先週11日、「抱瓶」創業オーナーの高橋淳子さんのお通夜に行って参りました。たまたま、お花見も兼ね沖縄から上京、高円寺自宅に滞在中の先週7日、なかなか起きて来られないのをお家族が呼びに行かれたら、床中でご逝去されていたとのことです。
沖縄出張の度にお宅に電話すると「今一、体調良くないけどお店に行きますよ。ぜひ、いらして!」と髪結い御着物盛装で、いつも笑みを湛えつつ凛然とした応対には感嘆でした。ご享年73歳。長寿高齢社会ながら、寝たきり被介護の多い今、いかにも高橋さんらしい旅立ちとご冥福祈りつつ高田馬場「大悲山・観音寺」を後にしました。
2007年の関東沖縄経営者協会の総会では、躊躇されるのを再三再四懇請し“創業、承継の苦労体験”をお話し頂き、出席者一同に深い感銘を与え頂いたことは忘れることは出来ません。 09年の「抱瓶30周年」の際、ご依頼受け、認めたメッセージをここに再掲し、改めてご哀悼のご挨拶に代えさせていただきます。淳子ママ、安らかに!
「抱瓶、創業30周年への祝辞」(再掲) 今、企業、ベンチャー立上論が盛んです。しかし、“創業は易し、守成は難し”の言葉通り、企業の一〇年以上の存続は容易ではありません。16歳、身一つで復帰前の故郷・八重山を後に那覇、神戸、大阪、東京と接客業から身を起し、高円寺で、「きよ香」「うりずん」「抱瓶」と姉妹店を次々開店され、数年前には自社ビルを「群星館」を建設、居酒屋、ライブハウス、イベントハウスと多彩なビジネス展開、さらに、昨年は故郷の那覇にUターン支店とも言うべき沖縄「抱瓶」を開店、古希を過ぎ、そのビジネス・マインド衰える気配ありません。
単に、商売の継続展開だけでなく、首都圏における沖縄音楽家の振興支援や若手研究家へのサポート等いわばCSR(社会貢献)とも言うべき活動も継続されて来ました。いま、社会の第一線活躍している方は言うに及ばず既にリタイヤなさっている例えば「沖縄学」主宰研究の外間守善先生方も若き頃、「抱瓶」には通われたとお聞きします。いわば往時の在京沖縄研究・誼の方々には高円寺はいわば一つのメッカでもあったようです。いま、高邁なベンチャー、起業論が盛んですが、“会社寿命三〇年説に見られようにビジネスの継続は容易ではありません。
一口に”接客・水商売“といいますが、その継続は単に“水や色“を商うだけで,これだけのことが実現される訳がありません。そこには、下手な講壇ベンチャービジネス論等及びも付かない、企業経営者も学ぶべき顧客管理、従業員教育、資金調達等ビジネス存続の巧まざる実践とノウハウがあったと思います。
ここに至る迄にはご主人との死別、2度の離婚、愛嬢の自殺、ご自分の未遂と想像を絶する苦難苦闘の道程、それを乗り越えての独立創業。 さらに、ご長男には高円寺本店、御次男には那覇支店と“事業継続”よりもさらに難しいといわれる継承を果たしつつあります。この快挙 “おなり神”とは云いませんが、沖縄女性の逞しさの一つの象徴とも言えます。創業三〇年を迎えられた今日の快挙、真におめでとう御座います。今後の益々のご隆盛・ご繁盛をお祈りいたします。 (2009年記)
(壮健・高橋ママ(中央)を挟んで!2010年12月ナハマラソン前夜祭)