(2000年五反田事務所へ来訪の新川先生と愛娘の菅ちゃん)
先月、恩師の新川初子先生が大阪豊中市の介護センターでご逝去されました。享年95歳、コロナ蔓延でお見送り参席叶わず、衷心より御哀悼申し上げます。先生は昭和18年沖縄県立第一高等女学校から沖縄師範学校に進み、「ひめゆり学徒」として悲惨な戦争体験をされます。戦後沖縄の西原中学で6年間務められた後、私がいた安謝中学二年の担当として来校されましたが1年後に京都に転居され、以来定年まで阪神で教職を務められました。定年退職後は阪神地方唯一の従軍ひめゆり同窓・平和の語り部”として延べ500回を超える講演をされています。その詳細は今でもNETで観ることができます。
何故、京都に転居されたのか。それは京都府警勤務のご尊父の元、京都で生まれた先生は、同じ京都生まれの沖縄出身教職の御主人とご結婚されたという背景があったようです。
安謝中2年終了後、那覇の泊港から出航される先生の乗る浮島丸をクラスメートと五色のテープでお見送りした思い出もあります。
担任としてお世話になった安謝中2年の時、私は時折自宅に呼ばれ、当時幼稚園児のお嬢さん菅ちゃんをあやしました。何と後にこの菅子さんが留学先のフランスで知り合ったシャールとの結婚式の司会をすることになりますが、二人は後に沖縄に移住し、レストランを経営します。先生とお嬢さんが五反田の事務所に来られたり、安謝中のクラスメート共に箱根で会食したり、豊中のご自宅や大阪で何度もお会いした思い出があります。こうした先生の思い出を後に琉球新報紙上で「私の師」として2回に亘りコラム掲載したところ、連日沖縄在住の先生の同期から大阪に連絡があったとのことも忘れられません。こうした先生との様々な思い出は私のBLOGに数回に掲載されています。新川先生!安らかに!