”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「三月会」で「事業継承」を語る①

2008年07月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 「三月会」7月度例会で逡巡しつつ講演依頼を引受け、実施しました。テーマーは”創業は易く継続は難し、継承はなお難し”。要は昨年創業30年を期に、事業を継承した経緯体験談。”事業継承”には”社長後継”と”資本継承”の二つがあります。
創業社長というのは倒産・討ち取られるリスクを背負いながら、自宅を抵当に入れ、粒々辛苦、自社株の取得蓄積を続け、事業を続けます。事業継承課題の一つに創業社長の持株継承があります。経営が順調であればあるほど、株の時価が数倍になり、その継承資金調達が難しくなります。現金化が可能かどうかにお構いなく、税務署は時価評価、遠慮なく課税してきます。
 親族・息子が継承する際は莫大な相続税がかかり、それを忌避するため多くの中小企業の継承が上手く行かず、廃業に追い込まれています。ここにM&Aが一つの選択枝として登場します。
「会社を売る」ということは社長や専務が交代し”買った側”から常勤役員が派遣されるのが普通と思われていますが、当社のケースでは代表取締役も変わらず、後継社長も生抜き・プロパーで、出資先からは常勤役員と監査役が送り込まれただけです。M&A=会社売却という単純図式ではなく、資本提携、業務連携等の経営シナジー効果による会社の安定発展目途があります。(続く)
 
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「今31期・最後の部門方針説明終えて」

2008年07月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 創業31期・6月決算期変更に伴う、東京、大阪、静岡、名古屋、沖縄各事業所・部門への一月以上続いた方針説明・検討会、先週のCS部門をもってようよう全て終わりました。
 この部門は他部門に比べ沖縄出身・高卒の構成比率が高く、顧客のコンピューターセンターの保守・運営業務のため入社以来顧客先勤務が多く、私が顔を合わすのも年2度ほどしかない。業務の特性上、他部門と比較して離職率の高いのは否定出来ない。とはいえ在籍メンバーの会社への帰属意識やロイアリティは説明・懇親会で接する限り、他に優るとも劣らないのを感じます。合わせてこの部門出身者は上海やドイツ等の海外長期出張勤務者等、他にない多彩なキャリア社員を輩出しています。 
 懇親会で驚いたことは入社以来年に数度しか顔を合わせていない勤続10年越す社員が殆ど毎日私のBLOGを読んでいること。WEB、インターネットのもたらすネガティブ・ポイントがクローズアップされている昨今、改めてそのメリット・効果利便性を認識させられました。
 さらに、この夜参加の沖縄県高校出身社員数人に確認したところ、初任給から親元に仕送りを継続しているとのこと。多少の独りよがりを気にしつつも、社長と快哉を語り合う帰途の電車でした。

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「県人会50年誌」記念講演・祝賀会。

2008年07月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 7月27日、霞が関・東海ビルで「東京沖縄県人会50年誌」発刊記念講演・祝賀会が開催された。
 講演は松島泰勝龍谷大准教授による「島々の生活と経済」~琉球ネシアの今とこれから~。 講演前半は復帰以前と現時点の沖縄経済開発の概観と人口増加、失業率等や公共投資の本土企業への還流を指摘する「砂漠・ブーラーメン経済」等問題点指摘。中でも復帰後の県内貧富格差拡大には驚く。
 後半の趣旨は竹富島、久高島、読谷村等公共投資に依存しない内発的「島々のコモンズ」活動の報告と提言。さらに、本土企業の誘致よりも地場産業育成策の提言。
 松島講師は那覇高、早稲田の23歳後輩。早稲田で経済学位を取得。NPO「ゆいまーる琉球の自治」を設立、研究室での学究に止まらず、島々現地に足を運びながら島起す実践活動にも従事している。前半の復帰後の県経済実態報告よりも、後半のこの活動の具体的例をもう少し聞きたかった。この日、炎熱猛暑最中の1時開始にもかかわらず会場溢れる100人を越える参加者。何時もの県人会参加顔触れと微妙に違う謂れは何処にあるのだろうか。
 先日の「どうたっち」に於ける野村浩也講師といい、一回りも二回りも若い気鋭の次世代の息吹に接し、我が不勉強の学生時代を省みて”何やっていたんだろうね”と慨嘆の帰路でした。 
        
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「東京瀬戸内会総会・懇親」に出席しまた。

2008年07月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 7月20日、猛暑3連休の半ば日、大井町「きゅうりあん」イベントホールで開催された第84回総会・懇親に出席しました。
 私は小学1~6年まで奄美大島の古仁屋で育ったとはいえ、卒業はしていないので同級、同窓等の知友はほとんどいない。奄美から上京された町会議長はじめ、名瀬から与論まで14市町村会長30名の来賓を含め300人を超す出席者中、数人の顔見知り以外ほとんど知友はいないものの、会場に入るや島歌メロディーと大島訛と囲まれ、懐かしさが蘇る。過去数回参加していつも思うことは、沖縄県人会との際立った違いは、奄美慣例の集まりでは殆どのケースで冒頭必ず
 ①”郷土遥拝・1分間の黙祷”を行うこと。
 ②猛暑にもかかわらずスーツ・ネクタイに大島紬の盛装者が目立つ。
 ③参加者の多さと若い人の比率の高さ。
 ただ、出席、動員数というものは沖縄でも県人会より市長村郷友会の方が多いのが一般的傾向だから、直ちに彼我の違いを論ずることは出来ない。ただ、沖縄県130万人口に対し、奄美は10分の1の人口12万。これは居住人口比で、在京移住人口となると5対1位に縮まるか。そこに奄美悲劇の表象と言えなくもない。もっとも沖縄対奄美の比較はおかしく、沖縄県なら鹿児島県と対比すべくという意見もあるでしょうが、ここまで来ると二項対立・比較論の有効、意味論まで問われることになる。
 12時半から開始だったが、この日4時から駒込で開催される「どうたっち100年記念ライブ・講演」出席のため、途中退席しました。 
           
          (なんと余興に出演した宮古島出身のシンガー仲里悦子さんと)
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「ソフトウェア・プロセス・エンジニアリング・シン」に出席。

2008年07月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 7月17日(木)、お台場の「科学未来館」で開催されたシンポジウムに出席。これは毎年二日間に亘りJISA(日本情報サービス産業)による恒例の催し。開会の冒頭講演は八尋経済産業省情報振興課長による「情報サービス・ソフトウェア政策」。政府担当者から直接、施策方針を聞く貴重な機会。続くオープニングパネルでは日本IBM、東京海上、松下電器等わが国ITベンダーやユーザー第一線で活躍する担当者による経験、事例報告、討論。
 午後の個別事例報告で当社の中村専務が「対話で成功に導く中小プロジェクトマネジメント事例」報告。“中小”という表題がミソながら、対話(Dialogue)と会話(Conversation)の違いをソクラテスの弁証法まで遡りつつ解説。要は対話によるプロジェクトメンバー間のMotivateと当事者意識喚起、相互理解による課題達成手法の我社における実践報告。
 日本の一流IT関連企業間に混じっての弊社名のノミネート、発表は、中村専務個人の研鑽努力に負うところ大とは言え、企業TOPとして忸怩と誇らしさ入り混じる瞬間でした。
 業界団体というものは得てして、TOP同士の懇親、交流会に留まりがちだが、現場に密着したこうした部会活動を見ると、改めてその意義を認識させられました。
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「琉球センター・どぅたっち」100回記念ライブ。

2008年07月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 猛暑の7月連休半ば大井町で開催された「瀬戸内総会」を中座、東京は駒込で反戦・沖縄独立運動を展開している「どぅたっち」100回記念ライブに出席。ライブ開催とは言え、それに先立つ「スピーチ・パネルデスカッション」傾聴が目的。
 スピーカーの一人にかねて「沖縄に基地を押し付け、平和憲法に安住する日本人の無意識植民地主義心情」を啓発、告発、糾弾している野村浩也広島修道大教授。 他に大阪大正区で「関西沖縄文庫」主宰する金城薫氏、沖縄を中心に全国でユニークなライブ活動を展開しているシンガーソングライター佐渡山豊氏。それぞれ上京し「どぅたっち」オーナー太田さんを囲んでのユンタク(おしゃべり)ライブ。見方によってはこの四人が一同に会するのは凄いこと。大阪大正区5・15イベントでもすでに合していた。店内を埋める老若40名近い出席者と司会の島袋さんを含めたスピーカーの応答を聞いていると学生時代の討議集会を思い出した。
 気鋭の野村教授とはおよそ20年来の逢合か。当時在京沖縄県人会青年部でアクティブに活躍していた若きパートナー奥様の印象が強い。同君のシャイな風貌は変わらないものの、その舌鋒は鋭く、古今東西の学説引用と論旨には深い学究蘊奥を感じました。
             
          
                       (太田さん・野村教授と)    
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「沖縄クラブ」②

2008年07月20日 | 「美ら島沖縄大使」便り
             (先般の例会・講演後の懇親会)
「沖縄クラブ」は今年で発足35年目。以前にも書きましたが50余人からなる会員には年長の研究者や役所OB等が多く、有識文化サークルの色合が強く、会員には「沖縄・八重山文化研究会」のメンバーとダブル人も多い。当然、メンバーは入れ替わっている。
 私は20年ほど前、九段「みやらび」行われた懇親会に先輩の金城弁護士に誘われて参加したのが最初のきっかけだったように覚えています。会の研究・文化的色彩は19年度に行われた以下のような例会講演テーマーからも読み取れます。
  ①知念寛子名古屋外大名誉教授「外来語の形式とその教育」。
  ②勝方早大教授「沖縄研究新視点・執心鐘入・道成寺論」。
  ③大城日本医用レーザー研究所長「レーザーとアンチエンジング」。
  ④安谷屋日本パーカライジング㈱スッタフ「鉄、飽くさびとの戦い」
等アカデミックなテーマーが並んでいます。

 会発足以来これまで100名を越える講演が行われていますが、今から10年前の平成9年、錚々たる講師に交じって何故か私が「沖縄マルチメディア特区推進」というテーマーで喋っています。この経緯はたしか、平成2年(財)「沖縄協会」で行った私の“沖縄におけるソフト産業の可能性”発表をお聞きになった川平会長から依頼されたように覚えています。
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「沖縄クラブ」総会に出席して。

2008年07月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 7月12日(土)信濃町「若夏荘」で行われた「沖縄クラブ」総会に出席しました。川平朝清会長が県人会長に就任したため名誉会長に退かれ、里見朝規氏が会長代行に就任された。
 総会後の講演は我部政男・前山梨学院大学教授による「日本近代の国民意識への対応」。趣旨は内務卿山県有朋、内務書記官一木喜徳朗、県知事井野次郎、沖縄連隊司令官石井虎雄の言説に反映・表象された沖縄の近代・国民意識のユニークな考究史論。
 実は我部教授とは高校・琉大の同期ながら、卒業以来親しく懇談したのは初めて。学者離れした奔放な講説に満場沸いた。講演後、会場最寄の居酒屋で久し振りに同期旧交を温めた。それにしても我が同期には、この我部君はじめ津嘉山徳島大名誉教授他、もうほとんどリタイヤしたとは言え、琉大にも10人ほどの教授がいる。医者も首都圏で開業する国吉流山病院長、松田医院、屋比久クリニック他県内含め、これも10名を下らないだろう。中央官庁にも農林、大蔵、運輸、法務省とキャリア官僚はいるものの、不思議に県庁役人になった者は少ない。こらは私達世代の一つの反映だろうかとつらつら考えた一宵でした。
    
           (講師の我部君を囲んで城丘同窓と共に)
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「新人、いよいよ一線へスタート!」

2008年07月14日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先日、今年4月入社の新人研修が終了しました。今回は当社採用16名と関東沖縄IT協議会参加メンバー4社から合計6名の新人が昨年に続き合流、合計22名の新人が3ヶ月に亘り、集合研修を実習しました。当初のビジネスマナー研修から後半は実際を模擬したシステム課題の開発発表を行いました。
 6月の最終日、当社幹部はじめこれら関沖協社長が参加の下、修了発表会を行いました。
 この日は引続き本社会議室でいよいよビジネスの現場に巣立つこれら新人を激励慰労、懇親会を行いました。
 当社新人メンバーは今7月からそれぞれ東京本社、静岡、中部、名古屋各事業部OJT(On the Job Training)にアサインされます。現場では初めての顧客、先輩と出会い、様々なストレスも感じるでしょうが、これらを克服して、企業人としてキャリアアップ成長して行く事を祈念しつつ送り出しました。
           

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 「赤坂ニュータウン」に集う!

2008年07月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 皆さん、東京赤坂のTBS周辺の街並が見違えるようにリニューアル・再開発されたをご存知だろうか。驚くような様変わりです。
 その中核の高層TBS本社ビルのデザインを引き受けた㈱久米設計にあって、プロジェクトチーム中心メンバーとして活躍したのが首里高校出身の一級建築士の稲嶺穂君。
 先週土曜、この稲嶺君の案内で同君も所属する在京・養秀会(沖縄県立旧制一中・首里高校同窓会)メンバーが中心となった一同がTBS本社ビルとその周辺の見学会が行われました。参加者は吉田会長はじめ折からロスから在日中の斉藤陽子さんはじめ、就職早々の若手を含めた多彩な顔触れ20名弱。
 当夜、「養秀」ライバルの「城丘同窓」(二中・那覇高)としてただ一人の私、生憎のスケジュール重複で、新TBSビルの見える最寄の居酒屋「すっとこどっこい」での二次会から恐る恐る参加。期せずして同窓、世代を越えた異業種交流の機会を得ると共に首都圏で活躍する後輩の息吹に接し、梅雨の欝気を吹き飛ばす一宵でした。 稲嶺君、いい企画有難う!

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「関東沖縄経営者協会」総会

2008年07月10日 | 「美ら島沖縄大使」便り
                    (講演する知名社長)
 7月9日、霞ヶ関ビル・東海クラブにおいて08年度「関東沖縄経営者協会」総会を開催しました。昨年度の活動・決算報告に続き、新年度の活動方針と予算案の承認を得ました。新年度方針のキーワードは“若さと次世代”。その趣旨は若いIT創業者を中心とする「関東沖縄IT協議会」との交流、共同研修の開催。さらに、在京県出身学生の就職とキャリアプランと次世代の育成をサポートすることによって、結果として個別企業の新人採用に結び付ける。
 これは昨年度のIT協との合同研修や在京県出身学生を招いた“新春の集い”の実績、好評があります。
 この日の目玉は知名ワークプロダクツ社長の講演。沖縄南部の糸満高校出身ながら雪の室蘭工大に進学。卒業後、新日鉄や東芝等わが国を代表する製造業現場での20年以上のプロセス制御エンジニア経験の後、社長就任に至る波乱の経験。TOPとしてのVISION、集中・選択のマーケティング戦略、裁量勤務、360度評価制、後継者育成等々経営者にとってはいずれもヴィヴィットなテーマに満場息を詰めるほどに聞き入った。
 この日の出席者はこの度参議員OB会長に就任された植木沖縄フアンクラブ会長に仲宗根県東京事務所次長、親川課長、天久主査等の来賓他40名強だったが、新規の若いメンバーと女性のゲストが目立ち、翌日早速私の下に入会申し込みがありました。
         
             (ご挨拶頂く植木フアンクラブ会長)
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「初体験!酵素風呂」

2008年07月08日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 「こめぬか酵素風呂」お聞きになったことあります?
実は我社OBから教えて貰うまで知らなかった。先日の箱根合宿帰路、予ねてご案内頂いていたOBのお姉さんが横浜港南台で経営する“沖縄こうそ風呂”『藍とっと』で初体験。米糠に酵素を混ぜると微生物が空気と反応して70℃まで上がる。この酵素風呂に15分に潜り、上がった後の30分、拭けど拭けど止むことない滝のような物凄い汗が流れる。サウナや岩盤浴によるデドックスと感じがまるで違う。前者が電熱等の物理的熱源に対し酵素風呂はエコ自然反応熱で、生物である人との親和性故か。米糠は皮下の乳酸や毒素を分解し、副交感神経を刺激するという。入浴後肌のツルツルを感じました。
 数ある酵素風呂でこのお店は比嘉琉大教授によって開発されたEM酵素液を使っている唯一のところ。温浴、発汗、有酸素効果により美肌、アトピー、高膠原病、糖尿病等に効くという。
 一度試されたらいかが。1回2625円の安さ。初体験ながら私は2回入浴しました。
           
  (横浜市港南区日野南 045-833-4118 上大岡・大船からバス停「金井」)
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「箱根合宿に参加して!」

2008年07月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週木、金曜、恒例の独立会ソフト会社15社からなる交流組織ITA(Information Technology Alliance)代表者による箱根合宿会議に参加しました。食事、懇談、文字通り裸で風呂を浴びつつの懇親は昼間の公式ミーティングでは得られない腹蔵ない闊達な意見交換が行われる。これまでの合宿会議中、今回は最も衝撃を受けました。
 それは創業40年越す公開会社のメンバー社長の社内革命とも言える実践講演内容です。ソフトウエアの受託請負・派遣を主とする我々IT企業では残業に伴う人件費と赤字プロジェクトの発生が尽きることのない悩みで課題。細々とは言え創業30期中29期を黒字継続して来た我社でも私の最大の悩みだった。
 ところが、大手外資IT企業から着任5年目のこの社長、社員八割に残業無しの裁量労働制を導入。さらに赤字プロジェクト零の実現。当然これには社内の抵抗と様々な波紋は起こったと思う。改革途上、経営は結果が全てとは言え、社内に限らず顧客の抵抗にも怯むことないこの果敢な改革スピリットとエネルギーには時が経つほどに衝撃が大きくなって来ました。
 
 また、各社代表者の大半が10年前のスタート時に比べ、創業初代社長から後継2代目若手社長へと変貌、世代交代をつくづく感じ、今回私の最後の合宿参加を予感させられました。
           

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「世界の中の沖縄演劇」その③~私の見聞した辻文化~

2008年07月06日 | 「Weekly 読書感想」
 那覇辻・仲原は江戸吉原や京都祇園とは何がどう違うのだろうか?この報告書では過去の比較考察は部分的にいくつか引用されているが、残念ながらその詳細を知ることは出来ない。
 よく知らているように幕末京都で倒幕に奔走した桂小五郎ら維新の志士達を匿い、サポートしたのは祇園の舞妓達だった。
 話しは大きく跳んで恐縮ですが、復帰前首都圏で難儀・奮闘したお登り・県出身修学生達を激励したのが”新宿三丁目や北池袋”界隈居酒屋の沖縄出身ママ達だった。”薄幸の女性達を憂さ晴らし対象にして、何を言うか!”と糾弾されそうなので、これ辻、ジュリ文化の首都圏展開などとは言いません。
 ここで過去私の見聞した辻文化模様?を紹介したい。今なお90歳半ばを過ぎて安謝に健在、艶話興ずる関東沖縄経営者協会創業者の仲本潤英先輩は壮年の頃"流連荒亡"とまでは言わずとも辻から出勤したことがあるという。あの時代これはそう珍しいことではなかったようだ。
 もう一つは本書でも与那覇さんが触れている川田松夫氏作曲の「西武門節」。言うまでもなく「西武門」は辻町の入口。NET界でも論議されている歌詞『ガンチョーフルガンチョーチャンナギレー』の意味。
「ガンチョー」とは眼鏡の謂で、当時は高価・貴重品の上にエリート、インテリーの代名詞。これを「チャンナギレー」(放り投げろ)とは“辻では身分、格式は捨てなさい”の意味。つまりは辻は一種の解放区だったのか。因みに、この作曲家・川田氏は九段・池袋で沖縄料理店「みやらび」を経営する冠船流琉舞家元・川田姉妹のご尊父であることは良く知られている。上の歌詞の意味も池袋「みやらび」川田功子師匠から聞いたお話。
 そう言えば、比嘉政夫沖大地域研究所所長とはしばしばここ池袋で遭遇、歓談、共に研究・社業から解放されましたネ(^-^*) 。
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「玉城先生・瑞宝中綬受賞祝賀会」

2008年07月04日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週、高校の恩師玉城政光先生の春の叙勲・祝賀会が那覇市はグランドキャッスルホテルで開催された。東江元琉大学長、瀬名波名桜大学長、稲嶺前県知事と錚々たる来賓祝辞。高校入学時の恩師ながら、その後ニューヨーク大マスター、東京教育大、筑波大、ロンドン大留学と学究を重ね、琉大付属中校長、琉大教育学部長、沖縄女子短大学長、さらに「スキナー研究会」を主宰、そのオペラント理論の教育工学の確立と改めてその多彩・華麗な学究キャリアを知り、“不肖の弟子“の自分を痛感ました。
 私は折から沖縄出張最終日。出来れば久し振りに会う同期生と会後、旧交を温めかったが、翌日午前は取締役会。どうしても当日の最終フライトで帰京せざるを得ず、延々続く祝辞に時計を睨みつつヤキモキ。そんなことも予想されたので、同期高良君のアドバイスを受け、開宴前の控え室に先生ご夫妻へ挨拶伺う。祝辞後の先生の挨拶と乾杯後、途中退席一路空港へ。最終便・最後の乗客として何とか飛び込んだものの、羽田着は零時前。翌朝の役員会開催に備え、そのままホテル宿泊、翌朝会社へ直行。繁忙困憊の一日でした。
          
           (S32年那覇高1年9組を中心にした先生の教え子一同)
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朝吼夕嘆

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