”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「琉大関東同窓会へ出席しました」

2009年10月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週土曜、神保町の日本教育会館で行われた琉大関東支部の同窓会に出席しました。以前にも書きましたが、一年中退の私が同会顧問に推されているのは、毎年琉大には新卒採用でお世話になり、工学部を中心に20余名の卒業生が在籍、ここ最近、在校生に「就職とキャリア形成」について講義をしている事情もあります。それと私の高校同期10数名がほぼ琉大全学部の教授を歴任、現在はそのほとんどが退職、名誉教授や他大学教授に就任している縁もあります。
 今回は来年の開学60周年記念行事「江戸立探検隊」と東京でのシンポジウム開催もあり、岩政学長、宮城副学長、赤嶺同窓会長に事業募金委員長の比嘉・元オリオンビール副社長・現モノレール社長も上京、参加されました。
 この記念事業「江戸立探検隊」(敢えて従来慣用の“江戸上り”とは言わない)は学生・院生・教職員30~40名が来年3月、2週間に亘り、奄美、鹿児島、広島、岡山、大阪、名古屋、静岡、日光、東京と探検、それぞれの宿泊地でシンポジウムを開催するというもの。来年3月12日金曜、神保町教育会館で開催される「日本史と琉球」シンポジウムは一般の方の出席も歓迎とのことです。
 翌日厚木稲門会での講演を控え、この日の総会後の懇親会は失礼しました。宮城事務局長はじめ、関係者の皆さん、お疲れ様でした。
         
            (岩政学長・宮城副学長に挟まれ恐縮!)

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「厚木稲門会で講演しました」

2009年10月25日 | 「講演・セミナー」

 厚木稲門会(早稲田大学同窓会)の幹事に早大クラスメートがいた縁で、依頼を受け25日(日曜)厚木のロアジールホテルで行われた総会後、役不足ながら沖縄について講演を行いました。出席者は海老名、鎌倉、藤澤等近隣の稲門会幹部はじめオーナー社長、市議、三田出身・地元医師会等、功なり名を遂げた60代、70代の錚々たる地元名士の60名強。
 講演冒頭、沖縄訪問の経験を問うたところ、6割近い出席者が挙手された。シリアスな沖縄問題沸騰の折柄、引き受けを躊躇、悩みましたが県知事からの「美ら島沖縄大使」拝命もあり、“体験的B面沖縄”とのサブ・タイトルで辺野古、佐藤優、知花くらら、琉球処分、薩摩侵攻、命ど宝、アクターズスクール、人類館等々“ダボハゼ、どんぶり料理”の30枚近いPowerPointスライドを作成、臨みました。
 制限一時間満杯、Q&Aの時間はありませんでしたが、講演後の懇親会では復帰前に上場メーカー駐在員として駐在した方や友人訪問、ゴルフプレイ等での沖縄訪問経験者と暫し懇談、桜坂、前島、国際通り等往年の懐かしい那覇の町並み思い出話に花が咲く一方、「めったに聞けない沖縄の側面、面白かった」との声も頂きホッとしました。
 二週間前の依頼ながら、日程が迫らないとエンジン始動しない日頃の悪い癖。講演当日朝は午前3時に目覚め、ベッドの中であれこれフレーズ、テーマーが浮び出て、やおら起床、当日10時までスライド原案を添削修正する始末。
 大宮・厚木往復4時間以上はバテましたが、こうした機会を頂いたお蔭で、私自身も結果的に改めて沖縄を学習、整理することになりました。同期の堀さん、応援聴講に駆けつけてくれた日景さん、有り難う御座いました。
             




                           

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「民族の火よ永遠に」;古波津英興追悼集

2009年10月22日 | 「Weekly 読書感想」
 99年、呼掛け人として参加した川崎市の「集会」帰路、トラックに跳ねられる不慮の事故に会い、91歳で亡くなられた“在京沖縄民権運動家”古波津さんを偲ぶ「沖縄民権の会」(座覇光子会長)を中心とする60余名による追悼録。
その中には2009年現在すでに他界された数人の方々を含め、多くの知人が寄稿されています。
 老齢にも関わらず矍鑠と活動する活動家としてのお名前は折々お聞き,しいくつかの集会で遠くお姿をみましたが、残念ながら生前、直接謦咳に接する機会はありませんでした。今回、故古波津さんの甥子に当られる関東沖縄経営者協会仲間の新垣㈱オールビジネス社長から贈られ拝読。
 トップ合格した県立一中をストライキ首謀で退学処分以来、大学時代にも治安維持法による数度の逮捕にも揺るがず
 「ナマサンデェ、イチスガ! ワーガサンディ、ターガスガ!」
 (今せずして、何時するのか!私がしないで、誰がするか!)
と生涯一貫してぶれない快活、颯爽としたその活動家振りに改めて感嘆しました。
 逝去9年目の昨年には東京・大井町で「生誕100年の追悼祭」も開催されています。貴重な追悼録の寄贈、新垣さん、有り難う御座いました。

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「ぱいぬ島・竹富」

2009年10月19日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 ロス在住、WUB東京会員の友人斉藤陽子さんの御子息ダニエル君と懇親。
両親は日本人ながら彼はアメリカ育ち、数年前の来日折は日本語もタドタドしかったが今は会話ペラペラで不自由ない。ただし、読み書きはいまいち、止むを得ず私が送るBrokin English mailには内心苦笑気味では!
 Sun micro日本支社でMySqel担当の彼、月の半分は中国、韓国、ベトナムと東南アジヤ出張暮らし。この日、慶応大から米国留学卒、広告製作会社でCM企画/演出を担当している田嶌さんを紹介頂いた。
 実はこの田嶌さん「ぱいぬ島」八重山は竹富島に憧れ、この島を対象に映画シナリオを作成、東京ショートフィルムフェスティバルの旅をテーマにしたショート部門に応募、見事当選、その制作支援費として観光庁からも高い評価を得て補助金も得たとのこと。

一般に”天国に最も近い国”とはニューカレドニアを指しますが、それに勝るとも劣らぬ憧れの”ぱいぬ(南の)島”竹富ですが、11月生涯初の竹富島訪問を目前に「美ら島沖縄大使」の私に相談来訪。というのもこの作品のエグゼクティブプロデュースを本業多忙なダニエル君が引き受けている縁。完成初演の暁にはご招待頂くとのことですが、タキシード着用とのこと。若きスリム時代の誂え、合うだろうかと?!
 役不足ながら、私は竹富島独特の自然風土保持スタンスや外来者への高ハードル施策を説明、少ないながらの私のリレーション人脈での協力を表明、早速、旧知の有楽町・沖縄コンベンションセンターで国際会議誘致担当の照喜名副参事を紹介、この日最寄の沖縄居酒屋「いいあんべ」で懇親しました。   
         


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「咲いたまつり2009」

2009年10月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 今月11日・日曜日「さいたまスーパーアリーナー」でさいたま市民まつり実行委員会主催「杜の賑い咲いたままつり2009」に参加?しました。
 実はこれ、JTBが創業70周年記念として、昭和56年以来、各地域の伝統文化の保護、育成、地域の活性化を謳い、CSRを掲げつつツアー企画等のビジネス・キャンペン!
 入場料1000円に釣られ、冷かし気分で参加しましたが、山形の花笠踊り、新潟の佐渡おけさ、さいたま日進の餅つき踊りと全国各地域の踊りオンパレード。
 なかでもエイサー、獅子舞、ジュリ馬、四ツ竹、龍舞と沖縄芸能が当日プログラムの大半を占める、どの出し物も数10人による群舞。よくもこれだけの踊り子を招聘したもの!来年1月には沖縄で“琉球の宴「杜の賑い沖縄」ツアーを控えてのこの日のアッピールだったのか!それにしても10,000人収容のさいたまアリーナー、この日の観衆は3000名位は勿体無い。もっと広報、宣伝に工夫出来なかったものか。
 この日、別のハワイアン・イベント会場には先頃当選した清水さいたま市長が挨拶登場にも驚きました。その上、清水市長と並び、浜松市の市長が応援エールの挨拶に来訪されたのには驚きました。お二人は松下政経塾出身同士と聞いて納得しました。         
           


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“社長、限界です!”

2009年10月13日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 標題の“悲鳴”ご存知の方も多いと思いますが、正式表現は次の通りです。 即ち“謝調原改”です。これは当社創業以来の主要老舗顧客の幹部から教えられた言葉です。
 これは社長たる者、何か不祥事、問題等が発生した場合には、“まず顧客等迷惑を掛けた外部関係者に罪し、経緯・事由を査し、その因を明らかにし、制度・やり方を善する”というプロセス、手順を分かり安く表現したもの。
 当社も経験がありますが、不祥事や事故が発生した際、関係者に謝る前に、まずひたすら、そのことの外部への遺漏防止を第一に奔走し、誰に責任があるのかと内部犯人追求に奔走するケースがあります。
 これは外部への迷惑、影響より、内部の体面重視、責任追及を優先する内向き官僚組織に典型的に見られる現象です。会社が大きく、長くなるほどに心しなければならない警句です。

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「ようこそ!山田・厚生労働省課長」

2009年10月11日 | 「千客万来」
 厚生労働本省職業安定局の山田外国雇用対策課長が来社。今月中旬のブラジル政府訪問に先立つ情報収集とのこと。あちらではサンパウロの国外就労者情報援護センターを訪ね、協議されるとのこと。
マスコミでも報道された不況に伴う日系南米稼ぎ労働者の解雇問題。本省課長自らの南米訪問は“必要なときは呼び寄せ不要になったら、首切り追放か”という非難に対し、日本政府の施策を説明し理解を深めて貰う目的。
 実際、日本政府は国内失業率上昇の最中、南米稼ぎ労働者には一人当り30万の帰国補助金や残留者への日本語学習の支援施策を行っている。
 ブラジルの海外出稼ぎ労働者凡そ200万中、日本渡航はその15%の30万。にも拘らず日本以外にはこうした支援策を実施している国はないという。この事実を説明すると理解、感謝されるという。ただ、こうした支援施策が目立つと、国内失業者からは“何故外国人にそこまで手厚い方策をとるのだ!”と非難が出る可能性があり、担当者としては内外の板挟みが悩ましいとのこと。
 山田課長が私の所へ来訪された直接の切掛けは、WUBブラジル大会を伝えの私のBlogを御覧になられたとの由。
山田さん、実は大田知事時代に本省から沖縄県へ2年間出向し、その節に久米島出身の奥様と出会われたとのこと。いわゆるウチナワムクー(沖縄婿)さん。10年程前、当時の三田本社にもお訪ね頂いた。
 多くの在日ブラジル人の消息に詳しい長嶺WUB東京名誉会長をご紹介させて頂きました。山田課長、Bon Voyages !!

 

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伝説の「喜瀬別邸」体験宿泊!

2009年10月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 9月Silver week前の沖国大講義と「美ら島沖縄大使」再認証式の合間を縫って、名護に勤務する当社OBとの面談等所用で訪問。この機会にかねてオーナー企業の「金秀」さんから「一度宿泊を!」とご案内受けていた伝説の「喜瀬別邸」に泊りました。開業2年ながら“伝説”というのは通常では私などでは宿泊叶わない富裕層向けの県内随一の超高級リゾートホテル。
 今回偶然とは言え、折からの「美ら島沖縄大使」認証式に合わせ格別の体験宿泊を配慮頂いたのは何かのご縁。
 入口を潜り、運転道に迷ったかと思うほど別邸正門まで延々とアプローチ続く広大な敷地。各部屋の浴室からは御覧のように湯船に浸かりつつ遠く名護湾島影と朝ぼらけ。眺望を妨げる一点無い委曲を尽くした設計。中庭清涼池を臨みつつの贅を尽くした朝食レストラン。この日宿泊の方々はゴルフ目的の中年連に新婚さんを思わせるヤング・カップル。シングルユーザーは私以外に見えない。
 前夜“喜瀬別邸”と聞き、遠く那覇から駆けつけ、名護市在住ながら初めてという知人10人弱でデイナーレストラン個室を占拠会食。コース料理に手が出ず、アラカルトメニューを皆でシェヤーするケチな我々一行、高級宿泊客に慣れた従業員にはどう映ったか思い出しても冷や汗!
 さらに、びっくりしたのは1週間後、レジデントマネジャーからご丁寧なお便りを頂いたこと。それも形式的な礼文ではなく、私が書いた宿泊印象アンケート個条に逐一丁寧な回答記述。ホテルのアンケートは幾度か書いた経験がありますが、これだけ丁重な返礼回答を頂いたのは初めて!皆さん!リフレッシュ、”命の洗濯”に一度、宿泊されたら!   
          



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「ようこそ!宮城琉球大学副学長ご一行!」

2009年10月07日 | 「千客万来」
 先日、琉球大学の宮城副学長が総務部長、同窓会事務局長と共に来社されました。目的は来年の開学60周年記念事業の一つとして挙行される「江戸立探検隊」企画説明と協力ご依頼。これはかって琉球王国が沖縄から江戸へ登った工程を学生中心に追体験、シンポジウム開催し交流歴史と意義を振返ること。ご来訪のもう一つの目的は卒業生の就職状況の視察。
 当社にはほぼ毎年琉大生が入社しており、工学部出身を中心に現在22名が在席しています。この日は社長と共に本社勤務のOB3人が歓迎ご挨拶申し上げました。
 宮城副学長とは工学部出身だけに、当社にも教え子が在席しており、この日は現在の仕事内容や在学中の恩師やゼミ等について親しく懇談頂きました。
 宮城副学長は教授、工学部長時代から採用活動等を通しての20年近いお付合い、顔見知りは言え、遠路、当社のような零細企業へのわざわざの御来社、改めて卒業生の採用、育成の社会的責任を感じた日でした。
 
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福寛美「喜界島・鬼の海域」:親典社新書

2009年10月06日 | 「Weekly 読書感想」
喜界島・鬼の海域―キカイガシマ考 [新典社新書]
福寛美
新典社

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 活字も大きく、100P余の新書・小冊子。出版シリーズ一覧を見ると通勤ホーム上や満員電車内でも難しい歴史テーマを解説、手軽にアッという間に提供する出版社の意図が見える。私のような懸案、課題多忙な読者には極めて貴重、喝采を送りたくなる企画ですが、著者は書きたいことの抑制、省略でさぞ大変だったのでは。
 俊寛流罪で有名な喜界島は、それぞれの時代に「鬼ヶ島」「貴海島」と陰陽、可否それぞれに呼ばれた歴史の背景を著者はその専門領域である「おもろさうし」と近来の考古学研究成果から読み起している。その背景には琉球王朝の変遷、さらに王朝のルーツを窺わせる倭寇の活躍を述べている。
 あまり良い読み方ではないが、私にとって本書で最も衝撃的な部分は南西諸島のシンボル・総称として“鬼界”と称された所以は死者の縁者がその肉を食べる風習があり、これは後に豚肉に変わったと言う記述。
 もちろん、ここで言う“鬼界”とは現在の喜界島を言うのではなく、当時の大和朝から見た南西諸島の概括総称と理解したい。
 かって、琉球では近い親族を“マシシオ・エーカ“、遠縁を“ブトブト・エーカ”と呼んだという。これを漢字で書くとマシシオ=真肉、ブトブト=脂肪。これは著者の節ではなく著名な琉球史家である比嘉春潮と伊波普猷の引用説として紹介している。
 10年程前に私の遠縁が“恐らく最後の洗骨”風習と奄美に墓参、“埋葬年が浅く腐肉がベト付き大変だった“と言うのを聞いたことがあります。南西諸島の食肉風習も死者への供養の意味もあったのではないか?
 こう書くとまた、南島の蛮風と思われがちですが、東京多摩に住む知人から「昔、多摩川縁でも似たような習俗があった」と周辺の古老から聞いたとのこと。
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 2010年の内定者懇談会を開催しました。

2009年10月05日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 業績厳しい折柄、地方事業所採用の内定者を本社に呼ぶ経費削減、テレビ会議併用で来春入社予定の内定者懇談会を開催しました。不況にあおりを受け、この4月入社の新人の凡そ5割が未だ不稼動の上に既存社員退社の中、何故来期採用内定か。経営判断としてはリスクテイクとは言え、それもこれも明日の当社を背負う、長期的人材供給と投資の視点。
 来春採用は現時点で例年の50%削減の7名。全員学卒。内訳は琉球大、関西各一人に首都圏5名。内一人が院卒。男女の比率は4対3。
 第1回目の懇談会ながら祝言挨拶を抑え
「私達社員一同は苦しい最中、歯を食い縛って皆さんを迎えますが、給料貰いつつ研修を受ける気持ちは放棄し、来春4月入社時の即戦力を目指し、卒業までの半年、夜間専門学校に通う位の自己投資を心掛けて欲しい。間違っても”会社は何々やってくれない”と言う、要求、期待マインドのいわゆるクレナイ族にはならないように!」との激励、辛口挨拶に彼らも食い入るような真剣表情でした。
 いつもながら、新人の自己紹介挨拶はは私にとって、自己検証の場。それと言うのも彼等・ヤング層が紹介する愛読作家、歌、歌手、タレント等の何割位を知っているか?「それ誰?何?」と今年は1割も分からなかった。年々歳々私の知悉率は低下、ヤング・カレントカルチャーとの乖離を痛感する瞬間です。

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「マダム夕雨子」30周年パーティに出席。

2009年10月04日 | 「美ら島沖縄大使」便り
            (開会挨拶する発起人代表の青木大使)
 9月28日、ライオン銀座七丁目ホールで開催された普天間出身・与古田夕雨子さん経営の銀座クラブ「マダム夕雨子」、この不況ものともしない30周年記念のパーティ。
 主催者代表には青木元外務官・ペール大使、作家の渡辺淳一、奥野修司氏はじめ元「週間新潮」編集長に三菱UFG、富士通重役等、ホステス雇わず夕雨子ママ一人で奮闘の経営コンセプトとスタンスを窺わせる錚々たる顔触れ。出席者は凡そ80名。沖縄県出身は模合仲間「ちゅらさん会」女性10名中心におよそ20名。
 お互い創業、開業30年前後の“戦友”同士とて沖縄県人代表?として私も祝辞指名を受け、お店に寝泊り創業時の苦労話に毎朝新聞5紙に目を通し顧客対応を仕込む秘話等々を披露ました。「夕雨子」は度々女性客が一人で訪れるクラブというより交流サロン!
 倒産、廃業率全国1の沖縄と言われながら、先の高円寺「抱瓶」と言い、生き馬の目を抜く東京で頑張る沖縄女性のバイタリティと継続力に改めて万歳感嘆しました。
       
           
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朝吼夕嘆

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