日刊工業新聞で記者を勤める大城麻木乃さんが、数年ぶりに神田事務所に来られました。沖縄の高校卒業後中国、米国に留学するエネルギーには感嘆でしたが、留学後日刊工業新聞に入社間もない14年前、五反田の㈱日本アドバンスシステム事務所に来られ取材をうけました。
その後、何度か「もう、辞めようか!」と思いながら14年、成婚、子育てしつつ「霞ヶ関記者クラブ」で頑張り、先日は沖縄タイムスにも取材を受け「アクロス沖縄」インタビュー欄でも掲載紹介されました。
(14年前大城さんから取材を受け日刊工業紙に開催された記事です。
この写真掲載の級友5人の逝去に驚きました。)
私が独立する前に勤務していたITコンサルタント会社の同僚で後に私の創業した㈱日本アドバンスシステムにキャリア入社し、60才の定年まで10年以上に亘りSE部長としてサポート頂いた白石君が十数年ぶりに神田に事務所に来られ、往時の会社と先日逝去された岩崎君の思い出話に浸りました。私より4歳若い75歳の白石君、日々、趣味の絵画三昧に悠々自適とのこと!久々の来訪白石君、有難う!
先日、今年90歳になられるオーム電機の新里会長が来訪されました。以前もご紹介しましたが、年間売上200億と首都圏での沖縄は与那国出身の創業トップ経営者の新里会長のシャキシャキと歩き回られるこの日来訪には“私もそろそろ年か!”と思う我と我が身、叱咤激励されました。90才ながら毎日出勤、6階の社長室にエレベ―タを使わず、階段で昇られる気迫には驚嘆です。この日はたまたま、偶然ですが、これまた東西奔走と活動家の野入琉球大学教授が上智大学での学会出席のため上京来訪され、お二人をご紹介しました。
先日、神田事務所に㈱日本アドバンスシステムOB二人がが訪ねて来ましたが、翌週、これまた偶然か大阪から女性OB社員が見ました。東京在住のお嬢さんを訪ねて来た次いでの顔見せでした。そう言えばこの内の二人は沖縄出身パートナーとの社内婚でした!男性2人は㈱日本アドバンスシステム勤続30年以上、L嬢は17年でした。皆さん、お子さん育成に頑張っておられます。
先に64才で逝去した後継社長・岩崎君の思い出を共々語り合い、追悼しました。多忙な中、来訪有難う!何時までも元気で!
私は41年前38才で、独立しIT会社を立ち上げましたが、それまで10年近く勤めていたのが経営コンサルタント子会社のBCONシステム時代の懐かしき同僚旧友二人が神田事務所に来られました。その後、お二人とも関連会社の幹部.TOPを務め、現在はリタイヤ、75才を超える後期高齢(^-^*) 3人、数10年振りの出会い、IT黎明期の70年代の忘れかけた奮戦の往時を様々思い出し、尽きること無く、語り合い、こうしたビジネス同僚との切磋琢磨があったからこそ、その後の経営課題を何とか乗り越えられたのかと改めて思いました。末舛、脇田君、来訪本当に懐かしく有難う!
(昭和51年Bcon子会社SoftowearAG設立記念写真~この2年後私はスピンオフ独立。
~前列左から3人目の当時36歳の小生、左隣が当時34?、この日来社の末舛君と後列右端の脇田君。
先日、東京で働く沖縄出身の後輩が訪ねて来て、新橋で懇親しました。二人は東証一部上場の「不動産情報サービス」会社で活躍していますが、不動産事業といってもその業務はITスキル活用業務で、いずれ独立創業を目指しているとのことで、拙いながらの私の創業独立経験を聞きたいとのことでした。 彼らの今後のビジョン抱負を聞いていると、”北を目指す”や集団就職上京の私達世代との違いをまざまざと痛感しました。また、彼らのスマフォン・スキル等々の会話を聞いているとなかなかついて行けず、我と我が身の老いを感じました。とは言え、孫に近いこれらの若い世代との交流会話は貴重な機会、経験でした。
1年?振り、ロスアンゼルスから斎藤陽子さんご夫妻が見えました。私が退院後開いた神田事務所には初めてのご来訪!私と同期の陽子さんと80歳を越す御主人、お二人はこの日、ロス、東京、和歌山を巡る元気さ!ご主人はこの日の夕方、羽田からロスアンゼルスまで10時間、帰宅されたようです。毎年、ロス、東京、沖縄と世界を巡られる元気なお二人にはホトホト感嘆!
(真ん中・島袋さん。左はご子息)
今から17年前の2002年に南米・ボリビヤ・サンタクルスの開催された「第6回WUB世界大会」に参加しましたが、その時現地で実行委員長を務めたのが当時49歳の島袋正克さんでした。
何と、その島袋さんが息子さん同行で、先週神田の事務所に見えました。17年振りの再会、お互い往時茫々、語り合いました。10歳で沖縄から南米に亘り、現地で製糖・製塩の会社㈱飯島を設立する一方、現地で日本ボリビヤ商工会議所会頭を務める等の活躍。創業25年、還暦を迎える今年、沖縄で働いていた息子さんを南米に呼び、事業承継を行っているとのこと。この日はスペイン、パリ―経由で来日との世界中縦横無尽の活動エネルギには、いやはや恐れ入りの介!
この日、最も驚いたのは私が毎夕、嗜んでいる故郷・奄美焼酎“れんと”の原料黒糖は全て、彼が南米から輸出供給しているとのこと!
(2002年、ボリビヤ・サンタクルースで沖縄系の現地女子高校生に囲まれ!)
年末、多忙な最中、創業間もなくから30年以上、総務・経理担当として会社を支えてくれ元日本アドバンスシステムOB社員お二人が神田事務所に訪ねて来られました。思い出の写真、ビデオを観つつ“あらあの人!この人”と私が思い出せない元社員の名前をお二人が次々呼び、さながら“往時茫々夢の如し”と回顧の時でした。還暦を超え、いまだ合併会社で現役、頑張っているAさんYさん、来訪、本当に有難う!
先日我が創業の㈱日本アドバンスシステムに営業担当として10年間勤務した飯田君が久々に神田事務所に訪ねて来ました。我社を退職後、自宅で一人NETビジネスを立上げ、年商1千万以上を達成、この度、熱海に自宅を建設、移住するとのこと。多士済々なNASOB!いやはや、恐れ入りの介!おめでとう!飯田君!間違っていたら訂正します。忌憚なくご指摘を!
音大・オペラ科卒業ながら、沖縄タイムス社では琉舞最高賞を受賞し、東京、沖縄に限らず、ブルガリア、台湾、ハワイ、カナダと広く海外でも活躍する琉舞、オペラ併演の異彩パフォーマンサー・赤嶺姉妹)が来所されました。
それと言うのは私も故人の友人として出演した昭和63年RBC(琉球放送)で製作、放映された「粟国安彦氏追悼」番組ビデオを観るため。故粟国君は赤嶺姉が卒業した昭和音大卒の大先輩・伝説の初の沖縄出身オペラ演出家。
赤嶺姉妹さんの演舞は「三つ星会」(オリオンビールフアン会)等、在京のイベントで何度かお会いしましたが、ある時姉妹さんから「母が重田さんのこと、知っていますよ」と言われ、ビックリしました。
実は姉妹のお母さんは私が㈱日本アドバンスシステムを創業したころ、社員採用の為、何度は訪問した沖縄の専門学校の経営・担当の方でした。それが縁で先日、数十年ぶりにお母様とお会いし、奇縁奇遇に驚きました。
ご姉妹のHP(https://www.akaminesisters.com)御覧ください。