”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「手塚治虫のオキナワ」;本浜秀彦

2010年08月30日 | 「Weekly 読書感想」
手塚治虫のオキナワ
本浜秀彦
春秋社

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“手塚治虫と沖縄”なんで?”と訝る人は多いと思う。私も本書によって手塚と沖縄の縁を改めて深く認識しました。何より、手塚は75年沖縄で開催された「沖縄海洋博」の「アクロポリス」(海洋都市館)のプロデューサーだったことを本書で初めて知りました。
 実はその9年前の66年、私は新米「琉球新報」記者として、手塚治虫に直接インタビューしています。その詳細は本書129ページに掲載されています。
 眠い目を擦りながら本書を読んでいた私はこの個所で目が点になり、一気に本書を読了しました。
 そもそも“書との出会いは著者との出会”と言いますが、今から20年程前、銀座の沖縄スナック「芭蕉布」での著者との出会を忘れることは出来ません。私にとって衝撃的だったのは著者が当時「新日鉄」と並び日本の製造業を世界に代表するフラグカンパニーの「川崎製鉄」を辞め、私が“在琉奄美人”として未来への閉塞感から1年で退社したローカル「琉球新報」記者に転職入社したことを知ったからです。時代背景と28歳違いの世代相違とは言え、同じ沖縄、早稲田出身、その時ほど人それぞれのキャリア選択、価値観の違いを考えさせられたことはありません。その後、本浜さんは米国留学、沖縄キリスト教学院教授と学究生活の現在に至り、方や私はIT起業、承継、リタイヤとの軌跡対比に感慨を覚えます。
 次の出会いは拙書「おきなわ就活塾」(新宿書房)で先に挙げた手塚治虫氏への「私の四・二八」コラムインタービュー記述を読んだ本浜さん、その掲載記事を検索、見付け“どういう動機で手塚さんに会ったの?”と興奮して聞いて来たことです。
“当時の本土著名人に沖縄問題がどの程度浸透しているかの一種の検証、啓発としての人選”という私の回答に、少しがっかりした彼の反応を覚えています。本書を読んで、改めて著者は私に自分と同じ通常フアンを越えた手塚世界へのシンパシーと共感理解を求めたのでは思い返します。さらにその後、早大琉球・沖縄研究所員としての会遭。

 21世紀は紛れも無く中国を中心とするアジアの時代。“マージナルからフロンティアへ”の可能性と未来を暗示する如く“島、海”と沖縄を描いた手塚ワールドにスポットライトを浴びせた本書。かくも多彩、多方面と驚く手塚先行研究家のコメント引用網羅と紹介。惜しむらくはこれらの索引が欲しかった。
 時あたかも先週、沖縄の浦添美術では手塚治虫展が開催され、地球女イナンナ倶楽部では手塚プロ 版権局長・清水義裕氏の「手塚治虫の漫画とアニメについて」の講演が行われた。たまたまの偶然なのか、手塚治虫の時代へのメッセージだったのか。それにしてもこれでもこれでもかと四方八方、多角的な著者の手塚論、小学6年の時に直接手書きを貰った興奮と経験だけでは語れない多角的手塚世界が論究、展開されています。本浜さん、送呈有り難う御座いました。


    
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「ホームカミングデイ前に大学級友集う」

2010年08月29日 | 「千客万来」
 どこの大学でもやっているでしょうが、母校早稲田大学でも毎年10月に卒業15,25、35、45、50年目と5年区切の卒業生を母校に招き、HOME COMING DAY 記念式典を行っている。今年は特に早大校友会設立125年目に当り、例年にない格別のイベントがあるらしい。
 実は昭和41年卒の我が同期も今年は卒業45年目に当り招待を受けている。それを機に先日、西洋史専攻クラス有志6名が数年ぶりに新宿に集い、式典出席後のクラス会開催について相談、懇親。出席20人前後を想定、当日の場所選定、予約役をアサインされました。
 教職、学究、編集、出版等々といかにも史学専攻らしいキャリアの同期リタイヤ組。この日の出席級友面々、古希を前にスケッチ、写真、舞踊、竹細工、囲碁とそれぞれ俗事を離れた趣味と生き甲斐様々のライフ・スタイル。零細創業の承継で合併、労務問題等々世俗雑事に日々懊悩する私のようなメンバーは皆無(´Δ`;)“栄華の巷”新宿夜景を眺めつつ炎暑を忘れる回顧・交歓の一夜でした。
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国場「ザ・ナハテラス」社長、有難うございました。!

2010年08月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  興南高校、甲子園快進撃に沸く炎暑の沖縄を琉球大学夏季特別講座講義のため訪問、滞在中、先の拙書「おきなわ就活塾」(新宿書房)の販売状況報告とお礼参り。
 その一つに仲井真知事、安里副知事、稲嶺前知事方々錚々たるゲストの出席、祝辞を頂いた出版記念パーティ会場として市内随一の高級ホテル「ザ・ナハテラス」を格別にご提供頂いた国場幸信社長を表敬訪問。折から共に琉大講師を務められた仲村元日産ディーゼル社長もお招きした「ナハテラス」ホテル内レストランでの感謝、懇親の夕となりました。
 多忙な国場社長、突然のお誘いに予定変更して出席頂き恐縮。円高、県内観光が一様に苦戦する最中、ひとり快進撃、高収益、県内トップを疾走する国場社長の経営力には日頃から脱帽、感嘆。
 それは単なる来客数ではなく富裕層セカンドライフ、終の移住地としての目的・指向別の迎島施策、幅広い人材確保スタンス等々同席の平良由乃プラザハウス社長や吉沢南大東観光大使と口角泡を飛ばす熱く若いビジネスコンセプト論議にその躍進秘密の一端を垣間見、熱暑を忘れる一夕でした。

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辻井喬著;「遠い花火」(岩波書店)

2010年08月25日 | 「Weekly 読書感想」
遠い花火
辻井 喬
岩波書店

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 今月21日から9月26日まで千葉市美術館の「開館15周年記念特別展」として奄美を描き続けた画家・田中一村展が開催されている。栃木生まれの一村は奄美に渡る前の20年間住んでいた千葉との縁が深く、元NHKのニュースキャスターの宮崎緑・千葉商科大教授が笠利の「一村記念美術館長」として一村と奄美の公報宣伝務めているのもそうした縁か。
 実はここで紹介する実業家の自叙伝という本書のバックに流れるのも奄美と一村。帯カバーに魅せられ、読んで行くが語り部は友人の医者というシチュエーション、正直私の感性、理解力では分かり難く往生しました。この小説の背景にはサハリンと並んで、名瀬湾、島尾敏男、大島紬、果ては田中一村と奄美大島が語られる。外地で逝去する奄美出身の実業家に縁ある作中の女性と沖縄の血を引き、多重癌をものともせず活躍する大空真弓イメージが錯綜する。何故か沖縄や首里城は登場しないという感想は、輪を掛けた下種な読み方か。登場人物に堤康次郎は?清二は?義明は?と私のような下世話にモデルを追う読み手には余計なエピソード知識が素直な読み方を妨害する。
 しかし、週刊誌的スキャンダル視点を捨てて素直に読むと、本書は田中一村が魅せられ、それを見事に描いた奄美大島論、一村論とも言える。実は本書、田中一村を言わば最初に全国的知らしめた故NHKプロジューサーの松元邦暉氏の知人・関玲子さんから古希祝?として恵送頂きましたが、まさに“猫に小判”“豚に真珠”。御期待に程遠い読み方、感想!アッコ殿、申し訳ない(´Δ`;)

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「琉球大学で講義しました」

2010年08月23日 | 「講演・セミナー」

 
 先週、炎暑の最中、昨年に続き琉球大学就職センターの依頼を受け、夏季特別講座「県外企業入門」を講じて来ました。私のタイトルは「就職とキャリア形成」と大壮な題目ですが、例によって私の失敗、苦労経験披瀝。
 これは、ともすれば県内指向に偏りがちな学生に対し、少しでも県外指向を促す大学側の狙いもあるようです。対象は1~4年生、聴講は申告制ですが単位取得対象でもあるため、単位充足目的の学生もいるようです。
 講義は三日間、内外6人の講師によって行われましたが、私の担当は最終日、午前中の元日産ディーゼル工業㈱の仲村元社長に続き午後の3時間。休憩があるとは言え、正味3時間を越える立ちっぱなしレクチャー、正直バテました。
 方や日比谷高校から東大、米国留学、MBA取得、ユニバーサル企業トップに上り詰めた仲村さんに対し、志望大、就職先連続不合格、挫折、迷走の果てに零細ベンチャー起業の私の失敗談を対比させる大学の構想も相当なもの!
 この日の出席学生は100名弱、折から興南高校の準決勝最中とあって、彼らの気持ちを察し、前半“今、3対0で負けています”。後半“8対3で挽回、リードしています”という私のアナウンスに、教室“えー!オウ!!”と拍手反応、受けました。
“沖縄出身!県内指向”のフレーズ連発、県外就職の意義を述べましたが、“県外出身は?”という私の問いに出席学生の半部程が挙手。事後の質問に手を挙げたのも二人の県外出身。琉大生=県内という前提での私のレクチャーも転換を迫られました。
        
 

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「百瀬名誉教授、沖縄経済を語る!」~沖縄クラブ例会

2010年08月22日 | 「講演・セミナー」
 新富町の日本印刷会館で開催された「沖縄クラブ」(川平朝清会長)8月例会で、百瀬明大名誉教授が標題テーマーで講演されました。
“ホスピタリー・癒しの島”“犠牲の島”等々と昨今の同情、賞賛、贖罪対象イメージ沖縄に対し、基地、補助金に頼る“パラサイト“沖縄経済体質への忌憚、容赦の無いない辛口、提言。
 その内容は県内泡盛、ビールの30%減税恩恵措置や50社近い県内全泡盛メーカが寄って集っても大分県出荷の一焼酎メーカ「いいちこ」に及ばない事実や北海道十勝ワインによる村お越し等事実や多くの統計データ等長年に亘る沖縄経済への研究、蓄積に基く比較、検証。
 罵詈に近い指摘だけでなく、来県総数ではなく医療、学習等目的別の観光政策、一村一品村興し、何より進取、自立の県民精神の育成等具体的提言のバックに“可愛さ余って憎さ百倍”とまでは言わずとも,曰く言い難い沖縄への思いが滲みます。これは沖縄駐留の元特攻隊で生き残りを恥じ、自決を試みた長兄への追慕と沖縄への思慕が重なっていることをこの日の講演で初めて知りました。
 教授は単なる思い入れや忠言だけでなく、愛弟子として富川沖縄国際大学長や前泊琉球新報論説委員長等の県内逸材を育てています。
 私の経験でも遠目には強面イメージの教授ですが、差しで話すと、得も言われぬ好々爺の一面があります。立場を省みぬコメント失礼しました。
            
              (挨拶する川平名誉会長)

              
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「ようこそ!田口沖縄タイムス新支社長」

2010年08月17日 | 「千客万来」

「沖縄文化の杜」の常務に転じられた上地兼恵・沖縄タイムス社前支社長の後任として、先月1日、本社編集局次長から東京支社長に就任された田口雅士さんが来社されました。
 田口さんは苗字が示すように県外・大分県の出身。琉球大学を卒業後タイムスに入社、編集畑一筋に歩まれたが、東京はもとより県外勤務は初めてとのこと。
最近の「沖縄タイムス」「琉球新報」の県内2大紙の東京支社人事を見て、共通に感ずることは、転勤移動のサイクル・テンポが以前に比べ、短くなったことと県内紙とは言え県外出身者が増えた事。
 当社にも大分県出身、琉大卒、勤続15年、頑張っている社員もいます。もっとも、医学部は別にして琉大の工学部の半分近くは以前から県外出身が占め、当社でも県外出身琉大卒社員が増えています。それだけ沖縄の本土化が進んでいるということか。やがて県内、県外などということさらのテーマーは消えて行くのだろうか。
 もう一つ、タイムス、新報両社の東京人事の特徴はたまたまの一時的現象かも知れませんが、新報は絶えず女性記者がいるのに対し、タイムス社は近年女性記者の赴任が少ないこと。
 この日の田口新支社長の来訪、沖縄移住の県外者視野、目線や歴代支社長や駐在記者達の思い出話や時代の流れに暫し時間を忘れるひと時でした。
            
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「命ど宝」~学童疎開悲劇の公演女優・三枝さん。

2010年08月15日 | 「美ら島沖縄大使」便り

              (劇団「結い座」の三枝万祐さん)
 終戦間近の昭和19年、激戦の沖縄から本土への学童達1788名を乗せた疎開船が悪石島沖で撃沈され学童775名を含む8割が海底に消えた「対馬丸」の悲劇は、多くの語り部によって、今や良く知られて来ました。
 背中を魚に齧られながら数日海上をさ迷い、同行のご両親と死別、一人生き残った高校同期・「対馬丸記念館」の理事長を務める歯科院長の高良政勝君がいます。
 その多忙な高良君から丁重な便り共に紹介されたのが、先般来社された10年来幅広い公演活動の劇団「結い座」の三枝万祐さん。
 対馬丸事件に衝撃を受けた三枝さん、この悲劇を後世に伝え、平和の尊さを訴えるべき自ら企画、脚色、制作家の菊地さん達多くの協力を得て「命こそ宝―ぬち・どぅ・他kら」公演を立ち上げ、この度東京都港区の文化芸術振興基金の助成を受け、来る9月18,19日「青山一丁目」の「赤坂区民ホール」で3度目の公演をされます。
 時あたかも、8月22日には那覇市若狭の対馬丸記念会館で慰霊祭が開催される。
 この公演の特徴は港区内の小学校児童30余名が自ら出演、戦争の悲劇と平和の尊さを身をもって体験する平和教育の側面を持つイベントであること!
 エイサーやサンシンの沖縄音楽もいいけど、戦禍を被った沖縄の悲劇体験も、現今の沖縄基地問題を考える上でも又とない貴重な機会。
 ましてや県外出身のうら若い三枝さんが、採算を度外視した熱情のこの企画!同期・高良君の依頼を越えて、沖縄出身者としては可能な支援をしたい。
 大人3000円、子供1500円のチケットはローソンNETでも買えますが、私の手元にも準備しますので、ご連絡下さい。皆さん、チケット購入でぜひ応援よろしくお願いします。
          
         (那覇市若狭町「対馬丸記念館」前で高良政勝会長と)

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「1000円、理容業界革新者の講話」

2010年08月11日 | 「講演・セミナー」
  早稲田出身のIT企業家有志団体「情報産業稲門会」が第一木曜日に赤坂の「永楽倶楽部」に講師を招き、懇親する「一木会」に久し振りに出席しました。
 それも、今回の講師が1000円カット理容店展開の小西QB㈱会長だった故。
日頃からこの業界を革新した人はどんな方だったかと興味をもっていましたが、小西会長は1941年生。青山学院大卒業後、昭和電工に入社後、73年同社を退社、医師向け病院建設、販売ビジネスに従事。
55歳にQBネットを設立。既存業界の妨害や障害を乗り越え、現在北海道から沖縄まで500近い店舗展開。理容業界を革新、98年にニュービジネス大賞通産大臣賞受賞。
“不平不満はビジネスチャンス”“政治、宗教、ヤクザ、博打、タバコ”の5タブー、古希までには全ての役付きリタイヤ等々、様々な警句と処世訓を自らに課すそのビジネススタンスには感銘を受けました。
 ただ、創業15年間に4人の後継社長が変わったという事実には、改めて創業、継続を超える事業承継の難しさを感じました。
             
                (挨拶する関・情報産業稲門会長)

      
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「アルベルト・城間氏のトークショウ」

2010年08月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  噂には聞いていましたがペルー生まれ沖縄三世歌手のアルベルト・城間氏のトーク!
軽妙な語り口の中に沖縄・日系三世としてのアイデンティ、沖縄自立論と含蓄ある知的語り口。南米で生まれ、二十歳まで彼の地で育ったにしてはその日本語スピーチは沖縄育ちシマンチュ(島人)より余程軽快!
 19歳で南米・日本歌謡コンクールで優勝、来日、グループサウンド「デアマンテス」を形成、沖縄で大活躍。
 実は氏と会うのは3年ぶり!青山一丁目の沖縄屋「ゆんたく」で、活躍の場所を沖縄から東京に移す抱負を語り、有志で激励して以来。その後、日米混血の女性と結婚、初志通り住居を東京江戸川に移し、お子さんは江戸川の学校に通う江戸っ子育ちながら氏自身の活躍は沖縄が中心で、週に東京と沖縄を往復する繁忙さ。
 内幸町のプレスセンターで隔月に開催するこの日の「三月会」。着任間も無い糸数琉球新報支社長に久々の金城弁護士先輩、上運天沖縄県東京事務所長、大澤元日銀那覇支店長他レギュラーメンバー20名。
 私のゲストとして来る9月に港区で学童疎開船被爆の悲劇「対馬丸」事件の劇化講演を控える劇団「結い座」の主演女優・三枝万祐さんに制作家の菊地さん。お二人にはその抱負と支援依頼をスピーチ頂きました。
          
 
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「幻の開東閣招宴」

2010年08月06日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 かつて、高輪台・御殿山の近くを通った折、仰ぎ見た幻の三菱グループの迎賓館「開東閣」に招待されました。
 ご存知の方も多いと思いますが、これは三菱財閥創始者・岩崎弥太郎の子孫・久弥、弥ノ助が伊藤博文の邸宅を譲り受け、旧岩崎家の別邸として使用、その後は三菱グループの主要28社の迎賓館として運営維持、一般には開放されていないようです。
 この日は、たまたま五反田を中心とする周辺の三菱東京UFG銀行支部、支店10行の共催で、100名近い顧客・カップルを招待したとのこと。
 五反田というと正田美智子皇后の実家があった御殿山に池田山、現在は清泉女子大学になっている旧島津別邸.等旧家、素封家が多い。案の定、この日の招待客には地元地主や弁護士、リタイヤキャリア官僚等の錚々たる顔触れ!
 そんなところに何故お登り、零細企業の私がと思ったら、このたび古希、代表リタイヤ、合併新会社会長に祭り上げられた小生への慰労と創業以来お世話になった三菱銀行さんの担当者が特別枠で推挙していただいたのか!
 この日の招宴、前半は外部からは覗えない鬱蒼たる庭木に囲まれた茶室と泉等の広壮な日本庭園とコンドル設計による本館見学。後半は元三菱商事専務による今NHK大河ドラマ主役の「坂本竜馬と岩崎弥太郎」伝記、逸話講話にカクテルパーティ。この日は山ノ神への多年の不行跡贖罪と報恩のエスコートとなりました(^-^*)
           
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「イナンナ」東京例会に出席して!

2010年08月03日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  案内を受け、会場が我社創業から20年馴染んだ懐かしの慶応三田通りに面していることもあり久しぶりに地球女性倶楽部「イナンナ」東京部会の例会に出席しました。
以前にも紹介しましたが、この会との縁は多くの人に惜しまれつつ先に夭折した高校後輩の故湧川ふき子さんの誼。創設20年を越えるこの女性の集い、東京、大阪に並んで沖縄支部がその規模と活躍を誇るのも亡きフッキーの功績であることは万人が認めるところです。
 イタリア・オペラサウンドが流れる東京タワーを望む赤羽橋の「料理王国アカデミー」で行われたこの日の例会でも、何人かの参加者がその事に触れ、さらに彼女が死の直前まで役員を務めていた「対馬丸記念館」と疎開児童の悲劇に触れておられました。
エディター、ライター、イラストレター、翻訳家、弁護士、学術員と多士済々な20名越す出席者!女性メンバーとほぼ等しいサポーター男性会員の顔触れ。
 私にとってこの日はビジネスや県人会とは違った異相の世界、故フッキーを偲ぶひと時と同時に会社合併対応に翻弄された日常瑣事?暫し忘れるひと時でした。竹居さん、ご案内有難うございました。
              

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朝吼夕嘆

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