”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

林健太郎訳「ランケ自伝」(岩波文庫)

2004年10月28日 | 「Weekly 読書感想」
 曲りなりにも西洋史学徒、今どき本書を手にすると大学同期の苦笑顔が浮かぶがままよ。同時代カレントな本ばかり3~4冊も読むと、つい本書のような古典に手が伸びる。大学入学まもなく先輩から必読と言われるまま読んだランケ「世界史概観」。もともと滑り止め、入学後も大塚史学等経済史ばかり読んで、卒論も産業革命史だったから、この中世史学泰斗への理解と情熱は薄かった。

 歴史を演繹的理念の具現と見なすヘーゲル史学に対し、史料批判から帰納的にアプローチする近代史学手法の祖と言われるランケの修学、学友、学恩伝。今風にアーカイブとは云わないが諸侯の外交文庫や公文書に接する喜びの記述にランケの方法論を見るというのは浅学か。

 先頃読んで、いまいち分からなかった名著・カエサル「ガリア戦記」について、ランケは本書で“正確に知っている事のみを厳密に間接明晰に書いている”(62P)と絶賛している。「ガリア戦記」の値打ちとランケ史観をわずかに理解出来たような気がした。ヘーゲル・ランケ史観の相違に触れるにつけ、梅棹忠夫が事あるごとに司馬遼太郎の思弁歴史記述を揶揄したとのエピソードを思い出す。 また、時代や背景共に相当お門違いかも知れないが、ランケの修学院時代の秀才・精励に触れるにつけ、神学校で自閉・懊悩する「車輪の下」ハンス少年への憐憫とシンパシーを思い起す。
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「那覇マラソン・ハーフ試走」

2004年10月25日 | 「マラソン挑戦」
昨年のナハマラソンは6時間の制限時間に30分オーバーで完走ならず。頚椎ヘルニアの後遺症で過激なフルマラソンはドクター・ストップ中だが今年は20回記念大会ということで、多くの知人から参加の勧誘を受けて取り合えずエントリー。

先月、高校同窓会の翌日、マラソン初挑戦の吉沢直美さんと摩文仁平和記念公園までタクシー飛ばし、コース後半試走。12時スタート、寝たり転んだりで奥武山グランドによたよた到着。その後クールダウン兼ねて波の上で泳ぐ。炎天下だったの左腕と首部が真っ赤に焼けた。3時間越えとは言え、初挑戦の吉沢さんが最後まで付いて来たのには感服。流石に若さ。

しかし、前日は同期会跳ねた後、高里さん激励の別席から同期経営のライブハウス、クラブ4軒梯子。さらに男女有志5名で朝5時までカラオケ放歌。流石に3時半要した。
試走、水泳後、ホテルで2時間仮眠で「新城亘・翁長洋子さん激励の宴」に出席。 翌24日午後には羽田着、そのまま夕方から本社会議出席。さすがに足に来ていた。無茶でした。
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稲村公望「ふるさとは心も姿も美しく」(郵研社)

2004年10月18日 | 「Weekly 読書感想」
 今月1日上梓したばかりの本書。ラサールから東大法学、郵政官房審議官、政策統括官と絵に書いたようなキャリアの著者、郵政事業庁次長から今話題の郵政公社理事に就任した心境如何と気になっていた。

 故郷奄美・沖縄に関する折々のエッセイと郵政職員向けの講演録等。民営化を掲げる小泉首相への異議表明はどこにも無く、市場万能への疑念と財務失策への憤懣。ユニバーサルサービスへのこだわり。特定郵便局の宿直室で生まれた著者のDNA、むべなるかな。

 書き手が投手、読み手が打者だとすると琉球新報掲載はじめ島々に関する著者のエッセイは剛速球の上に打者の手元で微妙に変化する癖球、ようやく当ててもファールか見送り三振。あり余る知識と語彙を限られたスペースに凝縮したためか、省略と飛躍が多く行間・読み手にも同じ蘊奥と含蓄が要求され、ほとほと参った。

 沖縄勤務の3年、那覇きっての歓楽街松山に遂に足を踏み入れなかった伝説。何度か酒席を共にしたが頑として割勘譲らず。リークワンユと西郷に私淑する著者に明治硬骨漢の片鱗を感ずるのは書中冒頭に追悼掲げた凛然たる御尊祖母の遺徳か。それでいて、けれん味なく表題のようなタイトルを掲げる著者に微かに島でいうヤチャ坊ー(無邪気・乱暴者)の面影をを見る。

 郷土の後輩というには恐れ多いが、寄贈受けながら天下の高官著作に生意気なコメントをしたお詫びに当メルマガ読者有志の皆さん、ご本人の了承得ての出版慰労会はどうですか。
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「出場表明前夜」

2004年10月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 同期が続々リタイヤーする年頃、「今更苦労を背負わなくても」と私は反対だったが“推されれば受けて立たねば”と那覇市副議長の高里すずよさんが市長選に立候補した。
 その公式出場前夜、那覇市内でこれまた同期で前回市長選に立候補、今回参謀を務める堀川さんと畏友の上間RBC専務4人で会食。初めて会う上間氏は執拗に論戦を挑んたが、高里さんは始終笑みを湛え挑発に乗らず、やおら「お互い相違を認めつつも共生したい」と。流石の狷介・饒舌な上間節も帰り際「いや、参ったよ」。

 彼女は高校時代からクリスチャン活動、キリ短卒業後は偶然私が在学中の早大キャンパス隣の早稲田奉仕園で都婦人相談委員として活躍、帰省後もそれは変わらず、幾度か県議や国会へと推されても「常に市民と共に」と動かなかった。
 初めて会う人はマスコミの伝える活動家イメージと柔和な素顔の落差に戸惑うようだが、そのスタンスと笑顔は高校時代から不変だ。
 亡くなった牧師のご主人も私達の同期、相撲部員で色白偉丈夫な彼と小柄で南海の黒真珠のような彼女は好一対だった。了

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吉田良子「孤島の肖像」(南島叢書61)(海風社)

2004年10月04日 | 「Weekly 読書感想」
 昭和28年、小学6年半ばに奄美から沖縄に渡る数年前、当時在学中の古仁屋小学 裏山の高千穂神社境内に全校生が集まって“信託統治反~対~の~”と唄いつつ「日本復帰祈願断食大会」に出席したのを覚えている。集会では遠く北の名瀬の集会様子が同時中継のように伝えられ、先生朗読の南洋一郎の「敵中突破三千里」が面白かったが、とにかくお腹が空いた。

 本書は誰かが書かなくはならなった復帰運動に若い血をたぎらした当時の若き群像を中心に奄美を描いている。
 多くの人々が本土復帰祈願の一方、仕事を求め基地建設景気に沸く沖縄に渡航した。 資産や職がない次男以下の人々は戦時中は満州に、敗戦で帰島、戦後は沖縄に渡航し た。私の父もその典型だった。男は軍作業、女は水商売、時には本書も描くように効率のいい米兵相手の売春婦になり島の家族に仕送りする例もあった。

 その後遥か南米に行く人もあり、首都圏で生まれ育った人々には同じ日本民族に1世代で北のアジア大陸から亜熱帯の南島・南米大陸と20世紀後半流浪した日本僻陬南島の人々の運命は想像出来るだろうか。

 本書は戦前満州開拓、戦後は沖縄出稼渡航者を悲劇の流民の様に描いている。確かにそうした要素はあるが私の感覚は少し違う。パリと言われた大連では洒落た文化を、沖縄では奄美では絶対に見え無かった疾走する外車等にアメリカ文明の息吹を感じ、島育ちより自分がカルティベイトされるを感じたものだ。

 私より1世代上の著者は奄美南部の瀬戸内に生まれ、北の笠利で育っただけに奄美を均等に描き、読者の思惑など度外視し「シマグチ」(島方言)を多用する姿勢が心地いい。
 92年の著者の処女作だが5年ほど積読の上、先の「奄美女の伝承歌」(03年)に触発され紐解いた。でもこの人の著はどうして島歌同様、こう重く暗いのだろう。
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朝吼夕嘆

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