”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

ダンテ「神曲」 山川丙三郎訳(岩波文庫)

2004年01月26日 | 「Weekly 読書感想」
 昨年読んだ正宗白鳥の「作家論」の記述に触発され、 暮から正月にかけて生涯3度目の挑戦。現在未だに上巻地獄編未了。 結局今回もここで終わりそう。とにかく読み通すには異常な知的スタミナが要る。 それが枯れたのを痛感する。

 最初の挑戦は大学1年、この時は直ぐ放棄。 二度目は故オペラ演出家の粟国安彦と東京・新山通りの4畳半で同居していたころ。 彼がテノールから演出志望に転じたいと言った時に自分が途中で放り投げたのを隠して 「オペラはヨーロッパ文化の精髄、知るにはギリシャ神話、聖書、イリアス・オデッセイ、 それに出来れば神曲」と知ったかぶりでのたまうた。 では輪読しようと二人で手にしたが3~4回で挫折。

 性懲りも無く挑戦する私の心中には旧制高校エリートのダンデイズム 「デカンショやピアトリンチェ」への郷愁と憧憬があるのか。 これで2度挑戦、2度挫折した本書以外「森の生活」「沈黙の春」「君主論」「戦争論」

 ああ、それに「資本論」と死屍累々。勿論もっとあります。
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高杉良「小説 ザ・外資」(光文社)

2004年01月11日 | 「Weekly 読書感想」
 ハーバードでMBAを取得した金融マンのスピンオフ・ストーリーだが、内実は言うまでも無く、元日本長期信用銀行をわずか10億円で買収し、新生銀行とした、“禿げ鷹”外資ファンド・リップルウッド社の“あこぎ”さと、金融再生委員会はじめ日本政府当局の無能さとお目出度さを糾弾したもの。
 複雑な国際金融製品や仕組をよく調べてあるが、恐らくその道の業界通が付ききりでレクチャーしたに違いない。すべて仮名を使っているが、その筋の人達が読めば登場するモデルはすべて分かり、それだけに事情通には面白いだろう。

 しかし、読むにつれだんだん気分が悪くなって来た。城山作品を読んだ直後であったためかもしれない。「こんな生身の人間がいてたまるか」と思うほどに清廉な人物を描く城山作品に比べ、本書に登場する槙原元三菱商事会長や斉藤元経団連会長のモデルと思われる人達は、売国奴同様に悪し様に書かれている。八城新生銀行会長などは、「日本より米国の利益優先」「私欲が強い」「前勤務先からの同伴秘書と怪しい」等々、散々だ。本人達の反論、弁明なしで一方的に書かれるのだから、小説というのは始末が悪い。著者の怒りは分かるが、夕刊紙の暴露記事のようで、今まで読んだ高杉小説の中では最も不快だった。
 本書末尾に、「これはフィクションで万一現実の事件ないし状態に類似すことがあってもまったくの偶然に過ぎません」とあり、書名にもわざわざ“小説”と冠しているのは、語るに落ちる。

 それにつけても、シェルという外資の邦人トップとして位を極めた八城氏が、何で今さら日本経済界の怨嗟を買ってまで外資ファンドのダミーを引き受けたのか。日本経済グローバライゼーションへの使命感か、はたまた私欲のためか。いつか城山氏に書いて欲しいものだ。その時の表題は「粗にして野ではないが卑」になるのか。(済みません)
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城山三郎「総会屋錦城」(新潮文庫)

2004年01月04日 | 「Weekly 読書感想」
 私が高校に入学した昭和34年に直木賞を受賞した、著者の金字塔作品。
 昭和30年代、推理小説の松本清張と並んで、経済小説をテーマに颯爽と登場した。浪人時代、笹塚駅前の貸本屋で、一連の光文堂カッパブック清張ものを読んだが、城山作品を手にするのはずーっと後だった。

 高度成長の入口で、誰もが日本経済の前途に洋々たる自信を持っていた頃、著者は早くも、この作品で企業社会の暗部と、「輸出」等一連の短編で、時代の華ともて囃された商社マンの悲劇を見つめている。今読み返して、改めて透徹した視線を感ずる。
 本書で、株と商法を巧みに扱い、経営者を追及して会社利益の上前をはねる、総会屋なるものの存在が広く世に知られた。
 それにしても、主人公・総会屋錦城は私欲のない古武士然と描かれ、社会悪としての糾弾調がない。ヤクザを任侠道の体現者として描く手合いと、どこか共通するのが気になる。

 すでに本書には、城山作品に共通する気品と高雅さが漂い、これは、後に続く企業戦士の奮闘振りを描く高杉良の作品等と比較しても、際立った特徴だ。もっともこの種の気品には“臭気紛々”があり、その君子然としたスタンスと共に、忌避する筋合もまた出てくるというもの。
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カエサル(近山金次/訳)「ガリア戦記」(岩波文庫)

2004年01月02日 | 「Weekly 読書感想」
 塩野七生「ローマ人物語」への膾炙と、“流行りものばかり読んでいる”と思われるのがシャクで、師走の気忙しい最中に読了。読書への“いざない”は、まあいろいろあります。

 紀元前57年から8年間、日本で言えば崇神天皇の頃か。ガリアと呼ばれた、今のフランス地域の征服記。カエサル(シーザー)の手になる貴重な資料で、モンテニューも絶賛した名文と言われている。
 翻訳で読んだ限りでは何が名文か分からないが、天才戦勝者の文章にしては勝利の雄叫びや自画自賛の嫌味がなく、敵の長所や見方の弱点も、冷静かつ客観的に書かれている。私には見えないが、陸戦の戦略専門家が読むと、あるいは天才が見えるのかもしれない。

 近代ヨーロッパ文化の粋といわれるフランス地域も、当時は父子で妻を共有したり、獣皮を着た半裸の部族がいたことや、今でも北欧人に比べイタリア人は小柄な人が多いが、当時のガリア人がローマ人の小柄を侮っていた描写などは興味深かった。
 地名も史実も疎い私は、ただひたすらカタカナの地域と部族名の字面を追うだけで辛かったが、EUの人々には、書かれている当時の地域と現在の状況をなぞったりする面白味もあるかもしれない。
 本書を読むと、歴史の進歩発展を否定する循環説には疑問を感ずる。歴史上不朽の古典も、私のレベルではかくの如く陳腐な評論?で自ら更に浅学非才を晒しました。「猫に小判」「豚に真珠」とはこういうことか。
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朝吼夕嘆

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