”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「オペラ歌手・宮良多鶴子さん、ようこそ!」

2012年11月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り

          

 熱心なFBリレーション・マニアの新垣関沖経営会副会長の縁でオペラ歌手の宮良さんが、多忙なスケジュール縫って、神田の「クレスト」に単身来訪交友。       場内音痴カラオケに拘らず、やおらノウ・ギャラーで「童神」詠唱。そのイタリア・ベルカント音響に場内圧され沈黙、万雷拍手。
 
リサイタル広報、後援会メンテ、HP、メルマガ全て自分で企画発信するそのまめさには驚嘆です。
 
そもそもの縁は首里城復興や海洋博物館建設に多大な貢献を頂いた故植木沖縄開発庁長官の発意で発足した「宮良多鶴子後援会」。 

 採算度外視の東ティモールの子供支援、南極船激励、沖縄離島小学校廻りと精力的なチャリティ・ボランティア演活動。これだけの名声と美貌、ヤッカミやゼラシーが尽きないと思いますが、この人から人を非難、批判する発言、一度も聞いたことがなく、いささかも偉ぶる所の無いその人柄には頭が下がります。益々の御健勝、御活躍を祈念します。

 

 

 

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「御懐妊おめでとう!」

2012年11月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                   

 先月末の「早大琉球・沖縄」サポートメンバーに続き、今回は早大後輩両嬢による「快気祝い」と言いたいのですが、今回はなんとお二人の受胎祝い。揃いも揃って、来年早々の4日違いの初産誕生予定とか! ホスト役オジーそっちのけで”とこちゃんベルト”談議(´Δ`;)

 ともあれ、少数出産、人口減の日本の昨今、国家貢献の快挙祝事、お二人様、おめでとう!

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凛然!97歳大先輩~城岳同窓会

2012年11月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り

       

        「97歳の国場先輩(右)・来賓の渡久山県人会長」

 11月10日の土曜、早大「アジア研究・シンポジウム」と関東城丘(沖縄県立旧制二中・那覇高校)同窓会がかちあい、午前中の早稲田国際会議講堂のアジ研を抜け出し、虎ノ門・東海クラブの同窓会(真栄田 修会長)会場に向いました。

出席は80名弱。内S34年卒の我が12期は先月の沖縄での同期会開催と近かった所為か私を含め二人唯。対して先輩11期は8名、10期6名、8期は10名出席の大差。とは言え出席の8割は60歳以上。

今回の圧巻は97歳の国場公徳先輩。会場参加者によるカジマヤー(97歳)祝賀に応え、演壇へ自力でヒョイと登壇、弁舌爽やか挨拶に満場感嘆でした。この矍鑠たる大先輩の振る舞いに70過ぎの小僧、とても「もう年か!」などと慨嘆する訳にはいないと思わざるを得ません。これも同窓会ならではの貴重な衝撃、体験でした。

                 (校歌斉唱で大団円!)

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「黄昏オジー”至福の極み」

2012年11月12日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                

 先月末、高田馬場のベトナム料理店で「早稲田大学琉球・沖縄研究所」サポート・中核メンバーの皆さんによる“骨折快気宴”を開催頂き恐縮の極み。

 勝方所長はじめ教授、編集エディター、建築設計、翻訳、外資企業と多忙な畏れ多いキャリアーレディの顔ぶれ皆さん。“快気祝名目宴”と言ったら罰当たりか!ともあれ“黄昏オジー”にとってはこのような至福の機会、”骨折も悪くない”天佑神助。ご参加の皆様、有り難う御座いました。

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「久々の大阪支社訪問」

2012年11月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                (大阪支社メンバーと!)              

         

 今月初めの義母埋葬供養の前日、数ヶ月ぶりに大阪支社を訪ねました。1982年開設の大阪支社は本社に次ぐ22年の社歴。他事業所と比べて女性と社内婚勤 務比率が高いのがもう一つの特徴。

 いつも思うことは、常時接する本社社員もさることながら、沖縄、東海(三島)、中部(名古屋)と同じく、支社のメンバーと接すると言い知れぬ愛執と郷愁を感ずるのは何故なのか?

 合併に伴うさまざまな課題を抱えつつ日々奮闘している社員を前にセンチメンタルな回想は申し訳ないながら創業時の追憶が蘇る。

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「墓参供養で大阪へ!」

2012年11月08日 | 「美ら島沖縄大使」便り

               

          

        

 先般89歳で逝去した義母の納骨供養のため、大阪「北摂霊園」へ家内と共に行って来ました。箱根七曲を遥かに凌駕する「明治の森・萁面国定公園」に隣接する膨大な丘陵地に開発された大阪府管理する墓地。

義両親一族は石川県金沢出身ながら、故・義父は娘達の住む茨木市に近いここに埋葬地を選びました。久々家内と共に梅田を眼下の大阪宿泊、墓参でた。                                                (大阪梅田を眼下に!)

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沖縄支社~那覇市内に移転しました。

2012年11月02日 | 「美ら島沖縄大使」便り
   先月、久々に那覇市久茂地の第一生命ビルに移転した新沖縄支社を訪ねました。                        
                      
                        

                        (久々の沖縄支社メンバーと~転居ビルで)                 

 4社合併の㈱CIJネクスト以前の旧㈱日本アドバンスシステムは1978年の設立から5年目に那覇市に連絡事務所を開設しましたが、17期目の94年にうるま市州崎の埋立地に第3セクターとして設立された㈱トロピカルテクノセンター(TTC)へ県の誘致を受け、那覇市久茂地・58号線沿いの大京ビルから転居、2012年の今年まで18年に亘り、沖縄事業所の拠点として来ました。

 そのTTCが今年9月、県に移管されるに伴い、この度、那覇市久茂地の第一生命ビルに転居致しましたが、TTC設立以前から審議委員を嘱託され、関って来た私には特別の感慨があります。

 TCC社屋竣工の平成6年にはバブル崩壊の真っ只中で、落成式には入居社は当社1社だけでした。当社もバブル崩壊の直撃を受け、沖縄事業所社員も数人の苦境でしたが、たまたま県工業技術センター所長から新設のTTC研究開発部長に就任した高校同期の故照屋輝一君が、わざわざ東京の本社を来られ、落成時の入居を熱心に説得、勧誘されました。

TTC社内報「南の風」(フェーヌ風)増刊号にエッセイを依頼され書いた思い出もあります。

那覇市の真ん中から中部うるま市への転居に伴い、通勤困難を理由での社員退社という苦い思い出もありますが、落成オープンから今年まで変わらぬテナント会社は唯一当社だけに、今回の変貌には創業者として格別の想いが去来します。

 TTCさん、長い間本当にお世話になりました。さようなら!

                       

                       (18年間お世話になった「うるま市」TTCビル)

                        

 

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朝吼夕嘆

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