”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

古い日記発見

2004年08月31日 | 「Weekly 読書感想」
先日、本棚の奥から変色した古い日記発見。就職1年目の昭和41年6月付の読書録。
よくも新書・文庫ばかり。
内閣府詰の琉球新報社駆け出し記者就職1年目、ほとんど通勤電車で読んだのだろう。

○小山内宏「軍国アメリカ」ミリオンブック。
○水田 洋「マルクス主義入門」カッパブック。
○堀込庸三「歴史と人間」NHKブックス。
○レオ・ヒューバマン「資本主義の歩み」岩波新書。
○沢田充茂「現代論理学入門」岩波新書。(~これなど読んだことも覚えていない)
○遠山茂樹「昭和史」岩波新書。(例の昭和史論争。イデオロギー紛紛で面白かった)
○羽仁五郎「ミケランジェロ」岩波新書。(羽生臭紛紛で面白かった)。
○高橋正衛「二・二六事件」中公新書。
○宮崎義一「戦後日本の経済機構」新評論。
○吉野俊彦「私の戦後経済史」至誠堂(~この2書はよく覚えている)
○毛沢東「実践論・矛盾論」岩波文庫/ルソー「パンセ」/「社会契約論」岩波文庫
(この3冊、卒業後、我ながら驚き)。
○遠藤湘吉「財政投融資」岩波書店。
○河竹茂敏「日本演劇通史」新潮文庫。(全然覚えていない)
○安藤良雄「昭和経済史への証言」上・中・下。
(確かエコノミスト連載ではなかったか。夢中で読んだ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Basil Hall「朝鮮・琉球航海記」(岩波文庫)

2004年08月23日 | 「Weekly 読書感想」
 セント・ヘレナ島に流されていたナポレオンに「武器を持たない島」琉球の話をして驚かしたという有名な話主のバジル・ホール。

 1816年の琉球訪問記としてあまりにも有名。そこに描かれている世にも稀な礼節と柔和性に富む琉球の人々の姿は37年後のペルーはじめに後に琉球に来航する人々からあまりに幻想的な記述と批判された。

 そうした後世の批判があるとは云え、19世紀のヨーロッパ人にこう描かれたことは我が琉球の誇りといっていい。
 それにしても著者ホールは先進国人として当時の琉球の未開性や非文明をいくらでもコメント出来たにもかかわらず、いささかもこうした批判的記述が無い。
 こうした19世紀英国海軍の知性に比べ、私が同じ立場に立ったならしたり顔に批判的記述を乱発、得意になるのではと、自分の教養主義が安手に見えた。

 中学時代、この航海記に記載された写真のような当事の沖縄風景画を何枚も見て驚いた記憶があるが本書にはその一部しか掲載されていないのは残念だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「吉原 徒然草」(岩波文庫)

2004年08月16日 | 「Weekly 読書感想」
 年に何回かは古今の古典にチャレンジすることにしている。たまたま立ち寄った赤坂見付駅ビルの「ベルビー」上階の書店で見つけた本書を紐解いた。

 教科書で習った兼好法師は謹厳実直、固い道徳先生と思ったが、本書で接する法師は遊郭遊びを説く結構な粋筋、通人。法師にはそんな面もあったのかと思った。
 法師は確か鎌倉時代ではなかったかと思っていたら、本書には江戸西鶴が描いた世之介がしきりに出てくる。おかしいなと思って本書の表題を改めて眺めた。
 そうか!吉原某校注かと思ったら、「吉原―」とはそういうことか。
 あわてて巻末の解説を読んだら、これは「伊勢物語」のパロディーとして「仁勢物語」があるように「徒然草」のパロディーものだった。

 それにしても黄帯とはいえ、岩波文庫が古典として本書を上梓しているということは、単なる艶書ではなく、何がしの文学的評価をしているからか。
 しかし、パロディーものと分かった段階で全115段中わずか13段を終えたところで、以降読み続ける意欲が無くなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「沖縄県におけるソフト産業の可能性」(沖縄問題研究シリーズ105号)

2004年08月10日 | 「Weekly 読書感想」
 (財)沖縄協会における講演録。
 今から14年前、沖縄にまだ情報産業誘致や振興策の出現前、従って今日のコールセンター等の隆盛誘致が実現していなかった平成2年。
 著者(講師)は①マーケットとして、②開発基地として、③人材供給基地 としての3点から沖縄県におけるソフト産業の可能性を論じる一方、すでにオフイスや回線利用に関する興政策をほとんど予測、提言している。

 質疑応答を含めわずか35ページの所論だが、ITアイランド沖縄の今日を予見・提言した卓見と言える。発表当時、在庫が払底するほど振興策を模索する県当局や地元金融機関からの購入引合いがあったと言う。

 この慧眼の著者(講師)は現役のソフト会社経営者と聞くが、その後社業はどうなったか。
 所論爾来14年、未だ売上20億に達せず、上場公開も遠いと言う。まことに「論ずる」ことと「行う」ことの違うを思い知らされる事例だ。
 済みません。その著者(講師)とは重田でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田良子「奄美女の伝承歌」(三一書房)

2004年08月03日 | 「Weekly 読書感想」
 購入以来長く積読していたが、今回の札幌出張の往復で手にした。

 さる人が「沖縄はラテン、大島はブルース」と書いたように奄美には裏声を含む恨むような泣くような島歌しか残らなかったのは薩摩による苛斂誅求な黒砂糖搾取制度に由来する。奄美は「元ちとせ」の哀愁の裏声に対して、沖縄は「夏川りみ」の明るさ。

 自分達が作った黒砂糖を一口舐めるだけで斬殺よりよほど残酷な鞭打30回で多くの島人が殺された。地味乏しいシラス台地しか持たない薩摩はこの島の血と涙の搾取によって倒幕維新の源資とした。
 黒砂糖貢納が出来なかった人に生涯払えない年3割の利息を負わせ、農奴に落とす巧みな薩摩の階級分断と搾取政策の家人(ヤンチュ)制度。
 家人間に生まれた子は、「膝素立(ひだすだち)」と云い、終生、家人として衆達の“所有物”にされた。
 薩摩以前の「那覇世」にも家人制はあったとはいえ、年季明けには自ら主人を選べるなど遥かに大らかな天国にも思える。

 一体私の祖先はどうだったか。奄美でも最も地味痩せ、貧しかった加計呂間島の外海沿の故里の人々は恐らく家人に落とされていたのではないか。故里の人は何も語らな い。

 本書はこうした祖先の怨念と子供を生めず離婚を重ねる一族女性の宿世との二重奏で、読み終えて重い溜息を吐いた。10年以前からの積読中のこの人の処女作「孤島の肖像」(海風社)と登曙夢「大奄美史」をどうしても読まなくてはという思いに駆られた。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝吼夕嘆

http://blog.goo.ne.jp/admin/showimagedetail/?iid=6d292ae01e91fce8c4f000e010f17835&type=1&return=%2Fadmin%2Fimgmanage%2F%3Flimit%3D12%26type%3D1%26order%3Ddesc%26did%3D%26window%3Doff%26img_year%3D0%26img_month%3D0%26offset%3D12