1月20日、昨年に続き上野の精養軒で開催された恒例の「東京奄美新年会」に参加しました。
悪い癖でどうしても沖縄県人総会と比較する。
まずは参加者数。沖縄の140万近い在住人口に対し、奄美は10分の1、10万人を割っていますが、東京沖縄県人新年会の出席者は毎年、ほぼ200人前後。対して奄美会は常に400人を越す出席者。
もっともこの比較は的確ではなく、沖縄県人会との比較は鹿児島県人会と比較すべきで、奄美会は八重山や宮古島会と比較すべきかもしれません。事実、八重山や宮古島の在京新年会の参加者は常に県人会出席者を上回っています。
とは言え、奄美会には本島だけでなく、加計呂麻、徳之島、沖永良部、喜界,与論の各島からの参加で、その点では東京沖縄県人会に類似しています。
違いはこうした参加者数だけでなく、奄美会は常にカラー印刷の目録と各島別の出席名簿に定刻開始、出席女性半数の大島紬正装、沖縄諸会では決して見られることのない冒頭の故郷遥拝儀式。ただ、懇親会オープニングはなんと、毎年の如く沖縄会同様の琉舞「かぎやで風」。もっともその舞手は与論、沖永良部と沖縄に近い南島出身者。〆の総踊りは沖縄の“カチャーシ”に対し、奄美は“六調”。実は奄美の方はあまり知りませんが、八重山では“カチャーシ”ではなく“六調”です。対して宮古島の〆踊りは“クイチャ”節。
“六調”は大和舞踊の伝播といわれ、ここに鹿児島・琉球狭間の奄美カルチャーの集約や琉球列島文化の複雑さを感じます。
もう一つ、双方の際立った違いは奄美会では何の疑念もなく、日本復帰60年を礼賛するのに対し、沖縄は復帰40周年には複雑な思いがあり、奄美の如く両手を挙げて賞揚することはない。これは言うまでもなくオスプレイ問題に象徴されるように沖縄は復帰?に伴い、多くの負を担うことになった歴史的課題があります。毎年、双方の新年会でこうした感想の反芻です。
実は例年の如く、この日も新年会を途中退席、地下鉄銀座線で「東京琉球舞踊協会新年会」の霞ヶ関に向かいました。そのご報告は次に!
(開会・故郷遥拝)