狼疾正伝(川村湊著 評伝)

2019-11-12 00:00:55 | 書評
評論家川村湊氏の中島敦論。2009年の発行である。中島敦の作品や評伝については、この2か月余りでほぼ目を通したので、生い立ちから33歳で亡くなるまでの波乱の多い人生の航跡と彼の作品の関係性など、実はわかるところは概ね解明されている。

ただ、いくら作品や周辺にいた人たちの証言や、残された書簡をみても、実のところ「彼が何を考えていたか」についてはわからないし、推測するにもかなりの注意深さが必要だ。

また、多くの中島敦評伝の著者は彼の熱烈な愛読者であると思われるのだが、本書の著者は、あまり中島敦も彼の著作も愛していないような気がする。普通の評伝や伝記の著者と異なって、自己主張が強いタイプなのだろう。



本書は過去の評伝からの情報の多くを用いているため、他書と共通することも多いのだが、実は序章からの流れが少し異なっている。というのは彼の「山月記」「李陵」「弟子」といった中国古典を換骨奪胎したような小説が、相当量、戦後の国語教科書に採用されたということから、「教科書作家」であるとして、その国家権力に利用されたのは何故かという切り口から始まるからだ。

実は奇妙なことに中島敦を個人的には教科書で読んだ記憶はない。(覚えてないだけかもしれないが)今どき、詩人になり切れず虎になってしまった秀才の話のどこが教科書的なのかよくわからないし、彼の小説には押しつけがましいところがないため、「どう解釈しても良い」という部分が多い。そこは、ある意味「玉虫色」とも言えるわけで、戦後、国家主義と民主主義の思想的戦いの中で、教師にとっても国家にとっても都合がいいということだろう。一方、中島敦にとっては、思想なんかどうでもいいと思っていたのだろう。

本書にも書かれていないが、初期の作品の中に登場する三造という男だが、ほぼ中島敦そのものと思われている。一方、最後の方に書かれた西遊記関連の小説だが、物語を語るのが沙悟浄であるのだが、無論、西遊記の中心人物は三蔵法師。そして孫悟空、猪八戒と沙悟浄である。このチームリーダーの名前は三蔵であり、読み方は三造と同じだ。何らかの推測がほしかった。


実は、中島敦のことを調べているうちに、多くのサイドインフォメーションを得ている。まあ、余談のようなものだが、今後、いくつか書いてみるかもしれない。
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