出島和蘭商館

2022-03-06 00:00:15 | 美術館・博物館・工芸品
江戸時代、唯一世界と繋がっていたのが長崎。オランダと中国と。そして、オランダ人が日本国内に西洋文化をみやみに流行らさないために出島という小さな人口島を作り、そこに住まわせた。日比谷公園何分の一かの場所に、住居や商館や輸出入のための倉庫や加工場まであった。

おそらく観光目的だろうが、それらが復元されている。予想以上に本格的だ。

ただ、江戸時代の出島は長崎港内に突き出た扇型の島だったが、そこから先に埋立地ができたため、現在は陸の中にある。近くの港湾は出島ワーフと呼ばれているが、そこを探しても島はない。



といっても入口には大きな橋が架かり、感じは出ている。

オランダは当時インドネシア(ジャカルタ)に貿易基地があり、長崎と欧州の中継地だった。日本からは銅の輸出が盛んだったようで、それらは欧州では武器(銃弾?)の真鍮用に使われていたようだ。

また欧州では中国の景徳鎮の磁器の人気が高く、オランダは日本(伊万里)を第二の景徳鎮にしようと様々な努力をしていた。(その結果、佐賀鍋島藩は多くの財を作り、幕末は英仏から武器を買い込み、薩長の財布役になっていた)



商館は手狭なため居住空間と執務空間は近接していたが、それらは畳の部屋になっていて、少し驚いた。板張りの洋室も大部屋が一つあったが、板張り部屋の維持費はオランダで、畳張り部屋の維持費は日本側とのこと。靴をどうしていたのだろうか。



商館長や副館長の居間は畳の上に大きなベッドが置いてあり、隣室はいわゆる現地妻の部屋だったようだが、商館員たちは通いの遊女を呼んでいたようだ。どちらの国が費用を負担していたのかは不明。あるいは個人負担か。



入口に近いところに考古館という目立たない建物があるが、これが館内の総てがお宝の山だ。

実は、長崎は今秋、新幹線が開通する。そのため、駅前をはじめ、市内の多くの観光スポットが工事中。まだ受け入れ準備が整っていないせいか、市内には地図もないし、市電一日乗車券もスマホと格闘して結局買えなかった(アプリと入れて会員登録して・・・)。

歩いても十分だし。