”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「久々の関東沖縄IT協議会例会」

2016年10月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                           
 経営者協会、県人会、WUBとイベントが重なり、なかなか参加が難しかった標記のIT協例会に参加しました。場所は大久保の「関東ITソフトウェア健保(ITS)会館」。紛らわしいのですが首都圏にはこのIT健保協会とは別の東京都情報サービス産業健保組合(TJK)があります。私の創業㈱日本アドバンスシステムはTJK加入でしたが、関東沖縄IT協議会のメンバーはほとんどがこのITS会員。 関東在住の沖縄出身IT経営者のこの集い、平成17年、五反田の旧㈱日本アドバンスシステムで発足から今年で42回目の例会、会員数も70近くになり、ITニーズという社会的背景もあり、躍動しています。久し振りの懇親会参加、座安㈱エルゴ社長と共に発足立ち挙げた往時を思い出し、元気を貰いました。

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「感激の㈱オーム電機訪問」

2016年10月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         
          (ホームページからコピーの吉川本部工場)
 首都圏沖縄出身経営者は飲食サービス業を含め大小数百社が活躍していますが、その中で私が最も尊敬するのは新里和英㈱オーム電機会長です。その理由は八重山出身の新里会長は二十歳過ぎに上京、家電製品製造業のオーム電機を立ち上げ、今日で創業60年、売上230億強、600名を超す従業員、北海道から九州まで10箇所を超す営業・事業所を展開、87歳の現在も取締役会長として、毎日8時過ぎには東京のご自宅から埼玉・吉川の本部工場に出社されています。    これだけの実績を築きつつ、聊かも偉ぶるところなく謙虚な方。敢えて上場の選択はせず、業界活動やマスコミ取材にも辞退遠慮し、本業に徹しておられます。
 以前から会社訪問を希望していたところですが、先日新垣進関東沖縄経営者協会副会長と二人で埼玉県吉川市の「東埼玉テクノポリス工場団地」に展開する5階立て広壮な工場本部をお訪ねし、質素な会長室や椅子無しの立脚方式の会議室に感銘を受けました。
 90歳近い高齢ながら5階までの工場、会議室にエレベーターではなく、階段で上り下りするとの挑戦エネルギーにも衝撃を受けました。
 電機用語のΩ(オーム)からの社名称号でしたが、例のオウム信教事件では称号類似で相当被害を被ったものの社名変更をせず、称号堅持の選択には会長の曰く言い難いフィロソフィー・スタンスを感じます。工場見学後、会長と役職を務めるお嬢さんと4人で「福寿家ー吉川店」で接遇懇親頂いたのには感激の極みでした。             
        

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「英語天才同期の赤嶺君来社」

2016年10月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                    
 久々高校同期の赤嶺君が神田事務所に来訪!その切っ掛けは私が先月琉球銀行の依頼で「M&A・アライアンス」の講演をしたこと。と言うのは彼は琉球銀行OB!赤嶺君は高校時代、飛び抜けた英語天才で英語担任の先生と“英語論争”し、先生を打ち負かしたという伝説保有者。
 当時沖縄で難関NO1の琉球大英文科を卒業し、当時県庁、沖縄電力と並ぶ県内就職3難関の琉銀に悠々就職、その琉銀からニューヨーク大学に留学、帰沖後は頭取専属通訳エリートながら、その後東京の三菱自動車本社に転職、当時、三菱連携先のクライスラー社首脳来日陣の通訳。当時の三菱自動車本社は田町で、私の創業の地・三田と近隣。その頃、港区保健所で保健婦を務めていたこれまた同期の故・知念初枝さんと3人で度々、お昼をご一緒した思い出の共有です。
 ご子息も彼の英語パワーを継承、社内英語共通カルチャーの㈱楽天のアメリカ支社勤務とのこと。相も変らぬ日本語タドタドシイ=英語天才の彼と久し振りの交流歓談でした。

 

 

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“天空海遊”温泉で“いとこ会”

2016年10月05日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                                          
 奄美大島にルーツを持つ母方祖父母系列のいとこが2年に一度集う会。今年は“天空海遊”の愛知県西浦町の温泉宿。新幹線「豊橋」経由で蒲郡へ。名鉄線で乗換え西浦駅からは急勾配道路を送迎バスで往復。ところで、皆さん“蒲郡”を読めますか?勿論地元では有名ですから!私は初めて!何と“ガマゴウリ”。
 今年は近畿開催前回の半分以下の9名。後期高齢の私を“たっちゃん”、“タツヤ兄さん”と呼ぶ、このいとこ連は殆ど兄弟姉妹感覚!
我が3妹弟以外は皆、関西在住。還暦・古希の参加メンバーの話題は互いの記憶交換以外に息子・娘、孫のテーマー。京大在学やニュージランド来日留学生と多彩な親族形成に否が応でも終活以外に次世代未来テーマーに話題は広がりました。
                            

 

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「渡久山前県人会長が浦和西高で講演!」

2016年10月02日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                      
 帰宅の車中に突然、前「東京沖縄県人会長」の渡久山先輩から“重田君!今与野本町!時間あったら!”と電話を頂き、この日、帝京大病院での定期検診・CT撮影を終えての帰宅途中でしたが、何かとお世話になった大先輩のお声掛け、途中下車し、山田しづ子さん経営の与野本町“ギャラリー南風”に向かいました。
 同じ先輩と山田さん、八重山出身同志の誼かと思いきや、高校教師出身、元日教組書記長の渡久山さん、何とこの日は私の自宅近い埼玉西高校で沖縄就学旅行向けの講演依頼を受け上京し、翌日は八重山へ帰郷とのこと。
 この日、渡久山さんを「南風」に案内したのは同じ八重山出身・元大宮工業高校数学教師で、渡久山さんとは八重山高校旧友の宮良さん。その八重山高旧友に埼玉県内高校教師OBがおられるとは、無理を押してのこの日の奇遇に“場所には行け、人に会え”の我が信条を改て感得しました。

 それにしても80歳を越して日本囲碁会館教室に通い、初段を取得、故郷の八重山にUターン、囲碁クラブを開設する等年齢を超えたベンチャースピリッツの渡久山先輩のパワーには感嘆!
 

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「関東古仁屋総会」

2016年10月01日 | 「美ら島沖縄大使」便り

          
 同窓、経営協、県人会とイベントが重なる9月最終週、赤羽会館で関東古仁屋会の㈹62回総会がありました。古仁屋とは奄美大島の名瀬に続く町。「古仁屋会」と称しながら、以前は別市町村だった、我が故郷・加計呂麻島の須子茂村も含む。
古仁屋は私が満州から引き揚げ、沖縄に渡るまでの少学1年から6年まで滞在した懐かしの故郷。小学1年「学芸会」で全校を代表して開会の挨拶をした懐かしの学校。
それ故、共に小学時代を過ごした懐かしの同期はいないかと毎回参加するものの、見つからない。終戦直後のこの6年、同期やクラスの写真は一枚もなく、我が“失われた”期間。因みに在籍した古仁屋小学同期は松・竹・梅・菊組の4クラス200人弱。担任の先生は1年が祈先生、2年、3年が林先生、4年が森先生、5年が藤先生、6年は?奄美特有の一字名の先生。もうご存命は難しいか(´Δ`;)

 

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朝吼夕嘆

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