”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

島袋琉大教授、内海准教授に上原課長

2007年09月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週、琉球大学就職センター所長である島袋恒男教授、内海恵美子准教授、上原葉子課長の琉大就職センターの3首脳が新潟で行われる就職関連会議出席の途上わざわざ羽田空港から弊社へ来社された。
 センターは就職ガイダンスに限らず、キャリア形成をサポート、推進する目的で設立、運営されている。弊社のような零細企業に琉大就職センターの3首脳にわざわざご足労頂いたのには恐縮の極み。
 それというのも創業以来延50名近い琉大卒業生を採用、現在15名が在席、来年度入社内定者3人の現状、経過を説明しました。
 たまたまこの日、ご来社アポイント頂いていた仲村前日産ディーゼル工業社現顧問を紹介、赤坂の沖縄懐石料理店「潭亭」に席を移し、期せずして学生を送り出す大学側と受け入れる採用企業側の腹蔵ない意見・情報交換が実現、双方価値あり機会を持つことが出来ました。
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上海レポート・最終「琉僑DNA、歌・踊り」

2007年09月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今回のWUB大会フィナレーは先にも報告しましたように、日出克さんのサンシン詠唱とエイサー大太鼓演舞、そして最後はお決まりのカチャーシー。
 エンディングステージに繰り出した30名近い鉢巻に脚絆、バチを振るい掛声を発するエイサー太鼓演舞団、沖縄からわざわざ招聘した皆さんかと良く見ると何とほとんど中年中国のオバサン達だった。これはWUB中国会長の高浜社長の招聘と太鼓・衣装等の贈与というスポンサーシップだったが、エイサーがこれほどこの地・上海でも抵抗なく受け入れられ、普及している様子に改めて目を見張った。
 過年、WUB世界大会出席のためハワイや南米ボリビヤを訪ねた時も沖縄系移民の子孫に限らず、在地の皆さんも交じって沖縄の歌と踊りのパフォーマンスを見た。
WUB加入当初、私は華僑、印僑をもじって「琉僑」という造語を使って以来、どこでも自明、在来語のごとく使われてきたが、世界に離散する琉球人を繋ぐ紐帯ファクターは深遠なディアスポラ論よりもまさに“ウチナーの歌と踊り”こそが大きな力であることを今回も改めて見せ付けられました。
         (歌手・日出克さんと)

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上海レポート⑥「天才通訳ガイド」

2007年09月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 三泊四日、正味二日の今回の上海訪問。大会行事多忙と折からの台風余波の雨中を縫っての魯迅公園、玉仏寺、蘇州の宝帯橋とご多聞に漏れぬ名所旧跡観光。特に印象深かったのは古文、漢歌で学んだ伝説の寒山寺、拙政園、虎丘。
 それより強く記憶に残ったのは案内の通訳。上海茶恬园国際旅行社有限公司所属の潘忠輝君。まだ30代にしか見えないが発声発音というより古今の日中故事に通暁した博覧強記振り。まるでテープのように何時間でも間違いなく説明する。聞けば日本留学の経験はなく、復旦大学の4年間で学んだとのこと。
 最終日、北京空港への途中、上海博物館へ案内してくれた別の女性通訳ガイドに聞いたところ、この公司が係わるVIPクラスのツアーは彼が担当する上海でも有数の日本人ガイドとのこと。
 強いて欠点を探せば澱み無く喋り過ぎ、質問の間が無いということか。この世界でもまた、中国の一種の天才を見た思いだった。藩さん、謝謝、再見!
                  (天才ガイド:藩さんと)
             

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上海レポート⑤「“越境する琉球女”現代版」

2007年09月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今回の上海行きで事前に会いたい後輩女性が二人いた。いずれも高校の後輩。
森田譲は高校・大学と私の後輩。今から十年ほど前、大学卒業時県内銀行内定を振り切り、マスコミ志望を実現するとの強い意向を受け、県内テレビ会社を紹介、関連会社に就職。やがてつてを得、数年前に新天地を求め北京に渡航。以来テレビ関連経験を活かし、日本側の委託を受けての中国現地の取材、制作をこなす。この日も北京から資材持参で上海入り、流暢な中国語でホテル担当者と交渉、現地クルーを指揮、会場を走り廻り、大会模様を精力的に取材、翌日は北京にトンボ帰り。
 池間嬢は大学卒業後、在京の人材斡旋の上場新進企業の営業担当として度々当社を訪れ、社の北京進出に手を挙げ、勇躍赴任。進出企業の出先縮小に伴い残留、退社、上海交通大学に学士入学、将来の中国ビジネス立上げを目指す。この日は上海移住僅か二週間目だった
 あの喧騒と混沌を忌避する私世代の懸念をものともせず、彼の地にポジティブ未来を見つめ、異郷に自らのキャリア形成を掛ける。降参!感嘆!さくら、みほよ!未来はアジア!君達のものだ!足元しっかり見つめ自愛、健勝を祈る!そう言えば日中橋渡しビジネス立上げを目指すマンダリン・バリバリの我社のOB県出身女性がいるよ。

           

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上海レポート④「成長・喧騒」

2007年09月26日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今回は敢て前回は違う裏側の”喧騒・負の印象記。
上海のイメージは映像、ネット等で散々見聞しており、想像通りとは言え、実際は高層ビルの上では洗濯物がはためき、下では瓦礫散乱、高速道路は渋滞、真中を自転車が横切り、脇では立小便、観光街では押売と乞食と急成長と喧騒、汚猥の街。高速道路信号に止まるベンツに空き缶を手に物貰いが走り寄る。大卒初任給3万の社会で億ションが陸続と落成、売れ行く。平等を標榜する社会主義中国が何でかくまでの貧富落差の社会を容認、生んだのか。
 街頭に這い蹲るように溢れ出る群集を見て、私なら分離、分割、統治委任させたいと思うけど、この国の為政者は台湾、モンゴルとひたすら拡大、統合統治を目指す。その果てに何を築くのか。現在中華帝国の建設か!

 実は今回、環境汚染、公害、内陸沿岸格差、内紛勃発とネガティブ・イメージ予感する私の世代とは反対にこの国に限りない発展と可能性に掛け、勇躍、移住、奮闘している若き我高校後輩の女性と逢合。以下彼女達を紹介!

       
        (喧騒・上海街角ショット)
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上海レポート③「グローバル化」

2007年09月26日 | 「美ら島沖縄大使」便り
          (上海博物館前で)
 私はハルピン生まれで、7歳まで大連で育ったとは言え、これまでビジネスでの中国訪問は北京、大連だけで上海は今回が初めて。東京都の二倍近し2000万の人口を抱え、高層ビルの林立する中国随一の商業都市としての繁栄様は予想通りでしたが、青空が見え大気汚染、騒音等は思ったほど酷くは無かった。もっとも折からの台風接近でスモッグが飛散していたのかも知れない。
 信号無視は相変わらずで高速道路上での駐車・立小便は何度か見ましたが、マナーや若い人の服装やファッションは東京と比べてもそう違和感はなく、オリンピック開催を意識した当局の指導、啓蒙の効果か10年前の北京訪問の印象から見ると急速なグローバリゼーション化を感じました。
 とくに、私達の滞在した4つ星の「上海クラウンプラザ復旦ホテル」はベッドやバスルーム、PC装備等サービスは快適で申し分なかった。ただ、このホテルでも空港でもウォーシュレット・トイレ普及には一度も出会わなかった。
 余談ながら、日本のウォーシュレット・トイレ技術は簡単に模倣出来ないほど高度化しているとのこと。
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上海レポート②「WUBの今後を巡って」

2007年09月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今回のWUB世界大会では初めて各支部の若手によるパネルデスカッションが行われた。これはWUB創設者のロバート仲宗根氏の主導によるもので、その背景には11回を迎え、曲り角を迎えたWUBへの今後の方向を探る問題意識があったのだと思う。
 果たせるかな、パネリストや会場との質疑・コメントはWUBの意義と方向性について様々な発言があり、沖縄タイムスや琉球新報両紙はこの問題をクローズアップ、報道した。元々両紙はじめマスコミ・外部からはBusinessを標榜するWUBの活動について“いつ起すのか?”とビジネス立上・連携を催促、評価する傾向があった。
 私はWUBのBusinessは「商売・起業」だけでなく、「企業・組織人としての交流」とより広く捉えている。そもそも起業とは象徴的に言えば「一人で出来ないから皆でやる」というリスク・ヘッジ・スタンスではなく「一人でも出来る人が集まってやる」というリスクテイク・スピリットでないと上手く行かない。現にベンチャービジネスの9割は10年以内に消滅するという厳しい現実がある。これは東京はじめ他の支部でも見られた事例である。企業の消滅は本人にだけでなく周りに多大な損害と迷惑を掛ける社会的責務を忘れてはならない。起業、ベンチャーを煽り立て、従容しその結果には知らん顔では済まされない。その結果への責任分担があることを忘れてはならない。

 WUBに市場と商売ネタだけを求めアプローチして来る人は“金にならない”と思うとサッサと去って行く。逆に継続・発展している支部には利得オリエンテッドなビジネスパーソンの対極にいるボランティアスピリッチャーがいる。今回ツールとしてのIT活用を提言した若手メンバーにも目先の利益よりボランティアマインドがあった。
 現にファンダー、IT会長を含め支部長や有力会員には企業・組織人や専門スペシャリスト等の所謂プロフェッショナルパーソンが多い。
 WUBは外部のせっかちな評価に左右されず、メンバー相互が啓発し合い、“会って楽しくなければ”継続しないと思う。そのためには公的補助等を求めない自己責任と経済力に見合う活動を提言していく必要があると思う。
                    
        
             (WUB・ITセミナー)
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上海レポート①「WUB世界大会上海へ参加して」

2007年09月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 9月19日夏休みを利用してWUB東京会員有志20余名と上海クラウンプラザ復旦ホテルで開催された第11回WUB世界大会に参加して来ました。来賓の安里沖縄県副知事はじめハワイ、ブラジル、ボリビア、中国等世界12支部から180余名が参加。翌20日にその模様はNHKでも放映されたようです。
 大会基調講演はNIRA研究員として在日経験もある呉寄南・上海国際問題研究所副主任が躍進する中国経済発展の展望を紹介。私としてはこうした周知の事実よりむしろ対中経済取引のリスクや陥穽、対策等を語って欲しかった。流石に質疑応答ではポスト・オリンピック、万博のバブル崩壊や大気汚染対応が出たが、ここはいわば“お祭り”。呉主任も、敢てこうしたリアルな問題点を避けたのかもしれない。
 それにしても2001年東京大会の経験から見て、WUB沖縄の全面的支援があったとは言え、10名に足りないWUB中国側の準備は大変だったと思う。東浜会長はこの日のためにエイサー太鼓を寄贈する一方、故郷八重山から歌手・日出克を招く等獅子奮迅の仕込みをしたらしい。カチャーシ乱舞する終焉会場で誰彼無く握手、挨拶する東浜会長の姿に達成感と開放感を感じました。東浜会長はじめ中国メンバー、サポートのWUB沖縄の皆さん、ご苦労様でした。
 閉会式に先立って行われた若手メンバーによるパネルデスカッションでも指摘があったように毎年の大会開催でのこうした主管支部・一部メンバーへの過重な負担軽減は今後の課題。それでもなお今年まで11回に亘って継続・開催された推進エネルギー源泉はロバート仲宗根ファンダーの情熱が一番大きく、参加する毎に視野と人脈の拡大を享受、感謝です。
             (閉会式で来賓・安里副知事と)
 


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「浦安海岸クルージング!」

2007年09月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 エンジン・ヨット保有の友人に誘われ、数年振りのクルージングと海水浴!
例年に無い炎暑に打って付け!東京・新木場ヨットハーバーから一気に浦安海岸沖まで。
 デズニィランドを見ながらの沖合船中で焼肉バーベキュー。水泳とダイビング満喫。
「準備体操もせず、おまけにビール飲んだ後いきなり飛び込んで大丈夫?もう若くないんだから、年を考えて!」と同行の女性に諌められ、反省!
 
 それにしても房総沖の澱んだ海を泳ぎつつ、いまさらながらエメラルグリーンの沖縄の海を懐かしむ!でも室井さん、今年も有り難う!
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「渡久山琉大同窓・関東支部長」

2007年09月13日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 残暑の一夜、元日教組書記長の渡久山琉大同窓会関東支部長と宮城事務局長から新宿は歌舞伎町「南風」に参集の声が掛かる。何事かと思いきや琉大1年除籍・中退の私に支部顧問に就任して欲しいとのお声。
 果たして私にその資格があるのか、要請の趣旨を伺ったところ毎年、琉大卒業生を採用している故とのこと。創業30年、琉大OB累積50余名採用中、現在籍15名、定着実現率15%の雇用者にその資格があるのか。
 この席にたまたま琉大創設に大功あった翁長俊郎・君代両元教授のお孫であるウイリアム斉藤君が同席。私はご祖父である翁長俊郎教授には琉大1年教養課程在学中、あの有名なミシガン方式による英会話授業を受けた奇縁があり、また、亡母は沖縄在住中にしばしば琉大家政学部創設の祖だった君代教授のヤマト口調麗々しい講演を聴き、その感嘆を語っていた。さらにウイリアム君の御母堂でロス在住の陽子さんは同期のようなもので、この9月中旬、ご夫妻と共にWUB世界大会IN上海に参加予定。

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「大学クラスメートとの会津旅行」

2007年09月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 炎暑和らぎ台風来襲の前日、久し振りに大学同期クラス10余名と共に地元出身の教職OB同期が一年前から企画、参加を呼び掛けて来た会津旅行。参加メンバー大半は教職OB、専業主婦女性のほとんどは大学教授令嬢と夫人。売上や利益、採用、退社等下界に拘束されているのは私一人。
 道中の話題は蒲生氏郷殖産策から会津漆器、さざえ堂、松平容保、戊辰戦争、飯盛山白虎隊から野口英世の虚像、Monster Parents、サルバドール・ダリ、果ては革マル、中核と私にとって史学徒出自を思い起こさせられた抽象・異郷の談論風発24時間。かと思いきや“わっぱ、ゆべし、すあま、喜多方”と具象・食い気話も満々!宿は裏磐梯温泉満喫。

 一方、直腸腫瘍、胆嚢摘出、胃摘出、脳梗塞、骨折等々の同期オーバー還暦男性群の戦跡オンパレード披瀝談に同行女性連も同情、憐憫、感嘆!

 霧に霞む磐梯山、残暑に輝く猪苗代湖・五色沼、蕎麦と稲尾波打つ広開な盆地平野を見るにつけ幕末倒幕派に敢然と立ち向かった会津の強さと豊かを感じたひと時でした。
          
              

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「財界」と「ZAITEN」「BOSS」

2007年09月02日 | 「Weekly 読書感想」
   8月、これまでも何度かあったが、夏シーズン、奇しくも両紙から沖縄経済に関しての取材、執筆依頼。「財界」は人も知る経済評論家・三鬼陽之助主筆から硬派の経済誌イメージ。
 私は創業間も無く、野村證券常務からベンチャーキャピタルの奔りである㈱JAFCOを立ち上げた当時の今原社長と共にグラビヤを飾ったことがある。それはJAFCOさんがIT企業投資一号としての当社を指名したから。~上記・1984年号グラビヤ・時に創業13年目44歳~

 それに対し「財界展望」改称の「ZAITEN」はかって企業スキャンダル記事を掲載、県内販売前に買い上げた等の噂が立つ等どちらかというと際物経済誌のイメージ。
 ところが久し振りに手にした8月号両誌のイメージはどうも様子が違う。
8月号「財界」はさしたるテーマーも無く、ほとんど経済・企業人の記事と大小インタビュー満載に対し「ZAITEN」はあたかも8月号発刊後に起こった“サブ・プライム問題”を的確に予測するごとく幅広い執筆者による首都圏の不動産景気ブーム崩壊をこれでもかこれでもかとセンセショナールに特集している。
 この「ZAITEN」は数年に一度ほど沖縄特集を組む。というより毎号在京各県の特集記事を載せているようだ。先年に次いで沖縄県のIT産業振興について書いて欲しいとの要請。これと軌を一にするように雑誌「BOSS」からも取材を受けた。記事は写真付で9月号に載るという。
 (写真は日銀総裁になる前の出水日商岩井社長・この方、当社天田取締役の新宿高校同期)
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「城岳・養秀(就活塾)交流」

2007年09月02日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 
 母校・城岳(那覇高・2中)関東同窓会への若手勧誘策としてのHP(http://kjogaku.exblog.jp)アップの延長に立ち上げた後輩向けの「就活塾」活動。
 講師には一橋から野村証券研修部長の8期先輩とお茶大からソニー研修部の17期と錚々たる我が城岳の誇るメンバーながら、参集した若手は目当ての城岳(那覇高)ならぬ養秀(首里高)若手連。いっそ出身校枠を越えての交流会との提言で発展。先のこれら有志による就活セミナーに参加した青山、立教の「養秀」後輩はいずれも目出度く一部上場の金融機関へ内定。この日はその祝賀と激励を兼ねた懇親。
“50迄はサシで酌み交わす先輩何人?50過ぎたら後輩若手何人?”という私のモットーに照らし、この日大学生の若さでわれわれオジー連との交流席へ積極的に参加する彼等のBehavior、城岳後輩もぜひ見習って欲しい。
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「PMIシンポジウムに参加しました」

2007年09月02日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 
 先週8月30,31の両日。延べ2000人近い参加者を集め、都営新宿線「船堀駅」前のタワーホール(江戸川区総合区民ホール)で「PMシンポジュウム2007」が開催され、この開会初日に参加して来ました。この日基調講演の後、IT、金融、建設、ケミカルエンジニアと幅広い分野の30近いトラック(分野)での事例発表会が行われた。

 その中のITトラックで携帯電話システム開発に従事している当社の竹田システムエンジニアがおよそ400人前後の聴衆の前で「TPS(トヨタ生産システム)方式によるITシステム」のタイトルでの“朝会実施”等によるプロジェクトメンバー間の問題共有実践の現場事例発表を行いました。
 その中で印象に残ったのは朝会を決まった定時に開始するのではなく、遅刻者がいた場合はそれを待って行うということ。形式ではなく実質を重視するということで、これこそTPS(トヨタ生産方式)の真髄だろう。

 この日本プロジェクトマネジメント協会(PMAJ)には当社中村専務が所属、この日も事務局として会場案内等裏方を担っていました。
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朝吼夕嘆

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