”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「新垣由紀子さん!安らかに!」

2018年08月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                        [新垣由紀子さん(右側)と最後の晩餐~2016年3月、花井玲子さんと那覇で!]

 高校後輩の新垣由紀子さんが27日、御逝去されました。享年72歳!
由起子さんは那覇高から琉大英文科卒業後、トランス・ワールド航空、海洋博アメリカ館に勤務後、アメリカ・オレゴン州立大に留学、帰国後はアラブ首長国連邦大使館広報官、香港日本事務所広報官を歴任、持ち前の英語力を活かし、活躍しました。一時、稲嶺知事の通訳も務められましたが、その後、腎臓疾患が見付り、以後10年以上、孤軍奮闘、透析治療をしておられました。
「一日数時間の透析治療、大変よ!」と言いつつも、私が沖縄に行く時、たまさかお会いしましたが、しばしば「重田さん、貴方ね!」と私自身が気付かない気遣不足や欠点を鋭く難詰されましたが、それでも、磊落、しばしば電話やメールでの交流がありました。
 先日の“ウーケ”旧盆の日、入院先から那覇市松川に帰宅された翌朝、ベットで胸に手を当てて亡くなられていたとのことです。由起子さんは東京の沖縄関係異業種交流会の「三月会」の運営には事務局長として、ことのほか執着し“沖縄で例会を!”と何度か懇請されましたが、ご要請に応えらず、悔いが残ります。本当に申し訳ない。御本人が療養中に書かれたEnding Noteには「葬儀、供花、新聞への記載は辞退します」と書かれていたとのことです。
  創業20年記念として
 拙書「おきなわ就活塾」を記述・出版の切っ掛けを作って頂いた花井玲子さんを紹介頂いたのも由紀子さんのご縁でした。人口透析、ストーマと共闘・同窓の 由起子さん、長きに亘る「三月会」への貢献活動有難うございました。本当にご苦労様でした。安らかに! 

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「絢爛!埼玉奄美総会」

2018年08月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                           
  8月19日日曜、埼玉県川口総合文化センター・リリアで開催された「第43回埼玉奄美IT懇話会総会」に参加しました。参加者は来賓含めて100人前後。何時もの通り、全員起立での故郷遥拝・黙祷での開会。後は島唄、三味線、舞踊、漫才、マジック、カラオケと尽きること無い歌舞踊オンパレード!毎回参加して刺激を受けるのは80歳を超える高齢者の元気さ!今年も椅子から立ち上がり踊り出す91歳先輩のパワーには、時折「もう、そろそろ歳か!」と思う我と我が身の嘆きが吹き飛ばされます。因みに埼玉奄美会は徳之島や喜界島出身者が多く、我が瀬戸内出身は私を含め3人でした。

              

 

 

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「私の履歴書」④~”社長退任と承継”

2018年08月27日 | 「私の履歴書」

 
        2006年(68歳)で社長退任~社員による慰労パーティ”NASを惜しむ会”

 社長職という経営職を承継しても、創業社長の持株を時価で継承するのは難しく、時に後継社長が株を抵当に銀行からの借入金で株を引き取る例もあります。これは後継社長が取引銀行出身で、銀行自体が当該会社の経営資産力を評価したケースです。
 創業者にとって創業者利潤や“のれん代“は貴重な資産ですが、これは企業独自のノウハウや取引先(一部上場会社か同業下請けか)の評価等のデューディリジェンスDue diligence調査があり、我社の場合、二度ほど受けましたが、そのコストは一千万円を超したようです。勿論、これは買収する会社の負担ですから、M&Aは言うほどに簡単ではないということです。会社のM&Aはこうした創業者利潤の確保以外に、会社の文化の違いや社員の適正や処遇等、TOPの決断には難しい問題がいろいろありますが、これらについては、今後報告したいと思います。

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「わが心の愛唱歌」~あの日・あの時・あの歌~眞栄田修先輩著

2018年08月24日 | 「Weekly 読書感想」

             
「加藤隼戦闘機」「隣組」「悲しみ深き友なるイエスは」「夏の雲」「星の流れに」「里の秋」「私は街の子」「テネシー・ワルツ」「はるかなる山の呼び声」「岸壁の母」「ガード下の靴磨き」「北上夜曲」「惜別の歌」「世界を繋げ花の輪に」「北帰行」「アカシヤの雨が止むとき」「ああ上野駅」と17曲に及ぶ眞栄田修先輩の“あの日・あの時・あの歌”思い出の愛唱回想録。

 眞栄田先輩のこの愛唱、思い出の回想記を一気に読みました。それぞれの歌への回想にと止まらず、この作詞、作家の背景とストリーには、さながら私達戦後世代の歴史レビューでした。とはいえ、4期先輩の眞栄田さんのストリーを全てフローするのは流石に難しく、この17曲8割は私も知っていますが、私がカラオケで愛唱するのは眞栄田先輩の江利チエミ「テネシー・ワルツ」ではなく、パティ―・ペイジのみ。
 リックを背負い黒潮丸に乗船する先輩の写真(55P)には進学、就職と本土目指す私達戦後世代の本土進学を回想させる得難いページ。カラオケはこうした時代・ライフ回想レビューの貴重な機会と改めて思います。それにしても各ページに時代背景を映す写真の収集掲載の先輩の相も変わらぬセカンドライフ・パワーにはともすれば“もうそろそろ”と落ち込みそうな我と我が身が叱咤激励されます。

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都内名園 「清澄庭園」でニライ会、感激!

2018年08月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り

          
        
 都内沖縄関係交流の「ニライ会」8月例会が江東区「清澄庭園」で開催されました。この庭園は江戸時代の屋敷を三菱創業者の岩崎弥太郎が接待庭園とて造成し、現在は都庁管理の有数の名園です。地下鉄半蔵門線「清澄白河」駅から徒歩3分。数年前にも一度訪ねていますが、その美麗さには改めて感激しまし。
       

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「私の履歴書」③~社長退任の背景

2018年08月22日 | 「私の履歴書」

                    
       (創業から20年入居した慶應大東門向いの”アネックス三田ビル)

 私の場合は子供がおらず、社員(専務)に社長職を譲ったのですが、これは経営の承継で資本の譲渡ではありません。資本の承継とは私の場合一億円の資本金の七0%を保持していましたが、これは簿価で時価は四倍近い二億八千万前後になるとのことでした。
 退任の数年前、直腸ポーリーフ手術で入院した時、見舞いに来た取引先の銀行支店長から「こんな時に申し上げるのは大変失礼ですが、社長に万一の時は奥様に数千万円の相続税が行きますよ」と言われました。後で考えるとこの支店長の直言、アドバイスが私の創業会社のM&Aに踏み切る切っ掛けでした。
 実はこの支店長は東京生まれでしたが、ご尊父は高名な沖縄出身学者で、私は生前、お会いしたことがあり、こうした縁で当該支店長は通常の取引顧客とは違う配慮があったようです。その後、私の創業㈱日本アドバンスシステムのM&Aを斡旋実施したのはこの支店長が役員として移動したコンサル・投資ファイナンス会社の担当者でした。

 会社のM&Aはこうした創業者利潤の確保以外に、会社の文化の違いや社員の適正や処遇等、TOPの決断には難しい問題がいろいろありますが、これらについては、別途報告したいと思います

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「私の履歴書」➁~「事業承継としてのM&A」

2018年08月21日 | 「私の履歴書」

                   
       (創業時の入居ビル~東京・田町の「サーラ三田ビル7階17坪)
私は昭和五三年、三八歳で会社を立上げ、平成二〇年の六八歳、創業 三〇年で代表取締役を退任、後輩社員に社長職を譲渡し、その後、東証一部同業と資本提携、株式交換、合併会社の会長、顧問を三年間務めたことは前回報告しましたが、今回はこの“事業承継としてのM&A”の背景と理由を振り返りたいと思います。
 創業者にとって経営の承継はもっとも難しい課題ですが、社長としての後継者選択は親族、社員、取引先、銀行、同業者等々とその選択は幅広く、悩ましく難しい問題です。経営権承継以外に株の承継、創業者から見ると“創業利潤”の確保、つまり、後継者が創業者の持株を引き取れるかどうかの問題です。社長の座は譲るが相変わらず株は保持し、会長、顧問として会社オーナーであり続けるケースは良くあります。
 

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「お盆、墓参」

2018年08月20日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                               

 毎年のことですが、先週も毎年8月15日、両親が埋葬されている埼玉県北本市の「寿命院」に女房・妹弟と行き、本殿で開催される10人のお坊さんによる1時間近い声明お経(施餓鬼法要)に参席。御塔婆をお願いし、境内のお墓を清掃、墓参しました久々の北本でした。

 

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「瀬長亀次郎の生涯」(講談社);佐古忠彦著

2018年08月15日 | 「Weekly 読書感想」

                       
 

 先に逝去した翁長知事は安倍政権に徹底抵抗しましたが、占領下の沖縄で米国民政府方針に不屈に対峙した瀬永亀次郎。先日、那覇市若松の「不屈館」訪問し、瀬長亀次郎ご令娘の内村千尋さんにもお会いした縁(https://blog.goo.ne.jp/shigeta-nas/e/9154b2ea35d900f63c8280f4ad7b420c)で本書を購入、読了しました。私は那覇高校在学中の校庭で開催された「四原則貫徹住民大会」も記憶にあります。それより、那覇市楚辺の刑務所の近くを歩いていると側の家の窓からヌッと出て来た特徴あるあの瀬長さんの顔が忘れられません。実は小学6年の時に奄美から沖縄に移住した私達家族が住んでいたのは当時の刑務所近い楚辺でした。実はあの顔サイズの窓は亀次郎さん小用中の外向けトイレ窓だったようです。
 
変な記憶紹介で申し訳ありませんが、本書で最も印象に残っているのは1952年、琉球政府創立記念式典で不起立、米軍に抵抗し亀次郎の姿勢でしたが、私にとってもっとも印象深いのはその後の立法院議会(後の県議会)での泉有平議長とのやり取り(P40)です。亀次郎の追及にドギマギしつつ誠実に対応し。最後に「自分の落度であるので御詫びしたい」という泉議長の対応は忘れられません。実当時の立法議院議長の泉有平さんは奄美瀬戸内出身で私の従兄弟祖伯父で、後に私達が住んだ安謝の自宅にも来られ、父に「南西鐵工場」経営を委託、そのお陰で私が琉大を中退、早稲田に入学できた大恩のある方です。よくまあここまで詳細な議事録を掲載して頂いたと改めて著者の佐古さんに感謝です!

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高山厚子さん読後、感想!

2018年08月12日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)

 T企業を創業して30周年を迎える本アドバンストシステム会長の重田辰弥氏が

「おきなわ就活塾・・新宿書房」を出版した。

早々に贈っていただいたので、春一番の吹き荒れる日、珍しく週末を家で過ごしていた私には、絶好の読書日和となった。

納得しながら、相槌を打ちながら、時に顔をしかめながら、一気に読んでしまった。

沖縄の人に、特に、若者に、その親に、行政マンに、人を育てる大人に、沖縄の企業人に、そう、多くの人に読んで欲しい本であると思った。

氏が、自社で採用した沖縄の若者の姿がリアルに描かれている・・生活の違いや意識の違いなどを通してしかも、その保護者の姿が、沖縄の風土性と合わせて、鋭く分析している・・・これでいいのか沖縄よ・・・と本当は言いたいのではないどろうか・・・やさしさゆえの沖縄人?と述べているところは、氏の寛大さと捕らえたいのだが・・イヤイヤ・・・やはり・・・これでいいのか沖縄と私も叫びたい。

私の近親者にも、長男がゆえに、40代で一流企業の関東総務部長を切って、親の懇願により、沖縄へ戻った人がいる・・・・

人生の幸せとは、勿論,分かるわけではないが・・・・・

でも、又、反論もしたい

沖縄だけではないよ・・最近では、全国共通する若者像だよと又、沖縄の家族像も変ってきているよ・・と

同時に、日本企業のあり方にも言及するべき問題があるのではと。

一方、この本は又、会社を組織したトップの社長として30年間組織を広げてきた経営者としてのノウハウは

また、元マスコミ人としての識見の広さは、沖縄の人のみではなく、会社経営を目指す人にとって、多いに参考となる本でもないだろうか。

双方の意味で、バイブル的な本と推薦したい。

本に多くは述べられていないが、重田氏の人脈の広さ・深さ・気さくさは、上京する沖縄の人にとってイヤイヤ世界で羽ばたく沖縄の人にとって、

多くの人が恩恵をこうむっている。私もその中の一人。

この東京という広い世界で、沖縄へ「人を紡ぐ超名人」といえるのではないだろうか。

沖縄県知事からその功績の表彰を受けていることもうなずけよう。何人にも、平等で,屈託なく、さりげなく引き合わせる天才である。

自身の生い立ちは、又、沖縄の歴史でもある。特に琉球大学時代の姿は、わが青春を髣髴とさせた。

同じ時期、上京したのだなー・・・と。

本を読みながら当時の我が人生と折り重なり、感慨深くなった。お目にかかったのは、私が定年退職した年ですが・・・

いい本をお書きになりましたね。重田さん。多くの人が貴方をお祝いするでしょう。

末席ながら、私もその一人。これからも軽口で時には、辛口で、

言い合いましょう・・・多くの沖縄人への「かけはし賞」を私からも贈りましょう。出版を記念して。

ますますのご健康をお祈りし、今後も更なる希望の星でありますように!

 

 
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「翁長知事、安らかに!」~哀悼、在りし日の出会い!

2018年08月12日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                  
                                (2011年那覇市長時代・世界のウチナワンチュ大会で)  (2016年、県功労受賞式で)

 一昨年、県功労賞を直接拝受し、先週の沖縄タイムス社の70周年パーティでもご挨拶した翁長知事の先日の逝去には衝撃を受けました。年齢はかなり離れているとは言え、那覇高校の同窓で元気な那覇市長時代には何度かお会いした思い出があります。“イデオロギーよりアイデンティティー”スローガンの下、果敢に政府施策に対峙した不退転の姿勢には感嘆です。その数日前には同年の俳優・津川雅彦さんの死にも驚きました。膵臓と肺と言う違いはあれ、お二人の癌による死亡には我と我が身の終末を思いました。
 私は退院5年目を迎えますが、3カ月一度の検診による腫瘍マーカー数値は担当医が首を捻るほど依然として正常値ではなく、先生は言わずとも“いつか転移、再発”を覚悟する昨今です。残る生涯、幾ばくなり後輩、故郷に役に立てばと拙い我が回顧禄に挑みます。高齢・認知症の予兆か、最近は零時過ぎに寝ても炎暑の中、4時過ぎに目が覚めますが、不思議なことに過日のことが鮮明に蘇り、思い出して来ます。これも回顧記録のチャンスと捉えます。津川さん、翁長知事と続く逝去に伴う否が応でも思う我が終末です。翁長さん、安らかに!

       
     
(2014年仲本潤英さん1周忌・那覇で)    (2015年第一ホテル東京で佐藤勝氏と)


 

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「我が生涯を顧みる」①(私の履歴書)記載アップについて

2018年08月11日 | 「私の履歴書」

 たびたび知友から“重田さん、自分史書いて”と督促されていましたが、たまたま関東沖縄経営者協会の会報編集担当者からも「会報に創業史を書いて欲しい」という要請を受けたのを機会に、自分史記述に挑戦することにしました。
 創業30年、古稀を過ぎて大腸癌が見付り、ステージ4のストマー手術を終え、5年目を迎えた今年、何時転移再発、初期認知症かも分からない残された生涯、どこまでご期待に添えるか分かりませんが、起業意欲ある後輩に幾ばくたりともお役立てばと週一回の割合で生涯を振り返って見ます。
 月一度の経営者会報記載と週一のBLOGアップが同期せず、記載内容の誤謬、過誤にお気づきなら忌憚なくご指摘、ご教示頂ければ幸いです。

 

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境界の「多良間島祭り」に感嘆!

2018年08月10日 | 「美ら島沖縄大使」便り

     
 先月末、東京都北区の「赤羽会館」で開催された第85回「多良間祭り」の招待を受け、参加しました。沖縄県宮古郡の多良間島は僅か20キロ平方、1000人を超える島人口ながら、毎年、東京の赤羽会館で行われる「祭り」には300人を超える参加者。
 面積はこの多良間の10倍近い?ながら人口はほぼ同じ我が奄美の加計呂麻島を思いつつ、獅子舞はじめ延々と続く数多くの故郷演舞のこの多良間の迫力には改めて圧倒されます。文字通り宮古スピリット“アララガマ”表象か!
 多良間は宮古群島に属するとは言え、八重山島にも近く、島の中学生は宮古高にも八重山高にも進学すると言う相当乖離する両島の混合カルチャか?奄美と沖縄カルチャの混合する与論島にも似ているか?そういえば、奄美出身の私は鹿児島(薩摩)と琉球(沖縄)の境界カルチャ―キャラクターか!

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朝吼夕嘆

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