その道の学徒にはどうということの無い入門書だろうが、文庫本ながら柳田国男、折口信夫、服部四郎、鎌倉芳太郎、伊波普猶、比嘉春潮、金城朝永、湧川清栄等歴代の沖縄研究家の足跡と位置付けが網羅され、今の「沖縄学」位相が判り面白かった。
安謝中2年の時、副読本として手にした仲原善忠著「琉球の歴史」の背景や先頃「西銘誌」を刊行した久米島が「仲里旧記」他古文献の宝庫であること。宮古狩俣の神歌収録や久高島神歌の「ビンヌスイ」鳳凰の解明エピソード等興味尽きない。
慶良間、波照間、来間の「ま」が方向を示すことは判ったが、我が故郷の加計呂麻の「ま」は何故「間」でなく「麻」なのか。そういえば故郷の人が「加計呂麻」と自称するのを聞いたことがなく、後年奄美を出てから「へー、我が島は加計呂麻というのか」と奇異に感じたものだ。沖縄の人達が「我々琉球人」と自称しないのとどこか似ている。「勝手に人の名前付けるなよ」と言いたいのだが。
日琉同祖論や天皇相対論、汎アジア論等沖縄研究のイデオロギーは時代によってベクトルが変わる。古事記と違って天皇に殆ど触れていない「おもろそうし」研究家の著者が事ある毎に皇室を称えるのを疎ましく思う筋もあり“世評”を気にするなら明らかに損と思うが、学習院以来の秋篠宮妃との師弟関係の方を大事にしているのか。
書中、他を論難する箇所がほとんど無く、それだけに先達にも愛される人柄故か貴重な文献資料を託される機会にも恵まれている。ともあれ、最近砂を噛むような難儀な本ばかりに挑戦していたので、本書は楽しかった。
安謝中2年の時、副読本として手にした仲原善忠著「琉球の歴史」の背景や先頃「西銘誌」を刊行した久米島が「仲里旧記」他古文献の宝庫であること。宮古狩俣の神歌収録や久高島神歌の「ビンヌスイ」鳳凰の解明エピソード等興味尽きない。
慶良間、波照間、来間の「ま」が方向を示すことは判ったが、我が故郷の加計呂麻の「ま」は何故「間」でなく「麻」なのか。そういえば故郷の人が「加計呂麻」と自称するのを聞いたことがなく、後年奄美を出てから「へー、我が島は加計呂麻というのか」と奇異に感じたものだ。沖縄の人達が「我々琉球人」と自称しないのとどこか似ている。「勝手に人の名前付けるなよ」と言いたいのだが。
日琉同祖論や天皇相対論、汎アジア論等沖縄研究のイデオロギーは時代によってベクトルが変わる。古事記と違って天皇に殆ど触れていない「おもろそうし」研究家の著者が事ある毎に皇室を称えるのを疎ましく思う筋もあり“世評”を気にするなら明らかに損と思うが、学習院以来の秋篠宮妃との師弟関係の方を大事にしているのか。
書中、他を論難する箇所がほとんど無く、それだけに先達にも愛される人柄故か貴重な文献資料を託される機会にも恵まれている。ともあれ、最近砂を噛むような難儀な本ばかりに挑戦していたので、本書は楽しかった。