久し振りに息も切らせず読了した書。というのは著者が沖縄県大宜味村出身の経営者として著名な故・宮城仁四朗氏の長女の自分史。私より11歳年長の著者、本書には私が中学・高校を過ごした沖縄県真和志村安謝村の隣地の懐かしい岡野、勢理客、銘苅等の地名だけでなく、知人、何と私の中学同期の次男義明君の誕生や7人兄弟姉妹の末っ子で関東城丘同窓会副会長を共に務めた玲子さんの名前も出て来る。それだけでなく、戦後沖縄を支えた政財界の著名人の名前も累々とも出て来て、まるで我が時代の沖縄の戦後史を辿る様でした。それにしても女性ながら、製糖、製塩、琉煙、セメントと戦後沖縄の製造業を立ち上げた伝説の経営者・尊父・宮城仁四朗氏に劣らぬ著者の起業スピリットには感嘆です。結婚、5名のお子さんを育てて後に戦後沖縄で初の介護施設「仁愛会」を設立、育成、理事長としてその経営をお子さんに承継する等の経営マインドには感嘆。しかも88歳の今年、この自分史を連綿と書き上げたスピリット!さながら戦後沖縄の伝説・起業経営者の宮城仁四朗氏の承継と言うべきか!
本書は私と共に関東城丘同窓会で副会長を務める著者の妹・宮城仁四郎氏末娘・柳井玲子さんから頂いたもの!柳井さん、貴重な御本、有難うございました。
(著者のご尊父・宮城仁四郎銅像~2016年5月大宜味村で)
先日、高田馬場の沖縄居酒屋「田んぼの芋」で開催された「沖縄フアンクラブ」幹事忘年会にたまたま神田事務所に来られた知人の“南大東大使“の吉沢直美さんとフリーアナウンサーの佐々木仁子さんお二人を同行案内、紹介したところ、会場で大受けしました。埼玉、秋田出身ながらお二人とも大の沖縄フアン。吉澤さんは20年近い沖縄移住、佐々木さんは琉球舞踊イベントでは毎回見事な司会を務める琉舞文化通。この日は「南大東大使」としてロシア・ツアーを企画している吉澤さん、南大東とロシア“ボロジノ“由来をプレゼンス、大受けでした。
本書はかつてキネマ旬報で歴代邦画NO1と評された鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」で準主役を演じ、新人助演女優賞にもノミネートされた真喜志きさ子さんによる御母堂・沖縄の宝塚とも言われた「乙姫劇団」副団長・男役スターの上間初枝さんの追悼記。沖縄の花柳界「辻遊郭」(ハナヌシマ)出身の母堂ストーリはさながら琉球文化史の一面。ジュリ、チージ、娼妓、芸妓、酌婦、ナシンチャー、抱女、抱母(アンマー)、俗敷(ジュクシチ)、水揚げ等々の辻文化?を表すフレーズの羅列には尋常ならざる著者の文芸語彙力を感じます。
昭和23年、乙姫劇団は奄美大島に公演来島したと書かれていますが、当時奄美・古仁屋小学校2年在籍の私は古仁屋の「朝日館」劇場に琉球女性舞踊団の来演で島中湧いていたのを微かに覚えています。また1997年、今は無い文京区千石の「三百人劇場」で“乙姫劇団50周年”東京記念講演の際、主演の上間初枝さんに花束を差し上げたことや御尊父・真喜志康忠さんと3人で語り合ったことも覚えています。もう一つの逸話は上間初枝さんのお母さん・著者の祖母が私と同じ奄美・加計呂麻出身でその故郷の秋徳村を訪ねた際、村長さんから、出稼ぎ渡航した大阪で、沖縄の男性と巡り合い結婚、沖縄に行った島娘の話を聞き、驚いた記憶等々が錯綜。累々の辻用語、人名に困惑、ページを捲る度に吐息しつつ、気が付けばアッという間の読了でした。
(著者・真喜志きさ子さんと生前のご母堂・上間初枝さんと~2007年那覇・旭橋で)
亡母の妹・満枝叔母の23忌。たまたま満枝叔母さんの長男が同じ埼玉の鶴瀬に住んでおり、この追悼法事に参加しました。この日は東京沖縄県人会の芸能祭と重なりましたが、私や妹が満州で生まれ、育った頃には当時体調不良の母に代わって、何かとお世話になった満枝叔母さんの23忌。我家の代表として参席しました。出席者は広島、大阪から来訪の兄弟姉妹、その連れ合い、お子さん達。
輝ちゃん、恵ちゃん、茂満、泰志と年長者?は懐かしく分かるものの他は気が付けば「あなた誰?」と初期認知症特有の質問繰り返す当方、参席者で私が一番の年長者でした。でも、すいすいと車運転、会話する姪御達の会話を聞くにつけ、時代の経過をつくづく感じた一日でした。
(右が上尾市会議長に就任した道下さん!)
先に埼玉県上尾市長と市議長が受託収賄罪で逮捕され、辞職するという県民としては恥ずかしいニュースが流れました。 ところが、この上尾市議長に我が「埼玉奄美会」のメンバーである道下文雄さんが選出されました。我が「埼玉奄美会」メンバーには教職や東京都、浦和市、川口市の部長職OB等歴々メンバーがいますが、今回の道下上尾市議長の誕生には我が会の誇りです。道下さん、おめでとうございます。
(道下議長就任を喜ぶ埼玉奄美メンバー)
12月7日、霞ヶ関ビル「東海クラブ」で「関東沖縄経営者協会」忘年会が開催されました。来賓の儀間光男参議員ご夫妻、比嘉沖縄県東京事務所長、「琉球新報」「沖縄タイムス」両支社長をお迎えし、150名近い参加者。来賓ご挨拶の後、恐縮ながら乾杯音頭役を拝命。50人前後の正会員以上に賛助会員、準会員、ゲストの参加者が圧倒的の多い中、今回を機に入会した若い新入会員の紹介、スピーチに会場は盛り上がりました。
〆余興に仲本光正氏率いるクイチャ―パラダイスの琉球民謡演奏に会場、会員のカチャシーで大団円。会場出口に仲松会長、新垣副会長と並び、参加者へ御礼ご挨拶お見送り、閉会後、事務局有志10人で、新橋駅前の沖縄居酒屋「美ら海」で慰労会。帰宅は12時前! 御参加の皆様、有難うございました。実行委員の皆様、ご苦労様でした。
実はこの日、高校同期の忘年会と重なり、困惑しましたが、前会長を務めた「経営協」行事欠席する訳には行かず、同期会欠席の選択でした。同期の皆さん、ご諒解を!
(開会乾杯!~蝋山さん撮影)
連日の忘年会、目くるめくスケジュールですが、12月5日は「銀座クラッシクホール」で開催された「WUB東京」と「関東沖縄IT協議会」の合同忘年会に出席しました。両組織の初代会長を務めましたが、WUB東京は発足から今年で18年目、会長は5代目の今井さん、「関東沖縄IT協議会」は発足12年で会長は3代目の端山さんと両組織とも継続発展、継承はスムースに行っています。この日の参加者はゲストを入れて70余人と盛会でした。 2次会は仲松経営協会長、新垣副会長等有志6人で久し振りの新橋スナックでカラオケストレス解消でした。
この後、翌々日は「経営者協の忘年会」。この日は高校同期の忘年会が重なり、参加出来ず懊悩。今月はこの後「沖縄フアンクラブ」、「女性の会」、「ニライ会」、「法政大・奄美民謡研」、「カラオケ大会」、「川口喜代子師匠偲ぶ会」と年末イベント。全て参加できるかどうか(´Δ`;)