”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「元気のいい沖縄のお母さん」

2006年12月31日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 もう10年以上も前の話。クラスでもリーダークラスで教師の強い推薦もあり、県内工業高卒の元気のいい女性を採用した。プログラマー見習いとして社員寮から通勤していたが、入社間も無くで居室で天婦羅鍋をひっくり返しボヤ騒ぎを起こした。その彼女が大事に至らなかったものの駅から寮への残業帰り道、痴漢もどき不審な男性から声を掛けられ、怯むどころか持っていたバックで反撃、追っ駆けまでしたらしい。後で怖がっていたが、とにかくしっかりした気の強い子だった。
 この彼女1年余りで退社する。直接の原因はネットワークビジネスへ入れ込み、そこそこの成果を上げそっちの方への興味が強まったためらしい。
入社前、お母さんから申し入れを受けて那覇で面談したが、ご自分の商売生業を熱心に語る男勝りを感じさせられた。

 すべてのケースがそうだとは言わないが、沖縄それも中北部のお母さんの中には採用先の会社に対し“娘がお世話になります”というオブリゲーションより対決調とまでは言わないが“娘にどんな仕事させるのですか”と詰問調が珍しくない。その意識の底に会社組織への懸念やヤマト社会への疑念があるのか分からないが、とにかく“元気のいいオバーお母さん”が珍しくないが、とくに女手一つでお子さんを育てた寡婦に多い。実際、当社の場合、しっかりした優秀な高卒就職者は母子家庭の比率が高い。

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「M君の応召と退社」

2006年12月30日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 今回は「応召」という言葉を思い出した沖縄出身ならではの採用・退社ケース。10年ほど前の話。その年の4月沖縄の高校を卒業して運用部に入社したM君が入隊のため会社を辞めざるを得ないと申し出てきた。

 沖縄は日本一ハーフの多い県で、タレントの南佐織も安室奈美江も過去甲子園に出た何人かの球児もそうでしたが、この年採用したM君も日本とスペインの両国籍を持っており、国民皆兵制を採る母国のスペイン国軍に入隊するため渡航しなくてはならないという。
 M君のお父さんは船員で、お母さんがスペインのカナリヤ島の出身、応召しなければ軍事裁判のため強制送還を要求されるとのことでした。採用したわれわれも本人も召集令状をもらうまでこの事に気が付かなかった。
 このM君は中部出身で当社沖縄事業所が入居している国と県、民間からなる第三セクターTTC(トロピカルテクノセンター)の建設中の高校時代、アルバイトで同乗した車中の叔父さんから「お前も将来あんな建物(TTC)で働ける位頑張れ」と激励され、当時地方では珍しい壮麗な建物に憧れ、内定時「入社出来て夢のようです」と語っていた。その彼が母親の心中を思いわずか半年で言葉もわからない異国の軍隊に入隊したケース、国際性強い沖縄ならではの採用経験だった。
 
 ご承知の通り、アジア近隣の韓国や台湾は皆兵制を敷いており、20代前半の若い人たちが2年間強制的に軍隊に入り軍事訓練を受けます。数年前多い時で5人ほど韓国からSEがわが社に来ていましたが、軍事訓練を受けた彼らはいずれも勤勉、実直で、私が彼等の前を通りと立ち上がって挨拶するかと思うと、酒席、私の前で喫煙するときは必ず断る等非常に礼儀正しい。
 ジベタリアンや路上飲食等の日本の同世代を見て、彼等は自国の将来に対し、大きな自信を抱いて帰国したのではないか。
 (写真は2003年産業祭・ベンチャースタジオでの講演)        
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「忘年・千客万来」

2006年12月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 長元沖縄タイムス東京支社長が年末挨拶に来社された先週同日、勝方恵子早大教授がこの度上梓した「おきなわ女性学~事始」(新宿書房)を支社長に贈呈したいと来社。これまた偶然に新年1月3日、上野の東京文化会館で沖縄をルーツとする鳩山元東京交響楽団コンサートマスター等と協演する琉球琴演奏家の翁長洋子さんがプレスリリース相談のため来訪。年末多忙時節にも関らず4者期せずして合流忘年懇親。

 その前日、都内研修の最中、豪雨を縫って元タカラジェンヌ、スチュワーデスと華麗なキャリア、お子さんの事情で夫君共々沖縄移住、沖縄観光振興に供する人材育成を目指す「リゾートウエディングスクール」経営の河合玲子さんが来社。以前「おきなわマインド」や「世界のウチナーンチュ大会」等でお会いしたが、この日、沖縄県内起業について様々ポジティブでパワーフルなご下問。今後の活躍を期待したい。


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「採用とウチナータイム」 

2006年12月29日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 沖縄で採用活動して「ウチナータイム」を思わされる時がある。
8,9月は東京、大阪同様沖縄でも内定者懇談会を行うが、相対に沖縄の遅刻率が高い。沖縄地方における内定者の遅刻の原因は何だろうか?よく言われるように時刻表通りに動く本土の電車と道路渋滞で進行ままならない沖縄の交通手段の違いにその原因があるのか。
 そもそも「内定者懇談会」ということに対する緊張感が足りない。競争社会の本土と比べ就職活動への温度差があるようだ。遅刻の理由に「友人を待って遅れた」というのがあった。遅れる友人を見限って自分だけ時間に間に合わすことをせず、共に遅刻して来る。「会社より友人を大切にする」ともって廻った説明をせずとも“一人では心細い”のかもしれない。            
                     
 「ウチナータイム」が厳然として存在するのはシテイホテル以外で行われる結婚披露宴。県出身社員の結婚披露宴に何度か出席したがそのタイムスケージュルはほとんど茫然とするほどの「ウチナータイム」だった。地方の公民館や会館で行われた披露宴は「いつ始まるともいつ果てるとも」定かでない「ウチナータイム」の真骨頂だった。 
 新郎勤務先社長の私は“主賓”ではなく、本土では例のない“職場代表”として指名されたが、予定を大幅に遅れ予定のフライトに乗り遅れたことがある。沖縄の結婚披露宴は実は披露宴(セレモニー)ではなく祝賀会(フエステバル)なのだ。
 その証拠に本土では両家親族は末席に座り新郎新婦を”ご披露する”が沖縄ではご両親は新郎新婦と並んで雛壇に列し、時に自ら舞台に立って踊りを披露し自ら喜びを表し参列者から祝される。出席者も200名以上はざらで時に400名を越すこともあり、そのためか宴は本土では出血が普通の挙式経費が沖縄では黒字になる例が多いという。文字通り共済ご祝儀だ。
 「セレモニー」は様式化された儀式であり、したがって「けじめ」や制限がある。それに対し「フエステバル」はお祭りであり、いわば無礼講の要素がある。この農村的フエステバルの結婚祝賀会とシテイホテルのホールで都会的セレモニーの披露宴を比較考察することはとはとりもなおさず「ウチナータイム」の背景を考えることであろう。                                     
 本土資本をバックにした那覇市街のシテイホテルにおける結婚披露宴はサービス産業としての「結婚ビジネス」がある。そこは時間と料金の論理が貫徹し、時間オーバーはペナルテー(超過料金)の対象だ。
 都会(産業社会)でのパンクチャリテイ(時間遵守)とは「約束=契約」。したがって時間はデジタル的であり、約束違反はペナルテイの対象だ。
 それに対しハルサー(農夫)やウミアッチャー(漁夫)はアケモドロ(曙)と共に動き、ユーマンギー(夕暮)と共に帰路に着く。言わば太陽との対話であり、その本質上アナログ的だ。都市を生み出した産業(インダストリアル)社会は工場制がその基礎にあり、工場制とは「同一場所で、皆で、同時に」働こうということだ。これが近代の基礎になる。    
 パンクチャリテイ(時間遵守)とは近代の精神にほかならない。沖縄にはかって同時一斉に動きだすラインを整備した大工場制は成立しなかった。その意味でパンクチャリテイ(時間遵守)という近代の精神は十分育たず農村的近世精神が色濃く残っているのだろう。
 最近、こうした機械産業社会の苛烈さや酷薄さに比して近世農村社会が本質的に持つスローライフと優しさ(テーゲーさ)が見直されているのだろう。

 (写真は2002年泊高校での進路講演)
 
                                  
                
                     

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「同窓徒然②」

2006年12月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 前回に続き今回は在京12期13名、暮れの歌舞伎町・居酒屋「ぶうげん」に集う。主題は介護、孫、血圧、コレストロール、白髪。そろそろ慶弔や香典相場決めようか等々談義。

 かと思いきやその前日、現役バリバリの22期後輩上京来訪。この後輩母校初の女性生徒会長。往年のやる気、そのまま富士通SE経験を活かし、産業カウンセラーとして活躍中。かたや中東産油会社の日本支社長秘書。聞けばご母堂がなんとこれ又4期先輩の同窓。お二人ともご覧の通り眼鏡!きっと勉強し過ぎだね!

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「2006年仕事納めご挨拶」

2006年12月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 創業29年目今年はわが社にとっても私にとっても文字通り節目の年でした。
言うまでも無く、社長退任と新社長への後継でした。直接のきっかけは私の入院加療でしたが、私の中では後継問題は数年前からずーっと課題として考えていました。
 IT社長の仲間ともよく話しましたが、創業社長の後継は組織が確立している大企業等の2代目、3代目の社長後継と比べても数倍難しいということは多くの先例が示しています。ここでその難しさの内容には触れませんが、顧客もさることながら社員の(内心の)同意でした。
 同時に市場と共に活きるわが社のトップとして、最も市場の前線におり、お客さんとのリレーションもいい岩崎新社長が相対に一番適役と考えました。もちろん、独立前の会社で企業人として初めて管理者になった私が直接、面接採用した学卒新人部下という信頼関係もあります。
「社長だのに代表権を持たないのか」という内外の声を聞きましたが、あえて過渡的形態として今回は「執行役員社長」という制度を採りましたが、当然追って代表権も付加していきます。

 ただ、企業も創業30年近く、社員も200名になると対顧客だけでなく、社員のキャリヤ形成、処遇、内部の管理・統制等の課題が出てきます。こうした内部管理問題を中村専務と椋田役員、お客と製品というマーケティングを岩崎社長と堀込役員という大まかな4頭立て組織体制で今後の発展を期して欲しいと思っています。とはいえ、創業30年近くなるとほって置くとどうしても組織は内部指向が強まります。
 市場という大洋に浮かぶ小船とも言うべきわが社が今後とも生き延びるためには、市場、お客様の声と要望に一段としっかり耳を傾け、センシブルになる必要があると思っています。どうぞ、来年もこれまで同様、ご指導ご鞭撻の程、新社長共々改めてよろしくお願い申し上げます。
 
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 「不祥事①」(水道栓閉め忘れて弁償)

2006年12月27日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 別に沖縄に限らず、新卒生が親元を遠く離れて就職するときは様々な経験をする。以後暫く敢てそうした新人の起こした失敗談を報告する。これを単なる他人が起こした不祥事例と興味分で読むのではなく、“明日はわが身”と他山の石として頂きたい。
 創業間も無いバブル景気の求人難最中、30人を超える要員を静岡地方の顧客の工場に派遣した。駿河湾を望む富士の裾野のアパートの2階部屋を社員寮として賃貸、県出身者を住まわせた。
ある日、彼はバスルームの水道栓をしっかり閉めず職場に出かけ、水が溢れ階下の新婚さんの部屋の箪笥に漏れ、新婚さんの着物や洋服がすっかり漏水で汚染、賠償金を請求された。会社と折半で弁償する羽目になったが、彼の負担額は彼の当時の1ヶ月の給与に相当した。彼は実家を離れての寮生活は初めてだった。
 その為か彼の生活は荒れて、仕事の終わった後の居酒屋でのマナーが悪く、ある日遂にお店への出入りを断わられた。そのためお店の人と諍いを起こし、警察沙汰になり留置される羽目になった。夜間にも拘らず、顧客の先の勤労課長が警察に駆け付け、貰い下げこと無きを得た。私は直ぐさま顧客先へ飛び社員管理の不行く届きを陳謝、善後策を申し入れたが当社への沙汰は予想外に軽かった。後で分かったことだが、当時こうした事例は珍しく無かったらしい。しかし、結局彼はこれを契機に退社した。

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「同窓徒然」

2006年12月25日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 時節柄か年柄か、このところ那覇高同窓との出会繁忙。
まずは同窓一同共に、成功・失敗取り混ぜた我々の経験を披瀝し、来春就職する新卒後輩への進路選択の参考に供しようという企画集い。名付けて「就活塾」。
メンバーは一橋から野村證券研修部長歴任、退職後はセカンドキャリアコンサルを経営する我が敬愛する我が憧れの大先輩。お茶大教育からソニー人事教育部門を経てNTTグループ向け研修会社を経営する後輩。他にアシスタントとして区教育委員を務めながら介護ハウス経営の先輩。事務局は建築デザイナーの後輩と多士済々。私はと言えば、ITベンチャー創業を名乗りつつその実、挫折と曲折の経験談。外に同窓外ながら「関東城丘同窓会HP」のアドバイザリーWebmaster高宮城君を招いて“暮れの五反田忘年会”。
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John Grisham「The King of Torts」;A Dell Book

2006年12月25日 | 「Weekly 読書感想」
 ニューヨークタイムス・ベッストセラーズBook No1書。ハウツー、ビジネスブックだけでなく、古典と英書を平行して読む“などと粋がっていたが、本書、ようよう、やっとこさ、とにもかくにも読了。実に06年1月6日スタート、11月16日と一年がかり読了!全ページほとんど教科書に出ていない語彙。しかも内容が医学薬学、訴訟法廷専門用語。判る筈がないのだがただ文字面追っている内にストーリの流れが判るから不思議。
 大手製薬会社のインサイダー情報を掴んだ“街弁“が株と訴訟で巨万の富と名声を確保しつつも親の反対で恋人を失い、一転不法を暴かれ没落、裏腹に昔の恋人が帰って来る。
 恋人の両親の期待へ徹底反目、妥協しない筋書きは“目出度し、目出度し、ハッピーエンド!“で終わり勝ちな邦書とは大違いのリアリズム。
 可笑しかったのは書中、HOND車がしがない貧乏町弁のシンボルとして書かれていること。ビジネスの世界で“米国市場で善戦する本田カー”と思われている日本車の米国内でのイメージは本書で初めて知った。
 
 日本の経済紙やマスコミはこうした実情を正確に伝えるべきだ。アメリカの女子ゴルフ界やプロ野球界では韓国がメジャーで日本選手の存在などは遥かにマイナーという相対的映像と存在を正確に広報すべきがマスコミの責任だろう。
 そうでなくては“ドラえもん”を韓国オリジナルと思っている韓国の若者の意識形成をとても笑ってはおれない。どうも話が外れて済みません。


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「宮良多鶴子クリスマスランチコンサート」

2006年12月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 12月17日、昨年に続き東海クラブで宮良多鶴子クリスマスランチコンサート。植木沖縄フアンクラブ会長、元那覇地検検事正・安田会長、大沢元日銀那覇支店長、日通役員、沖縄県東京事務所長等およそ150名。
 宮良さん、歌唱にも増して、先のボリビヤ講演で出会った現地沖縄移民オバー達の熱い郷愁のレポートと語りが印象に残った。
 フアンクラブがあるとは言え、ほとんど宮良さん手ずからの案内と礼状、メール等きめの細かいフォローに毎回ホトホト感心している。ご本人もさることながら何かとお世話になっている植木会長特段の肝いりもあって、私のルート今年も知人伝手を頼って13名の方に参加頂いた。

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「沖縄フアン・カリスマベンチャー尾関茂雄氏」

2006年12月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先日、立ち上げたNETビジネスを3億円で売却、タレント山口もえと結婚、話題をさらった若きベンチャー企業家・尾関茂雄氏とお会いした。
尾関さん、実は大変な沖縄フアン。その経営する西麻布のbirthでは毎月第3日曜を“いちゃりばちょーDAY”として沖縄親交イベントを開催している。
養秀同窓会の稲嶺穂さんの紹介。実は稲嶺さんの弟さんが尾関さんの知己。

 沖縄県東京事務所長と共に招かれたこの宵、スピーチを指名され、沖縄I・Uターンと人材マッチングを目指しこの度関東沖縄IT協議会有志と立ち上げた「㈱EmEO沖縄」を紹介した。
 この夜、私達復帰前世代がともすれば見えない“パラダイス沖縄”のアングルまざまざと見せられた。翌日早速“将来沖縄に移住、就職したい”という若いメンバーから数通のメールが届いた。(私の向かって左隣が尾関氏)
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「仲井眞新知事来る!」

2006年12月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 去った12月20日、仲井眞知事が内幸町のプレスセンターで関東沖縄IT協議会メンバー有志で設立した「㈱EmEO沖縄」のプレス発表と披露パーティーにお見えになり、激励とお祝いのご挨拶を頂きました。関係者一同感激と同時に責任の重さを感じました。
 EmEOとはEmploy(雇用)、Education(教育)、Offshore(遠隔開発)の三つのキーワードで郷土沖縄の雇用促進とIT産業を支援しつつ、参加各社の人材確保と発展を期すものです。
 とは言え“創業は易く継続は難し”の通り、設立パーティー華やかな沖縄ベンチャーが何時の間にか消えて行った事例を数多く見てきた者としては当初“小さく生んで大きく育てる”の思いから“スタートは出資メンバー中心に決意を固く密やかに”と考えていましたが、到底無理と予想していた仲井眞新知事が前日になって来訪するとの報に接し、慌てて皆さんにご案内した結果、当然のことながら「もっと早めに広く連絡すべき」と多くの方からお叱りを受けました。私の意向はともかく結果的にご迷惑お掛けした点、改めてお詫び申し上げます。



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「上京新人が陥り易いこと」

2006年12月19日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)
 わが社の過去の例ではキャッチセールや催眠販売でした。上京間も無く、街頭で綺麗なお姉さんに声を掛けられた男子新人社員が乗用車に誘われ、気が付いたら高額の印鑑を買わされた例。翌日、気が付いた彼は総務担当に相談し、すぐさまクーリングオフ手続き教示、難を免れました。彼の場合はすぐ会社の上司に相談した賢さがあったのですが、一人悩んで背負い込むタイプが一番問題です。
 寮で新聞の新規購読勧誘を断れなく、2紙の購読を契約した例はまだしも、親戚の保証人を背負い込み、サラ金の取立てに会い、結局退社に追い込まれた例があります。
 いわゆるネットワーク販売は個人間の信頼関係を媒介にする一つの近代流通機能として評価する筋もありますが、入社早々そのネットに取り込まれ、会社の仕事よりそちらの方に傾斜し、挙句は退社し、何のために上京、就職したか判らなくなった例があります。
 総じて県出身は純真、素直で“断り下手“が多く、そのためしたたかな都会の大人に騙される例が少なくありません。
“素直さは程々に人を疑え“と諭すのは必ずしも本意ではありませんが、鵜の目鷹の目の都会では多少性格が悪くなっても、身を守るには止むを得ません。本土就職で失うものもあるというは厳然たる事実です。
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“歌と踊と酒の島”沖縄

2006年12月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り
“歌と踊と酒の島”沖縄の極め付きは沖縄以外に京都、金沢、大分、愛知と全国に県立芸大は少ない。但し、沖縄以外の4県にある工業大学が沖縄にはない。文字通りスローライフならぬスロースターターよろしく全国最後の高専が出来たが未だ卒業生は出していない。全国9ブッロクの職業訓練大学校(ポリッテク・カレッジ)の設立・配置は別の議論として。
 亡大宅壮一が“駅弁大学”と揶揄した戦後群立した工業大学。九州には国立の九州工大以外に久留米、福岡、第一、崇城(熊本工)と5つの工業大。何かと比較される北海道にも室蘭工、北見工、北海道工と3つの工業大学以外になんと琉大出身の嘉数福学長が勤める北海道情報大學もある。私の住む埼玉には日本工業と埼玉工業と二つもある。これをもって沖縄は工業より宴と祭りに偏しているとは言い過ぎかも知れないが、“芸能沖縄”に比べ“工業沖縄”の存在基盤とマインドが薄かったのは否めないだろう。
 もちろん、県立芸大にもデザイン科や造形科等産業立地に供する学科もあり、現に卒業生の中には新里富貴子㈱FKD社長のように首都圏でIPOを窺っているIT企業創業者もいることはいる。

 しかし、中京地方で人手不足に悲鳴を挙げ、若年失業者が群れる那覇の職安に専任者を常駐させ毎年百人を超える季節、臨時工を沖縄から調達するあのトヨタ系企業はなぜ沖縄に立地進出しないのか。原材料、製品の搬入出荷の運送経費ネックだけだろうか。組立工員はともかく、管理者層やスローライフ沖縄社会の風土があの名立たる厳しいトヨタ式生産、下請管理は馴染まないと思っているのだろうか。一度トヨタさんに聞いて見たいものだ。
 しかし、ウクレレやダンス、ショー、サンシン、エイサーを期待してハワイやバリ島、ラスベガス、スローライフ“癒しの島”を訪れた招れ人がそこで、早朝動き出す工場ラインや一斉に電話に飛付く女性を見るのは興醒めだろう。

 先日、沖縄で中学同期の集いで偉そうに上のような評論をしたら私の顔をじろーっと睥睨した旧友の一人が、やおら
「えー、タツヤ!お前、沖縄を捨てて公害と騒音、満員電車の東京でどれ位頑張って、偉いかもしれんが、お陰で頭も睫毛は白くなり、この間は病気で倒れたじゃないか、たまには俺達とゴルフぐらいしたらどうだ。長生きせんぞ!」とドヤされた。トホホ!
 学齢、年収、地位等の付属アクセサリーを一切払拭、惑わされず本質を語る小中学の同期生の有難みと貴重を機中で反芻、味わいつつの今回の出張帰省でした。
 (少し格好良過ぎたか)
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「千客万来!」(15年振りOB女子社員来訪)

2006年12月15日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 創業10年目の1980年代末、カーナビ業に参入した顧客・住友電工さんの依頼により、沖縄で道路地図の入力センターを開設。
 那覇職安でその入力要員を募集したところ、条件が良かったせいか何と所内に収容しきれない数百人の応募者が殺到。全職員が応対、通常の業務に支障を来たし、お陰で当社の名前が職案で後々まで記憶されることになった。
 結局40名採用。その中で「私を採用しないと損しますよ!」と言わんばかりの面接応答で記憶に残り、リーダーを務めた金城正美さんが、15年ぶりに東京本社に訪ねて来た。種々曲折があったようだが相変わらずの元気、当時と少しも変わらない。当時幼稚園生だったお子さんがもう結婚するという。
 当時のOBを募って私の会長就任祝かたがた長年の社長勤務慰労宴を開催したいという。いやはや、沖縄女性の元気をここでも見せつけられた。

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朝吼夕嘆

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