知床を描く

2022-10-16 00:00:05 | 美術館・博物館・工芸品
月刊経団連誌2022年9月号の表紙は『知床』と題する色鮮やかな絵画。パソナの進めるアート村に所属する川地幸子氏の作品。

知床というと悲惨な事故を思い出す。それについては私も海運関係の仕事をしていたこともあるので注意深く情報を追いかけていて、いずれ私見を書いてみたいとは思っているのだが、性悪二元論のような見方をまったく変えてみると、日常生活から大きくかけ離れた大自然の摂理をないがしろにした様々な誤解の上に起きたような気もする。



心休まる絵画の前に余計なことを書いたが、アート村は障害者の就労分野拡大のためにアーティストを社員化して絵を描くことを業務としているそうだ。20名の社員アーティストがおられるそうだ。

川地氏の談によれば「まだ頂点は見えてきていない」とのこと。頂点は何年前だったかと思い出すような身としてはうらやましい限りだ。

同じく川地氏の話では写実的なものは描けるが、抽象画の方が性に合っているとのこと。頭の中で考えた形が指を通して、絵筆の先からどんどん点々が出てくるそうだ。

この話で、思い出すのが大画家ゴッホ。ゴッホは頭の中では絵がまったく描けなかったことで有名で。ひまわりの連作も、ひまわりの絵を一枚描くころには、実物の花が枯れてしまうので、最初に描いたひまわりの絵を見て次の絵をアレンジして描いている。

有名な糸杉の絵画だが道端に糸杉が並んでいる。糸杉は根が横に拡がらず縦に伸びていくため、墓地の囲いによく使われている。遺体は土葬されていたので根が横に伸びると遺体を傷つけるということで垂直に根が伸びる糸杉が植えられた。つまり、ゴッホは墓地の絵を描いていたと思われる。そこを描く画家って他にいますか?

将棋ペンクラブ大賞(特に文芸部門)

2022-10-15 00:00:55 | 市民A
第34回将棋ペンクラブ大賞は、観戦記部門、文芸部門、技術部門、特別賞とわかれるが、今回特筆されるのは文芸部門だろうか。大賞に松浦寿輝氏の『無月の譜』、優秀賞に芦沢央氏の『神の悪手』が選ばれた。要するに棋界の外部から本物の作家が書いた書である。



となると、それらを選ぶとなると選考委員も重要になることとなる。

ところで、結果が発表された将棋ペン倶楽部誌第78号だが、表紙の絵は沈没船から引き揚げられた物品の中に将棋駒があったことから日本への伝来年代を特定しようという論文によるものだろうが、背表紙に沈みゆく帆船の絵が使われている。船が沈むのは悲しいことであり、後世の調査で引き揚げられた物品に興味を持つ前に、海の犠牲になった人々の冥福を祈りたいものだ。


さて、10月1日の出題作の解答。








今週の問題。



わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

ココナッツオイル、完全に固まる

2022-10-14 00:00:21 | あじ

急に気温が下がった結果だろうが、フィリピンの友人から頂いたココナッツオイルが固形石鹸のように固まってしまった。二本頂いた時は25度以上あったのだが、急に10度台になる。朝は室内も冷えているので完全に固まっている。



バターの代わりにパンにスプーン1杯を塗っていたのだが、一旦お湯で溶かして小容器に小分けしてグレープフルーツ用のギザ付きスプーンで削って使っている。鰹節を毎朝かんなで削ることに比べれば(やったことはないが)易しいといえる。

バージンココナッツオイルなので、若干のロット差はあるだろうが、20度で固まる。そういえばフィリピンでは固まらないのだろう。そもそも日本で売られているものは固まっている。実(核)を絞るということは繊維質の核の中に油が液体で満たされているのだろう。品種改良して丈が1メートル位のココナツを作れれば日本でも温室栽培できるような気がする。

地球温暖化を利用して温室栽培を増やしていけば良いように思える。




ところで、温室を使った植物園というのは全国にいくつかあるが、今までで最も驚いた植物園というのがある。北海道苫小牧市にある温帯植物園。関東のどこにでもあるような風景が温室の中にある。

おそらく、近い将来に核戦争で地球に人類が住めなくなると、高額所得者だけが火星に移住するのだろうが、そこには地球の温帯と同じようなドームを作るのだろう。もっとも地下1000mのシェルターに潜んで、火星の人間ドームを狙ってミサイルを撃とうとする独裁者もいるかもしれない。

新書用ブックカバーのこと

2022-10-13 00:00:09 | 市民A
昨日、倉敷帆布の文庫用ブックカバーのことを書いたが、新書用のカバーも購入していた。文庫用はえんじ色だが、新書用は紺色の地に白のストライプ。一色だと、織ってから後で染めたのではないかという疑いをもたれるかもしれないが、二色の織物では最初から糸を規則的に織り込んでいかないと作れない。



製品の在庫ロスを防ぐためには、白糸で製品を作ってから最終段階で売れている製品の色に染めれば季節の終わりにバーゲンする量が減るはずで、ユニクロ方式ということになる。まあブックカバーには季節ロスは関係ないし。

デザイン的にはえんじの一色方式よりいいのだが、問題はサイズ。文庫本はサイズに余裕があり、どんな本でも対応できたが、この新書用は岩波新書のサイズでできている。比べてみると、他の社の新書本は岩波新書より少し大きい。

したがって、このカバーは岩波新書用ということになる。



実は亡父が岩波新書を多数残していた。残してもらいたかったのは探偵小説群だったがしかたない。その新書を少しずつ読んでいる。残されていた本から考えると、隠れ左翼だったのではないか思えるが、確かめるすべはない。

文庫用ブックカバーのこと

2022-10-12 00:00:25 | 市民A
倉敷に住んでいた数年の間に、いくつかの布製品を購入したが、いまでも愛用しているものもある。

それが倉敷帆布のブックカバー。




倉敷帆布というのは、倉敷で織られる帆布(はんぷ)という意味と倉敷帆布(株)という会社の製品という二つの意味がある。帆布とは船の帆のことで、帆船(ヨット)で使われる。

船の歴史というのはある意味で軍艦の歴史のようなところもあり、大航海時代にポルトガル、スペイン、オランダのような海賊国家の興亡は帆船の戦いによっていた。

日本では鎖国期間中に帆船から蒸気船の時代に変わっていき、ペリーが来寇した時は帆船2、蒸気船2だったのだが、全部蒸気船に見せかけるための蒸気船と帆船をロープでつなぎ、蒸気船が2隻分の馬力で1隻を曳航していたそうだ。

つまり、日本での帆船は軍艦用ではなくヨット用だった。



そして、文庫本のサイズは出版社によって異なるのだが、ほとんどの文庫本に使えるのが倉敷帆布のブックカバー。つまり、本よりも二回りほど大きい。

現在、このカバーを付けているのが古本市で購入した「快楽亭ブラック集」というちくま文庫の一冊。快楽亭ブラックというと名前には思えないだろうが「オーストラリア生まれの英国人」。わけあって、明治前半の日本に住み、日本語で探偵小説を書いたり、落語を話したり、奇術を演じたりしていた。

最近、2代目快楽亭ブラックなる人物が登場。本家とは無関係!

イッツ・オンリー・トーク(絲山秋子著)

2022-10-11 00:00:13 | 書評
書名になっている『イッツ・オンリー・トーク』と『第七障害』の中編二作が併載されている。この数か月で絲山秋子の小説を続けて読んでいるが、小説家として巧みであるのか、さまざまなプロットを作り出していて、なかなか飽きる兆しがない。本冊の二つの小説にしても、同一作家が書いたとは思えない。登場人物が多様ということだろうか。



といって、一冊読んだからといって読者の人生観が変わるというようなことはないだろうが、大量に読むと影響があるような気がする。

『イッツ・オンリー・トーク』だが、とある女性が主人公で、引越しの朝、男に振られ、その後、EDに悩む区議会議員とか自殺に失敗した暴力的組織員とか、職業としての痴漢(被害希望女性をネットで集める)、家出した従弟とか不完全男性が次々と登場。人生は無意味であるというのか、無意味でも少しは楽しいというのか、最後は読者に任せる。

『第七障害』。障害とは馬術の障害競技。国体を目指す女性が主人公。練習中のミスで人馬転倒するときに愛馬が彼女を踏まないように三本足で着地したことによる骨折を負い、殺処分となってしまう。このことを心の深い傷として長い期間抱えてきた女性が様々な変な男の登場のあと、再び事故のあった馬術練習場に立つ。こちらの方がいいという読者もいそうだ。

量産型の作家ではない分、ストーリーに淀みがなく(読者の予想していない展開ではあるものの、「そうか」と納得する方向に進む)、読後感が非常に良い。

珍鳥ベニイロフラミンゴ

2022-10-10 00:00:06 | 美術館・博物館・工芸品
上野動物園でフラミンゴを観察。結構、有名な鳥だが飼育が大変で、どこにでもいるということではない。

生息地も暖かい場所で、食べ物や天敵の関係で、主に塩湖に住み、湖の藻やエビ類を食べている。その食べ物の中に羽が赤くなる物質が含まれているということらしい。



気になったのは、よく動画で見る数万羽の飛翔だが、どうも空を飛ぶための助走距離が25mと長いため、直線が続くような飼育だと空を飛ぶ心配はない。

羽が赤いのは食べ物の中の成分によるもので、動物園では色素を餌に混ぜている。

片足で立つことが多く、原因は「足が冷たくならにように」するからだそうだ。
冷え性で夜中に目が覚める人は、片足立ちのまま眠ると良いかもしれない。

なお、千葉県にはかつて「行川(なめがわ)アイランド」といってフラミンゴショーで有名な場所があったが現在は会社清算してしまった。JRの駅名としては「行川アイランド」の名前を残している。

上野のプレーリードック

2022-10-09 00:00:24 | 美術館・博物館・工芸品
先週、上野に行ったついでに動物園に行ってみた。その日までパンダ親子の拝観には事前予約が必要だった。翌日からは単に列に並べばいいということになっていたらしい。もっとも母子といってもこどもはどんどん大きくなり、大きくなると親子の差が少なくなって人気にも陰りが見受けられるようだ。



特に強い目的はなかったのだが、初めて見る珍しい種類の動物を意識していたら、プレーリードッグが飼育されていた。アメリカではごく一般的な動物らしく、多すぎて駆除までしているようだ。もぐらのように穴を掘って平原に巣穴を作るため、人間や家畜が穴に足を取られ、転んで骨を折るらしい。といっても骨折して歩けなくなった人間や牛の肉を食べるわけではなく、イネ科植物やアルファルファといった牧草が大好きだそうだ。そういった植物には、いわゆる害虫がいて、それも栄養素の一つらしい。

大きさは一頭20センチぐらいかな。餌が豊富で小太りの感はある。見た感じでは二つのグループがあるようだが、大平原ではないので近接して生活している。

食事中だったが、近くにカラスが飛んでくると、見張りがキャンキャンと声を出し、一斉に食事を中断し、警戒モードに入る。この時の鳴き声が犬の声のようなのでリスの一種なのにドッグと名前が付けられている。



そして、画像はとれなかったが、この二つのグループの餌場や巣穴の間を忙しく動き回る小動物がいた。よく見るとネズミだ。そもそも動物園にネズミがいるのも奇妙なものだが、ネズミを飼っているとは書かれていないので、闖入ということだろう。そもそも穴を掘って入ってきたのかもしれないが、それでは穴を掘ってプレーリードッグが逃げ出したりすることもあるだろう。よくわからない。

もっともネズミだってトラやライオンの近くにはいかないだろうからプレーリードッグは安全と思っているのだろう。

しかし、プレーリードッグの生態を調べてみると、オスを中心とした群れで生活し、群れ同同士は激しく争い、wikipediaの記載を読むと相手の群れのオスを捕まえて生き埋めにすることがあるそうだし、近づいたリスなどを殺害することがあるそうだ。だが、生き埋めにされたオスが穴を掘って逃げ出すことも多いそうだ。

排他的な残忍さや、行動のずさんさといった特徴は、人間と同程度だろう。迷い込んだネズミの運命は?

とっておきのエルモ(細川大市郎著)

2022-10-08 00:00:06 | しょうぎ
エルモとは「エルモ囲い」のこと。対振り飛車の居飛車側の囲いのことで、コンピューターが考え出した囲い。一般に対振り飛車は船囲い、左美濃、居飛車穴熊の順に固くなるとされるが、完成までの手数がかかるために速攻に弱い。一方、船囲いは美濃囲いよりも組むのは早いが攻め込まれると無抵抗になる。その中間で、短手数で組める一方、それなりの抵抗力がある。中負担中福祉の日本の社会保障制度のような感じだ。


大勢の子どもに将棋を教えている都合で、さまざまな戦型をこなさないといけない。こどもたちから戦型指定で教えてもらいたいとの声もあるし・・

エルモ囲いについては村田顕弘六段の名著があるらしいが、本書の中で細川氏は村田書はすばらしいが、さらに修正しているというような内容のことを書いていて、本書を読めば村田書は読まなくてもいいともとれるように感じなくもない。

実戦は書籍通りには進まないし、有利に見える局面でも勝つのは大変だし、したがって有利ではないということもあるので、やはり将棋は難しい。


さて9月24日出題の詰将棋の解答。







今週の問題。



解ったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

ペーボ教授「古代ゲノム解析」で受賞

2022-10-07 00:00:03 | 市民A
ノーベル医学生理学賞を受賞したペーボ教授だが、ネアンデルタール人とホモサピエンスの交配がかつて行われていたことを証明したのだが、さらにシベリアでデニソワ人というネアンデルタアール人から分岐した別の人類の存在も明らかにしていた。

その後、この分野ではデニソワ人には基本的デニソワ人(アルタイ・デニソワ人)、ヒマラヤ以南のアジアに住むデニソワ人、パプアニューギニアに住むデニソワ人の3種があることがわかり、地域によってこれらの混ざり方が異なることがわかってきた。

3万年ほど前にはネアンデルタール人と交配していない純粋ホモサピエンスのアフリカ人、ネアンデルタール人と交配したヨーロッパ人、デニソワ人と交配したパブアニューギニア人、ヒマラヤ以南のデニソワ人と交配したアジア人ということになる。複雑すぎる。

日本人の起源は、アルタイ・デニソワ人らしい。その後、中国北部、南部、シベリアなどから何派に分かれた波が押し寄せている。アフリカから逃げてきても、ついに追い詰められてしまった。

しかし、かつて、ホモサピエンスには差がないことになっていたが、いくつかの種類のデニソワ人と交配したりしているので、それによる結果としての優劣問題での差があるのかないのかというようなことにならなければ良いのだが。

袋小路の男(絲山秋子著)

2022-10-06 00:00:02 | 書評
絲山氏の小説を、これで三冊読んだ。『逃亡くそたわけ』『海の仙人』、そして本書。前の二冊は、小説全編を通じて「閉から開」という世界の作り方だったが、本書の三つの短編はどうにもこうにも閉ざされた関係性のまま始まり、そのまま閉ざされたまま終わってしまう。



なんとなく村上春樹の『ノルウェーの森』の前半の息苦しさと同質なのかもしれない。村上春樹の後継者とも言われているらしいが、確かに重いテーマを軽く書く能力があるようにも思える。

一方、小説家なのだから、関係性を未来に向けて広げたり閉ざしたりは自由なのだから、本作は意図的に進展しない人間の関係性を書いたのだろう。男と女の関係って、意外とこれがリアルなのかもしれない、と思うが、そういう小説でいいのだろうか。

予定では、年内にあと2~3冊、著者の小説を読んでみようかと思っている。毎年100冊の本を読むことにしていて、コロナのせいか今年は早めに目的冊数に達しそうで、長すぎて毎年手を付けていない何冊かの重たい本を100冊の後、ついに読み始めようかと思っている。(思うだけで実行しないのが毎年のことなのだが)

川柳とて解釈は難しい

2022-10-05 00:00:17 | 書評
上野にある川柳発祥の地の記念像は金色のあひるだが、あひるである理由は、川柳三賢人の一人である呉陵軒可有(ごりょうけんかゆう、あるいは、ごようけんあるべし)の読んだ句にある。像の下には書かれているが、

羽のある いいわけほどは あひるとぶ

普通に、現代のサラリーマン川柳的に読めば、

一応、羽をもつアヒルのくせ、飛ぶ気もないと思われたくなく、ちょっとだけ低空飛行をしてみる。

どこの会社にもいるだろう窓際の高給取り。たまに、重い腰を上げて誰でもできる簡単な仕事をする。



ところが、この一見平凡な句に意外な解釈があるそうだ。

もしも羽があれば、空を飛びたい。夢があれば挑戦したい。

まるで意味が違う。

時は江戸時代だ。封建制度があり、職業選択の自由もない。閉鎖性の高い社会だった。羽さえあれば、その分だけでも空を飛んでみたい。ということではないだろうか。

金色のアヒル

2022-10-04 00:00:02 | 美術館・博物館・工芸品
上野に用があり、京成上野駅の近く(つまり西郷どんの足元)に金色に輝く物体を見つけた。金色を見ると、思わず足を速めるのだが、「川柳の聖地」のようだ。



川柳の原点 誹風柳多留発祥の地

と、なっている。

歩道なので、立ち止まるわけにもいかず、後日調べると、奥が深い。

川柳といえば、柄井川柳というのが常識なのだが、そう簡単な話ではないようだ。川柳が江戸時代を代表する演芸の一つになったのには三人の功績がある。

まず、柄井川柳。実は、句合わせの会に参加費と賞品をつけて盛り上げる企画を立て、その選者になっていた。膨大な量の投稿があったと思われている。しかも手書き原稿だから読みにくい。川柳を投稿するために、文字を習った者も大勢いたのではないだろうか。

次に、呉陵軒可有。柄井川柳の選んだ作品を頭の17文字(五七五)のみにして誹風柳多留という川柳誌にして発行していた。可有は作者としても一流で、アヒルの像の下には、

羽のある いいわけほどは あひるとぶ 木綿

と、刻まれている。木綿は可有の号である。そして川柳の賞品でもあった。

そして三人目。花屋久次郎。誹風柳多留の版元。星運堂という版元だった。いかにも星占いのような名前だ。柳多留は版を重ね1765年の第1編から1838年の第167編で終了した。なお三代目花屋久次郎の時、1822年に星運堂は倒産している。

そして、句会が開かれたのも星運堂があったのも、この上野の公園の山裾であった。

記念のアヒル像が置かれたのは2015年。ちょうど250周年記念だったのかもしれない。

そして、このアヒルの句だが、その意味の解釈は簡単ではない。
(続きは翌日)

「暦のしずく」連載開始

2022-10-03 00:00:07 | 書評
朝日新聞の土曜版「be」紙に沢木耕太郎氏の『暦のしずく』が始まった。土曜ごとの連載なので、どうなるのだろう。



沢木氏といえば、あちこち足で取材して書く手法であるが、初回は日本芸能史の中で純死刑になった人の考察で、純粋に芸のみで死刑になったのは一人しかいないという話になる。

その人物は、講釈師:馬場文耕。(1718年-1759年)

これから連載が始まるのに馬場文耕について詳しく書くのはおかしいが何らかの理由があるのだろう。

進展を待つことにする。

ところで、講釈師とかマッサージ師とか「師」をつける職業と、公認会計士のように「士」を使う職業とに分かれる。どうも「師」の方が格下の場合が多い。代表例が「ペテン師」かな。教師というのはどうなのだろう。

真里谷城跡、早々と下城

2022-10-02 00:00:22 | The 城
千葉県の中南部(上総国)は丘陵地帯が広がっている。といって高い山があるわけでもないが、あまり人が住んでいない場所が多い。千葉県は海岸の近くは住みやすいわけで、あえて丘陵地帯の奥に住む人は少ないのだが、なぜか規模の小さな城跡が多い。

というのも室町時代の中期になると関東は群雄割拠となり、上総でまず根を下ろしたのが真里谷(まりやつ)武田氏。武田信長という強そうな人物が、1456年に真里谷の地に真里谷城を定めた。どうして、こんなに人里離れたところに城を作ったのかは謎だが、単純に推測すると、人が住んでいなかったからといえるのではないだろうか。どうみても山林で、付加価値があるわけではない。21世紀前半の我々だって行くのが大変だ。鉄道駅からは3キロだが、道は曲がりくねった上り坂。ナビ付の車でも道幅が気になる道だ。



実は、近くのゴルフ場によく行くのだが、最近、途中の道が混むため、いつもよりも30分前に出ると、1時間以上前に着きそうだったので、ちょっとだけ道を変えれば行ける。しかし、事前にネット上の経験談を読むと、登ってから降りるまで45分だが、足が滑りやすいので注意が必要と、転倒した人からの忠告が書かれていた、つまり登り始めると、ゴルフには間に合わない。どこかでUターンが必要になる。



ということで、入り口にあたる「木更津市青少年キャンプ場」の駐車場に辿り着くが、そこには残念な表示板があった。つまりキャンプ場は休場中なので中に入らないようにということ。もっとも誰もいないのは明白なのだが、他人の敷地に無断侵入すればいいのだが、何しろ、滑って転ぶと谷底ということになりかねない。

全体の雰囲気を感じたので、いきなり下城ということになる。

なお、この地は戦国時代の終わりごろには北条氏と里見氏が争うことになり、多くの血が流れることになる。

無断侵入して崖から落ちてもキャンプ地が休場していれば、発見する者もいないはず。500年以上前の無名の戦死者と枕を並べることになる。100年後に考古学者に発見され、「室町時代には虫歯の治療も行われていた」という論文が発表されるだろうか。