30日、新宿・大久保の㈱シリックコミュニケーションで開催された関東沖縄IT協議会の役員会に参加しました。参加者は8名。コロナを圧しての関東沖縄IT協議会メンバーの活動パワーに元気を貰いました。役員会のあとは近くの居酒屋での懇親会、盛り上がりました。大学時代しばしば放浪?した懐かしの大久保界隈でした。
30日、新宿・大久保の㈱シリックコミュニケーションで開催された関東沖縄IT協議会の役員会に参加しました。参加者は8名。コロナを圧しての関東沖縄IT協議会メンバーの活動パワーに元気を貰いました。役員会のあとは近くの居酒屋での懇親会、盛り上がりました。大学時代しばしば放浪?した懐かしの大久保界隈でした。
先頃の思い出の蔵書断捨離で些かの喪失感が消えませんが、どうしても手放せ無かった稀覯本がいくつかあります。稀覯本とは言え、普遍性ではなく、私自身の思い入れ本で、未だ書棚に飾っています。(´Δ`;)それは岡本太郎「忘れられた日本」(沖縄文化論),東恩納寛淳「沖縄今昔」,伊波普猷「古琉球」、外間守善「おもろそうし」、ジョウー・H・カー「琉球の歴史」,中村喬次「南島遡行」,高橋孝代「境界性の人類学」。
先週、数カ月ぶりにIT/SPメンバー例会に参加しました。場所は銀座5丁目の会員制寿司割烹店「鷹勝」。私など滅多入れないお店ですが、今回は幹事メンバーが会員の縁。IT/SP会とは首都圏のIT会社経営OB会。この日参加者8人の平均年齢は79歳?主要メンバーは情報サービス産業協会(JISA)の会長はじめ要職経験者。年1回は箱根と3か月に一度の例会ですが、今回はコロナウイルス蔓延のためほぼ半年振り。気が付けばこの日参加の8割が横浜・川崎在住で埼玉在住は私一人。もちろん、沖縄出身も私だけ!後期高齢どう過ごすべきか、様々な知恵を頂く、得難い貴重な集いです。
先日千冊近い断捨離・蔵書の分別では「沖縄・奄美関係」「満州・大連」「大学時代の資本論や経済史」「岩波・光文新書」「手塚治・長谷川町子サザエさん」漫画等々でしたが"どうしようか”となかなか手放せずいくつか迷いましたが中でも思い出の20冊の“Sidney Sheldonペーパーバック”と“40冊を超す司馬遼太郎書。岩波百科事典、6巻長大な琉球美術集、10冊の沖縄文学全集等々は殆ど未読。愛読すればこそ読みつつ棒線、書き込みしたのにこうした書は数十円の叩き買値(>_<;)ページのdog-ear(片折)にも安値で叩かれました(´;ω;`)
いや!読むのもシンドかった!外務省の医務官として海外勤務後、在宅診療医師経験の著者が書いた老父を自宅介護するドキュメンタリーに近い小説?自分の排泄物を口にするnなど高度認知症状のうんざりするページ毎読んでいて閉じたくなる本書ながら気が付けば読了していました。在宅診療経験豊富な医師ならではの高齢老父の詳細凄惨の自宅療養生活状況に”我とわが身”の明日?を想わされました。
本書を読んで認知症進展による女房の負担を思うと我が終末の安楽死の選択ですが、認知症の進行後ではこの自覚処方も難しいか(´;ω;`) それにしても書中の老父の自宅介護を巡る息子夫妻、娘、近所人との巧みな会話描写は著者の小説描写への尽きぬ意欲を感じます。
三密、自宅籠りのここ数日、予て懸案の断捨離を断行しました。私が先に逝くと女房の始末往生を予測すると、認知症前の私が断捨離を決行せざるを得ず(´Δ`;)
まずは蔵書始末。自宅近くの浦和、事務所最寄りの神田の古書店街訪問外に古書買取のBook off、バリューブックス等々を比較検討。結果は千冊近い積年の我が愛蔵書を1週間近く整理梱包し、何と涙ながらトータル10万円弱で売却(>_<;)。
ただ「琉球・沖縄研究所」の勝方、川平さんの紹介による早稲田の沖縄・琉球専門の「虹書店」の清水社長には200冊前後の関係書を5万円近くで買い取って頂きました。とはいえ、思い出の書を撫で撫で、なかなか手放せず泣〃懊〃悩〃でした!
在京の奄美出身有志は「敬天愛人の会」を形成し、西郷隆盛を神の如く尊崇し、毎年講演会等の記念行事を行っています。私の神田事務所の近くにも「西郷隆盛会館」があります。これは奄美に対する西郷の配慮と情愛への感謝の基盤がありますが、この評価には諸説があります。西南戦争での非業の死、征韓論、大久保利通との対決等々、議論が尽きず、その歴史的評価は今もって侃々諤々です。
昭和45年生のこの著者の橋川文三、三島由紀夫、江藤淳、丸山真雄、司馬遼太郎等々の幅広い西郷論紹介には目くるめく、その幅広調査視点には感嘆です。その騒乱視点は“未完の西郷隆盛”という書名に凝縮されています。
先日、新垣関東沖縄経営者協会長と吉川のオーム電機㈱工場を訪問し、社長を承継された御息娘の彩社長様に逝去された故・新里会長の御慰問、ご挨拶致しました。彩さんのお話しでは故・新里会長の奥様は会長と同期で元ひめゆり学徒であられ、90才の今も毎朝「日経新聞」読んでおられるとのご健在にはビックリしました。
添付は28日、私が新報紙に掲載した追悼文ですが、沖縄のひめゆり同窓の方々から”記事載ってるわよ”と連絡頂いたとのこと、彩社長さんから御礼頂きました。
終活・断捨離していたところ、懐かしい昔の写真が見付りました。この写真は今から30年前の1990年、妹と75才を迎えた母を連れ、私が6才まで暮らした満州の大連を訪ねた時の懐かしの写真。この頃はもう茫々と古びていましたが、1946年私達一家が佐世保に引き揚げるまで暮らした大連のアパートの“澤ビル”。私達が住んでいたこのアパートの3階の部屋にはその時中国の人が住んでいましたが、快く思い出の部屋を案内して頂きました。記憶にあるお風呂部屋やベランダからの風景を眺めました。流石にこのアパート、今はもう無くなっているだろう!
この時の母の嬉しそうな回顧感慨と現地の人々の快い対応に”最も親日的中国・大連”が忘れられません。