確定申告締切前日の混雑

2022-03-16 00:00:59 | 市民A
3月14日は月曜。翌15日が確定申告締切日でこれを過ぎると色々と支障が出てくる。ところが14日のお昼ごろE-TAXがダウン。自分的には13日の深夜に提出前の見直しをしたところ健保支払い額の入力を忘れていたことを発見。一応、直して再プリント。

昨年、先祖代々の山林や農地を宅地と一緒に譲渡したのだが、未登記物件や実在しない建物があったり。おそらく江戸時代から明治時代初頭に手に入れたらしく、登記簿や売買の書類も和紙に筆で書かれていたり。売却するにあたり30年前に登記しなかった家屋を今回登記した費用は取得原価なのか譲渡費用なのかとか、道路と宅地の間の水路の上の橋の扱いとか大量の資料を鞄に詰めて税務署に行くが、長蛇の列。

署員と相談しながら作る作成コーナーは朝9時なのに、本日分はほぼ終了。どうなったかな。提出だけの人の列も100人ほどいる。

実際、観察していると締め切り寸前に駆け込む納税者には二通りの人が多いこと。
一つは、金持ち系:添付資料を大量に持ってきて、納税額を札束で納付窓口で支払う。

もう一つは、マルビの人。僅かな還付金が入金されるのが2か月と言われ、青くなっている人。

どうも、変な社会になっているようだ。憲法では基本的人権の尊重は謳われているが、かといって私有財産については認めているが(私有財産を認めていることがはっきりわかる条文を探すのは難しいが、ないわけではない)、私有財産の平等とは書かれていない。

海に面した大三東駅

2022-03-15 00:00:35 | たび
長崎から島原方面に足を進める。諫早(いさはや)駅は長崎新幹線の駅でもあるし、ここを起点として島原鉄道が島原方面に向かっている。そして、一両電車の鉄道にしばらく乗ると『大三東(おおみさき)』という駅がある。日本で一番海に近い駅と紹介されている。



実は、最も海に近い駅としてメジャー?なのが、JR東日本鶴見線の支線の海芝浦駅。東芝の敷地内にある駅だ。これも同程度に海に近い。どちらに軍配を上げるかということだが、わずかに大三東が優位と言えるかもしれない。というのも、海芝浦の方は本来は海のそばなのだが、この先に横浜から川崎まで埋め立ての島があって、海ではあるが運河のような形状になっているからだ。駅には何の関係もない話だ。



ところで、大三東駅が特に最近脚光を浴びているのは、一つは黄色いハンカチ。映画の黄色いハンカチとは異なって、神社の絵馬と同じように願い事を書き、本来は秘密のはずの事を多くの人の好奇心の前にさらすことにより、パワーを増大させ現実化させようというわけだ。



実は、読むと弔い系で悲しくなるハンカチもあるが、愉快なハンカチもある。人それぞれだ。傑作は、“めざせ〇〇〇〇”。深読みすると、かなり悲しい現実があるのかもしれない。



そして、もう一つの脚光理由だが、この駅がキリンレモンのCMのに使われたそうだ。上白石萌歌さんが歌を歌った。そして彼女もまた黄色いハンカチで願掛けしたそうだが、彼女のハンカチは雨ざらし風さらしではなく島原駅の駅舎の中にありガラス越しにてみることができる。上白石萌音さんだと思っていたが、ハンカチを観察すると、妹の萌歌さんの方だった。

久しぶりのクロッカス

2022-03-14 00:00:55 | 市民A
狭い庭の一角で芝の枯草の中からクロッカスが一輪咲いた。



もともと20年ほど前に引っ越してきた時に、小さな臨時花壇を作って球根を植えたのだが、その後、不粋にも芝を敷いてしまったのだが、三個の球根から毎春、花をつけていた。

そのうちに数が減ったり、ゼロになったりしていて、球根の寿命から行っても限界なのか子株、孫株が代替わりしたのかわからないが、何本かが生えたり生えなかったり。昨年は姿をみなかったような気がする。

時節柄、大国のわがままに翻弄される周辺国の長年の抵抗のようにも感じてしまう。

そういえばクロッカスの分布だが地中海から小アジア地域が原産で、ちょうどウクライナはクロッカスの分布域の北限で、ロシア領では黒海に面する僅かな地域にのみクロッカスの一種が自生しているようだ。

少しでも暖かい土地が欲しいという気持ちはわからないでもないが、・・・

国土はありあまるほど広いのだから温泉でも探せばいいだけなのに。

がまだすドームから雲仙を眺める

2022-03-13 00:00:46 | 美術館・博物館・工芸品
31年前に爆発した雲仙普賢岳(正確には平成新山)は43名の犠牲者を出し、火砕流は海岸から有明海にまで流れていった。一応、5年間で火山活動は終わったと判定されているが、言うまでもなく活動は突然始まったりするものだ。

その時に海に流れ出た土石を積み上げてできた平地に立つのが「がまだすドーム」と言われる記念館。「がまだす」は「がんばろう」という意味の地元表現だ。



ということで、場所は海辺である。入場すると、当時の緊迫した状況がシネマ化されていて、見ているとわかる。犠牲者の多くがマスコミで、「危険ではあるが命に別状あるわけはない」と高をくくっていた。



さらに、雲仙で有名なのが「島原大変肥後迷惑」ということば。日本史上最大の地震被害を出した。1792年5月21に雲仙普賢岳が火山性の地震を続けていて、その結果、一番海に近い眉山が山体崩壊を起こしてしまう。



現在でも山の片側が崩れた後がある。その土砂が一気に下り有明海に到達して大津波を起こす。有明海をはさむ肥後(熊本)では約5000人が亡くなる。熊本に上がらずに再び島原に返し波が来てしまう。島原側の犠牲は10000人と言われる。

そして現代。ドームの一帯は土砂を埋め立て平地にしている。また畑地には玉ねぎなどの野菜が植えられていて、新しい家が何戸か建てられている。

不正防止のこと

2022-03-12 00:00:49 | しょうぎ
将棋連盟の支部会員なので、時々支部ニュースが来る。あまり熱心な支部ではないので関係ないのだが今回のトップ記事は全日本アマ名人戦。アマチュアにとっては最も名誉ある棋戦だが、支部会員でなくても出場できるという矛盾もある。



記事の中で驚いたのが、不正防止の話。携帯電話管理ルール。新たにできたルールなのか、過去からあったが自戦記を書いた方にとって初めてだったのか、読んでもわからないので独断できないが、今回からということなら、なぜ今頃になってということ。何かあったのだろうか。

もともと職団戦に出ていた時もA級かB級か覚えていないが切れ負けの時計があるのに、相手チームの一人が時々退席して戻ってきて好手を放つという異様行為を続けられたことがあった。離籍中のアドバイザーがAIなのか人間なのか不明だし、証拠を積み重ねることも不可能なので泣き寝入り。

数十年前の頃の県予選では、対局している当事者の周りにギャラリーがいて、グループ応援団のような雰囲気で、事実上の助言行為横行のような中、単騎で大苦労したこともあった。


さて、2月26日出題作の解答。









今週の問題。




わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

『スターリングラード 史上最大の市街戦』(2013年 映画)

2022-03-11 00:00:12 | 映画・演劇・Video
第二次大戦の転換点となった1942年から43年にかけてのスターリングラード攻防戦の映画。ロシア側からみた映画だ。単に『スターリングラード攻防戦』は2001年に西側各国の共同制作で公開されている。

いまどき、ロシアの戦争映画を観るからといって、ロシア軍の弱点を探し出して作戦を立案しようというわけではないが、なんとなく見えるものもある。スターリングラードは、現在はヴォルゴグラードと呼ばれる。ドイツ(枢軸国)側はカスピ海からイラクにかけて存在する油田を手に入れようとするが、途中にあるスターリングラードのソ連軍が立ちはだかる。そのため、スターリングラードを手中にいれるために大兵力で攻め込むが、最悪の市街戦に突入。200万人が亡くなったといわれる。港が見える鉄筋コンクリートのアパートをめぐる争奪戦が熾烈をきわめる。

この映画はあくまでもロシア映画なので、ドイツ人を徹底的な悪人として描いている。民間人保護の話だが、この両軍にとって民間人保護というのは、まず、市街地への無差別攻撃を行い、生き残ったものの行くところがなくなった民間人だけが保護の対象と考えていたようだ。無差別攻撃での犠牲者は対象外ということ。

結構、戦闘シーンはリアルな感がある。最後の方で登場したドイツ軍の巨大戦車は、鉄の塊のような強烈な物体だ。アパート攻防戦は一階と二階で撃ちあいになり、死体は窓から外にポイされる。

そもそもスラブ民族とゲルマン民族は歴史上は戦い続けているわけだ。今でも。

ごぼてんうどんもご当地メニューだったか

2022-03-10 00:00:38 | あじ
お昼にヘビーなものを食べたため、夜は軽いのがいいなあと長崎駅の近くのうどん店に入る。なにげなくメニューを見ると「ごぼう天うどん」というメニューが最初のページにある。エビ天とかかき揚げとかイカゲソといった華やかさはない。植物の料理だ。シンプル。小考の末、注文。

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ところが、食べてみるとごぼう天がうまい。前歯で嚙み切れるごぼうだ。食後のつまようじは要らない。

あえていえば、手前がねぎではなくごぼう天になるように配膳してほしかったということだけ。

横浜の自宅に戻ってから調べてみると、ごぼう天うどんは九州ではよく食べられるメニューだったようだ。

まあ、旅ってそういうものだ。

美しすぎる夜景

2022-03-09 00:00:33 | たび
長崎をウロウロしているうちに暗くなってきて、夜景を見に行くことにする。長崎駅前から稲佐山に上るロープウェー駅まで無料送迎バスが長崎駅前から出るはずで探したが、新幹線開通に向けて大工事中で、どこに行ったらいいかわからず、別のバス発着場に移る。観光客は来ないものと決めつけないでほしいな。

何十年か前に観光バスツアーで来たときには思い出がなかったので、晴れてなかったのかなと思いながら、ロープウェーに乗ると、徐々に下界が遠ざかっていく。そして稲佐山の頂上から眺めると、美しい夜景が開けていた。



実は、日本三大夜景とか世界三大夜景というのを覚えていて、日本三大夜景は、神戸、函館、長崎。世界三大夜景は香港、リオ、函館だったような覚えがあったが、最近は、「新日本三大夜景」とか「日本新三大夜景」とか「世界新三大夜景」とかになっていたようだ。

ちなみに日本新三大夜景は、長崎・札幌・北九州あるいは神戸らしい。函館が落選したようだ。さらに神戸は六甲山からの夜景ではなく摩耶山から夜景が勝るそうだ。世界新三大夜景はモナコ・長崎・上海だそうだが、これらの中で群を抜いているのは長崎だと思う。



町に向かって左側は原爆被災があった場所、右側は世界に向かって開かれていた出島や中華街がある港湾地区。さらに右には戦艦武蔵やダイヤモンドグレースを含む大型客船が造られた三菱ドックがある。世界遺産の大クレーン(ハンマーヘッド)もある。

なにより灯りの大部分は個人の家なのだ。そして街の奥の方は山を灯りが上っていく。



ところで、街を見下ろす稲佐山の頂上には、不気味な鉄塔が三本立つ。NHKと民放とFM長崎が使っている。なぜ3本も立ったのだろうか。1本でもいいのではないだろうか。

意外にも立派だった眼鏡橋

2022-03-08 00:00:59 | たび
よく、日本三大ガッカリというのに登場するのが、長崎の眼鏡橋。あとの二つは札幌の時計台と高知のはりまや橋。ずっと以前に観光バスの車中から眼鏡橋を見たがほぼ記憶にないし、実際に観た眼鏡橋はイメージよりも立派だった。

一応、眼鏡橋があるべき場所に二連アーチの橋があるのだが、もっと小さな橋が近くにあるのではないかと少し探したが、もちろんあるわけはない。他の二つのガッカリ案件は、おそらくその物体にストーリーとかヒストリーが少ないのではないだろうか。



眼鏡橋は二連アーチなので、水面に反射する逆さ半円象と合わせて眼鏡のように見えるが、石造りの二連アーチとしては群を抜いて古い。竣工は1634年。当時オランダとともに国交のあった中国の人たちは1万人程度長崎に在住していて、かれらの宗教的拠り所となったのが興福寺。その二代目の住職が中国より技術者を招聘して作ったそうだ。400年近い歴史を持つ。

そして、眼鏡橋付近から市街地は山の方に上っていくのだが、そのあたりに坂本竜馬が開いた「亀山社中跡」があり、当時の建物が再建されていると言われる。道は良くわからないが勘を付けて歩いていくと、山の中腹まで伸びているように見える長い坂の入口に、「亀山社中まで200m」と書かれていて、10秒ほど熟考した末、丘登りは断念した。ちょっと体力が・・・

なぜ、こんな斜面地に交易会社を作ったか謎に満ちているが、私なりに考えると、背後に山というのが、逃走を続ける竜馬にとって一つのパターンなのではないだろうか。もともと竜馬は土佐藩士だったが、ある時、山を越えて脱藩している。実は、脱藩したということで、高知県人は冷ややかな目で見ているらしい。

会社が急襲されれば、すぐ逃走できるように考えていただろう。



亀山社中を取りやめたので、長崎市の博物館を覗く。現在改装中ということで、いくつかの展示室がクローズで割引料金になっていた。すべてが秋に開通する新幹線のためだろう。有名な竜馬の写真の脇には30年後の竜馬の顔の想像図が展示されている。ロシアの交渉団のような悪辣な面相だ。

長崎新地中華街

2022-03-07 13:31:02 | たび
長崎では、日本三大中華街と言われる『長崎新地中華街』だが、三大といっても中華料理店の数を誇っているわけではないと思う。横浜、神戸、長崎と比べても、それをささえる都市の人口が10:3:1ということで、規模的にはそういう感じだ。



しかし、特筆すべきは、その歴史。江戸時代のいわゆる鎖国の中で、開かれていた唯一の都市と交易していた二つの国(オランダと中国)の接点が長崎。出島は有名だが、実際には出島にいたオランダ人は数十人規模で、いわゆる長期出張者だったのにもかかわらず、中国人は1万人も生活していて、多くは永住していたそうだ。

中国人も日本人との接点は抑えられていたが、緩やかなものだったようだ。当時の世界は西洋による世界制覇が始まった頃であった一方、中国は明を倒した清にはまだ外に向かう力はなかったし、もちろん警戒はしていただろうが、脅威を感じていなかったのだろう。



「新地」といっても江戸時代初期の頃で、中国との交易に使う倉庫が火災で焼失した後、今の湊公園のあたりに中国関係者一同が移り住んだことによるそうだ(といわれている)。

長崎ちゃんぽんもこの中華街発祥と言われるが、長崎と関係が深い福建省の味なのだろうか。早朝の街を歩いたので開いている店はなかった。朝粥の店とかも発見できず。

出島和蘭商館

2022-03-06 00:00:15 | 美術館・博物館・工芸品
江戸時代、唯一世界と繋がっていたのが長崎。オランダと中国と。そして、オランダ人が日本国内に西洋文化をみやみに流行らさないために出島という小さな人口島を作り、そこに住まわせた。日比谷公園何分の一かの場所に、住居や商館や輸出入のための倉庫や加工場まであった。

おそらく観光目的だろうが、それらが復元されている。予想以上に本格的だ。

ただ、江戸時代の出島は長崎港内に突き出た扇型の島だったが、そこから先に埋立地ができたため、現在は陸の中にある。近くの港湾は出島ワーフと呼ばれているが、そこを探しても島はない。



といっても入口には大きな橋が架かり、感じは出ている。

オランダは当時インドネシア(ジャカルタ)に貿易基地があり、長崎と欧州の中継地だった。日本からは銅の輸出が盛んだったようで、それらは欧州では武器(銃弾?)の真鍮用に使われていたようだ。

また欧州では中国の景徳鎮の磁器の人気が高く、オランダは日本(伊万里)を第二の景徳鎮にしようと様々な努力をしていた。(その結果、佐賀鍋島藩は多くの財を作り、幕末は英仏から武器を買い込み、薩長の財布役になっていた)



商館は手狭なため居住空間と執務空間は近接していたが、それらは畳の部屋になっていて、少し驚いた。板張りの洋室も大部屋が一つあったが、板張り部屋の維持費はオランダで、畳張り部屋の維持費は日本側とのこと。靴をどうしていたのだろうか。



商館長や副館長の居間は畳の上に大きなベッドが置いてあり、隣室はいわゆる現地妻の部屋だったようだが、商館員たちは通いの遊女を呼んでいたようだ。どちらの国が費用を負担していたのかは不明。あるいは個人負担か。



入口に近いところに考古館という目立たない建物があるが、これが館内の総てがお宝の山だ。

実は、長崎は今秋、新幹線が開通する。そのため、駅前をはじめ、市内の多くの観光スポットが工事中。まだ受け入れ準備が整っていないせいか、市内には地図もないし、市電一日乗車券もスマホと格闘して結局買えなかった(アプリと入れて会員登録して・・・)。

歩いても十分だし。

将棋用語「頓死」の意味

2022-03-05 00:00:21 | しょうぎ
将棋ではよく気が付かないうちに、一気に詰められることをトン死と言ったりする。年配棋士だと「トンコロ」といったりするが報道されないので、いずれ消滅単語になるだろう。

漢字で書くと「豚死」ではなく「頓死」となり、一般用語である。三省堂の明解国語辞典第六版に拠れば「ひょんなことが原因で、あっけなく死ぬこと。(将棋で、王が詰められる意にも用いられる。)」となっている。国語辞典によれば「ひょんなこと」とは、予想もできない小さなことということである。

一方、東京堂書店の「日本将棋用語辞典」では、「頓死」は、「取る」の後で、「長い詰みより短い必死」の前にある。頓死:詰まない玉が逃げ方を間違え詰んでしまったこと。となっていて、「大山・升田の高野山の決戦での頓死」が紹介されている。

つまり、いずれにしても何らかの原因があって詰まされてしまった場合が該当するわけだ。

将棋用語辞典では、「逃げ間違い」の場合に限定しているが、現実的には「詰みに気が付かずに詰まされる」ことが多いのではないだろうか。同じようでも「詰みには気が付いていても受からないのは確実なので、相手の王に詰めろをかけた」場合は、頓死とはいわないだろうから客観的には見分けは付きにくい。いくら読んでも読み切れないまま、詰まされる場合も頓死とはいわない。単に「弱い」ということだろうか。プロ棋界でもここ数年、多い。


さて、2月26日出題作の解答。








今週の問題。



わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。

どんぶりサイズの茶碗蒸し

2022-03-04 00:00:24 | 市民A
長崎名物の食べ物といえば、・・・

数多い料理の中でも異色なのが、『吉宗』の茶碗蒸し。なにしろ大きい。

ちょうどお昼時だったが、マンボウ下である。空席のある店内へ。

茶碗蒸しと蒸し寿司のセットをいただく。



茶碗蒸しの楽しみの一つは、表面には見えない具材が何かという推理感。表面にはカラー蒲鉾が見えているだけだが、内部に潜んでいるのは通常の茶碗蒸しと同様に、銀杏、椎茸、海老、そして穴子である。これだけの量があると、達成感がある。

なお、三色蒸し寿司の方だが、錦糸玉子、でんぶの他、そぼろ煮が表面を覆っているが、これが鶏肉ではなく、煮穴子である。

ところで店名の『吉宗』だが、「よしむね」ではない。「よっそう」と読む。慶應年間に吉田宗吉信武氏が店を起こす。氏名から店名を作ったようだ。宗吉信武とは長い名前だ。宗吉と信武と二人分だ。

現代的速度感

2022-03-02 21:10:15 | 市民A
ロシア軍侵入後、約1週間で欧米日による経済封鎖網ができあがった。80年前の日本の状況にあてはめると、

1937年7月 盧溝橋事件から日中開戦
1941年8月 ABCD包囲網で対日経済封鎖に至る(米英中蘭)

4年後だったが、今回は1週間。

1945年8月 原爆投下
これもさらに4年後だったが、現代のスピード感でいえば、今から1週間後になる。

長崎、軍艦島へ

2022-03-02 00:00:52 | たび
一ヶ月半ほど前、オミクロン株が燃え広がった頃、下火になるのは2月半ばと、専門家たちが言うことを信じてしまって、「では、3回目の接種の後、どこに行こうかと」と考え始めて、長崎にしようと思っていた。

ところが、その後、下火にならずにマンボウ発令となり、さらに延長になった。長崎県も3月6日までは延長になっている。したがって「軍艦島クルーズ」を手掛ける5つの会社はすべてクルーズを3月6日まで中止したのだ。実は、以前に観光で長崎に行った時に、グラバー邸とか原爆関係の施設などは見ていたので、それ以外のスポットを回ろうと思い、その中心が「軍艦島」だった。とかく韓国からのクレームがあり、さらにエネルギーと日本の近現代史は大きな関連がある。しかし、延期と言われればしかない。



しかし、事態はなぜか急変。マンボウにもかかわらず2月20日頃から、軍艦島解禁となった。不思議なことに全5社中、実際に軍艦島クルーズを再開したのは1社だけ。ガイドの方は、80台で元気な年寄りといった感じ。各社のガイドの中でも、もともとこの島(端島)で石炭を掘られていたのは、その方だけだそうだ。

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ということで、天気は晴朗。1社しか稼働していない時期だったので、運航時間に余裕があり、船の右側、左側に旋回してサービスが行われる。「軍艦」と一般名詞で呼ばれるが、「土佐」という戦艦に似ているそうだ。



そして上陸。船着き場から上を見ると、未来都市のように立体化された街(ピーク時5000人超)も、自然の力の前に絶望的なすがたをさらすわけだ。