”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

 「秋の箱根旅行」

2009年09月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 中秋、9月恒例の社内旅行。社内旅行は事業所毎に様々で、沖縄事業所では家族以外に退社したOBを参加のビーチパーティ。
 今年の本社は箱根湯本でした。創業から10年前後までの社内旅行は家族も交えて100%近い参加率でしたが、年を追う毎に参加率は低下、今年も入社2~3年生中心30名。社内旅行は日頃接することの無い若手社員と湯船に浸かり、枕を並べ雑魚寝、マージャン、将棋、ゲームと交流する貴重な機会。夕食宴会後は深夜2時、3時まで談論、流石に参加最高齢の私は10時前に一人床に付きました。
 この社内旅行は毎年入社2年生の幹事役が慣例で、そのため彼らは旅行会社との交渉、場所探し、場合によっては事前探索、車中の飲食物の飲み物、準備手配、当日のスケジュール管理等の協同作業を通し、知らずして同期の結束と組織活動を学び、身に付けます。その運営ノウハウは延々と引き継がれてた行きます。今年の1年生も事前に来年の幹事役を言われているため、参加中真剣に先輩の活動を見て、翌年に備える社内旅行は慰安と共にある意味で学びの場所です!
          
 
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「今回の訪沖で最大のショック!」

2009年09月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 30年前の創業時、よく通った赤坂のスナック「那覇」経営の絹ママ。ここで国会議員、琉銀頭取、親泊那覇市長、比嘉浦添市長等々錚々たる県内要人との人脈形成の機会を頂きました。実は商業校卒ながら東京で鉄工所を経営の60代全盛当時の仲本潤栄先輩との仲を取持ってくれたのも絹ママ。関東沖縄経営者協会創設者の仲本先輩とのここでの出会いがその後、沖縄経営協との関わる切掛けでした。
 絹さんは赤坂の店舗立退を機に故郷沖縄にパートナーと共に引揚げ、その介護、見送った後、御母堂の故郷・名護大川に隠棲。と思いきや先日この辺境の地で老母を介護しつつ農園珈琲茶家「かみじゅ」をオープンするとの案内を頂き驚き、先般名護市所用の次いでに訪ねました。
 古希を過ぎて開店創業に挑む先輩沖縄女性のエネルギーに驚きつつ、そのご報告、お見舞いがてらお訪ねした仲本先輩、「私も名護へ一緒に行きたい」とのお答え。矍鑠とは言え97歳の病み上がり、当方の懸念を吹き飛ばす意欲に驚いていたら、目的の茶屋に着くや、おもむろに懐から開店ご祝儀を差し出された。   
 何時準備されたか!100歳近い高齢ながらこの気配り配慮に感嘆、手ぶらの自らを省みてホトホト参りました。今期の訪沖で最も衝撃を受けた出来事でした。
 とは言え、平均年齢80歳、3人揃っての会食は30年振り、乾杯!
            

 

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「友、遠方より来たる、楽しからずや」

2009年09月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先日の沖縄出張時、数年振りに北海道、東京、地元沖縄在住の高校同期3人、合間見。札幌で歯科医院長を勤めつつ「北海道沖縄クラブ」会長の彼も「美ら島沖縄大使」。再認証式終わった夜は同期の経営する松山のクラブでカラオケ競演。
 地元の彼は金融会社の東京支社長、常務、子会社社長歴任、ゴルフに興ずる悠々自適。この日もゴルフツアーで鹿児島から帰郷したばかりという。代表辞任の当方、そろそろゴルフ再開と思うものの、過ぎたるジョグ・トレーニングで頚椎障害、ドクターストップ(´Δ`;)
 共々、繁忙なスケジュールを縫って、午後のフライトで帰京する私の宿泊ホテルレストランで暫し懇親。互いの多様なライフ軌跡に思い来たしつつ、つかの間ながら充足感あるひと時を満喫。文字通り“友、遠方より来たる、楽しからずや”!
そう!たまには男同士でも集いますよ(^_^)
 それにしても白髪の私を除き、御覧のような同期二人の颯爽若さには参りました。

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「沖縄国際大で講義」

2009年09月26日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 連休前の「美ら島沖縄大使」再認証式の前日、昨年に続き沖縄国際大学で「eビジネス論」の講義を行いました。対象は産業情報学科3年生単位取得授業。 折から夏休中の就活時期。15分間の休憩があるとは言え午後6時半から9時半まで90分二コマ、空港から直行、180分近い立ちぱなしの講義には流石にバテました。それより懸念した夜間講義の居眠りがほとんど居ず、熱心にメモをとる学生の姿に感心しました。昨年の琉球大、沖縄国際大の学生と比べても今年の学生の真摯な態度に採用引く手あまたの好況機よりも不況、就職難時こそ学生は鍛えられるということか!
 このシリーズ講座、研究者の学識論もさることながら、ビジネス現場の生の声を学生に伝えて欲しいという廣瀬担当教授の発案、要請。一年一度の生き抜き効果もあり、結構学生の受けもいいとのこと。
 例年のeビジネス、IT産業論とは言え、同じ内容を繰り返す訳にもいかず、今年はTwitter、Linkedln、PaaS、Cloud論にIPアドレスV6、NGNと講義の仕込みに私自身が勉強させられます。
 今回は特別の許可を得て、キャリアコンサル、県庁、総合事務局勤務の後輩3人が傍聴。子育て主婦のお二人、1時限で帰ると思いきや撮影、メモに懸命、終了後の懇親まで出席、カレント鋭いコメントや質問。流石に現役バリバリの県内キャリア・ウーマンの旺盛な学習欲には脱帽しました。     
            
      
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「美ら島沖縄大使」再認証式に出席しました。

2009年09月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 シルバーウィーク連休前、「美ら島沖縄大使」認証式出席のため訪沖しました。
5年前の発足式、稲嶺知事が自ら70余名の「大使」に認証状を授与した前例に倣い今回の再任式にも仲井真知事出席の予定でしたが、代わって仲里副知事が出席されました。
 仲井真知事は折からの政変に当日急遽、前原新沖縄担当大臣との面談の為上京されましたが、ご多忙な最中の前日、知事室でお会いし先日急逝された弟さんで同期の故又吉弘史君のお悔み申し上げ、暫し追悼談をしました。

 今回の再認証に先立ち、県からは再任受理の可否の問い合わせがあり、受諾した87名の「大使」に招待案内が届きましたが、当日の出席率は6割の47名。
 今回は出席「大使」全員による一人2分間の活動報告スピーチが企画されましたが、予想通り予定時間の数倍、延々と喋るKY(空気読めない)メンバーが何人かいました。
 まあ、我が社内でも“会長の喋り過ぎ”と顰蹙を買う私も偉そうなことは言えませんが、“1時間スピーチなら1時間前に!3分間なら前日に!1分間スピーチなら1週間前に!”申し入れて欲しいという比喩を思い出しました。
認証大使を代表して野中ひとみさんが「日に5回、沖縄を発信しましょう」と答辞しました。
 私にとって今回何より嬉しかったのは北海道沖縄クラブ会長を務める高校同期の八木君と数年振りに会い、お互い「美ら島沖縄大使」としてどう責務を果たすべきか旧交を暖め合ったことです。政局急変、財政不如意なこの時期、こうした機会をもうけて頂いた県当局に感謝です。
            

 
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馳 星周「不夜城」;角川文庫

2009年09月19日 | 「Weekly 読書感想」
不夜城 (角川文庫)
馳 星周
角川書店

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 1996年、新宿歌舞伎町に於ける上海、台湾、福建等の中国マフィアの暗躍、対立を描いた第18回吉川英治文学新人受賞作。当時歌舞伎町で不法滞在の中国マフィアの青龍刀殺人事件が社会を震撼 させただけに話題となった本。
 同じ頃吾妻博勝氏がドキュメンタリ「新宿歌舞伎町マフィアの棲む街」(文春文庫)を出版、30版も重ねるほど話題を呼んだ。
 我ながら今更何で!途中何度も放り投げたい衝動を抑えつつ辛抱しつつ読み通したのは、先に読了、感想アップした「弥勒世」著者のデビュー作との共通点をもう少し知りたい一心から。果たせるから「弥勒世」から10年前に書かれた本書、驚くほど共通点が多い。まずは主人公の独白調のストリー展開。主人公と相対する登場人物のとの“これでもか、これでもか”とうんざりする悪口雑言会話。終章を飾るヒロイン?と愛人の相殺。歌舞伎町、職安通り、ゴヤ照屋、栄町、吉原と微細にわたる街と通りの描写と両書には驚くほど共通要素が多い。
 本書を読んで「弥勒世」のストリーフレームとヒントが10年前の「不夜城」にあることが分かる。それにしても読んでいて気分の悪いこんな作品が何で受賞?と思っていたら、終末の北上次郎氏の「解説」を読んで多少納得。
 要するに著者は、読者の感情移入を招く主人公描写をしない。敢て、読者のカタルシスに迎合しない。両書の主人公は最後まで改心せず、“ハナからケツまで”悪党を貫く。これは梁石日と花村萬月に共通するという。私などは読後、うんざり、二度と読む気は起こらない。要するに通常のフィクッションに飽きたプロの読者受け作品と言うことか。



 
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「明日15日、NHKに出るかも??

2009年09月14日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先日、NHK総合テレビ・平日午前11:05「こんにちはいっと6けん」のキャスター上村陽子さんからメールを頂きました。
 それは、定年退職後、自分の趣味や目的をもってイキイキと暮らしている方々を取材、紹介する「元気サークル!」コーナーで、我が「城丘(沖縄県立2中・那覇高)同窓」有志が隔月土曜・定期的に五反田の沖縄・居酒屋「結いまーる」に集う「島唄の会」を取材したいとのお申し入れでした。
 早速、山路会長や長嶺「島唄の会」リーダーに連絡、調整、先日およそ2時間の収録を受けました。長嶺先輩の再三の勧誘やキャスターからのメールを取次ぎと会社も近いこともあり参加、先輩連の伴奏に合わせ歌ったり、カシャーシ踊ったり、インタビューに応えたりしましたが、本番放映は10分弱とのこと、果たして写っているやら?
 とはいえ、明日9月15日(火)Weekday午前11時で首都圏で頑張る我らが先輩連の元気姿が紹介されると思いまますのでご覧下さい。ひょっとして私の映像もちらっと写るか??
 だだ、この番組、題名どおり「首都圏」のみの放映、残念ながら沖縄では見られないようです。どなたか録画して頂ければ幸甚です。
           
                  (インタビュアーの上村さんと!)
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「新沖縄人類館!」

2009年09月12日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 1903年に開催された大阪博覧会の「学術人類館」において、アイヌ・台湾高砂族・朝鮮・清・インド・ジャワ・バルガリー・トルコ・アフリカ等と並んで沖縄県の遊郭・辻の女性を展示されたことに対し、県民が激しく反発した“事件”。
 その背景には日本国内に於ける沖縄人差別がありましたが、後々“アイヌ、台湾と同列に扱うのか”という自らの差別意識の表象としても問題になった。
 苛烈な被差を受けた当時の県出身の意識からすれば、許し難いことかも知れませんが、私が上京した頃にも我々南国沖縄人は毛深く眉濃く、明らかに大陸朝鮮系のヤマト人に比べ特徴ある顔付で、地域特徴の相貌を比較展示する興趣ある企画だったと思いますけど!問題はそれが当時存在した差別の強化に繋がることでした。
 現在は我社の若い社員から「会長!仲間由紀恵って沖縄出身って本当ですか?」と聞かれて驚く時代。御覧のように“新沖縄人類館”展示どうでしょう!
 上掲、皆さん当然名前ご存知ですよね!そう比嘉愛未、山田優、仲間由紀江、新垣結衣、黒木メイサ、安良城紅、国仲涼子、そして最後は知花くらら。これ以外にもアクターズ初タレント・美良樹吟呼に安室奈美恵、元SPEEDメンバーの島袋寛子、今井絵理子、上原多香子、新垣仁絵と枚挙に暇なし、今を時めく”新沖縄人類タレント”ワサワサ!男性?沖縄二世多士済々よ!それはまた後ほど!
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「あの日、あの時」;喜島範俊

2009年09月09日 | 「Weekly 読書感想」
 数少ない我が奄美の故郷・加計呂麻島・須子茂村の大先輩の自分史。
著者は私が奄美在住の小学校の頃、拝顔した事のある伝説の大先輩。実は4人のご子息の御次男がこれまた数少ない同期生。先日数十年ぶりに郷友会で逢合、同じ埼玉に居住する奇遇を知り、その際に本書を頂いた。
 私の父が満州に渡航したのに対し、著者は台湾へ向かい、師範学校を卒業、戦後郷土で教職に勤め、校長、公民館長、教育委員長と栄進、双光旭日賞を叙勲、逝去されている。
 気負いの無い淡々とした折々の追慕描写からは噂どおりの清楚な人柄が偲ばれる。圧巻はリタイア後の昭和61年、瀬戸内公民館20周年記念講演。浩瀚な知識と広い見地からの地域振興開発に関する提言は今読んでも斬新。
 私にとって、所々記述されている須子茂村のカツオ漁船「満宝丸」や共同茅葺作業の「講茅」等現在は失われている島の風習は貴重な記録として印象深い。
 御本人は明記していませんが、沖縄匂いの瀬戸内町僻地の加計呂麻島出自ながら薩摩文化色濃い・奄美の中心地・名瀬での栄進にヤッカミや差別は全く無かったのか、私の”読み過ぎ”または”読みたい欲”の悪い癖!
 本書は同じ須子茂出身、こちらは満州新京師範学校から奄美での教職経験を経て、昭和62年神戸市の小学校長で退職する川畑秀俊先輩の「時は光の彼方に」(平成五年)と並ぶ、故郷・須子茂出身先輩の追悼録として双璧の書。
                   
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「後楽園で沖縄電力応援!」

2009年09月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 沖縄電力勤務のWUB仲間や友人、沖縄県東京事務所等の案内、勧誘を受け、先日初めて後楽園で行われた“都市対抗野球”を“美ら島沖縄大使”?として応援、観覧しました。予選を勝ち抜き九州代表となった沖縄電力、試合は残念ながら4対2で敗れました。
 初めて観る都市対抗戦応援とは言え、当然ながら気分は沖縄代表応援!ところが何と相手方の日立製作所の二人のエース投手は伊波と比嘉という沖縄出身。そういえば沖縄電力チームにも本土出身選手がチラホラ。
 こちらは沖縄電力を応援していると思ったら、エールは“うらそえ、うらそえ!??と思ったら、沖電は”浦添都市代表“相手は日立都市代表!でも、観衆の本音は”沖縄電力対日立製作所“。
 作家の伊集院静は日経紙上で都市対抗野球を絶賛していましたが、チームを支えているのは市町村自治体ではなく企業にも関わらず都市対抗と銘打ち、“ウラソエ!ヒタチ!”とのエール!どうもピンと来ません。都市対抗ではなく、企業対抗でしょうが!
 どこの出身であろうが個々の選手の技量、プレーを純粋に観覧、応援すべきところを我ながら変にひねた感想でスミマセン!
             
             (県東京事務所スッタフ、新報支社長達と!仕事!仕事!)

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 「激励、慰労、お花、有難うございました!」

2009年09月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週の「代取辞任」の発信に対し、大勢の方々よりコメント、直メール、お花と予想外の慰労、激励頂きました。本来皆さんそれぞれにご挨拶すべきところ、このBlogメルマガでお礼申し上げることお許しください。
 創業者にとって、企業の継続以上に難しいのが承継と言われますが、自分が直面して改めてその難しさを痛感しました。その経緯について様々質問を受けますが、その詳細については別途まとめてご報告したいと思います。
 創業30年を前に後継社長についてツラツラ考えていましたが、具体的に決断したのは著書「おきなわ就活塾」にも書きましたように、一昨年の急性大腸憩室炎症での入院でした。様々な選択枝から生え抜きの現社長への承継経緯もまた、別の機会に。
 代表取締役会長から平取会長、非常勤会長等への段階的プロセスと社長への権限委譲は予ねて想定して路線ですが、最近はダブルブッキング、物忘れ、人の名前が思い出せないケースが増えて来て、家内から「よくそれで代表取締役が務まっているわね!社員から顰蹙かっていないの!」度々言われていたのが今回の決断を促したのかも知れません(^_^;)
 改めて皆さんの数々の暖かいお言葉有難うございました。今後とも社長共々変わらぬご支援、ご鞭撻よろしくお願い申し上げます。

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「山内沖縄総合事務局経済産業部長来訪」

2009年09月05日 | 「千客万来」
 先週、内閣府沖縄総合事務局の山内徹経済産業部長が弊社五反田本社に来訪されました。失礼ながら、お役人とは思えない御覧のような堂々たる偉丈夫(^-^*)
 ご存知の方も多いと思いますが、沖縄総合事務局とは政府の沖縄に於ける出先機関。経済産業部長は沖縄に於ける経済産業省の総代表で、通産省時代の仲井真県知事も閲歴のある要職。国際情報化協力センター・シンガポール事務所所長履歴もあるバリバリ・キャリアの山内部長。数ヶ月前の沖縄着任、本省出張の合間を縫って“沖縄IT産業振興策”について意見を聞きたいとの単身来社、20年前の私の(財)沖縄協会での講演録「沖縄に於けるソフト産業の可能性」を読まれておられたのには恐縮、汗顔。
 沖縄IT産業振興の要となる人材育成、オフショア開発、東南アジア人材招聘、ポスト・コールセンター業務としてのソフト、コンテンツ開発等々について次々意見を求められました。
 私が言うのも失礼ながら、本省役人としては先の選挙で圧勝した民主党の沖縄振興、経済産業策の方向、人事等が気になる筈のこの時節、施策対象の現場に目を据えたその気さくな行動スタンスには感服しました。
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「第32回株主総会,代取を退任致しました」

2009年09月01日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 09年9月1日本日、当社は第32回定例株主総会を開催、無事終了致しました。
今期は景気悪化の影響を受け、対前年1割強の減収17億に5割を越す34百万の減益決算となりましたが、全社員の協力、理解の下、何とか黒字を確保、実現致しました。
 こうした業績結果の責任もあり、総会に引続き開催された取締役会で創業33年の今期をもって代表取締役の退任を提議、承認頂きました。今後は取締役会長として代表取締役岩崎貴史社長の補佐役に徹します。
 創業から今日までの長い間のご支援ご協力有難うございました。なお、これに伴い新たに非常勤取締役として㈱CIJ本社から清水邦彦氏をお招きし、双方のより一層の連携とシナジー効果を目指します。また、監査役が染谷行俊氏から高田真文氏に代わりました。
 経済動向もさることながら、私どもIT業界も構造変化を迫られる厳しい局面にあり、役員一同決意を新たに現顧客業務への精励と共に新たにビジネスモデル変換に邁進する所存です。今後とも一層のご厚誼ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。  以 上

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朝吼夕嘆

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