将棋400年史(野間俊克著)

2019-11-16 00:00:25 | しょうぎ
少し調べ物があって、『将棋400年史』を読む。著者は元奨励会員で将棋ジャーナリストの方である。

本書は将棋のルーツや日本で現在の形になった経緯、江戸時代の家元制、そして明治時代の混乱期から実力名人制に至った過程、そしてその後の大棋士の活躍をまとめている。



多くの人が知りたい黒歴史については、残念ながらほとんど触れられない。僅かに「三浦冤罪事件」に2ページ弱である。解決金のことは書かれていない。また、江戸時代の名人襲位争いについては、基本的に証拠書類が残っていないために、そもそも書くことができないようだ。

その中で、昭和6年から昭和12年まで将棋連盟の顧問をしていた中島富治氏(明治19年-昭和31年)についていくつかの記載がある。この人物、将棋界の出身者ではなく海軍の出身。東京高等商業(現一橋大学)卒業後海軍に入り、主計中佐で退役している。ロンドン海軍軍縮会議にも出席している。文官だったわけだ。そして、退役後はいわゆる政財界の有力者の間を渡っていた。高島屋飯田(現丸紅の母体の一つ)の顧問もしていた(戦後も活躍)。

彼が、なぜ将棋界で活動を始めたのかはよくわからないが、関根13世名人が高齢になり、次期名人争いでいざこざの絶えなかった棋界に実力名人制を導入しようと奮闘したわけだ。結果として関根名人は退位を余儀なくされ、ライバルの阪田公も新進気鋭の棋士たちの躍進の前に復活することはかなわなかった。また奨励会を始めたのも中島氏の案だったそうだ。

中島氏の評価は二分されていて、本書では、現在の将棋界があるのも中島氏のおかげ、という肯定論だが、一方では、部外者がやってきて棋界をメチャメチャにしたという批判もあり、彼の存在が、長く将棋連盟に外部人材を入れなかった遠因とも言われる。

一説では、関根名人が退位を渋って知る時に、奥様に高価な着物を贈ったのが決め手、とまで言われるそうだ。もっとも高島屋の顧問なら着物の都合など自由自在だったのかもしれない。(以上の中島氏の話の大部分は本書には書かれていないので)


さて、11月2日出題作の解答。





角の往復運動、打歩詰打開、飛車の長距離砲あたりの組み合わせ作。

動く将棋盤は、こちら。(Flash版)

GIF版。



今週の問題。



玉と竜以外は各2枚ずつだが、何の意味もない。現在10枚の駒が、7枚に減少する。ヒントは、月。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数を記していただければ、正誤判定します。