閲覧注意物のような生物

2019-11-15 00:00:56 | あじ
秋の魚と言えばサンマだが、最近、漁獲量が減っているし、少し痩せたサンマが多い。

理由として、C国のせいにしているが、もしかしたら、サンマは秋の魚といいながら、秋の季節が短くなっているのではないだろうか。本格的な秋の到来とともにサンマの価格も下がり、供給量も増えているようだが、サンマの体に何かあやしい物が付着していた。



最初は、これが生き物とは思えなかった。今まで見た地球上の生物の何にも似ていないように思えた。あえて言うと、寄生虫に似ている。

実は、調べてみると、寄生虫だった。名称は『サンマヒジキムシ』。写真撮影後、落ち着いた気持ちで調べると、ピンク色の奇妙な形態の頭と、ヒジキのような形の胴体と、胴体の後ろに白い紐みたいなのが繋がっている。ネット上の記載だと長さが10センチになるものもいるとなっているが、これは15センチもある。



この奇妙な頭部でサンマの体にしがみつくそうだ。頭をサンマの体に埋めこむらしい。後ろの白いひものような部分が卵胞らしいが、そもそもよくわかっていないことが多いらしい。最初に発見されたのが1981年ということで、その後、急速に増えていったらしいが5年後の1986年から激減しているらしい、

サンマにしがみ付いているのがメスだそうだが、それではオスはどこにいるのかとか、どうやって子孫を増やすのだろう。そもそもサンマにくっ付いてしまうと、サンマの行き先と同じ場所にしかいけないし、単独では泳げないようにも見える。なぜ、特定の年に現れて、増大し、縮小したのか?

ところで、東京の目黒駅の近くに「寄生虫館」という寄生虫を数多くの種類収集した小さな博物館がある。どういう偶然なのかははっきりしないが、寄生虫と言えば目黒、目黒といえばサンマなのだ。

もっとも重要なことを最後に書くのだが、食べても安全だそうだ。といっても、誰かが食べて調べたのだろうか。

平成コインと令和コイン

2019-11-14 00:00:06 | 市民A
造幣局の仕事は、6種類のコインを、規定通りに作ることなのだが、実際にはコインというのは造幣局が作るのではなく、民間の(もちろん大企業)会社が刻印前の金属のコインを既定通り作って、厳重な管理と輸送によって造幣局に持ち込み最終段階のデザインを刻印する。刻印前だって、たぶん自販機では使えるような気がするが、といってもその犯罪は、かなり割が合わない。

もとより、一円玉をトンカチで叩いてどれだけ薄く広くすることができるかを実験するだけで、違法行為らしい。貨幣損傷等取締法違反。1年以下の懲役または罰金20万円。実際は500円玉よりかなり大きくできるし、最後は紙のようになって、縁がパリっと割れる。小学生の時に担任の教員からこっぴどく怒られた。(他のコインは固いからやめた方がいい。手が痛いだけだから。)



そして、少し前に、記念硬貨として平成31年の6種類の硬貨セット、約2000円を購入したのだが、次に令和元年硬貨6枚セットも購入。台紙の色が緑からピンクに変わった。緑というのはちょっと凶事を思わせる色なので、やはりピンクとセットがいい。ところで6種類の硬貨といえば、六文銭をイメージするので、中央に七枚目の謎のメダルが配置されているのだろう。都市伝説の一つに、常に6枚以上の硬貨を持っていないと、突然の不幸に襲われた時に、三途の川を渡れないというのがある。常に666円を用意しておかないといけない。

話を戻すと、この記念硬貨だが通常の硬貨と違う点は、完成品を念入りに磨いてあるそうだ。毎年一回は磨き直す必要があるだろう。歯ブラシと歯磨きでいいだろうか。

ところで、この硬貨セットだが、市場価格が購入原価を超えることはあるだろうか。たぶん、原価超えは次の元号に変わった時だろうが、それを期待してはいけないのは言うまでもない。そもそも次は誰なのだろう。

トランスポーター2(2005年 映画)

2019-11-13 00:00:34 | 映画・演劇・Video
トランスポーターシリーズの第二作。全4作のはずだから、007とかバットマンのように苦戦することもないだろう。

トランスポーター第一作(2002年)では、主役のフランク・マーティン(演:ジェイソン・ステイサム)が人身売買の中国人グループの「運び人」をしてしまい、大事件にまきこまれてしまう。結果として、助けた人間と同じぐらいの人間を犠牲にし、車や街並みなど大破壊という大暴れをしてしまう。



第二作では、悪い仕事からは手を洗うつもりで、フランクはフランスを後にして米国に住所を変えるが、ただしマイアミであった。そこで請け負った運送物は政府高官の息子を通学させるお抱え運転手。上級国民を顧客にしている。

ところが、このこどもが誘拐され、そして怪しい液体を注射される。事件は営利目的の誘拐を装って行われ、FBIはフランクを一味の仲間だと誤認して銃をもって追いかけることになる。警察官は「トランスポーター1」を見ていなかったのだろう。

ということで、フランクは、犯人と警察という二つの勢力と戦うことになり、第一作を上回る市街地の破壊が始まる。被害額は100憶円くらいだろうか。

実際には、こどもが注射されたのは殺人ウイルスで、感染者の息を吸い込むだけで次々に伝染することになっていて、ワクチン争奪戦が始まる。麻薬カルテルが背後にいるわけだ。

第一作がカーチェイス、第二作はカーチェイス+飛行機の中の格闘と進化している。

ある意味、憂さ晴らしとしては面白いのだが、面白くないと思う人もいるかもしれない。スポーツの世界でもそうだが、自分でやった経験のあるスポーツは、観ていても体に力が入るが、経験のないスポーツは今一つ気持ちを傾倒できない。

この映画はカーチェイス、飛行機の中の格闘、格闘、麻薬取引、銃の乱射といった要素が詰め込まれている。あおり運転やリンチ、薬物、ピストル訓練などをやったことがある人には、ワクワク感が強い作品だと思う。飛行機の中の格闘をした方はきわめて少ないと思うが、酔っ払ってフライトアテンダントに暴言を吐いたくらいの人は一万人くらいはいるだろうか。

狼疾正伝(川村湊著 評伝)

2019-11-12 00:00:55 | 書評
評論家川村湊氏の中島敦論。2009年の発行である。中島敦の作品や評伝については、この2か月余りでほぼ目を通したので、生い立ちから33歳で亡くなるまでの波乱の多い人生の航跡と彼の作品の関係性など、実はわかるところは概ね解明されている。

ただ、いくら作品や周辺にいた人たちの証言や、残された書簡をみても、実のところ「彼が何を考えていたか」についてはわからないし、推測するにもかなりの注意深さが必要だ。

また、多くの中島敦評伝の著者は彼の熱烈な愛読者であると思われるのだが、本書の著者は、あまり中島敦も彼の著作も愛していないような気がする。普通の評伝や伝記の著者と異なって、自己主張が強いタイプなのだろう。



本書は過去の評伝からの情報の多くを用いているため、他書と共通することも多いのだが、実は序章からの流れが少し異なっている。というのは彼の「山月記」「李陵」「弟子」といった中国古典を換骨奪胎したような小説が、相当量、戦後の国語教科書に採用されたということから、「教科書作家」であるとして、その国家権力に利用されたのは何故かという切り口から始まるからだ。

実は奇妙なことに中島敦を個人的には教科書で読んだ記憶はない。(覚えてないだけかもしれないが)今どき、詩人になり切れず虎になってしまった秀才の話のどこが教科書的なのかよくわからないし、彼の小説には押しつけがましいところがないため、「どう解釈しても良い」という部分が多い。そこは、ある意味「玉虫色」とも言えるわけで、戦後、国家主義と民主主義の思想的戦いの中で、教師にとっても国家にとっても都合がいいということだろう。一方、中島敦にとっては、思想なんかどうでもいいと思っていたのだろう。

本書にも書かれていないが、初期の作品の中に登場する三造という男だが、ほぼ中島敦そのものと思われている。一方、最後の方に書かれた西遊記関連の小説だが、物語を語るのが沙悟浄であるのだが、無論、西遊記の中心人物は三蔵法師。そして孫悟空、猪八戒と沙悟浄である。このチームリーダーの名前は三蔵であり、読み方は三造と同じだ。何らかの推測がほしかった。


実は、中島敦のことを調べているうちに、多くのサイドインフォメーションを得ている。まあ、余談のようなものだが、今後、いくつか書いてみるかもしれない。

東京サッポロマラソン

2019-11-11 00:00:24 | スポーツ
東京オリンピックの観戦チケットの募集がまもなく始まる。通知メールを読むと、今回募集しない競技がいくつかある。

札幌移転が決まったマラソンだけではなく、『マラソンスイミング』、『総合馬術クロスカントリー』、『トライアスロン』もだ、マラソン、競歩の次の問題が、先回りして予言されているようなものだ。逆に開催が危ぶまれていたボクシング(国技館開催)は今回、始めて売り出される。アマチュアボクシングなのでリングサイドで観戦しても血が飛んできたりはしない(はず)なので、倍率的に当選しやすいこともあり、狙い目かもしれない。

ところで、札幌へのマラソン移転で、大人げない態度をとっているのが、一人+1団体。

まず、小池東京都知事。当選したときにはボートやカヌー、水泳まで会場を他県に押し出そうとしていたのに、実際に競技がなくなることが決まるとむくれている。単に、メンツとカネだけの問題で騒いでいるように見えるが、近視眼と言えるだろう。

五輪の時にマラソンをやらないのだから、むしろ都の変動費は減るはずだ。札幌だってコストは一過性のものだろう。本来、暑いから移転するので、当初のIOCの札幌ドーム案とは例に挙げただけで、できる範囲でやればいいだけだろう。真駒内と円山の競技場が候補になっているようだが、両方ともコースを一周ずつ回っていけばいい。

むしろ、札幌が冬季五輪に立候補をあきらめているのは、規模に見合う投資ができないからなので、フィギュアスケートやアイスホッケー、カーリングなどは東京でやればいい。むしろ冬の五輪でマラソンを種目にして東京で開いてもいい。

一方、観光地巡りの東京のマラソンコースを生かすなら、世界中から有名ランナー呼んで毎年国際大会を開けばいい。

それと最も違和感があるのが、おカネの話。東京都は常識的な範囲ではいくらでも財源があるわけだ。つまり「都債」を出せばいい。羽根が付いているように売れているはず。国債の売れ行きはあまり好調ともいえないが、それに比べると利回りは高く、特にリスクも感じられない。都民ではない私だって都債を買っている。

そもそも何も仕事をしない都知事が何代も続いてもとりあえず大破綻するわけでもなく、なんとなく東京は少しずつ大阪化し、大阪も少しずつ東京化しているように思える。東京都知事というのは単なる政策執行者として選ばれているだけで、東京都の土地の所有者でもないし、都民の支配者でもないわけで、家康が江戸に住み着いてから430年の歴史の単に最後の4年分の政策執行官に過ぎないわけだ。


次に、日本陸連。確かに夏の五輪をめざしていたので文句タラタラなのだろうが、それは「東京の猛暑の中では外国人選手に不利だろうから、あらかじめ暑さに耐えられる選手を選び、コースの特徴に合わせて準備しよう」というメダル獲得作戦を立てていたのだろうが、簡単に言えば「開催国に有利にしよう」ということだろう。主催都市の国が、心の中で思っていても口に出したり文字にするようなことではないだろう。まったく恥ずかしい限りだ。

しかも、冷静に考えれば、現在の実力でメダルに手がかかるとしたら、「涼しい札幌の予定が、たまたま猛暑になってしまった」という場合に限られるのではないだろうか。涼しい場所でも猛暑対策をして臨むことだけがメダルの条件ではないだろうか。

元首相の銅像

2019-11-10 00:00:12 | 美術館・博物館・工芸品
古い荷物を整理していると、銅像が出てきた。鎌倉時代の仏像だといいのだが、そういうことはない。銅像のモデルは、1838年生まれ。1922年に亡くなっている。元総理大臣で早稲田大学の創設者である大隈重信候である。幕末の肥前藩士である。薩長土肥の中の肥であり、影が薄いのだが、実際には長州藩は金欠であり、備前焼を長崎から輸出して儲けていた肥前鍋島藩の資金に頼っていた。

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そして、大隈重信も維新の英雄の一人だったのだが、薩長とは距離を保っていた。現代の感覚では違うのかもしれないが、デモクラットと言われている。

そして、大隈重信像として有名なのは、早稲田大学構内に立つ朝倉文夫作のマント姿である。実は、本物の銅像を見たことがあるし、同じものが日暮里の朝倉彫塑館にある。朝倉文夫は3体の大隈重信のブロンズ像を作ったが、その第二作である。ブロンズ像は石膏型を作ってから砂を固めて鋳型を作り金属を流し込むので石膏型があれば、同じものをつくることができる。もしかしたら拙宅にあったのも・・

では第一作と第三作はどこにあるかというと、第一作は現存しない。芝公園内に設置されたが戦時中に供出されたと思われている。デザインは当初はフロックコート着用であったが候の希望で衣冠束帯姿に変わったそうだ。この第一作については大隈講堂の中にある大礼服を着用した像であるという説が一般的だが、小倉惣次郎作である。評判が悪かった。大礼服を着ている姿が国家権力に近いと感じさせたわけだ。もっとも外務大臣や総理大臣を務めるのだから権力そのものなのだが。第三作は、国会議事堂内の中央広場にある。日本が立憲国家で議会制になった立役者の3人が要人とされ、巨大な立像が立っている。3人とは大隈のほか、板垣退助と伊藤博文だ。4人目の台はあるのだが、まだ人選は終わっていない。第三作の服装は、第一作の時に途中で変更になって消えてしまったフロックコート姿。政党政治家としての評価だろう。

これらの像はすべて足が義足で杖をついているのだが、これは彼が右翼の爆弾テロで片足を飛ばされたからである。当時は外務大臣だったわけだ。

私が中学生の時に、信頼していた社会科教師が、右翼に足を飛ばされた説明をするときに、「このあと大隈重信は外務大臣をやめることになり、文字通り『失脚』したわけです」と笑いを取ろうとしたのだが、他人の不幸をネタにするわけで、すっかり嫌になってしまった。

ふるさとの佐賀には幕末の頃のまだ足のあるサムライ姿の候の像があるそうだ。郷里を捨てて東京に出て行った行為には批判的なのだろう。



ところで、自宅の大隈重信候の像だが、レンガの前に置いてみると、まったく貫禄がなくなってしまった。



ちなみに本物の早稲田大学の大隈重信像では顔はまっすぐ正面の大隈講堂に向いているが、体はひねっていて講堂に正面を向けていない。一説によれば、直線上の背中にある大正天皇御手植えの樹木に背を向けないためだったそうだ。

将棋連盟支部ニュース

2019-11-09 00:00:50 | しょうぎ
将棋連盟の地方支部をだいぶ前に作っていたが、県連に入り幹事は些事が多く、支部会員には会費分のメリットが出せないし、結局辞めてしまったが、将棋指導員の肩書を維持するために支部に所属するしかなく、横浜市に住んでいるのに、知人に勧められて都内の支部に籍がある。といって、遠くて大変だろうということで、活動の声もかからないのだが、本当はそんなに遠くはない。

そもそも、「横浜に住んでいる」というと、神奈川県在住以外の人は、「横浜駅周辺」とか「みなとみらい」に住んでいると勘違いするのだが、観光に来た人ならわかってもらえそうだが、そういうところに住んでいる人はきわめて少ない。一部のタワマン以外の住宅とか見ます?横浜市民、380万人もいる。県別人口第10位の静岡県より多いのだから。

そもそも外国人向けのガイドブックには東京の人口を3000万人と書いてあるのが多く、東京都、神奈川県+千葉または埼玉の3都県の合計数である。4都県計では3600万人になってしまう。

支部会員には、毎年、グレードの低い塩ビカバーの将棋手帳が送られ、時々「支部ニュース」が届く。



今回は支部ニュースで感じたことなのだが、アマチュア名人戦の全国大会の記事で、神奈川代表の対局風景(本当は相手の方が有名)で、写真の背景に写り込んでいる人物が神奈川新聞の将棋担当の記者ということ。まるで高校野球の取材のようで、東京の本戦会場に行ったようだ。



もう一つは、私も顔を出した「東急将棋まつり」。羽生九段×永瀬二冠の公開対局が掲載されていた。勝敗の記載がないので羽生さんが負けたのだろう。記事中で、会場の東急東横店が再開発で閉店になることに触れられていて、長きにわたる開催について深謝することが記されている。首里城はなくなるとすぐに再建の話が起こるが、デパートの再建案など聞いたことがない。


さて、10月26日出題作の解答。





竜は本手順では捨て駒と化す。2手目の変化手順では攻めの中心になる。まあ竜でゴリゴリ攻めるような詰将棋は見たことがないかな。

動く将棋盤は、こちら。(Flash版)

GIF版。




今週の出題。



あえてポイントを言うと、8手目かもしれない。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数を記していただければ、正誤判定します。

非常食を食べることに

2019-11-08 00:00:12 | あじ
各地に台風被害が出ている。厳しい状態の方には申し訳ないのだが、厳しい状態でもないのに非常食を食べることになった。

原因は、電気釜の故障。

高級機ではないものの購入後、ちょうど2年を過ぎたばかりだったのに、タイマー炊飯の途中で、スーっと電源が落ちた。考えにくいがコンセントの不具合かと差し替えてみたが、反応なし。パンフレットを開いて調べても、うまく炊けないときの対処法とか日ごろのお手入れ法が並んでいるだけで、電源が入らないことは書かれていない。

残ったのは、生煮えの米。

ということは、生煮えの方は、とりあえず冷凍して、鍋とかに投入ということになりそうだが、今夜の食事をどうするか。



突然、賞味期限切れの非常食があることを思い出す。1年前に賞味期限が切れている。『安心米』という商品名でアルファー食品(株)という会社で作っている。アルファ化米と書かれていて、お湯で15分、ミズナラ60分で食べられるそうだ。100gだが水(湯)を加えると270gになると書かれているが、これが中途半端な量だ。個人的には160gでいいので110g余ってしまう。

そして味の方だが、食レポするなら、「これはおいしい。画期的な味ですね。量は多いけどどんどん箸が進みますね。」と歯が浮くようなことばを並べるのだろうが、普通の人が食べると「〇ずっ」ということかもしれない。たぶん賞味期限を切れているから「〇ずっ」ということになったのだろうと信じるしかない。なま煮え感があるが、芯まで柔らかいのも確かだ。味を求めない人向けだ。


翌日、購入したBカメラに行って修理の手続きをすることに。まず、メーカーの見積もりをもらおうと店員に頼むと、「炊飯器を修理する人なんかいないですよ」というような侮蔑的表情をされた。といってもまだ2年なのでもったいないわけだ。一応、金額を聞いてから修理するかどうかを判定するつもりだが、5500円を上限値としようと設定。

買換えすることになればZ印をもう一回買うことはないだろうし、Bカメラで買うこともないだろう。

修理まで2週間ということなので、安心米ではなく、電子レンジ用のパックを買うことにした。

(実際の見積もりは7980円だった。悪魔の仕業だ。わたしの命ではなく、炊飯器の命の方が欲しかったのだろう。IHだったし。)

関ヶ原(2017年 映画)

2019-11-07 00:00:03 | 映画・演劇・Video
司馬遼太郎の原作を元にした映画である。

そもそもこの映画を観る人は「関ヶ原」というのが、1600年に起きた徳川家康を中心とした東軍と、石田三成を中心とした西軍による大戦争で、戦闘の途中で小早川秀秋が西軍から東軍に寝返った結果、東軍が勝ち、その後、家康が江戸幕府を樹立することぐらいは知っているはず。どちらが勝つのだろうというワクワク感は存在しない。



もっとも最近の若い人たちの中には、太平洋戦争はどの国とどの国が戦って、どちらが勝ったのかも知らない人が多いらしい。

実は1年半前に関ヶ原に行って、実地検分をしている。実際には、毛利軍はかなり離れた山の上に陣を張り、いかにも敵前逃亡しそうな場所にいた。小早川秀秋の方はそれほど高い山の上ではない。石田三成の布陣も絶対的に高い場所ではない。戦いは平らな部分で始まり、ずっと膠着戦が続いたため、やや高い位置にいた西軍が地の利を生かすことができなかった。ラグビーのスクラムのように力が拮抗している時に、少しだけ軍を引いて山裾におびき寄せるというのは難しい。やはり、小早川の裏切りやら毛利軍の躊躇によって西軍が披露していたところに、後陣にかまえていた家康の本軍が前進を始めたところで勝負がついた。



毛利輝元は総大将という看板を背負っていたのだから、西軍が勝てば新政権は石田=毛利連合になったはず。躊躇したがため、毛利家は結局は長州一国に押し込められ、260年間を無駄にすることになる。

石田三成を演じるのは、岡田准一。西軍の島左近は平岳大。一方、東軍の家康は役所広司。三成の愛妾で忍者でもある初芽を有村架純が演じるが今一つ忍者としての技に冴えがない。くの一を演じるなら体育大学に所属する土屋太鳳に限るような気がする。

役所広司は陽気な家康を演じている。要するに天下取りには手段を選ばない。岡田准一の方は悩める冷将という感じで、日本の未来や、豊臣家への忠義や、家康への憎悪といったさまざまな邪念に追い詰められていく。


ところで、同じ司馬遼太郎の原作から1981年にテレビドラマとして同名の作が制作されている。この時は、三成を加藤剛が演じ、島左近を三船敏郎、家康は森繁久彌、本多正信を三国連太郎が演じている。そして、忍者かつ愛妾の初芽は松坂慶子である。彼女だけが存命だが、どういう忍者ぶりだったのだろう。

この本作では重要な初芽という女性だが、原作者による創造ということらしい。もっとも彼女が登場しなければ、完全に実話ものになってしまい、それこそ有名な史実を勝手に書き換えることもできないわけだ。

この16年後に家康は明確にされない理由で食中毒により急死する。初芽による復讐の第一弾だったと大胆に書き加えてみたらどうだろう。

さらにその10年後、二代将軍秀忠の正妻である「江」も秀忠不在中に急死している。毒殺という疑いが濃厚だそうだ。淀君の妹だ。

神様の住所(九螺ささら著 短歌+散文+短歌集)

2019-11-06 00:00:17 | 書評
短歌は五七五七七の三十一文字で作る韻文、つまり詩(詞)である。たぶんに口に出して読むことが期待される。三十一というのは一応の目安で、おおむね三十から三十五の間ならとやかくいわれることはない。一応の一般的ルールとか、技法上のテクニックとか必要だが、きれいな風景を詠んでもいいし、自分の感情を詠んでもいいし、世の中を嘆いてもいいのだが、一歩、道を外れると、文芸という皿からこぼれおち、狂歌とか格言とかCMコピーの仲間になってしまう。一応は基礎勉強が必要だ。

歌集で世の中を驚かせたのは1987年に「サラダ日記」を280万部も売った俵万智だろう。今に至ってよく考えれば、彼女の作品は感覚こそ新しいが、日本の和歌史の正統的系譜の中にいたのだろうと思う。その前にいた悲劇的歌人寺山修司も同様に正統系だった。藤原定家が神になる。

ところが、現代の若手歌人は、こぞって違う人物を神として敬っているらしい。誰かというと、穂村弘。確かに切り口が違う。しかも一首の中に、いくつものストーリーを組み込んで複合的かつ現代的な歌を作る。



話が、関係ない方に進んでいくので神の話は省略するが、九螺ささらも新しい歌人である。独学で和歌を勉強して、新聞歌壇やネットに応募を続け、初めての歌集「神様の住所」が2018年のドゥマゴ文学賞を受賞した。和歌の世界の賞ではないところがポイントだ。

歌を並べるのではなく、84の節に分かれ、短歌、散文、短歌というようにまとめてある。歌集としては稀だが、例は悪いが詰将棋の本とかには多い。問題があって、次のページで解答の解説があって、最後に類似作がおまけにつく。まあ、そんな感じだ。

本書のタイトルの『神様の住所』だが、第27節の短歌による。

検索をやめない肉色の指先神様の住所を探している


スマホで何か調べているのだろうか。あるいは既に知っている事実(自分の病気とか)が事実ではないことを期待してネット世界を放浪しているのか。感じとしては、うれしいことではなく悲しいことを調べているような気がする。

この一つ前の第26節には、こういうのがある。

一円玉が一グラムであるということ物質世界の基準のように


1円玉が1グラムちょうどであることなんかないだろう、都市伝説を詠んだのだろうと、重さを調べたら、本当に1グラムだ。

一円を一グラムとする国の未来地図 城は燃え落ち雨風激し特にいま(葉)


どうしても旧来型になってしまう。

著者は、その後『ゆめのほとり鳥』、『きえもの』を書いている。『きえもの』は評価が高いらしい。

一作読んだだけなので批判的な言い方はしないつもりだが、「化学調味料的」な匂いが若干感じられる。私も以前、師匠にそういわれたことがあった。多作の副作用かもしれない。化学薬品の中でも人の心と心を密着させるような接着剤のような作品なら、それもいいのではないかと思う。


ところで、調べているうちに気付いたのだが、俵万智と穂村弘はどちらも1962年生まれだった。

ノーベル賞を取り逃した?日本人

2019-11-05 00:00:03 | 市民A
今年(2019年)のノーベル化学賞にリチウムイオン二次電池の開発に貢献のあった三人が選ばれた。日本人である吉野彰氏もその一人だ。リチウムイオン電池の全体構造を考えた人、陽極を開発した人、陰極を開発した人。それらの代表者である。これはいわゆる蓄電池である。スマホをはじめとする小型機器にはほとんどこの種の電池が使われている。どうも基礎理論ではなく、応用技術に授与されることが増えている。

リチウムイオンの前は、ニッカドといってニッケルカドミウム合金が使われていた。さらにその前というか、今でも大量に使われているのが『乾電池』である。ある意味、充電しないでも相当の時間、電気を供給してくれる。使い捨てとはいえ、かなり安価である。この乾電池の前の時代に使われていたのは湿電池というもので、1800年代の後半(日本で言えば江戸時代)には存在していた。つまり、「湿電池」→「乾電池」→「ニッカド電池」→リチウム電池という流れである。後の二つは充電して何度も使えるわけだ。

そして、実はある本の中で「乾電池の発明者」という話が登場して、調べると日本人だった。

その人物の名前は屋井先蔵(やいさきぞう)。1864年に生まれている。長岡藩の藩士の家である。時は明治維新まで3年。あっという間に父親は失業したのだろうか。さらに先蔵6歳の時に亡くなってしまう。叔父が引き取ったものの13歳で東京の時計店の丁稚となる。しばらく工員として働いたあと、一念発起して東京高等工業学校を受験するが、失敗を繰り返し、断念。

独学により研究を続け、21歳の時に、すでに日本に紹介されていた湿電池で自動的に動く電気時計を発明したが、湿電池は極めてメンテナンスが複雑。乾電池の開発に取り組むことになる。リチウムイオン電池でも同様の問題がネックになっていたのだが、液漏れして腐食することが多かったわけだ(現代でも時々そうなる)。これを解決するために炭素棒に蝋分を含ませてみるとうまくいった。これが1887年のこと。実は、1888年にはドイツやデンマークでも乾電池が完成し特許を得ているが、屋井の発明は特許を取っていない。理由は特許料が高すぎて彼には払えなかったからだ。

では、ドイツやデンマークの科学者がノーベル賞を取ったかというとそういうことはない。当時は、基礎理論や当時実用的だった発明に対する受賞が多かった。レントゲン博士とかキュリー夫人とか。なにしろノーベル賞は1901年に始まっている。レントゲン博士は物理学賞の第一号。キュリー夫人は1903年に物理学賞、1911年に化学賞を受賞。キュリー夫人と屋井はほぼ同世代であるが、放射線の研究に対し、乾電池では力不足ということだったのだろうか。というか、当初は日本人やアメリカ人は受賞の対象外のような存在だった。野口英世が候補になったのは僅かに後の話だ。


実はノーベル化学賞の受賞記録を読んでいると、驚くべき人物が受賞している。第一次大戦直後の1918年にドイツ人のフリッツ・ハーバー氏である。受賞理由はアンモニア合成法なのだが、彼は「化学兵器の父」と呼ばれている。第一次大戦下で塩素ガスをはじめ各種毒ガスを開発していた。そしてユダヤ人。

戦犯スレスレだった彼が受賞した理由は明らかではないが、フランスのノーベル賞学者も毒ガス兵器を開発したため、目を逸らせるためだったとも言われる。後年、彼が開発した毒ガスでユダヤ人が殺されたとは思いたくない。

武器と言えば、日本もリチウムイオン電池を潜水艦に搭載しているわけだ。

首里城と源氏物語

2019-11-04 00:00:33 | 市民A
首里城炎上』と『源氏物語図扇面』の二つの記事を書いたのだが、よく考えてみると、この二つを結ぶ一つのリンクがある。ミッシングリンクと言いたいが、かろうじて世界から失われてはいないのだが凍結に近いもの。


つまり、『2000円札』である。



まず、表面のデザインだが、「守礼門」である。不思議なのは、なぜ首里城の正殿ではなく、門の絵が使われたのか。門も立派だが、観光客は門を見ただけで帰ったりしないはず。少なくとも正殿の正面には立つはずだ。



何かあったのだろうか。つまり、「将来、正殿がなくなる時があるが、門は残るはず」という見えない力が漂っていたのだろうか。




次に、裏面の方だが、源氏物語が使われている。

源氏物語から三つの素材が取り込まれている。

まず左側に二人の人物が描かれている。左側は冷泉天皇で右側が光源氏。源氏物語絵巻にはあと数人の従者が描かれているが二人だけが使われている。源氏物語では華やかな光源氏の女性遍歴が描かれるのだが、全編を通していくつかの深層水脈が流れている。その一つは光源氏が父親の后(藤壺、つまり義理の母)と密かに関係して、生まれたこどもが後に冷泉天皇になったこと。顔立ちも似ているとされ、二人はほとんど会うことはなかったが、この夜(8月15日)は月見をするというので、光源氏が天皇に呼ばれたわけだ。かなりスリリングな展開である。

そして、その二人の上にかぶるように文字が書かれているが、この文はこの面会の数時間前に光源氏が妻である女三宮に会って、鈴虫の声を鑑賞したときの描写である。実は女三宮は光源氏の兄の朱雀天皇の娘なのだが、二十歳以上年齢差がある。彼女は柏木という男と不倫をして薫君という男子を生む(源氏物語の後編の主人公)。結局、女三宮は出家するのだが、光源氏がやってきて嬉しくないわけはない。

つまり、二つの不倫系の秘密がここには描かれている。

さらに右側には女性の姿があり、2000年の発券当時は紫式部ということになっていた。(実は別人ではないかという研究もあるそうだ)

そして、源氏物語の深層水脈はもう一つある。六条御息所の怨霊(おんりょう)である。光源氏が初めて関係した女性とも言われる。若くして夫を亡くした後の寂しさを紛らわせるためだったのだろうが、年配女性の心に火がついてしまった。その後、光源氏は藤壺に始まり紫の上とか葵の上とか渡り歩く。六条御息所は嫉妬のあまり光源氏の交際相手を次々に呪い殺していくわけだ。そして自分の死後も妖怪となる。光源氏の心の中にあるリアルな藤壺への永遠の愛と六条御息所の狂気の怨念という対立軸があって、女三宮も怨霊にとりつかれている。


といって、六条御息所の怨念が1000年後に蘇り、藤壺や女三宮の情の染みついた紙幣を嫉妬にかられて燃やしてしまったところ、反対面の首里城まで燃えてしまった、などといいたいわけではない。紫式部や清少納言はまったく怨霊を信じていなかったらしい。(シェークスピアもハムレットの中では、重要な場面に幽霊を使っているが、信じていたわけではないだろう)

多くの二千円札は日銀の金庫に死蔵されたままになっているらしい。首里城復興に使ってみてはどうだろうか。

源氏物語図扇面(げんじものがたりずせんめん)

2019-11-03 00:00:53 | 美術館・博物館・工芸品
月刊『経団連』の表紙に使われた扇子の画像だが、東京国立博物館所蔵の『源氏物語図扇面』。作者は土佐光元。1560年、30歳の頃の作と言われる。題材を源氏物語の巻十にとっている。元愛人である六条御息所が光源氏との心のもやもやを整理するため、都を離れ伊勢に旅立つ前夜に、光源氏がやってきて、つかの間の時間、思い出話をする場面だ。



光源氏の最初の愛人で、ある程度年上で教養があり、ある皇太子の妻で女児がいたのだが、皇太子が亡くなって心のスキマを光源氏との火遊びで埋めようとしたわけだ。ところが、徐々に光源氏が若い女と付き合うようになり、正妻の座を得ることなく、それらのライバル女性を祈り殺したりしはじめる。

さらに、いったん伊勢に退いたものの6年後に都に帰ってくる。しかし、その時には既に体力も衰えていて、娘の後見を光源氏に頼むのだが、娘には手を付けないように釘を刺す。しかも亡くなった後も、あちこちに邪悪な霊として登場し、さまざまな怨念を晴らそうとする。

源氏物語全編を通して流れる地下水脈の一つが、この六条御息所の怨念である。もう一つの地下水脈は、光源氏が行う禁断の関係、つまり父親である天皇の中宮(つまり義理の母)と関係を持ち、こどもが産まれてしまう。一応は天皇の子とみなされるが、実際は光源氏の子(天皇の孫)という背信行為である。

そして扇の作者の土佐光元。土佐派の重鎮である。武家(室町幕府)を支持母体とする狩野派とは一線を引き、宮中を支持母体としていた。やまとのものがたりを描くことが多い。

ところが土佐派はこの土佐光元をもって、一時、突然終わってしまう。当主である光元が信長が起こした但馬攻めに参加し、戦いには勝ち続けたものの、彼は陣中で死んでしまう。この扇子を作ってから9年後である。その時の総大将は羽柴秀吉。兵2万人を動員し、次々に城を落としたそうだ。

では宮中の絵師がなぜ不慣れな戦場に向かったのだろう。解答はどこにも書かれていないのだが、織田信長、羽柴秀吉がどういう絵師を起用するのかまだ決まっていなかった。土佐派なのか狩野派なのか。従軍して、すばらしい戦争画を描こうとしたのではないだろうか。

そして、土佐家が消滅し、絵師といえば狩野派ということになっていく。一応、光元の死から85年経った時に、土佐派は復活している。

将棋ペン倶楽部の表紙画

2019-11-02 00:00:23 | しょうぎ
将棋ペンクラブの会員専用誌『将棋ペン倶楽部・秋号』を読み始める。深読みしたい記事もあるが、まず表紙のこと。何の絵なのかと考えると、プレーヤーのドレスコードから推測すると、どうも韓国将棋のようだ。韓国将棋はチャンギというが、「チャンギ」をネット検索すると、シンガポールの国際空港のことがでてくる。市としては、空港と軍事基地と刑務所があるらしい。



チャンギは中国将棋(シャンチー)とよく似ていて、言っては悪いが、文字は少し違うが同じ駒と盤を使ってもできる(逆でもいい)。ただ、ルールは少し違っていて、シャンチーは攻撃型(短手数)、チャンギは守備型(長手数)のゲームと言えるそうだ。両国の歴史が反映しているのだろう。困ったことに南北でも少しだけルールが違うらしい。

盤の上に『象』という大きな文字と『将』『卒』『車』『馬』『炮』の文字があり、駒の種類を表しているようだが、残念ながらチャンギ駒には『将』と『炮』という表記はない。不思議なことに韓国将棋(チャンギ)の王様は『漢』であり、『炮』ではなく『包』である。おそらく画家が参考にしたのはシャンチーの駒だったのだろう。

ところで韓国に行った時に、現地の人に「わたしは日本では将棋を趣味にしている」と言ったところ、一気に信用を失ったことがある。どうもゲームの母国では、チャンギ愛好家というのは、日本でいえば雀士、パチプロといった職業の様だ。その知人の個人的見解かもしれないので、一般化する気はないが。


さて、10月19日出題作の解答。





角と銀を捨てるのだが、銀の方は持駒ではない方を捨てる。細かな上下運動が必要。

動く将棋盤は、こちら。(Flash版)

GIF表示。




今週の問題。



よくある簡単な手筋をつなげた問題。簡単なものをつなげても、たいして難しくならない。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

首里城炎上

2019-11-01 00:00:43 | The 城
沖縄についてのマイナーテーマを書こうと思っていたら、首里城が炎上した。テレビでみた画像は、言い方は不適切かもしれないが「城が燃え落ちる時のある種の美学」を自分の中に起想させるに十分だった。沖縄の象徴ということについては後で述べるとして、自分が生きている間に城が燃え落ちることなどないと思っていた。第二次大戦末期には米軍のB29が天守閣を目標として空襲したので多くの残存天守閣が燃えたのだが、その時は市街地も焼けているので感傷を持つ人もいなかっただろうし、城址を陸軍が使っていたケースも多い。



歴史で有名なのが大坂城。日本最大の城が燃え落ちている。江戸城天守閣も2回も火事に見舞われている。北の庄城(福井城)は柴田勝家、市の夫妻とともに焼け落ち、逃げ延びた市の娘の一人が後に秀吉の側室になり秀頼を産んだことから、ふたたび世は動き出し、関ケ原を経て大坂の陣に至った。

そして、再建のことだが、今はほとんどの人が動転しているわけで、いずれ再建すればいいのだろうが、よく考えた方がいい。○○がなくなったから、すぐに代わりに取り換える、という前に、首里城の存在をもっと市民、県民、国民で考えた方がいい。



「沖縄の象徴」と安易に「象徴」という言葉を使うのはどうかと思うわけだ。憲法の中の天皇制とは違うわけだ。首里城がなければ沖縄には統一感がないのだろうか、あるいは日本国民にとって本土と沖縄の距離を近くしているのか遠くしているのか考えてもいいのではないだろうか。

そこに広場があって、過去にここにあった首里城は米軍と激闘の末、完全になくなったという共同記憶を持てばそれでいいのではないだろうか、とも思う。理念なき再建は愛されない城を作る結果を招きやすい。



ところで、2009年に首里城に行っている。当時の写真を確認すると、向かって左側の屋根の上で工事が行われている。また避雷針もある。



薄い記憶なのだが、展示品にについて大部分がレプリカでオリジナルは県立博物館に保管されていたような気がする。

王冠や琉球王国の印章が展示されていた、印章の画像を左右逆にして解読すると、『琉球国王の印』と書かれている。中国の覇権が明から清に変わった時に明から頂いた印を返して新たに清の国王から認可されている。