”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

 東京沖縄県人会総会で「若夏荘」再建要請が決議されました。

2009年04月26日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 4月26日の日曜日、霞ヶ関「東海クラブ」で開催された第51回「東京沖縄県人会」総会に出席しました。
出席者は川平朝清会長以下、新任の上運天沖縄県東京事務所長、上間琉球新報東京支社長等来賓含め300人。
 今年の際立った特徴は従来総会に出席することの少なかった青年部の若いメンバーが大勢出席し、余興サンシン演奏や進行運営に大きく関わったこと。しかも、この青年部メンバーにはサンシンやエイサー同好の県外青年が多く参加していたこと。これは青年部の総会イベントに川平会長や島袋事務局長が積極的に参加した見返り効果と思われます。
今年はまた、役員改選期で約10名の役員、今井関沖IT協副会長等若手理事に入れ替わりました。私も13人の理事の一人として再任仰せつかりました。
 もう一つ、今総会の特筆すべきイベントは仲井真県知事並びに仲里県会議長宛に「若夏荘に代わる在京県関係団体利用施設の再建要請、及び協力表明」の総会決議が行われたことです。    
             
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閉鎖前日「若夏荘」最後の記念ショット!

2009年04月24日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 「この度、諸般の事情により、平成21年3月22日をもって若夏荘の休館止む無きに至りました。長い間、本荘をご利用、ご愛顧頂きました皆様へのお礼と共に突然の閉鎖について、お詫び申し上げます。その経緯と今後については追ってご説明申し上げますので、ご諒承下さるよお願い申し上げます」。
 との張り紙でもあるかと期待しつつ、先般、閉鎖される前日の21日土曜、東京城岳同窓会幹事会を若夏荘で開催、冒頭挨拶の代わりに会館前庭で最後の記念撮影しました。

 要するにこうした挨拶を思いつくような施設経営主体がこの若夏荘には存在しなかったということでしょう。と言ううより、県職員宿泊が主目的のこの施設、在京沖縄諸団体の使用に便宜・付属的に供与したということか。周りは某宗教団体の施設が林立しているこの敷地、その立地条件から時価の倍でも売れるのではと想像しました。
 先日、川平沖縄県人会長が閉鎖の理由と経緯を聞くため県庁に知事を尋ねられたが、知事多忙なため副知事と担当者が対応されたとのことです。結果、売却等の処分は行わず、暫く閉鎖し今後の活用を検討されるという。未確認仄聞ですが、この敷地、国からの供与物件?で、県では売却等の処分は出来ないとのこと。県職員宿泊施設の若夏荘、近年格安ツアー料金に対抗出来ない上に、共同風呂やチェクイン時間等制限があり宿泊利用率が下がっていたという。つまりは利用者指向ではなく、管理指向になっていたのか。
 その筋の情報によると若夏荘の維持費に年5000万近く掛り、その半分2500万が赤字だったとのこと。従って、閉鎖すると県は同額の経費削減になるということか!
 しかし、県人会、沖縄クラブ、各同窓会、関沖IT協、女性の会等々各種沖縄関係団体は長年に亘り、若夏荘を利用し、会後は会場に飲食物を持ち寄り会食、あるいは駅前飲食店に繰り出していました。付属の飲食店サービスが利用者のニーズに弾力的に対応出来る体制では無かったのか。言い換えれば若夏荘はみすみすこれらのニーズを逃していたことになります。
 今後県人会、関東沖縄経営者協会、沖縄フアンクラブ等の各種団体は拠点オフイス確保に苦労しています。㈶沖縄協会も引越という。所管、公私云々の議論を超えて、これら首都圏在の沖縄関係団体のオフイスと例会場所を糾合するような「沖縄会館・メッカ」としての活用・再建は検討できないものか!
 それにはホテルや飲食、会館施設運営のノウハウを持つ民間パワーの活用を大胆に検討したらどうでしょう。若夏荘への愛着は数十年に亘り、利用してきた関係者が最も強いのでは!
 会場探し“さ迷える沖縄関係団体”を生み出さないためにもこの愛着を”首都圏沖縄会館”再建へのバネに活用出来ないものかと思うのは私一人ではないと思う!


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「西銘恒三郎議員激励会」

2009年04月22日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 解散間近か、このところ国会議員さんから激励パーティへの案内・招待が届く。少し前のことですが「グランド・プリンス赤坂ホテル」での国土交通大臣政務官・西銘恒三郎議員パーティ。プリンス系、どこもかしこもグランド”ネーミングで煩わしい。
 この日、出席者は会場溢れる300名強か。政権・自民党議員の激励会では投票権を持つ応援者よりも自民党幹部と現職大臣の挨拶、演説が延々と続き、中には応援そっちのけで、自分の政見演説をする来賓同僚議員も珍しくない。選挙区が地方の議員が党内で激励パーティを開く意味とメリットは何処にあるのだろう。逆にそれが出来るのはそれだけ首都圏に知遇とリレーションを持っているということか。“招待”とは言えパーティ券2万円、振り込むだけで出席しない人も相当いるだろう。
 西銘議員、高校同窓ということを良く覚えていて、送迎の折に「先輩、ご多忙のところスミマセン」と決して偉ぶるところがない。この辺がこの人の人気所以の一つだろう。
 この日は沖縄から仲井真知事も駆け付け、10年前「WUB世界大会in東京」で当時総務副大臣としてお世話になった仲村正治議員の〆の挨拶。80近い仲村議員の明快、歯切れ良い挨拶には何時もながら感嘆!

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「ニライ会」って?

2009年04月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 首都圏には郷友会、同窓会、経済団体、サンシン、エイサー等の音曲同好会以外に「沖縄クラブ」「四水会」「三月会」「沖縄フアンクラブ」「沖縄大好き会」「大城会」「方言の会」「沖縄女性の会」等沖縄関係の集いが数多く活動している。これらの会に共通することは近年、沖縄フアンの県外出身者が増えていること。
 その中で「ニライ会」(長嶺為泰会長)はメンバーの出入りも相対に少なく、今年で22年とその活動が長い。この会はゲストスピーカー招聘等特別のイベントを行わず、会員全員による幹事持回りの食事懇親会が主ながら、毎回参加者20名を越す活況。メンバーの平均年齢は60歳以上と高齢ながらその職歴はバンカー、エディター、弁理士、建築士、マスコミ、教職、コンサルタント、飲食店オーナーOB、現役と多彩な顔触れ。ネーミングの由来は言うまでも無く海の彼方の理想郷「ニライカナイ世」から。
 私は3度に1度の出席とあまり良い会員ではありませんが、今月は着任したばかりの上間了琉球新報支社長を迎え、池袋「みやらび」店で開催された第22回の総会に出席しました。
 この日、偶然インドネシァ・ロテ島にしか存在しない32弦楽器「ササンドゥ」の奏者が来店して、会員一同その演奏を聞く幸運に恵まれました。初めて聴く玄妙・透明なこの楽器の奏でる響き!まるで「ニライカナイ」からの贈りメロディのようでした!
               

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「ようこそ!上運天・沖縄県東京事務所長」

2009年04月19日 | 「千客万来」
 4月は人事異動のシーズン。沖縄県東京事務所でも所長、次長以下大幅な移動がありました。
 先週、前吉川東京事務所長の後を継がれた着任間もない上運天昂・新所長が親川文厚商工課長と堀川主査のご案内で来社されました。上運天所長の前職は秘書室広報統括監、稲嶺前知事時代からの秘書室勤務継続とのこと。そういえば県庁訪問時やイベント要所でお目にかかりました。
 この日、わざわざのご来社にも拘らず、当社として辛いご報告、お詫び申し上げることになりました。それと言うのも、ここ10年以上継続している「沖縄県高校生の職場実習」を今年は辞退せざるを得ない状況に追い込まれてることでした。その理由はいうまでも無いことですが、金融不況の煽りを受け業績厳しい最中、黒字確保の為に全社的に経費削減を実施中の事情によります。それでも会社に負担を欠けず、なんとか有志による実施を検討していますが、現実には厳しい状況をご報告、お詫び申し上げました。
 本来こちらからご挨拶に伺うべきところ、わざわざのご来社恐縮の極み、有り難う御座いました。

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著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)

2009年04月17日 | 著書:「おきなわ就活塾」(新宿書房)

                 

 2008年、旧㈱日本アドバンストシステム創業30周年を記念して、早稲田大学琉球・沖縄研究所の事務局を担当する川平いつ子さんの編集の下、新宿書房から「おきなわ就活塾)を出版しました。 本書印税の一部は上記「早大琉球・沖縄研」(勝方恵子所長)に寄付されることになっており、2011年現在、160万円を寄付いたしました。これは本書をご購入後協力頂いた方々の御厚志の結果で、改めて御礼申し上げると共に、頂いた書評、コメントの一部をご紹介致しします。

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「創新ネットシティ大会例会」

2009年04月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 川崎市産業会館で開催された㈱創新ワールド・グループの展開する経営塾卒業生による定例交流大会に出席しました。これは同社塾講師で関東沖縄IT協議会メンバーの宮城加代子さんの再三の勧誘によるもの。
 参加者はIT企業から飲食サービス、サービス等多彩、広範囲な業種塾生、起業オーナー200人近い参加者。
 記念講演として先般に日経シリーズコーナー紙上でも紹介された創業440年を誇る㈱吉字屋本店の大8代目社長・高野総一氏。供給者視点の製造業と生活者視点のサービス業の特色、Market In、Product In、企業モットーとしての「納税・勤労・勤勉」等様々な示唆に富むキーワード分析。単に企業経営論に留まらず、講壇・学術的な講演は大変興味深く拝聴しました。中でも印象に残ったのは
野村拓殖大教授による日本やアメリカ等相対的に老舗企業の多い国の背景事由として①「内戦と侵略が無いこと」②「継続を美徳とする価値観」③「もの造り・本業論」の継続企業の所論紹介。
 それというのも以前、経営者仲間から「沖縄には一部泡盛メーカー以外に老舗企業がないのは、東北的粘り強さや辛抱強さに欠ける県民性の故では!」との指摘に対し「日本本土が沖縄を犠牲にした対米地上戦の結果だ」と強く反発、議論したことを思い出し“わが意を得たり”と思いました。
 講演後の懇親会では幅広く多くの人と名刺交換、交流することが出来ました。
こうした貴重な機会を頂いた宮城さん並びに高良塾長はじめ創新グループの皆さん、有り難う御座いました。
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追悼!故湧川ふき子さん

2009年04月13日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今日13日は故湧川ふき子さんの初7日。
那覇高19期後輩のふき子さんとの出合いは彼女が東京沖縄県人会事務局を手伝っていた91年頃。程無く、その縁で知り合い、18年にわたる在京生活を打ち切り、共に那覇にUターンすることになる私も顔見知りの彼氏と二人で「人生やり直します!」と挨拶に来られたのは驚きました。その頃すでに㈱ミクプランニングをスピンオフ、㈲ぱずるを立ち上げていました。その後度々赤坂・三田のお互いのオフイスを行き来、商談交流。ある時はかってご自分が勤めた会社を案内され社長と3人で懇談したこともありました。所属する地球女倶楽部「イナンナ」にサポートメンバーとして何度か例会に誘われご一緒しました。
 99年「WUB東京」の会長に担がれた私が翌年世界大会を主宰することになり、那覇高裏のオフイスを訪ねWUB加入を懇請し、大会の音楽・映像担当して参画して貰いました。オープニング当日、名嘉睦稔背景画にテンガーラ・メロディー、県内ベンチャーコンテンツとして評判の高かったDFM動画を紹介、手配する等、期待通り豊富な人脈とイベント経験を披瀝してくれました。その後、ホノルルで開催されたWUB大会には仲間と共にご一緒した思い出があります。(上掲ヨット船上写真)
 彼女自ら著しているように、パートナーとの2度の別れを一切愚痴るどころか「いい人でしたよ」と語り、亡くなる5年前に卵巣癌の宣告受け摘出手術と後遺症の腹膜炎罹病。追い討ちを掛けるように私も同窓会で生前ご挨拶申し上げた矍鑠としたご尊父の急逝にも、外見滅入ることなく病院と那覇新都心のオフしイスを往復、獅子奮迅の活動。ある時“治療の後遺症で毛が全部抜けちゃった!見ます?”と笑いながら鬘を取ろうとしたのにはこちらの方が狼狽しました。
 2007年のイナンナ20周年記念東京大会。私は病床の彼女からの再三の要請断り難く会員の前で「私の決断」パフーマンス演じた日、彼女は医者の忠告を振り切り、注射を打ちつつ鬘姿で上京、当日会場前面に陣取り、ドギマギする私に “ヤッフォー!重田!”と檄を飛ばし、どちらが健常者か判らない。さらに、この記念事業「イナンナの法則」出版編集に携わり、執筆。翌年には病状進行ものともせず、高校同窓記念誌編集にも参画、又も私に寄稿と広告掲載を要請してくる元気さは何処から来たのでしょう。
 イナンナ副会長として沖縄支部を立ち上げ、運営する一方、私の同期・堀川美智子さんが主宰する「介護を考える女性の会 」事務局長、居住マンション管理組合理事、さらにこれ又同期の高良政勝医師が館長を務める「対馬丸記念館」役員等通常なら病気を理由に辞退するところを進んで引き受ける健常者、顔色無しの八面六臂の活動。一見、小柄で愛くるしい笑顔ながら、時に無理な要求商談には一切妥協しない強さも合わせ持っていました。

 長寿尊しとする昨今、逝年51歳、壮絶ともいえる疾走した湧川さんを思う時、改めて“ただ長らうよりも生きている間に、何を成すか”と考えさせられます。いつか、私自身が病臥で死にうろたえる時、きっとあの湧川さんの怯むこと無い雄々しい晩年を思い出すでしょう。ここに改めて故湧川ふき子さん生前の厚誼、同窓の誼に感謝すると共にご冥福・安らかをお祈りします。
 “今日の沖縄、暑いですよ。いつもアクティブな重田さんがうらやましいです。私も負けてられない・・・と思うのですが。Fukiko” 
これは09年2月27日、私に届いた湧川さん最後のPCメールです。合掌!
          

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「渡嘉敷流“あけぼ乃会”花岡会主来訪!」

2009年04月12日 | 「千客万来」
 「玉城(たまぐすく)流」と並び称される琉球舞踊流派の双璧と言われる「渡嘉敷(とかしき)流」“あけぼ乃会”会主で県無形文化財技能保持者の花岡勝子師匠がお弟子さん共々来社された。
“あけぼ乃会”、6月17日(木)に三宅坂の国立劇場で初の公演を打つと言う。琉舞に疎い私を何故訪ねられたかと言うと実は師匠、私の中学同窓後輩。
当時私達が沖縄で学んだ学校は一学年3クラスの小中併設校、那覇地区で最も規模が小さかった。それだけに中学時、短いながら生徒会長を務めた私のことを師匠は覚えているのか。又、校門近くの道路に面した沖縄の当時としては珍しかったガラス窓張りの私の家も覚えているとのこと。琉舞一筋”三つ子の魂、100まで!”師匠は今もあの懐かしの安謝に道場を構えているとのこと。
 私も子供ながら地区の琉舞名手として村の15夜等の祭りに公会堂で踊る師匠(当時は普久原さん)を遠く、何度も見た記憶があります。さらに師匠のお兄さんと私は同期の縁。講演の観客動員やサポートを相談されましたが、私の疎い世界、首都圏でイベント演出、企画オフイスを経営する同じ安謝中学後輩の又吉君や師匠同窓の首里高校後輩の知人を急遽、近くの琉球居酒屋に呼び出し支援を依頼したところ、そこは同郷、同窓の誼、私が帰った後も盛り上がったとのこと!
 6月公演の詳細は「渡嘉敷流あけぼの乃会」(hidenote6582@nirai.ne.jp)へお問い合わ、乃至は又吉君Blog(http://mata443.exblog.jp/i14/)を追って御覧下さい。
            


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「新人歓迎会!」

2009年04月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 当社は昨年の3割減ながら、今年も11名の新人を採用しました。正直この時節、同業者の内定取消対応は痛いほど判ります。彼等新人に責任がないとは言え、内定決定時には私達はこの不況は予測出来ませんでした。それを経営責任と言われれば甘んじて受け入れざるを得ませんが、当社は役員報酬、管理職手当、賞与カット、一部社員の肩叩き等涙ながらのコスト削減を重ね、新人を受け入れました。この決断、将来“吉と出るか凶と出るか”経営決断が問われます。
 先週、導入研修終了に伴い来週から始まる実務研修への激励と歓迎会をしました。迫り来る重いコストプレッシャーを感じるは言え、桜満開最中に企業人としてのスタートを切る彼らの真摯さと息吹に接すると暗雲打開への責務と意欲を掻き立てさせられる、とは少し格好良過ぎますが。
 今年の新人は静岡大、琉大等の4年大卒が殆どを占めますが、また中国人女性先頭に優れて女性パワー!これをどう活かすかも今後の課題です。
          
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「高校同期、馬掘海岸に集う!」

2009年04月10日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 桜芽吹く先月週末、那覇高校12期同期が対岸に房総を望む三浦半島、防衛大学所在で有名な馬掘海岸に集い、老舗の割烹旅館「東京湾」に一泊、恒例の花見同期会に集いました。集まったのは千葉、埼玉、東京、神奈川、沖縄から合計14名。古希目前の同期一同、現役は何人かと思いきやこの日のメンバー、現役医者が3人、“渡り”で有名な元中央キャリア官僚に企業管理職OB、元保健婦に零細企業オーナー等々多彩な顔触れ。宴会後の囲碁手合わせ、四目ハンディーとは言え二人相手に3連快勝!
 カラオケ競演後に引き上げた宿泊相部屋では更夜厭わず新興中韓評価論に日本農業の国内生産率功罪とまるで学生に返ったような激論。翌朝、寝不足ながら日頃の憂さ晴らし、不況を忘れるストレス解消の一夜でした。当方、翌日別件のため、花見ツアーに繰り出す一行横目に一人京浜急行、湘南新宿線、埼京線と乗り継ぎ3時間足らずで自宅帰還となりました。
             

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「枝野衆議員激励会」

2009年04月05日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 もし、民主党が政権を取った場合には官房長官かと言われているさいたま市選出の枝野衆議員。もっとも、党内反小沢派を隠さないだけに、小沢首相の時の就任はあり得ず、岡田首相の場合の長官可能性か。さいたま市選出の縁で時折愚妻と共に政見集会に顔を出していたら折々拙宅に挨拶に来られる。流石に自宅塀へのポスター掲載はお断りしていますが、昨年に続きさいたま市自宅最寄の会場で行われた激励会に出席しました。
 政権党の自民党議員の激励会と違って、当然の事ながら現閣僚等の挨拶はないものの、“政権交代間近”とばかりに場内、例年に無い活気が漂っていました。
          

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「横浜・長元タイムス論説委員長の講演に行きました」

2009年04月04日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 3月7日から5月10日まで、横浜・山下公園に近い「情報文化センター」で沖縄タイムス60周年記念企画「あんやたん」(戦後あの日・あの時)写真展が開催されている。その一環として桜満開の4月4日、同所で長元・沖縄タイムス論説委員長による“思い溢れる”2時間を越す「琉球・沖縄400年の夢」講演を聴きました。
何故横浜かと思っていたら、ここに「日本新聞博物館」が所在していたためか。
 講演内容は多岐に亘り、一口には総括できませんが、特に印象深かった個所は目下県内ホットな「沖縄振興策延伸」「道州論」「辺野古基地移転」論議テーマーに維新の“廃琉置県”時の日清両帰属、72年日本復帰時の“信託統治論”“反復帰論争”等々折々の歴史節目に繰り返される対立・自立論争のデジャビューを感ずるとの指摘。それも脱清人・林世功、比嘉春潮、久米島の吉浜智改、復帰直前の小学生の作文とそれぞれ時代の“生の筆致・遺稿”を例示しつつ説得ある講演部分。また、“大和人になりたくてもなれない自分”台詞で有名な西銘順治への評価。さらに、“必ずしも賛意ではない”と言いつつも、あの物議を醸した目取真俊の短編「街物語」の全文紹介!
実はこの短編、私も戦後駐沖米軍人による数々あれほどの陵辱狼藉を受けつつも、現地アメリカ人へのテロリズム一件も起こっていない沖縄人の優しさ?に対する苛立ちか、まさかタリバン慫慂の檄文とは思っていませんが、気になっていた作品です。
 200人を超す満席会場、川平会長はじめ県人連も相当見えましたが大部分は大和風の年配者で埋め尽くされていました。講演後はWUB仲間6人で横浜中華街での会食でした。 
            
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「入社おめでとう!」

2009年04月01日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 皆さん、桜満開の㈱日本アドバンストシステムへようこそ!入社おめでとう御座います。
 今日、日本全国で多くの新人が入社式を迎えていると思いますが、生憎の雨模様とは言え、皆さんの様に満開の桜並木の下を潜っての社会人としても第一歩を迎えた人は恐らく、全国新人の1%もいないでしょう。その意味で皆さんはラッキーと思ってください。
 今年は100年に一度の経済不況で、皆さんは“内定取消”等の不安、懸念を抱えて“運が悪かった”と思う人もいると思います。しかし、来年は今年に勝る不況が予想されます。現にわが社でも来年の採用は今年の半分を予定しています。その意味でも来春卒者に比べて皆さんは幸運と言えます。ものは考えようです。
 わが社では創業以来30回に近い新入社員を迎えて来ましたが、内定をいくつも取れるような好況・売り手市場の年より、今年のような就職難のときの社員の方が定着性が高く、会社への貢献度も高いような気がします。景気が良いときは少しでも嫌な事があれば、直ぐ退職しても転職が容易ですが、結果的には転々と転職を繰り返し、気が付けばニートやフリターになっているケースもあります。それに対し、就職難の時は会社で嫌な事があっても我慢、耐えて、結果的には鍛えられてスキルアップにつながります。
 正直言って、皆さんを迎えるため、先輩社員の中には年収ダウン等の経費削減、肩叩きの目にあった人もいます。それだけ皆さんへの風当たりは強くなると思います。先輩達が稼いだお金で皆さんに給料を払い、研修をします。それは皆さんのためでもありますが、会社としては将来への投資でもあります。皆さんの今後への貢献を期待しているからです。逃げ道のない皆さんはプレッシャーを感ずると思いますが“艱難汝を玉にする”の諺どおりそのことが結果的に皆さんを鍛えることになると思います。後年“厳しい時代だったが、あれで鍛えられた”と回顧するようになって欲しいと思います。
 今年はまた、ご覧のように新人の半分近く、創業以来最も女性新人比率の高い年です。皆さんには責任はありませんが、受け入れた私達も入社した皆さんも女性パワーの活用と貢献度が試される年でもあります。共に頑張って行きましょう。
 今後数年IT業界の市場は狭ばまり、倒産する同業者も相当出ると思います。しかし“朝の来ない夜はありません”この生き残り競争に勝ち残った企業には新たな市場と道が開けます。それは恐らく3~4年後、丁度当社の35周年辺りになると思います。今を耐え、凌ぎ切り、皆さんと共に“輝かしい35周年”を迎えましょう。例年にない少し厳しい祝辞となりましたが、今後の皆さんの頑張りと成長に期待しています。本日はおめでとう御座いました!2009年4月1日 ㈱日本アドバンストシステム代表取締役会長 重田辰弥 
              

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朝吼夕嘆

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