”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「故同期、知人に思い馳せつつ!」

2009年08月31日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 この処、同期、知人の訃報に囲まれます。一昨年の高校同期・琉大TLO社長の照屋輝一君に続き先週は仲井真沖縄県知事の実弟で元沖縄情報産業協会次長・舞踊家又吉静枝さんの夫君・又吉弘史君。先月は中学同期屈指の資産家・真栄城守克君の急死。高校同窓・WUB仲間の蝋山由美さんと湧川ふき子さん。天寿とは言え、郷土大先輩の川平永介さん。沖縄県民として大恩を蒙った植木光教元沖縄開発庁長官。
 振返り、独身の頃は10回近い結婚式司会、結婚後は立場上4度の媒酌に10回を越す主賓挨拶。最近は媒酌人省略の挙式が多く、こうした機会はめっきり減って来ました。
“ケチ・セクハラ”等々虚実入交じる怨嗟、中傷を浴びつつ” 生き長うといことは自分の糞尿に塗れて行くこと、自分の死は自分で決する“というと言う故三島由紀夫の言に憧れるとボヤイたら、老人病院を経営する同期の松田院長に「長生きとは老いさらばえ、ボケ、散々周囲に面倒、迷惑撒き散らし逝くもの!元気な内に精々そんな伊達をホザけ!」と一笑に付されました。
 弔辞、献杯挨拶の機会が増えて来た昨今、秋風と共に親しかった故人を偲びつつ否が応でも自分の終末に思い来たすこの頃です。
 
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磯崎憲一郎:「終の住処」

2009年08月30日 | 「Weekly 読書感想」
終の住処
磯崎 憲一郎
新潮社

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 2009年芥川受賞作品ですから、その文学的意味、背景、等々沈思黙考すべきでしょうが、他人の解釈や意見に従はず、一口に言って私にはケッタイな独白延々の小説!
 30過ぎで結婚した相手とほとんど会話せず、子を作り、愛しみながら、ある時点から11年間、妻と口をきかない生活。それでいて、驚くほど多くの女性にもてて、いわゆる浮気の連続。この辺は早稲田の商学部を卒業して、三井物産の次長まで上り詰めた著者の実人生反映かと思ったり。結婚生活描写はポエム、抽象の癖に主人公のビジネス生活描写は極めてリアリステックの奇妙さ!
ひょっとして、著者は私の女房との会話は本当のコミュニケーションではなく言葉の表層交換だけで、内容空疎、引いては現在結婚制度の形骸、マヌバーを本書で告発しているのか。
 敢えて深読み、解読すれば以上のように結婚制度の深層深部を心理比喩的、抽象象徴的に記述などと深読みするべきか。本書の芥川受賞事由、審査諸作家の座談、論評を読みたくなりますが、それをすると本当の意味での私の読書ではなく、研究解釈になる。天下の芥川受賞作品を対象に敢えて、本書は私にとって“豚に真珠!猫に小判!”か。

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「光文堂主催暑気払・交流会に出席しました」

2009年08月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
            (挨拶する外間社長)
 先々週の沖縄「津梁パーク開講式」から大腸ファイバー検査へ直行しましたが、先週の琉大講義終了後は羽田から霞ヶ関「東海クラブ」へ直行。これは毎年恒例の光文堂印刷㈱さんが主催する「暑気払い・交流会」。
 出席は光文堂㈱京支社社員と取引顧客他タイムス、新報、FM沖縄、ラジオ沖縄、琉球海運、金秀グループ等々在京沖縄関係会社デビジョン・リーダー30余名ほど。恐縮ながら昨年に続き、開会乾杯の挨拶のご指名を受けました。
 毎年、お声を掛けていただきますが、その都度沖縄から出席なさる外間社長、この日は奥様も同席。創業60年、御子息さんが二代目を継承する県内有数の印刷業の㈱光文堂さん主催のこの催し、日頃なかなかお会い出来ない方々との交流貴重な企画。過重スケジュールの訪沖疲れも、心持解消しました。
 社長並びに光文堂印刷東京支社の皆様、有り難う御座いました。
              

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「伝説のジャズ歌手・与世山澄子

2009年08月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週、琉球大での講演を終えた夜、TBS「情熱の大陸」に出演する等全国的に固定フアンを持つ現役のベテラン・ジャズ歌手・与世山澄子さんのライブハウス「インタリュード」へ行きました。与世山さんは私の那覇高同期。ジャズには疎い私でしたが英語の授業では教師はじめクラスメート一同、中学時代から米軍クラブで歌っていた彼女の流暢な英語朗読を聴くのが楽しみでした。
 その実力は高校時代、全国英語スピーチコンテストで準優勝したほどでした。後で聞いた話では殆ど優勝レベルでしたが、余りにアメリカンNative発音過ぎると審査員間で紛糾、次席に決まったと聞きました。            
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「琉球大学で講義」

2009年08月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 テーマーは「就職とキャリア形成」。対象は2、3年生およそ100名で2単位の取得対象講義。一単位90分の2コース・合計180分。
 日比谷高校から東大工学、MITビジネススクールの仲村前日産ディーゼル工業社長という錚々たるキャリアの後を受けての講義。否が応でも怯みましたが“こうなったら私は挫折体験披露”と開き直って臨みました。
 結果、案ずるより生むが由、就職戦線の厳しさを反映したのか、学生の聴講態度は昨年に比べ格段に真摯、居眠り学生も少なく(零ではありませんが(^-^*) 講義後10人近い鋭い質問を受け、終了後も数人の学生に囲まれました。
 その中で、最もびっくりしたのは一人の女子学生から「会長、私のこと覚えていらっしゃいますか?会長の書かれた“就活塾”にも載っていますよ」と言われたことです。それは数年前に我社で職場実習を受けた北谷高校出身の学生さんでした。聞けばその後、就職志望から進学に切り替え、工学部情報学科を受験、在学中とのことでした。いやはや、奇遇!臨時講師冥利!
 また、出席学生の三分の一以上が沖縄以外の県外出身というのも、琉大が地方大学から全国大学に変わりつつあるのを感じました。
              
               (琉大生へ成長した高校職場実習生!)


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「輝き蘇るプラザハウス!」

2009年08月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 以前にも書きましたが、米軍統治下・復帰前の沖縄で米国帰留学生・金門クラブメンバーが集う那覇のHeber Viewホテルはアメリカ文化のメッカ、シンボルでした。それに対し沖縄在住の米軍家族やシビリアンが高級外車を乗り付け、舶来製品買い物に通うコザのショピング・モール・プラザ・ハウスはさながらビジネス・エリートの租界地で、当時の私達には行きたくても行けない反感の一方、憧憬の的でした。
 その由緒あるハウスが当然というべきか復帰前後から徐々に往年の輝きを失い、米軍統治下の遺跡になりつつありましたが、数年前からこの伝説のプラザ・ハウスを占領下・負のイメージから“World Wide世界に広がる窓口・交流拠点”として、新たなコンセプトを掲げ、改革に取組んだのが米国人創業者から沖縄人として引継いだ平良さんの令嬢・由乃さん。専務としての試行テスト期間を経て、この度目出度く社長に就任されました。
 自ら果敢にアメリカ、ECに渡航、英語を駆使し買付、契約、陳列工夫、ブランド確立、イベント企画連打、苦悩を笑顔で押さえる獅子奮迅の活躍。時に兄・弟を差し置いてとも見られるでしょうが、この活躍の背景には姉妹の長所を評価し、短所をバックでサポートするファミリーの結束あってのものと思います。
 Tax freeを売物、公的支援バックの競合相手向うに、最近は製品毎の売上記録ヒットを更新する等プラザハウスは往年の輝きを取り戻しつつあり、引いてはそれが地元の活性化誘引にも繋がっているとも言われています。
 さらに、地元紙に執筆する由乃さん、軽快テンポのコラムには多彩な文筆才能が漂います。
 実はこの人、奄美二世。後に沖縄市商工会議所長になられる若き創業者のご尊父が奄美大島を訪ねた際、見初めたのが未だ高校生だった由乃社長の若きお母さん!
           
               (プラザハウス・ショピングモール前で)
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「満天の星」;対馬丸事件取材班

2009年08月21日 | 「Weekly 読書感想」
満天の星―対馬丸 真実の証言
対馬丸事件取材班
文芸社

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 65年前の今日、8月21日はその2日後に撃沈される対馬丸が那覇を出向した日。昭和19年沖縄の学童疎開700人以上がとから列島、先頃皆既日食で有名になった悪石島沖で撃沈された悲劇事件。これまで遭難被害者の手記、告白記はいくつか発表、出版されたが本書はこれら既存の書とはいくつかの面で趣が異なり、読んで新たな衝撃を受けました。
 対馬丸遭難の背景には実は本土疎開を渋る学童達を必死で説得、勧誘、乗船させた教師達が何人かいたことを始めて知りました。
この教師達は本土防波堤として米軍を沖縄地上戦に引きずり込み、本土決戦の時間を稼ごうとした国や軍の方針に従った行動でしたが、勿論、そうした全島焦土作戦から学童達を救おうという純粋な動機も働いていたと思います。しかし、結果的には渋る学童を死に誘い、自らは生き延びたという事実から長く自責の念に苦しんだ人々がいたということです。
 さらに、学童を救ったとは言え、生き延びた海難に通暁した船員達もおり、 本書をこれまで語ることの少なかったこうした人達へのインタビューと告白が綴られています。本書を読むと生き延びた人々も死者に勝る苦しみと自責に苛まされ、改めて戦禍の悲劇の重さを知らされました。
 また、家族11人で乗船、両親、兄弟姉妹9人を失い、姉と二人きり生き延びた私の高校同期で対馬丸記念館の高良理事長が理事長に推され、就任した経緯も本書で初めて知りました。
 本書は生き残った船員の証言に衝撃を受けた本土在住の出版社の田中㈱ホップインターナショナル社長を中心に取材、編纂された記録書です。
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「お盆、お墓参り」

2009年08月18日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 8月15日、今年は土曜日。終戦(敗戦)記念日はお盆と重なり、家族と共に両親の菩提寺でもある埼玉県北本・鴻巣両市の境にある寿命院境内の墓にお参り。
 例年通り、午後2時、本殿に於いて本寺住職先頭に末寺10名のお坊さん恒例の塔婆等入魂の供養お経。炎暑にも関わらず本殿に座敷には黒喪服の善男善女およそ200人の檀家衆が列席礼拝。
 お経の頃合見図りお焼香後、入魂供養およそ1時間の奉納お経後、予め御願いして置いた塔婆等墓前へ捧げ礼拝。
 例年に比べ参列者も本殿梁に張られた寄付張り紙も半分程度。昨年は30万円の寄贈掲示10枚以上ありましたが、今年は20万円が10枚程、後は数万円、200名ほどか。祖先礼拝も現世の不況影響顕著。両親菩提礼拝参加の席でカウント概算、何という下世話な感想とお墓の両親もさぞ呆れたことでしょう。 
                  

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池上永一「テンペスト」(上下):角川書店

2009年08月16日 | 「Weekly 読書感想」
テンペスト 上 若夏の巻
池上 永一
角川グループパブリッシング

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 浦添美術館所蔵の「黒漆雲龍螺鈿丸盆」を写した上下1000P近い絢爛豪華なハードカバー上製版。「テンペスト」とは”暴風、嵐“の謂。日清間で翻弄、”廃琉置県“日本に併合された琉球王国の物語。筒井康隆や北上次郎達の絶賛にも拘らず、正直私には城内裏表を行き来する主人公宦官の設定や“帝国主義や近代”果てはデカルト等々のフレーズ・台詞の登場には荒唐無稽とまでは言わずともアナクロニズム、さらに横暴・ベッテルハイム宣教師描写の一方、明晰・首里天加那志と類型パターン記述に違和感を覚え、正直途中で何度も放り投げそうになりました。かさばるハードカバー、通勤電車鞄に入れヒーヒー言いつつ何とか読了(´Δ`;)
 とは言え、首里天加那志、三司官、評定所、表15人衆、聞得大君、大勢頭部、あごむしられ等々王国表裏のヒエラルキー、世添御殿、御内原等々首里城郭内の詳述はまるで臨場レポート。私より30歳大学後輩、石垣の生まれのこの気鋭の著者、書中至る所に漢文、英文、ストリー展開の要所にオリジナル琉歌を散りばめるその才気には感嘆!それはまるで科挙に匹敵する琉球王国の試科に最年少で合格、王国で活躍する主人公の宦官“寧温”は著者の自叙伝を思わせる。
 もっとも、沖縄文学界の泰斗・大城立裕氏は余程腹が立ったのか、県内紙でこの池上引用?の琉歌に感情的とも思える批判を書いている。

 当時の琉球王国は本島、先島、奄美から成っていたにも関わらず、八重山の頻出に比べ、“いつ出るかいつ出るか”と期待していた奄美は下巻末尾にようやく一行だけ登場する。明らかに著者出自の八重山著述傾斜は止むを得ないか。ここでも琉球史に於ける奄美の欠落、喪失を感じました。
                     
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「三沢あけみデビュー50周年パーティ」

2009年08月15日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 「三沢あけみ」と言ってもピンと来ない若い人が増えて来ましたが、“奄美なちかしや、蘇鉄の影で~”で始まる1963年レコード大賞新人賞・渡久地政信作曲「島のブルース」と言えば思い出すでしょう。今月、赤坂で開催された「フアンの集い」に上里QAB東京支社長と共に招待されました。
 これは当社子会社OBが彼女の事務所に所属、私が奄美出身ながら「美ら島沖縄大使」という縁。この度デビュー50周年を記念し、初の沖縄公演向けの新曲「海人恋歌」発表。
 この夜のディナーショーに“泡盛の女王”と並んで“琉装女性”登場を依頼され、高校同期で琉舞「康舞会」家元の金城康子師匠に相談、御覧のような艶やかなお弟子さんを紹介しました。この琉装のお嬢さん、実は会社経営の社長さんです!
 この夜の参加者は中高年が大半ながら、北海道から沖縄、全国から駆け付けた熱烈なファンの花束・祝儀の洪水、攻勢。
 御覧のように三沢さんの美貌と艶ある歌声と身ごなし!とても当年64歳とは思えない。この秋の沖縄公演、皆さん挙ってご声援、ご来場下さい!
          
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「沖縄学紀要・最終号」”読めますか?「保栄茂」”

2009年08月13日 | 「Weekly 読書感想」
 数年前、高校後輩の主催する「埼玉沖縄大好き会」から講演を依頼された際、会員の沖縄理解度を確認するため“次の漢字読めますか”と設問しました。
“今帰仁、勢理客、玻名城、喜屋武、平安名、西武門、瑞慶覧、仲村渠、大工廻、保栄茂”。流石に沖縄通を自認するメンバー、八割の正解率。ところが保栄茂だけは誰も読めない。他の9字は音韻が大和語に類似するが保栄茂は音韻がホとは全くことなる。実は沖縄でも読めない人が多い。設問の殆どが地名ですが保栄茂も南部の字名。当社の子会社にそこの出身者がいたので、私は教えて貰いましたが、最近では地元でも“ほえも”と読むケースが増えているという。
 ご存知の人もいると思いますが、これはビンと読みます。保栄茂が何故ビン?
中国から移住者が出身故郷の地名との類似性を読み間違ったという珍説を聞いたことがあります。
 ところが、今回の「沖縄学研究所」紀要最終号で新垣公弥子氏が「琉球方言におけるワ行子音の変遷」論文で「ホエモ」から「ビン」への変化をPowemo→Bowemo→Buwimu→Buim→Binと琉球方言の音声変遷研究から解説しています。
 私の全く疎い分野ながら衝撃に近い感想を得ました。これも先月、外間守善先生主宰の新宿「沖縄学研究所」閉鎖日にお手伝いしたのが縁で、事務局の朝比奈時子さんからご丁寧なお便りと共にお贈り頂いた最終紀要の縁。朝比奈さん、有り難う御座いました。
         
            (拙宅に鎮座する外間先生積年愛用デスク)

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「悔い無き、至福の一夜!」

2009年08月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週俄か豪雨の中、スーツびしょ濡れつつ、大塚駅前の老舗・居酒屋「江戸一」で、旧知・畏友と旧懐談論。
“情報システム論”黎明の40年前、無謀に安定宮仕えを飛び出し“飛んで火に入った“経営コンサル会社で「建設行政情報システムに関する調査研究」プロジェクト・メンバーとして合間見得た2才先輩・後輩のこの双璧。よくもあれだけ赤門を中心にしたアウトロー偉材が蝟集したBCON梁山泊、IT奔り時代の閃光だったのか!
 議論、説論、論述いずれを取っても論破され、才気足元に及ばず、自信喪失、打ちひしがれた原体験。ある宵“ここに私学文系が一人いる”と指摘され、東大数学大学院・空手副部長にラサール・東大都市工学科卒歴々に囲まれている自分に気が付いた討論会。この試練、挫折経験あればこそ“今日の我有るか“。
 唯一の快哉記憶は将棋で東大理系を連破、“知的論理ゲームで私学文系に負けるとは”と呆然自失、“負け下手”彼らの表情を思い浮かべ、一人悦に入りつつ帰った一夜!
 30余年振り鼎談、方や古希・大学講師をリタイヤ・数学屋ながら日本語論執筆、方や還暦過ぎ6年ながら東大研究室で地域活性化モデル発表、浅間山荘赤軍から山本一力、江戸論と話題は尽きず未だ蒼く衒気、尽きること無く書生に戻った古希前後三羽烏、酩酊至福の一夜でした。
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「炎熱沖縄で避暑慰労?!」

2009年08月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週の沖縄出張の際、先に比屋根毅著「菓子ひとすじ」書評の紙上掲載のお礼とBlogアップの反響ご報告すべく、久し振りに「琉球新報」新都心本社をお訪ねしました。
 担当知己の編集記者方々と懇談している最中に、ご多忙な高嶺社長が気さくにお声お掛け頂き、最上階役員応接室表敬。折からの炎暑・快晴に中高時代を過ごし新都市に変貌した安謝部落と遠く東シナ海抜群の眺望に暫し癒されました。
「書評」テーマー他に先頃、在京有志がお招き、講演、懇親頂いた「誰にも書かれたくなかった戦後史・沖縄」の作家・佐野真一氏の話題。佐野さん、ほとんどの新報記者と取材、交流されたとのこと。
 夕方はキリスト教学院講師の若松さん、フリーアナウンサーの吉沢さんと同期の福地さん経営のクラブを訪ね、不況吹き飛ばすストレス解消のひと時でした。
 そうは言いつつ1泊帰朝、診療所に直行、大腸ファイバー検査の慌しさでした。ヤレヤレ!
           
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「当社の運用・保守部門」

2009年08月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 当社にはおよそ40名からなる汎用大型コンピューターセンターの保守・運用業務を掌るCS部門があります。先週二日間に亘り、当該部門員と今後の方針、施策につい説明、討論しました。
 わが国有数のクレジット会社を顧客に持つこの部門は90年当初のバブル崩壊期に他部門の不況、縮小にも関わらず、ひとり堅調を維持し、当社の収益を支え続けました。しかし、今回の不況では逆に落ち込みが激しく、全社の脚を引っ張っている状況で、成功先験が常に有効とは限らないことを示しています。
 とは言え、この部門からは当社で初の上海、ヨーロッパへの海外出向のSEを排出する等、多くの人材を育てました。今回の方針検討会でも私が一人でレクチャしていた往時と様変わり、現場育ちの入社15年目のリーダーが司会、討議を仕切り「顧客から契約解除されないためには何をすべきか」とテーマを掲げ、“当面の苦境乗り切りと自己研鑽“をメンバーがそれぞれ語り、意見交換をしました。
 部門立上げ時、徹夜、深夜交代勤務のため応募者が少なく、社員寮を準備、沖縄から高校生を中心に採用、創設、当然のことながら離職率は高かったのですが爾来20余年く、メンバーの中から家を成し子を作り、リーダーと育った彼らの議論を聞き、この経験を今後どう活かすか、当社の今後のもう一つの課題です。

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「久し振りの沖縄事業所朝礼!」

2009年08月05日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 炎暑の中、日帰りに近い2ヶ月振りの沖縄出張!
久し振りに沖縄事業所朝礼に出席。恒例の「ハイオハシツ」斉唱に続き、毎週月曜、全社員向けにイントラネットで本社から発信される社長・専務の(Monday Morning Message)代読。これに続き、メンバーによるメッセージ発信。この日は、出勤途上目撃した車同士の交通事故の報告によって、お互いの交通マナーの相互啓発。
 思えば社員10人未満の起業間もない頃、私の提案したこの朝礼実施を“そんな他人行儀な形式儀式、止めよう”と創業仲間から反発を受け、結局、彼は去って行ったことを思い出しました。
 会社の文化、風土というものは創業の頃の発案、継続が定着、発展するものですが、同時にこれは形式、儀式、形骸化するのも警戒、常に見直しが必要です。
 久々の沖縄事業所の朝礼に出席しつつ、つらつら思い巡らしました。
          






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朝吼夕嘆

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