”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

沖縄料理店「琉之介」開店、おめでとう!

2014年03月30日 | 「病牀六尺」

                                 
 仲松関東沖縄経営者協会副会長が神田東口向かいに開店した沖縄料理店「琉の介」のプレオープン・試食会の招待を受け、出席しました。「琉の介」とは先日誕生した仲松さんの初孫さんの名前!この日は奥様に支配人の長男、フィアンセと仲松一家総出
 この日はたまたま抗癌化学治療のための5回目の帝京大癌センターへの入院日。検血、検尿、CT検査を済ませ、担当医師から外出許可を貰い、5時に十条から神田に出掛け、開店祝辞挨拶をして、9時の病院門限ギリギリに病室に戻りました。
 病院を出るときは体“かったるかった”のですが、皆さんとお会いし、乾杯、懇親すると元気が出ました。仲松さん、ご招待有難う!

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「久々の大学クラス会」

2014年03月30日 | 「病牀六尺」

                                  
 高校同期に続き、先日早大西洋史学科の級友と快気祝いを名目に集いました。
福岡、静岡等の遠路駆け付けたメンバーを含め久々のクラス会。入学早々の1年から卒業の4年まで編集したクラス雑誌「蛙鳴」の思い出等々語り合いました。“往時茫々、夢の如し”と回顧交流ながら、帰路元気を貰いました。クラス会はやはり得難い貴重な集い!
古希を迎え皆さん、殆どがリタイヤ組ながら気が付けば参加者の半数近くが教職OB。
 高校クラス会もそうでしたが、女性が半数以上。参加者には高校同期メンバーもそうでしたが、同じく癌手術や糖尿、手術経験者もおり、さながら罹病交流会!
 54名のクラス名簿見つつ情報交換の結果、入院治療クラスメイト以外に7名の鬼籍情報を知りました。明日は我が身とは言え、改めて鬼籍級友に哀悼の意を表します。
     
                             

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「図らずも、闘病体験交流会」

2014年03月25日 | 「病牀六尺」

           
 退院直後、勇を鼓しての先の沖縄出張主目的は「沖縄協会」評議員会出席でしたが、もう一つの目的は「永久ストマー」先輩の志良堂「琉球新報」整理部記者に会うことでした。新婚間もない20代後半で大腸癌を患い人工肛門となり、爾来20年以上の現役活躍経験とその著「癌を超えて」には今回多くの示唆と勇気を貰った御礼。
 次いでと言っては恐縮ですが、志良堂さん他、武富「沖縄タイムス」編集局長に与那覇RBC報道局長、比嘉正詔「沖縄平和祈念堂所長に同期の高良「対馬丸記念館」長、前期高齢三美女と錚々たる方々が志良堂さんの妹さん経営の首里のイタリアンレストラン「ラ・ビュー」にお集まり頂き、快気激励会というより、図らずも参加者それぞれ大腸癌、人工肛門、人工透析、心臓血管バイパス等々の罹病交流体験会となりました。
 “一病息災”と言わずとも皆さんの闘病経験談には勇気と激励を頂き、“残る寿命をどう過ごすか”考えさせられ、遠路沖縄まで来て良かったと元気を貰い帰京の途に着きました。
“お見舞いへのお礼を!”と突然お声かけながら、ご多忙な最中、逆にご負担をお掛けして申し訳ありませんでした。志良堂さんはじめ、ご参加の皆さん、有難うございました。  
                              

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哀悼!玉代勢亨さん

2014年03月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り

        
 先週20日、目黒の「大園寺」で行われ「美ら島沖縄大使」玉代勢さんの葬儀に出席しました。
私の記憶に間違いなければ1月29日、高輪グランドプリンスホテルで行われた「美ら島沖縄大使」認証式でお会いした時は病院から会場に向かった私は逆に“大丈夫ですか”と激励されました。
 関東城丘同窓会でもしばしばお会いしましたが、16日の東京那覇会幹事会で彼の同期の伊藤さんから「玉代勢さん、入院病床からシンドイと言う電話がありました」と聞き心配しましたが、翌17日に急逝されたのは驚きました。
 
那覇高校2期後輩の彼は電通沖縄支社勤務時代、沖縄本土復帰に伴うそれまでの右側通行の島内車道の左側変更の所謂「ナナサンマル」キャンペーンや海洋博広報活動等が評価され東京本社に栄転、エンターテイメント部長に抜擢された伝説の県内出身電通マンです。
 
2004年には高校同期の嘉数北海道情報大学長と共に「美ら島沖縄大使」に任命された思い出もあり、ここで改めて哀悼の意を表します。玉代勢さん!安らかに!                                                                         
                                   
  (在りし日の玉代勢さん!)
        (10期仲井真知事に14期玉代勢さん、嘉数元北海道情報大学長に12期小生と城丘同窓揃い)
          ~2009年高輪グランドプリンスでの「美ら島沖縄大使」認証パーティで!

 

 

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「退院挨拶の沖縄訪問」

2014年03月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                                      

 先の退院後初の沖縄出張時、㈱CIJ支社、県庁友人に次いで「沖縄タイムス」「琉球新報」の地元両紙の本社を表敬訪問したところ、タイミング良く両紙ともご多忙な社長、編集局長、論説委員、役員室長の皆さんにお会いすることが出来、入院中のお見舞い、激励へお礼のご挨拶させて頂きました。
 新報社では、添付のような関東沖縄経営者協会についてのインタビューも受け、掲載頂き有難うございました。
 県庁ではご多忙な仲井真知事室にもご挨拶伺いましたが、議会開催中でお会い出来なかったものの“退院よかった!”のメッセージを頂きました。

 県庁には知人、知友、組織編成移動も多く、いつもながら各セクション挨拶巡りは目眩く大変でしたが、県庁きってのキャリア知友女性と札幌転勤から戻った当社OBのコールセンターマネジャ-女性達に退院祝席設けて頂き、恐縮の至りでした。 
                           

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「半年振りの沖縄!」

2014年03月15日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                       
 
先週、3か月近い入院治療後、半年振りの沖縄出張。退院とは言え10日に2泊3日の抗癌療養中、初のストマー装着、飛行機搭乗旅行、少し迷いましたが主治医に相談“無理せず1,2泊なら”と2、3の注意事項を頂いた上勇躍、羽田で向かいました。
 主要用件は摩文仁の平和祈念堂で開催される(公益財団法人)「沖縄協会」評議員会への出席。癌宣告を受け“後何年”と否が応でも寿命カウントの我とわが身に沖縄の「平和祈念堂」参りへの拘りでした
 
  公益財団法人とは少し分かり難いのですが、営利や親睦目的ではなく公営のための財団運営団体で、我が国には2400以上もあるようです。その運営は理事が行い、評議員とは会社で言えば監査役のようなものか!10人を超える理事も評議員、いずれも80歳前後の先輩でその大半は総務庁、県庁等のOBで私のような民間出身は少数です。
 4年前評議員就任の打診を受けた時は“何で私が”と思いましたが、関沖経営協会長の役職もありますが平成2年に依頼された講演「沖縄におけるソフト産業の可能性について」の出席者数とその講演録、売り切れが記録的だった等の事由を後で聞かされました。まあ、IT黎明の時代的背景もあったかと思います。
 
1年ぶりの先のケネディ大使も参拝された「記念堂」、改めて「ヌチド宝」を思いました。
評議会後、那覇に戻りお見舞い、激励頂いた多くの沖縄在住知人・友人から快気懇親しました。これはまた継投で!

 

 

 

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「めぐり合わせと絆」:平良哲著

2014年03月11日 | 「Weekly 読書感想」

                              

  那覇市議、市長立候補、沖縄コンベンションビューロー、トロピカルテクノセンター、空港ビルと沖縄県内の要職歴任の先輩回顧・自叙伝。ご寄贈頂き誌上満載の写真やコラム、至るページに知友、知人が登場し、“読む”というより手に取り、あっという間に“眺め、レビュー”、終わりました。
 那覇高、早稲田いづれも入れ違いの4期先輩の回顧禄はさながら戦後沖縄史の側面とも言え、レベルが違うとは言え,われとわが身の閲歴、世代の歴史を紐解き、撫でる思いで読了しました。
 野村証券、琉銀、国場組、那覇市議と県内エリート閲歴の先輩著者、当然ながら当時の県特待生の“大浜奨学生”と思いきや、那覇高から新宿高校転向受験を失敗、さらに早稲田政経を2度失敗、夜間学部から1部への転入、失敗苦節談、それも淡々と述べる気さくさに驚きました。それでいて雄弁会に入会、全国弁論大会で優勝の快挙。早大雄弁会の政治家は多く、その縁で竹下登、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗と雄弁会出身の歴代総理の知遇を得て、著者は書いてないものの戦後沖縄への本土政府の様々な施策に影響を及ぼしたのでは。
 先輩の卒業、私の在学当時“銀行よ、さようなら!証券よ、今日は”のバブル前夜の最難関の野村証券に合格、入社するとは、文字通り当時のエリートコースから養父母の逝去とトートメー(位牌踏襲)のため、沖縄帰省、それもユタのお告げによるというのも驚き。
 こうした赫々たる経歴にも関わらず、沖縄協会の理事、評議員として年に何回かお会いする先輩はいささかも偉ぶるところなく、気さくな笑顔、77歳を迎える今日もなお、県内各紙に青年のごとく、気迫溢れる投稿、論壇活躍には低頭です。

 

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「埼玉奄美幹事会」

2014年03月02日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                  
 定期の抗癌治療入院前日、奄美定住は6年足らずしも関わらず恐縮ながら会顧問を拝命している埼玉奄美幹事会に出席しました。会場は自宅徒歩10分、徳之島出身オーナー経営の与野駅前の居酒屋「黒龍」。参加者は女性を含め15名。
 
ここでも甲子園出場の大島高校野球の応援。奄美市でも応援資金として1000万の寄付を決議したとのこと。我が奄美IT懇話会でも10万円の寄付を決議しましたがが、全校生を船で甲子園応援に送るには1億円近く掛かるとのとのことでとても足りない。かつて、我が母校・那覇高校の甲子園出場同窓一同、バス貸し切りで甲子園に行ったのを懐かしく思い出しました。
 
埼玉奄美幹事会の出席は毎回80歳以上が5人、中でも最高齢の88歳の先輩は深谷市から1時間以上の電車で駆け付け、詩吟を朗朗と披露する等その元気さには毎回、励まされます。
 
メンバーは教職、市職員、市議、ランドリー、画商と同郷ならではの多彩な職業履歴同志の交流に奄美出身者の苦闘、歴史を感じます。埼玉、中でも戸田市を中心に喜界出身の奄美出身が多い。戸田市には印刷業が多く、これに就職する人々を喜界出身の縁故者を次々呼び寄せたとのではないかと言われています。これは造船求人の大阪大正区や尼崎、鉄鋼スクラップ業求人の鶴見市等々、特定産業と奄美、沖縄出身者の就業、定住の歴史を語っています。

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朝吼夕嘆

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