

(blog発信の切っ掛けと社内向けINTRANET)
私は30年近くblogを発信し、毎日、300人以上の方からアクセス頂いていますが、その発信の切っ掛けは、社員向けのメールの発信でした。それは、先にも書きましたが毎週月曜の朝礼3M(Monday Morning Message)を社員向けに発信していました。これが社内向け限定のNET配信のIntranet(イントラネット)です。後に社外部向けの情報発信のInternet(インターネット)に繋がり、私のBLOG“朝吼夕嘆・晴走雨読”に繋がります。このBLOG題名は“朝は吼え、夕方は歎き、晴れた日はジョギング、雨の日は自宅で読書”との我と我が身のライフモットー揶揄でした。私のこのNETメッセージを㈱NTTレゾナントのGoo blogに設計アップしてくれたのは当時(株)NTTコムウェアに務めていた高宮城君のお陰です。今や、週一度のBlog更新アップはボケ防止の作業です。
前回述べた社内Engagementの養成に私が創業以来継続実施したのは3M(MondaMorninng Messege)の発信でした。毎週月曜朝礼に3M(Monday Morninng Messege)を発信しましたが、本社以外に大阪、静岡、沖縄等の地方事業所社員へのIntranet(イントラNET)発信でしたが、これが後にInternet(インターネット)の普及に伴い、私のBLOG発信の切っ掛けになりました。
社長退任の30年近く一日も欠かさずこの3M発信を続けましたが、そのネタ探しの為、毎週、日経産業新聞や日経PC等を読み、金曜、土曜になるとこの発信内容に時に懊悩し、時に日曜日、女房から”明日の3M大丈夫!”と叱責されたこともありました。時になかなか発信内容が思いつかず、月曜出勤の車中で”あ!これで行こう”と内容を思いついたこともありました。この月4回の3M内容は毎月の社内報に”朝礼速報”として掲載し、社員に配りました。この発信行為は社員との情報共有活動でした。
後任の社長が「重田さん!よくまあ長年に亘り毎週朝礼で発信できましたね。社長就任してこの月曜朝礼発信が最もプレッシャです!」と言い、時に彼は「今週は特にありません」との朝礼挨拶に呆然とした記憶があります。社長退任後、この3M発信責務のプレッシャーから解放され、言い知れぬ開放感がありましたが、気が付けば業界やIT関連情報に疎くなっている自分に気が付きました。責務と課題プレッシャーこそ、我と我が身を鍛えることを痛感しました。
(社内旅行と懇親会)
前回、3期連続減収、減益の中,、当社は何とか黒字確保した原因として”特別利益対策”とそれを実現した社内のエンゲージメント(engagement)を述べましたが、Engagementとは、従業員の会社に対する思い入れや共感、協力があったと思います。これをどう培ったか?その下地は社員への”情報発信と共有”だったと思います。
具体的には社内月報の発行、月曜朝礼、金曜交流会、月一度の全大会等々による社内情報の交換でした。この社内報の編集発行は社員による持ち回り制度でしたが、これが社員相互のEngagementに繋がったかもしれません。いまでもこの社内報は手元に残っています。これ以外にボーリング、野球、スキー、ツーリング等々様々なクラブ活動以外に社内旅行の実施。5、10、20、30周年記念パーティの実施がありました。

前回述べた創業15期から3期連続の減収減益経営危機を乗り切るために“特別利益対策”の主たる内容は①残業抑制、➁ボーナス削減、③諸手当削減、④社員寮削減等々のコストダウンでした。勿論、私はじめ役員の給与も削減し、何とか黒字を確保しました。この対策の作成は、私がキャリア採用とした専務の作成でした。東証一部製造会社の工場長や子会社の役員を歴任後、60才の停年間近に退社し、当社のキャリア採用に応募、入社頂き、長きに亘り私の経営をサポート頂きました。この専務がいた入たからこそ30年に亘り、黒字経営を実現できました。このコストダウン方針のには実施は3カ月~半年先の売上増減予測等の毎月の経営会議がありました。つまり、売上減少後のコストダウン施策では手遅れで、売上減少前の方針作成、実施でした。これこそ専務の経験と英知でした。
給料や残業カット等のコストダウンには通常、優秀な社員程転職、退職等の作用を生み、それが倒産の要因にもなりますが、この時期当社は一人も退社せず、全員で不況を乗り切りました。今思うとそれが可能だったのは専務のサポートと(engagement)だったと思います。このキャリヤ社員・専務の入社とエンゲージメント(engagement)をどう培ったか、具体的詳細は次回!

私は1978年の創業第1期の売上5千4百88万円から1992年には13億8千6百万と14期連続で増収増益の成長を続けて来ましたが、1993年の15期から一転、11億、10億、9億台と3期連続で売上が下がりました。これは後に山一証券、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行等の金融機関の破綻を招く1990年前半に始まった世界経済バブル崩壊の影響でした。この時期、多くの同業他社が倒産する最中、我社は3期連続減収ながら何とか黒字を死守しました。後にこれが主力取引の三菱UFJ銀行から高く評価されたことを知りました。どうしてそれが可能だったのか!実は、この厳しい市場環境による減収を予測した当社は“特別利益対策”でした。この”特別利益対策”とは何か?その内容は次回!

(1978年、37歳で創業スタートした「サーラ三田ビル」(6階17坪)
「経営力」とは一般に“顧客獲得、市場開発等の営業力”や“製品開発力”が言われますが、これはいわば“攻めのパワー”です。しかし、私はスタートから大変な勢いで発展、成長していた会社がアッという間に倒産した幾つかの友人企業や同業事例を見て来ました。こうした経営者に共通に見られる点は、“行け!行けGo、Goの“攻めのパワーによる過剰投資や事業の拡散化ですが、取引先の不調による発注激減や不況による市場縮小に対する対応が全く不十分だったようです。つまり、“攻めの力”は凄いのですが“守りの力”不足です。“守りの力”とは何か?私の経験から説明したいと思います。
特にコロナウィルス蔓延の様に市場、需要悪化の経営環境下でどう会社を守って行くのか”守りの経営力”が要求されます。







