする。

 進路をこれから選択する若い人や転職を検討している人は必ずヒントになる。ぜひ読んで欲しい一冊だ。


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なかにし礼「赤い月」上下(新潮社)

2004年05月10日 | 「Weekly 読書感想」
 「重田辰弥様」と著者直筆のサイン入りの本書を、銀座の夕雨子ママから頂いた。

 これはほぼ著者の回顧録。著者は別書で兄のことを書いているが本書は、母の物語でもある。 父を亡くしたばかりの母が残留の満州で、著者と妹の前で別の男に献身する姿に嫌悪する姿を客観的に描いている。

 ハルピンに生まれ、6歳で大連から引上げた私にとって、終戦の修羅場の満州は避けて通れない。 終戦真近だから昭和19年暮だったか、私達が暮らす大連サワビルのアパートに予備役の父宛に 召集令状が届き「遂に来たか」と父母が顔を見合わせたのを覚えている。 父帰還まで、5歳の私と生後間もない妹を抱え母はどれほど心細かったか。

 父は間もなく大連郊外の義妹の家に泥まみれの顔で帰還した。 後によく父が酔って人に「シベリア輸送中の列車から飛び降り、石炭車を乗り継いで」と 逃避行を面白可笑しく語っていたが、本当のところはどうだったか。
 本書によってハルピンの遥か北の牡丹江からの引揚者の悲惨さは、 大連引揚の私達の比ではなかったことが分かる。 引揚は「ハルピン市日本人遺移送民会」という市民団体で行われたこと。 軍人軍属、ハルピン在住一般人、外から避難民、最後の開拓団民から多くの残留孤児が出たのだろう。

 著者はそこまで意図していないが、本書は映画やテレビでドラマ化されている単なる物語ではなく、 私達のような満州引揚者にとっては痛切な回想であり、中国人民への贖罪の符でもある。
 本書のもう一つの価値は、巻末に掲げられた300余の満州に関する参考文献一覧にある。
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野本一平「宮城与徳」(沖縄タイムス社)

2004年05月06日 | 「Weekly 読書感想」
 「北米毎日新聞代表」の著者による名護訪問取材を含む広範囲な取材に基づく 本書、読み終え粛然とした。
 出稼移民の父に呼び寄せられ渡米、日系と白人社会の二重差別を受け、 革新沖縄青年達の「黎明会」に出会い入党、指令を受けてゾルゲ事件に巻き込まれ、 40歳で獄死するこの画家の生涯は、今なおヤマトと国際政治に翻弄される沖縄の縮図を 見る思いだ。沖縄出身者の北米移民史とも云える側面が描かれており、 その意味でWUBの原点とも云える。

 先に掲載した外間守善「沖縄学への道」で 伊波普猶の北米講演を知ったが与徳がこれに付き添ったこと、竹久夢二との交友、 与徳の渡日と活動指令にあの「闇の男・野坂参三」が絡んでいた等、興味尽きない。 それにしても内気なこの芸術家が、肺の宿病を持ちつつ諜報活動に入ったのは信念以外に、 駆落ちした人妻に去られた挫折感が大きく左右したと思うのは卑俗過ぎるか。

 本書を読んでいくつか因縁を感じた。記憶に間違いがなければ昭和41年多磨霊園に 30名程の関係者が集まり、与徳を含めゾルゲと同士の合同墓碑式に琉球新報東京支社に 入社したばかりの私が取材で出席したことに気付き驚いた。 式場、白髪の老婦人の毅然として挨拶姿が記憶に残っているが、あれは与徳に強い影響を与えた という党員協力者の九津見房子ではなかったか。
 1990年「新沖縄文学」85号では私の「粟国安彦」伝と尾崎秀樹の「画家・宮城与徳」伝が 並んで出ている。WUB北米の斎藤陽子さんが来日した昨年、品川のシネマコンプレックスで 一緒に、篠田正浩監督の「スパイ・ゾルゲ」を鑑賞し、それを契機に本書を頂いた。陽子さんに感謝!

 本書編集担当としてかってお世話になった沖縄タイムスの上間常道氏、発行者として高校の同期・ 水島健治氏の名前を見るのも嬉しい。
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「1年振りハーフマラソン完走!」

2004年05月06日 | 「マラソン挑戦」
連休の4日、庄和大凧ハーフレースに出場。とりあえず完走。
五月薫風に吹かれながら江戸川土手を走る好きなコースの一つ。 平成5年の5回大会から連続9回出場していたが、昨年2月に頚椎障害を起してから 頸部に衝撃を来たすレースは医者から禁じられていた。

今も右指先に痺れが残るが、通院しながら週末スポーツセンターでの小1時間 ベルト・ジョグを続けていた。調子に乗り、先月10キロロードを走った。 果たせるかな数日頚腕の不快に悩まされ「まだ、無理か」とがっかりした。

その矢先またまたどうして?数ヶ月前に申し込んでいた上に3時間という緩い制限 と調子悪るければリタイヤと出場した。
折から台風並の逆風にたまらず19キロ過地点で歩き始めた。 ゴールは2時間39分。生涯ワースト記録。
ゴールする頃、表彰式や閉会式が始まっている私のようなランナーは順位より 「後に何人いるか」が気にする悲しい性が身に着いている。 今回60歳以上330名中309位。総合2300名中1887位。 もうロードは無理と思っていたがとりあえず、やった!

問題は頚椎後遺症。早くも肩から腕にかけて違和感が出てきている。
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朝吼夕嘆

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