”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「蛙鳴」(大学クラス雑誌)の思い出

2014年08月18日 | 「終活レポート」

                          
 会社を退任したタイミングに直腸癌が見つかり手術、永久ストーマになったのを契機に74歳の生涯を振り返り、あれこれ“終活”と小中高時代の日記等の発見、整理の末に大学時代のクラス雑誌「蛙鳴」4冊が見つかり、ページを捲っている内にいろいろ思い出しました。
 そもそもこのクラス雑誌の発刊契機は、西洋史専攻の1期先輩の歓迎集いの時に「我々もクラス雑誌を発行しているが、君達も作ったら!」という提言だったと思います。
 では、誰が編集するのかと級友間で議論したのですが、「クラス委員」を拝命していたためか編集、会計チームを手伝うことになりました。発行は4年間に4冊ですが1年時に2冊、2年時に1冊、何故か3年時には発行せず、4年時に卒業を記念にと合計4冊になりました。4冊の累計執筆者は74名。50名を超えるクラスメンバーから計算すると4名に1人の執筆となります。
 私の投稿は「入学この方」「夏休みまで」「クラス雑誌を考える」「山田宗睦・危険な思想家所感」と4冊へ4文。読み返すと“面映い”反面、“へ!こんなこと書いたのか!”と。 

 大学1年時の1962年頃は手近にワープロは未だ無く、皆で第一文学部一階のレストランで謄写版に鉄筆で原稿を書きました。 流石にこの最後の4年版はプロのタイピストに頼みましたが、執筆者からの掲載料がなかなか集まらず印刷会社への支払に難渋し、4年次最終版に添付のような「編集後記」記述がありました。(^○^) この最終四年版のタイトル文字と表紙、一文校舎を模して 書いた記憶があります。蛇足ながら、この作業中、傍を通った当時二文に入学した吉永小百合さんの姿を覚えています。

 
 この「蛙鳴」書名はクラスメイトの浅川さんがを提案したのに対し、西洋史先輩が“蛙鳴蝉噪"ネーミング、自虐的でよくない!”と忠言されたのですが、浅川提案を押し切ったのを覚えています。
   
                     
            
                                                              (4年生最終号の編集後書き(>_<;)・゜゜・)

 

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「IT企業30年TOPメンバー例会」

2014年04月11日 | 「終活レポート」

                              
 「知る
人ぞ知る東京駅八重洲の天ぷら屋・「だぼ櫨」(ダボハゼ)で開催されたIT/SP会の例会に席しました。因みに「たぼハゼ」とは“小形のハゼ類の俗称”で天ぷらチーフオーナーはその命名への拘りと由来に熱を入れ語っていました。
ITSP会とは栄枯盛衰とまで言わずとも創業、倒産率の高いIT業界でいずれも会長、顧問、相談役と30年以上務め上げ、後継者へ事業承継を果たしたリタイア・メンバーによる3か月一回の懇親会。平均年齢73歳のメンバー同士、話題はいつもゴルフと罹病、常用薬談義ながら、終活に向けてヒントと元気を貰う帰路でした。
 この日私は「銀座ライオンビル」での別会があり、途中退席。翌日は第6回会目の抗癌化学点滴治の2泊3日の帝京大入院でした。  

                              

 

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「お詫びとアドレス変更ご連絡」(Widowers8に苦闘)

2013年07月24日 | 「終活レポート」

 ㈱CIJネクスト退任に伴い、これまでのshigeta.tatuya@cij-next.co.jpアドレスをshigetata@jcom.home.ne.jpに変更連絡しましたが、多くの皆さんが類似別人アドレスのshigeta@jcom.home.ne.jpに送られたようです。
 これは別人のアドレスでしたので、私はshigetataのアカウントを採用しましたが、多くの皆さんがshigetaに送られ「重田さん、メール送っても返信ないよ!」と言われました。
 そこでshigeta@jcom.home.ne.jpに紛らわしいshigetata@jcom.home.ne.jpアドレスをこの度、shigeta.tatsuya@jcom.home.ne.jp に変更しました。
 重ね重ねお手数、御迷惑お掛け、」申し訳ありませんがよろしくお願いします。 

 このアドレス変更と共に事務所移転に重ね、従来のWidowersXPから8へ機種変更、データの移管、操作に往生しています。われわれ年配者には本当に8 Office、Outlookは使い難く、早期買換え軽率に後悔、苦闘の日々です。 

 

 

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「IT経営者OB会、発足」

2012年09月04日 | 「終活レポート」

              

 首都圏独立系IT企業の交流組織ITA、発足以来すでに20年。
発足時の主要メンバーのTOP 4人が2年前からOB会を形成、所属メンバーの頭文字からSHOK会と名付け、3ヶ月に1度の割りで懇親会をもっていましたが、この度、リタイヤOBが一機に10名に倍増、SHOK会を発展的解消、新たに 会を形成しました。
 先日、神楽坂の弊社ビル正面向かいの老舗・焼き鳥店“鳥半”でその発会集いを持ちました。メンバーの平均年齢は当然のことながら70歳。話題は互いの創業、発足から“石油、リーマンショック乗り切り”企業継続、経営承継とさながら、日本のIT企業の歴史談、交流となりました.
 SPとは ①シニア プレジデント
          ②スペシャル パートナー
          ③SKB パートナー
 上記3つを併せ持つITA卒業生

 今週金曜の例会、骨折のため初の欠席となりました。皆さん、次回は沖縄で例会を!

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リフォーム「仮住い」

2012年08月08日 | 「終活レポート」

           

                     (仮住いのマンション)

 耐震設計、バリアフリー等の自宅大幅リフォームのため、3ヶ月以上の仮住い転居。引越し業者に、荷造り、梱包一切かっさい依頼「一括」見積もり依頼。出てきた見積額を交渉、2割引していただいた頂いた日通さん。
 当日は食器、キッチン用品梱包の“エプロン小母さん5人以上に書斎、箪笥荷造りの作業員10余人で丸一日。食器と本の多さには皆さん、驚いていました。
5月までの借り住まいは駅最寄、東南角の瀟洒なマンション4階。4LDKながら部屋の大半はダンボール山の倉庫様相。引越し先での荷解き“あれは何処!何は何処!”と往生、疲労困憊。

         

           (ダンボールに囲まれたマンション居室)
 

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沖縄歌謡「ヤイマ」作詞作曲歌手・宮城衛さんと!

2012年08月07日 | 「終活レポート」

          

 去った5月の連休、埼玉新都心で開催された「沖縄祭り」。
御馴染みの琉球舞踊他、沖縄歌謡「ヤイマ」(八重山)作詞作曲の宮城衛さんの来県、登場にビックリしました。この歌、私のカラオケ十八番で、馴染みのお店や仲間から、例外なく“重田さん!ヤイマを”と声を掛けられます。かつて、新宿の居酒屋で  

 “海を見れば故郷思い出し、山を見れば故郷又思い出す、情け深き父に元気でいるかなと便り書いては出せずに読み返し、母のぬくもり思い出しながら今も歌うよ“

 という私のカラオケを聴いた沖縄出身の女性従業員が泣き出したことがあります。わが故郷・奄美郷愁にも繋がるこの歌は千昌夫によって流行りましたが、宮城衛さんの作詞作曲デビュー作。実際にお会いした宮城さん、芸能人というよりスポーツマンを思わす沖縄出身にしては大柄な体格に磊落、気さくな方でした。    

         

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 「リタイヤ感想」

2012年08月05日 | 「終活レポート」

 代表取締役、社長退任は当然のことながら、初めての体験。周りは意識していませんが、身辺環境がいろいろ予想外に変わりました。

 最も顕著な現象はインターネット・メールの受信数。社長時代は出勤しパソコンを開くと毎朝50通を超えるメールが来ていましたが、辞任後はたちまち半分以下に激減。

 現役時代、毎朝大量のメールには時にウンザリしていましたが、逆に退任後の10通前後の少量着信には寂寥感!

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㈱CIJネクスト会長退任のご挨拶。

2012年07月04日 | 「終活レポート」

 平成22年、旧㈱日本アドバンストシステム創業30年を期に同業3社と合併、発足した㈱CIJネクストの会長に就任よりまる二年、齢72歳、35期決算期の6月30日をもって退任致しました。
  合併以来厳しいし市場環境ながら、売上60億台を維持、黒字経営を継続達成出来たのは一重にお客様のお引き立てと同時に合併に伴う様々な課題に対処しつつ、克服、頑張ってくれた社員一同のお陰と改めて感謝致します。長い間、ご支援有難うございました。
  今後は顧問として、次世代の足手惑いにならない様、一抹の社業貢献と共に次世代後輩応援と故郷への恩返しが出来たら幸甚です。
  なお、勤務場所、メールアドレス並びに電話番号はこれまでと変わりません。

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「87歳・恩師にビックリ!」~中学同窓会に出席して

2012年06月26日 | 「終活レポート」

           
           (同期と見紛う87歳の新川先生~前列中央)

 沖縄慰霊の日」前日、6月22日4年に一度の沖縄安謝小中同窓会に出席しました。「安謝小中」は戦後間もなく、安里小学校の分校とした設立された小中併設の一学年3クラスの那覇地区では最小の学校で、卒業9期目で安岡中となった現在存在しない幻の母校。それだけに私達卒業生にとっては、殊の外愛惜深い同窓会。
 120名越す我が3期同期生中、この日参加は30名弱中、県外からの出席者は私を含め3人。それでも9期同窓中最大の参加者。数十年振りの邂逅同期もさることながら生徒会等で共に活動した先輩、後輩と談笑!往時茫々、夢の如し” 
  総会後の午前1時近くまでのカラオケ二次会に最後まで参加、何時果てるとも無く懐メロ朗々と歌う同期女性群に“旦那、お子さんはどうなっているんだろう”という当方の浮世杞憂を吹き飛ばすそのパワーには圧倒されました。
 それにも増して、大阪からお一人で駆け付けられた “ひめゆり学徒“87歳の新川初先生。二次会のカラオケハウスで20分近く、立ったまま”ひめゆり”従軍体験記と関西地区唯一の”ひめゆり語り部”経験を延々と披露される情熱と若さには安謝中3期教え子一同、感嘆ビックリでした。この先生の元気さを見ていると同期一同、”そろそろ、我々も年か!”などとはとても言えないと思いました。
 ひめ百合学徒最終学年の先生は、戦後あの米軍機墜落の”宮森小学校”にも在籍、駐琉米軍による悲劇を体験されています。因みに、大田昌秀元沖縄知事もその時の同僚上司教員だったとのことです。
 新川
 先生、いつまでもお元気で!                        

                                             

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「川平会長、お疲れ様」~第54回東京沖縄県人総会。

2012年05月01日 | 「終活レポート」

                           

               (新旧交代の両会長)

 平成24年4月22日(日)お馴染みの霞ヶ関「東海クラブ」で第54回東京沖縄県人総会が開催されました。                   今回のメーインイベントは2007年、前任の仲田会長より引き継ぎ、第7代会長を足掛け6年に亘りお勤め頂いた川平朝清会長より、渡久山長輝会長に引き継がれたことです。

 川平会長就任時の県人会で忘れられないイベントは私も執筆を依頼された「50周年記念誌」発刊でした。因みに、故山口国雄会長時代の復帰20周年記念の「県人会名簿」作成では私の㈱メディア21で出血御奉仕させて頂いた後税務署にあれやこれは事情聴取された思い出があります。この日は川平会長のワンダリン奥様初め、NHK日曜、サッカー解説等で有名なご子息ジョン、慈英両兄弟も出席されていました。

 新会長の渡久山さんはご承知の通り、元日教組書記長で現在は中教審委員を勤められている。この日の圧巻は川平会長お馴染みの「ウチナー・ベートベン第9」に負けじと渡久山新会長のアカペラ詠唱!80台後半のご両人の朗々たるこのパワーに満場拍手喝采でした!偶然、両会長共に八重山出自。

                               

                  (カビラ兄弟!仲松関東沖縄経営者協会副会長と!)

 

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ハートランド(株)1周年「講演・懇親会」

2012年03月06日 | 「終活レポート」

                     

 人材育成、ブランディング構築コンサルタントの円れい子社長のハートランド(株)1周年の「講演・懇親会」に池田㈱アイネット会長と共に参加しました。 法人化1周年と言え、円さんは往時の三和銀行勤務時代、顧客対応業務で3年連続MVP賞を受賞、退社後は俳優養成所女優を経て、人材コンサルとして独立の多彩なキャリア。今日まで20年以上に亘り、石油関連企業を中心に多くの顧客対象の活躍。それだけではなく、余りご本人は語られないが、高齢のお母様の介護もなさって居られる。

 私は10数年前、ひょんな縁で知り合い、年に数回しかお会いしませんが、偉ぶるところいささかも無く、いつもあっけらかんと天真爛漫!底抜けに明るいその性格とエネルギーには圧倒されます。池田会長とは私が紹介したご縁。

 この日の参加者は30人ほどながら、オーナー経営者は言うに及ばず、映画監督、女優、デザイナー、エディター、カウンセラー、商工会議所職員と幅広く、改めて円さんの人脈の広さに驚きました。 

 メイン・イベントは大脳・心理カウンセラー大嶋信頼㈱インサイト・カウンセリング社長による【組織と個人の脳力を高める最強の脳トレ法】講演。内容には“なるほど”と納得出来る点、多くありながら、組織には常にネガティブ、ストレス対象の構成要素が2割ほど発生する“6・2・2組織論”とその対象領域2割はアウトソーシング必要という論理は外注、派遣要員等は“組織構築の必要悪”と聞こえ、2度ほど質問しましたが、浅学の私には納得いく、回答は得られませんでした。 まあ、こうした私の反応も老い行く当方の脳活性化の一作用かと思いつつ懐かしの田町駅前を帰路に着きました。 

 田町駅前のこの日の会場は旧㈱日本アドバンストシステム創業から20年間、度々社内大会と懇親のボーリング「田町ハイレーン」付属施設。なんとこの会館社長が、これまた円さんの知人との縁でした。

                        

                        (WEB上の円社長)

                       

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「密航・命がけの進学」出版記念会。

2012年03月05日 | 「終活レポート」

                                             

 2月中旬日曜、懐かしの五反田「ゆぽうと」で開催された、表題の祝賀会に出席しました。 本書は第二次大戦終了の1945年から53年日本復帰までの8年間、米軍政下に置かれた奄美大島在住諸先輩の苦闘記。この間、奄美の人々は祖国日本本土への渡航は“密航”とされ、逮捕された。特に日本復帰運動家は”反米活動”と見なされ監視、拘束された。

 本書はこの時期に進学、就学と青春を迎えた当時の奄美在住者21名の手記集。首都圏在住の奄美出身者中心の200近いこの日の参加者。執筆出席者は徳之島、沖永良部からわざわざ上京の方を含め12名。中には私も面識ある元琉球新報記者の右田昭進、埼玉在住の雪山渥美、芝啓輔諸先輩方々を含めいずれも80歳前後の高齢者。執筆代表の芝先輩や元国立図書館館長の祝辞を含め、さながら戦後、否、日本の近代史に翻弄された私たち"辺境”南西諸島住民の宿命?時代証言とも言えます。 

 会場参加者のお話を聞きつつ、奄美復帰の53年から73年の沖縄復帰までの20年間、常時”在琉許可書”の携帯義務、不動産所有の制限、納税義務を負いつつ参政権は無し、当時日本政府と米国民政府間で締結されていた日本、アメリカへの留学制度の”国費・自費、米留”への受験資格無し等々の、奄美本籍の在沖奄美出身者が味わった“慰留民”体験証言もそろそろと思いました。 

 一昨年、会社合併、神楽坂下現オフイスに移転するまで10年間通った五反田駅周辺。会場の「ゆうぽうと」は旧㈱日本アドバンストシステム30周年を開催した懐かしの会館。一人、感慨に浸った瞬間でした。

 会費7,000円の出版祝賀パーティながら肝心の書籍が配布頂けなかったのはいささか!

 

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「財界」12月号に掲載されました。

2012年03月01日 | 「終活レポート」

       

 

                                                                                                                                                                                                          

                    「財界」1月号より~「愉快な仲間」

 

 昨年暮れ、首都圏独立会IT企業の交流会ITAInformation Technology Alliance

忘年会に出席しました。今回は現役の社長会というより、本会立上げ記の創業OB会長が中心。たまたま、合併を機に退会することになり、送別慰労会の様相も呈しました。

 その際、雑誌「財界」から取材を受け、2012124日号に連載シリーズ写真記事「ゆかいな仲間」~ITA-独立系情報サービス会社の将来像を考える会~のタイトルでITA創業仲間と共に冒頭の写真が掲載されました。

 実は雑誌「財界」には創業間もない28年前にJAFCO(日本合同ファイナンス)創業者の今原社長と一緒に掲載されたことがあります。まさに“往時茫々、ただ春の夜の夢の如し!

 この時の表紙が後に日銀総裁に就任する当時の「日商岩井」の速水社長。実は速水総裁、この後㈱日本アドバンストシステムの専務として私を御指導、サポート頂く天田さんとは新宿高校の同期級友という奇縁でした。

                                      

 

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「川平、長嶺両会長、おめでとう御座います!」

2012年02月25日 | 「終活レポート」

                            

霞ヶ関ビルの「東海クラブ」で開催された沖縄県から功労賞を受賞された元NHK役員・昭和女子大副学長歴任の川平朝清東京沖縄県人会長とWUBネットワーク会長に就任された長嶺為泰さんの祝賀会に参加しました。

これは東京沖縄県人会、WUB東京、ニライ会、沖縄クラブ、関東沖縄経営者協会、関東沖縄IT協議会等在京沖縄関係団体による共同企画開催。出席者はゲストの比嘉ルイス「駐日ボリビヤ多民族国大使館」特命全権大使他これら在京沖縄関係団体の150人。恐縮ながら、呼び掛け人の一人として乾杯発声役を拝命しました。

 

アメリカ留学時代にワンダリーさんと御結婚されNHKはじめマスコミで活躍のジョン、慈英3人のお子さんの子宝に恵まれた川平会長と南米はボリビヤ移民から帰日され、ブラジル銀行東京支店調査役を歴任された長嶺さん、なんとお二人とも実は台湾生まれ。こうしたお二人の出自と英語、スペイン語を駆使、国境を越えて御活躍のお二人に共通するキーワード要素は日本本土とは一味違う“インターナショナル沖縄”を思いました。川平会長、長嶺会長、改めておめでとう御座います。益々の御健勝を!

               

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「自宅リフォーム」

2012年02月23日 | 「終活レポート」

       

         (リフォーム前)

 築35年の拙宅、耐震再設計に加え、古希、経営一線を退いたのを機に玄関アプローチ、急角度の階段等屋内バリアフリー、セットバックの必要からこの度、リフォームすることになりました。モデルハウス展示場閲覧、三井、住友、東急と複数の建築メーカーの相見積を受け、業者を決定、3ヶ月の工事施行のため、仮住い住宅を模索、幸い自宅から徒歩5分のURLマンションに先週末、引越しました。

 書籍、食器等“断捨離”の好機と臨みましたが、悉く連れ合いと意見衝突“じゃ、止める!との切り口上に往生、経営リタイヤの同年友人から“退職後は全て奥さんの言うがままに”との強いアドバイスを受け、隠忍自重、全てを忍ぶ。

 部屋中に溢れる人生の老廃物を前に、引越業者に依頼したところ、台所用品梱包の“契約エプロン小母さんが6人他、整理運び出し入れ要員が10数名の二日掛かりの大作業となりました。

 仮住いとは言え、引越し先での荷解き“あれは何処!何は何処!”と往生、疲労困憊。リフォームは体力、気力ある60代以前にすべきだったか!

「最近、Blog更新少ないね!」との声を寄せられますが、実はリホーム、仮住まいでテンヤワンヤ(>_<;)・゜゜・

                 

              (いよいよ、着手)

 

 

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朝吼夕嘆

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