”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

伝説の赤坂「スナック那覇」物語(終章)

2008年04月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 周りに一軒も家屋が認められない人里離れた寒村での一人暮。部屋にはアンティークギャラリー「昔庵」と銘打ち、亡きパートナーの遺品とも言うべき里には不釣合いのクラッシク時計、アクセサリー、応接セットが溢れるように陳列する異郷の世界!
 孤独の果樹耕作だけでなく、車で名護市の“生き生きセミナー”や“パソコンITクラス”に通う等溌剌!さらに当夜名護市内での会食場にはたっぷり時間をとってメイキャップ変身、往年の衣装を引っ張り出し、颯爽と登場!

 嘆きに沈んでもおかしくない波乱万丈、紆余曲折の人生軌跡にもかかわらず、この屈託なさと溢れる輝きは何だろうと帰路の車中でしばし呆然!

“沖縄女性の強さと逞しさ”などとありきたりに形容出来ない感嘆に打たれる。真に“友遠方より来る!楽しからずや”心境だったか!黒々頭髪の20年前の両人、古希を目前に白髪合い間見えの先日”往時茫々、ただ春の夜の夢の如し”と過ぎ去った歳月を思う!
 
 先般、私の出版記念パーティ席上、出席の仲井真知事から「重田君、絹ちゃん来るの?」と聞かれ、内心ヤキモキしたものの名護・大川から自家用車運転で向かったが道に迷い、遂に出席成らなかったとの事。やっぱり年には勝てずか(^-^*)。いつまでも元気で!ブラービヤ!絹さん!                  
                                                                    
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伝説の赤坂「那覇」絹代ママ(3)

2008年04月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 去った3月、その絹代さんから手紙と共にタンカン一箱が届いた。それまでも時折携帯で連絡を貰っていたが、手紙は初めてで少しビックリ!
 先日、名護市役所勤務の当社OBとの要談のついでに訪ねた。名護も遠かったが、狭い山道をくねくね行く大川はさらに遠く、あの紅灯瞬く赤坂から最後のパートナーを送り、優に90歳超す高齢の御母堂を介護しつつ、かくも僻地寒村一人暮らし、さぞかし滅入っているのではと密かに懸念しつつ車で向った。
 しかし10年振りに会う絹さんはご本人も手紙に書いてあったようにモンペ姿にスッピン日焼けしているものの、満面輝くあの値千金破顔は以前と少しも変わらない。当方の懸念を吹き飛ばすあの笑顔は何だろう?真に“苦労の身に付かない”人!
 笑顔だけでなく、一人で耕作、栽培している自宅裏の果樹畑「おおかわシルク園」を“楽しいよ”と嬉々として案内してくれた。
                 
             
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伝説の「赤坂スナック・那覇」物語~その②

2008年04月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 創業10年間もない頃、折々「那覇」で絹代ママから聞いた台詞が今も私の記憶に残っている。恐らくご本人は覚えていないでしょうが。
「マスコミの人は自腹を切らない」「政治家は人として一番面白い」云々。
 また、当時お店で良く出会った大判振舞い、羽振りの良い人を指して「あの人はちょっと気を付けて」とママが評したお客の中には、その言葉通り後々倒産した例を幾つか見た。かと思うと、「あの人とは付き合ったら」と紹介された人とは20年後の今も交友が続おり、その人を見る目の確かさには後々まで教えられた。
 全盛のこのお店では当時の国会議員や出張の故親泊那覇市長、比嘉浦添市長、田場元琉銀頭取、国場幸一郎氏等当時の錚々たる県政財界重鎮連に紹介された。 
その中には気鋭の通産キャリア仲井真現知事や若き総務庁キャリアの嘉手苅現沖縄協会専務や金城弁護士先輩連と畏れ多くも酔いに任せしばしば丁々発止。やり込められ落ち込む度に私を激励してくれたのが絹代ママだった。
 後々、私が三月会や関東沖縄経営者協会等の在京沖縄経済界に関るのは、ここで仲本潤英先輩等や故竹田定雄元会長等の逢合が切っ掛けと言っていい。
       
        (上記写真17年後の先月、名護・大川野中の一軒家
       骨董店営んだ御主人の遺品に囲まれた御母堂生家にて)
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伝説の「赤坂・スナック那覇」物語~その①

2008年04月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り
           (2008年3月名護は大川・シルク園でのツーショット!)
 
 現在のように沖縄飲食店が全国的にブランド化する復帰前、沖縄を背負って上京、首都圏で苦闘した学徒、駆け出しサラリーマンをそれぞれの世代で支えた在京 沖縄出身の居酒屋・スナックママ達がいた。彼女達も様々な背景、出自を背負いつつ生き馬の目を抜く首都圏で奮闘していた。
単なる“飲み屋とお客”の関係というより、激動の維新、志士を支えた祇園舞妓とまでは言わないが、“相身、互身”競争厳しい首都圏で支え合う“戦友”とも言える誼もあった。
 私も創業間もない昭和50年代、度々赤坂はレストラン・シアター「ミカド」の向いの狭隘なスナック「那覇」に通い、昼間のビジネス苦戦の憂さ晴らをしたものです。
 20年後の先日、機会あって名護の辺野古のさらに奥深い寒村大川に逼塞した当時の絹代ママにお会いした。以下その物語を4回に亘ってお伝えする。
                      
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社内提案「Welcome Board」

2008年04月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 当社では、製品開発や社内業務プロセス等の改善について、提案制度を採用していますが、ここ一両年に中堅社員を中心におよそ50件の提案がありました。
 その中でお客様から最も好評だったのは、来客向けの「Welcome Board」設置でした。
 これは受付に来社するお客に対し「ようこそ!○○様」という単純な表示ですが、私のところにお見えになる何人かのお客さんから「あれはいいですね」とか「気分良かった」等の率直な賞賛を頂きました。
 従来、来客連絡を受けたが総務担当者が一々来客名を入力、プリントアウト、掲示、来客後はその掲示を取外す作業をしていましたが、今後はその作業の省力化を目指し、近くこの「Welcome Board」の電子ボード化を当社製品として製作・発売することを計画しています。
お値段はディスプレイ込みで10万円に抑えるつもりです。
 ご興味ある方はぜひ、お問い合わせ下さい。

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「新城亘氏の早大沖縄学講座を聴講しました」

2008年04月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  08年4月18日、早大8号館で行われた「早稲田大学琉球・沖縄研究所」(勝方恵子所長)主催の沖縄学前期講座・新城亘・沖縄県立芸大非常勤講師による「琉球弧の音楽概説」を聴講しました。
  沖縄音楽の楽器を代表する三線の歴史から、琉球古典音楽の歴史から奄美・沖縄・宮古・八重山と琉球列島の調べや特徴を概説。
 この講座の異色は講師が概説するのみならず、自らサンシンを奏で、ライブ、生演奏をしたこと。新城講師自身も講義部分より演奏段階で生き生き、リラックス!
 沖永良部を境界とする琉球・奄美音階の違いやサンシンの違い等を実際の演奏者が披露するに及び居眠加減の聴講学生もハッと目を覚まし、200人近い満場も思わず手拍子、拍手。大学の講義としては異色のさながらライブコンサート様相!我が奄美の「行きゅんな加那」ライブが出るに及び、我が“島唄っ者”と少し音が違うか思わず込み上げそうになる。これで単位を貰える学生達、なんと幸せなことか!
教室には学生に交じって、琉舞教師や県人会長老の顔も見えた。
             
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「沖縄・先島への道」

2008年04月16日 | 「Weekly 読書感想」
 ご存知「街道をゆく」6篇。久々の文庫・司馬遼ものですが、積年の積読書。今更の気もしますが。第1版1978年だから、私が創業した年!
 竹富、与那国中心の紀行。全体の描写は現在広く言われている類型的先島・沖縄記述だが、印象に残ったのは花酒を論ずる蒸留酒・泡盛が醸造酒である日本酒よりある時代、先進、ハイカラであったという歴史論。このアルコール論は私の全く暗い世界。
 他に、池間苗の夫の栄三氏による「与那国の歴史」が実は苗さんのお父さんで島・唯一の郵便局長である新里和盛氏の起稿という部分。この方は首都圏NO1沖縄出身経営者である㈱オーム電機の新里和英代表取締役会長兼CEOさんの縁戚ではないかと思った。
 印象に残ったのは本文より末文の牧祥三の解説。柳田國男、東恩納寛純から吉本隆明の「南東論」による聞得大君と皇室祭儀、島尾敏雄論は学生時代を思い出し懐かしかった。
街道をゆく (6) (朝日文芸文庫)
司馬 遼太郎
朝日新聞社

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 「熊谷さくらハーフマラソン完走!!」

2008年04月13日 | 「マラソン挑戦」
 春まだ浅き去った3月23日、北関東の熊谷市のハーフマラソン。先の荒川フルマラソン完走?に調子に乗り、勇躍、無謀にも挑戦。何とか2時間30分で完走。順位は50歳以上壮年部参加者967名中の957位。何と私の後にはわずかに10名(トホホ!!)
 このコースは7年振り。駅から会場までもアプローチの悪さには他と比べ、著しい主催実行体制の段取り悪さに往生しましたが、ボランティアーの皆さんに感謝こそすれ苦情はいえません。
 それ比し、桜並木の荒川上流水域と至る所お年寄りが応援を送る沿道は心地良く快適。よく整備された瀟洒な市内の沿道コースを見ると何時もながら“奥関東”とも言われたこの地域を開いた坂東武士先人の心意気と知恵を感じたと言うは飛躍過ぎか!
 しかし、2周続けたマラソンレース、流石に脚に後遺症、とくに右膝に疼痛、階段の登り降りに違和感を覚え、時に痙攣が走る。無謀だったか!
     
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「私の尊敬する創業社長!」

2008年04月13日 | 「美ら島沖縄大使」便り
(沖縄西原町の自社ビルの前で田中社長御夫妻と)
 創業30年、社員総数200余名、売上20億なんて、自慢げにホザいているどこぞのIT会社がある一方、社員数4分の1、売上半分の10億未満、にもかかわらず、経常利益率は常に10%に迫り、創業10年で堂々たる自社ビルを建てた超優良会社が沖縄県内にある。それでいて、やれ創立!やれ記念!等とハシャがない地道、且つ堅実な社風。
 その名は㈱南西環境研究所。創業者社長は秋田県出身。家庭・会社両々内助・外助の功の奥様は淡路島出身。

 私はこれまで10社近い沖縄関係会社の要請、依頼により投資、協力をして来ましたが、創業間も無くから配当実施、投資価値増大を果たしているのは唯一この社だけ!
『いちゃれば(出会えば)チョーディ(兄弟)』、『チムグクル(肝こころ)』と
投資、融通を依頼、“なんでイイサ”とは言わずとも“ゴメンなさい!”と無配当閉鎖に至る多くの沖縄創業事例に比べ、純粋な市場原理とは異なる研究集約、調査研究型畑とは言え、マーケッティング、人財育成、財務管理等の経営手腕には感嘆、尊敬して止まない田中社長です。
            


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お久し振り!『りんけん』さん

2008年04月12日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先般の『おきなわ就活塾』出版パーティのお礼参りで久し振りに発起人になって頂いた“りんけんバンド”リーダ照屋林賢さんを沖縄は北谷美浜アメリカンビレッジの“カーラハイ”本社に訪問!
 次いで沖縄“夜の商工会議所“とも言われる那覇は松山随一と言われている噂のクラブ『絹』を数年振りに友人二人と訪問。というのはオーナーの池田ママが出版パーティに出席し、翌日の朝礼?で従業員に『おきなわ就活塾』を掲げながらパーティの模様を紹介したとのこと。のみならずBlogへのコメントに対するお礼参り!
流石に店内、従業員共に洗練されていたが、覚悟はしていたものの生来の吝嗇・ケチの当方の予想を超える勘定に酔いが吹っ飛ぶ!高いお礼参りでした!身の程知れか!
       

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「オフイスの窓」記念パーティに参加して

2008年04月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 沖縄タイムスの経済欄に県内の経済、企業人執筆の「オフイスの窓」という連載コラムがある。
 先月掲載10年目を迎え、タイムス本社最寄の那覇新都心おもろ町会場で執筆者による記念パーティが開催され、出席しました。参加者は100名近い歴代執筆者。岸本タイムス社長や編集局首脳スッタフにもご挨拶出来ました。
 私は連載開始初年度の97年、月2回の割合で4回ほど掲載したろうか。当日は東京からの参加ということで、乾杯音頭指名受ける。
 連載当初の執筆者には経済団体の幹部クラス等も見えたが、最近は若手創業家や女性企業家が多く、当日は県経済のヌーベルバークとも言えるこうした担い手の息吹に接し有意義でした。
 翌日、沖縄市のプラザ・ハウスへ『おきなわ就活塾』展示販売依頼方々知友と懇親。
         

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原宿『琉球チャイニーズ』パーティへ行きました。

2008年04月10日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先日、チャイニーズ・中国料理を売るあの著名な原宿「南国酒家」で“フェヌカジー(南風)にのせて”~琉球チャイニーズ~と銘打つビッフェパーティ招待を受け、100人を優に超すゲストと共に出席。
 何と司会は知友の吉沢直美さんに、サポーターが「沖縄大好き」の出口さん。10名前後の沖縄関係者出席者、一様に“琉球チャイニーズ”というキャッチフレーズに違和感を覚えたが、伝統のこの老舗が何故、このタイミングで“琉球チャイニーズ”なるキャッチフレーズを使うか!時節柄、読者諸氏のご賢察を!
 琉球王府の血を継ぐご存知“おいしゅう御座いました”の岸朝子の冒頭挨拶に続き、チーフ料理人の沖縄食材へのこだわり挨拶。石垣まで出向いた沖縄料理素材調達のストーリ!
 そしてウェルカムコンサートしての宮良多鶴子さんリサイタル!
 この「南国酒家」、以後中国料理と並んで琉球料理を表看板に営業する方針か! 沖縄料理の一段たるプレゼンス向上を欣快としたい!

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「今年も16名の新しい仲間を迎えました」

2008年04月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                     (満開の社屋正面桜花)
 桜吹雪く春爛漫の四月一日、当社は今年も新しい仲間を迎えました。
内訳は大学院卒2名、学卒9名(理系5、文系3)、専門校4名、高卒1名の合計16名。
地域出身別では首都圏8名、沖縄4名、関西2名、その他2名。内女性は3名。すでに基本情報処理資格を取得しているのは院卒以外に、何と唯一の高校卒の二人。
 例年通り年齢、地域、学校と区々、多彩な同期、それだけに研修を通じ様々な交流、経験を通じ競い合い且つ、助け合い、成長して行くのを期待しています。
 四月一日の入社式後第一週の導入研修最終日の4日・金曜に 4グループに分かれ、KJ法による“理想的新人像”というテーマ研修発表会。これは結果もさることながら、初の同期チーム共同作業を通してのメンバー相互理解が目的。いずれもなかなかの出来栄えでした。
 この後、今週から関東沖縄IT協議会参加3社からの9名を加えた合計25名で6月待つまでの3ヶ月合同技術研修会に入ります。合同研修は今年で3年目ですが、一社単独での実施より、相互の切磋琢磨のシナジー効果があります。
 毎年の新人採用は相当のコスト負担ですが、直向に明日を目指すこれら新人を迎えることは私達旧人への刺激と組織の活性化をもたらします。
                  

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朝吼夕嘆

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